114 / 114
お母さんの仕事
しおりを挟む
「あ、新商品だ」
休憩中の事務:橋爪裕佳は、スマホを見ながら呟いた。隣に座る同じく事務の安西咲那は、反応した。
「新商品て、何のですか?」
「ミールヘルプの。ビーンズカレーだって。美味しそう」
橋爪はウキウキしながらスマホをスクロールした。安西は言った。
「ミールヘルプって宅食ですよね? お子さんが居るお家向けの」
「そうだよ。割高だけど冷凍効くし、アレルギー対応食とか、幼児食の扱いも多いのよ。うちもたまに注文してる」
安西も製品の写真を見ながら言った。
「わ、思ったより本格的! あたしが子供の頃にもあったら良かったのに~」
「ミールヘルプの発祥ってココだったけど、もうほぼほぼ全国区ね」
思わずゆず子が口を開くと、橋爪と安西は驚いた顔でこちらを見た。安西は言った。
「え、そうなんですか?」
「ええ。厳密には前身の会社、だけどね」
「詳しいんですね。鳴瀬さんも買ってるんですか?」
「いいえ。うちの会社の隣に、ミールヘルプの元となった会社が入ってた事があったのよ」
「へえ! どんな会社だったんですか?」
「こんにちは初めまして」
「隣のテナントでこの度開業しました、『根本サポートクック』と申します」
近隣への挨拶回りに訪れたのは、30代半ばくらいの男女。鳥海クリンネスの隣にあるテナントビルの1階に、入居したという。
来客対応に社長の息子が出ると、陽に灼けた顔をした男は『代表取締役社長:根本輝秀』と書かれた名刺とチラシを渡しながら説明した。
「うちの会社は、主婦の方に耳寄りな業務をしているんです。良ければ、こちらのチラシを従業員さんにお渡し下さい」
「あ、はい。ありがとうございます」
やり取りを見ていた佐野が、戻ってきた社長の息子に尋ねた。
「『主婦に耳寄りな業務』?」
「だそうです。折角なので、これ」
差し出したチラシには『夕飯何にしたらいいの?を解決‼︎』との文字が大きく載っていた。ゆず子は眺めて口を開く。
「『材料の宅配』…。材料は既にカット済み、あらかじめ注文した人数分の量が入ってて、同梱のレシピ通りに作るだけ。あー、つまり『料理キット』なの」
佐野はニヤニヤしながら言った。
「あれ、多分ビルオーナーからうちの会社の事聞いたから来たんだね。清掃業なんて『掃除のおばちゃん=主婦』だから、いい金になるかもって」
「まあ、目の付け所がいいわね」
ゆず子は、チラシを読みながら会社を後にした。
共働き率は年々上がっている。仕事終わりの身体に鞭打って行う夕食作りを、いかに楽に仕上げるかは死活問題だ。
「独り身だったらコンビニでもカップ麺でも何でもいいけど、家族が居るとそうは行かないよね」
大喜田もチラシを見つつ言った。佐野も言った。
「そうそう。しかも作った物に文句つけられたりね!」
「加藤さん試しに注文したらしいけど、美味しかったんだって。あたしも注文してみようかな?」
ゆず子が言うと、佐野はチラシを見つつ眉間に皺を寄せた。
「…何か引っかかるなぁ」
「何が?」
「いや、目の付け所って言うの? 発想が隙間産業ですごく良さげなんだけど、何か違和感があるって言うか」
「違和感ねえ…」
ゆず子はチラシに目を落とした。
評判は上々の様だった。根本サポートクックは連日、仕入業者が入れ替わり立ち替わり出入りし、挨拶に来た社長と女性(社長の妻らしい)も、せっせと配送業務で忙しくしていた。
鳥海社長らの話では、夜も遅くまで明かりが灯っていて、業務に勤しんでるらしい。商売が繁盛しているんだな、とゆず子は思っていたのだが。
「はあ? 休めないかだって?」
出向先へ向かう際に使用する、社用自転車置き場に自転車を停めているゆず子の耳に、不機嫌そうな男性の声が届いた。
塀の向こう、隣のテナントビルの裏口付近で、誰かが煙草を吸いながら電話をしているようだ。
「今正念場なのはお前も分かってるだろ? 無理だっつの」
(根本サポートクック、男の従業員さんは居ないみたいだから社長さんかしら?)
