雨音の記憶、君の影

金森しのぶ

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第20話 大切な場所

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春の雨が続くある放課後。
咲良は校舎のピアノ室にひとりでいた。
ピアノの椅子に腰かけ、静かに指先で鍵盤をなぞる。
もう見えないけれど、ピアノの冷たい感触と、響き合う音だけは、何よりも確かだった。

放課後の音楽室は、昼間のにぎやかさが嘘のように静かだ。
窓の外を雨が優しくたたく。
咲良は耳を澄ませ、今日一日の出来事をひとつひとつ思い返した。

「ここは、私の大切な場所」

見えない世界で、初めて安心していられる“音”の中。
ピアノに向かうこの瞬間だけは、不安や迷いが消えていく気がした。



そんな咲良を見つけて、奏人がそっと音楽室に入ってきた。
足音が、咲良にはすぐにわかる。

「奏人君?」

奏人は静かに近づき、「だいじょうぶ?」と手話で伝える。
咲良は微笑みながら、「うん、平気。ここが好きなの」と返す。

奏人はピアノの隣に座り、咲良の手を軽く握る。
音楽室の静けさのなかで、ふたりのぬくもりだけが浮かび上がった。

「ねえ、奏人君にとって大切な場所ってどこ?」
咲良がそっと尋ねる。

奏人はノートに少し考えてからこう書いた。
『ぼくは、咲良ちゃんがいるところ。手でつながっていられる場所』

咲良は胸がじんわりと温かくなるのを感じた。

「私も、そうかも。みんなと一緒にいると、どんな場所でも大丈夫だと思えるよ」



そのころ、健太は校庭の隅でサッカーボールを蹴っていた。
試合でミスをして落ち込んだ帰り道だったが、ふと「大切な場所」って何だろうと考えていた。

思い出すのは、いつもみんなで笑い合った公園の東屋や、雨の日に傘を並べて歩いた帰り道。
新しい友達もできて、世界は広がった。でも、やっぱり一番ほっとできるのは咲良や奏人と過ごすあの場所だ。

ボールを追いかけながら、健太はふっと笑う。
「やっぱり、オレの大切な場所はみんなといるとこなんだな」



その夜、咲良は夕飯のあと、母と静かに話していた。
「ねえ、お母さんにとって“大切な場所”ってどこ?」

母は少し考えてから、「咲良がいる家かな」と微笑む。
「咲良が生まれてきてくれて、泣いたり笑ったりしている姿を見ると、どんな場所でも幸せだって思えるの」

咲良は母の言葉に心がじんわりと満たされていく。

「私も、たぶん“人”なんだと思う。好きな人たちがいる場所が、大切な場所になるの」

母は咲良の手をしっかりと握りしめた。



次の日。
放課後の雨がやみ、咲良と奏人と健太は公園の東屋で集まった。

「みんなに会うと、何だか元気が出るね」
咲良が微笑む。

健太は「今日、サッカーでミスしてさ。でも、ここで話してたらどうでもよくなった!」と明るく言った。

奏人は「だいじょうぶ」と低く優しい声で言い、咲良の肩をそっと抱いた。

雨上がりの空には薄い虹がかかっていた。
咲良には見えないけれど、健太が「虹が出てるよ!」と嬉しそうに教えてくれた。

「見えないけど、何となくわかるよ。空気がやさしいもん」
咲良は、空を見上げてそう言った。

三人はベンチで肩を並べ、しばらく黙って雨上がりの空気を感じていた。

「やっぱりさ、大切な場所って、誰といるかで決まるんだな」
健太がぽつりと言う。

咲良は静かにうなずく。
「そうだね。見えないけど、みんながそばにいると、どんな場所も光に包まれてるみたいだよ」

奏人もまた、小さな声で「ありがとう」と呟いた。



家に帰ると、咲良はベッドに横になり、今日の出来事を静かに思い返す。
ピアノの音、母の手、奏人や健太の声、雨上がりの匂い。
それぞれが“心の灯り”になって、自分をあたためてくれる。

——大切な場所は、きっと誰の心にもある。
——それは景色じゃなくて、ぬくもりや音や、誰かと分け合う時間の中にあるもの。

咲良は、明日もまたみんなと会えることを楽しみに、静かに目を閉じた。
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