「…OK? こっちはやっとくから、さっさと風邪治して。お袋でも義母さんでも呼んで、手伝ってもらってや」
姿の見えない男は、電話を切ると裏口から中へと入って行った。
「ねえねえ、隣の会社がタウン情報誌に載ってたよ」
大喜田は、わざわざ開いて見せてきた。ゆず子は読みつつ呟いた。
「へえ、大手に就職したのに、34歳で辞めて起業したんだ」
色黒な社長は、挨拶に来た時よりも心なしかほっそりして見えた。大喜田は言った。
「お子さん3人居るのね。『休日は子供を連れて自然の多いとこに遊びに行ってます』ってあるけど、ここ3ヶ月くらい定休日なくやってるみたいだよ。いつの話なんだか」
(こないだ聞いた電話、もし社長さんとしたら奥さんからよね。奥さん、風邪ひいて大変ななかお子さん3人の育児もあって、限界でよこした電話だったのかな)
体調不良の最中の育児ほど、死ぬまで行かないが死にそうな状況は無い。
弱音を吐けば『じゃあ何故子供を産んだ』『何故風邪をひいた(ひかせた)』『みんなどうにかしてるから頑張れ』など。
(子供達元気ならまだしも、子供も母親もダウンしてたとしたら、目も当てられないわね)
ゆず子が回想しつつ記事を読んでると、大喜田が口を開いた。
「そうそう、根本~のとこ、ちょっと悪い話も出てきたよ」
「どんな?」
「『献立レパートリーが少ない』とか『材料の入れ忘れ多い』とか。最近はね、材料の切り方が雑になってきたって、加藤さんが言ってた」
「あらま」
聞きつつ、ゆず子は記事のある一文に目を止めた。起業のきっかけのインタビューだ。
『忙しくて、夕食がお惣菜やお弁当になってしまう時がありますよね。そういう時、世のお母さん方は罪悪感を覚える訳ですよ。一品だけでもいいから、フライパンを振るったり鍋で煮込む。僕はその手助けをしたいと考えてるんです』
根本サポートクックは、開業4ヶ月を待たずに方針を転換した。業績が振るわないのだろう。
「あら、またチラシ貰ったんですか?」
ゆず子が手に取ったチラシには、『お子さんでもお年寄りでも簡単調理!』と目立つ文言が印刷されていた。今回対応した社長が、呟くように言った。
「暑いなか奥さん1人でビラ配りしててね。何かあそこ、もうヤバイと思うな」
店舗も会社も方針転換や新業務の導入は、状況転換のためのテコ入れであり、業績不振かと思うものである。
一時は物珍しさから伸びたのだろうが、今では目で見て分かるくらい低迷してるのは明らかだ。
「時短メニュー?」
「うん。ネットで色々仕入れたから、PDFで送るわ」
塀の向こう。男女の話し声が聞こえ、ゆず子は自転車のハンドルを握ったまま、息をひそめた。
「送るってどういうこと?」
「46品、リストアップしたから。作ってみて」
「はあ⁉︎」
女は不快感を露わにした。男は続けた。
「出来れば全部。作りやすかったとか、美味しかったやつ教えて」
「何言ってんの?」
「だーかーらー。『お母さん』が実際に作ってみないと分からないじゃん。現場の感想が必要なんだよ」
「何なのそれ。家で作りもしないのに偉そうだね!」
「…あのさぁ、よそに聞こえるよ。そんな大声出して」
聞いていたゆず子は、口元が強張ってくるのを感じた。
それから2ヶ月後、隣のテナントに改装工事が入ったのを見かけた。
潰れたのか、と思ったゆず子だったが、鳥海クリンネスに半年前に挨拶で訪れた女が、満面の笑顔でまたやってきた。
「こんにちは。この度社名が変わりました、ミールヘルプの根本です」
差し出された名刺には、『代表・根本あかり』の文字と、可愛いハリネズミのキャラクターのイラスト。あかりは続けた。
「冷凍保存のできるお惣菜を作っています。注文はこちらのQRから出来ます」
「あら、調理キットからお惣菜に転向したのね」
名刺を受け取りながらゆず子が言うと、あかりは笑って頷いた。
「はい。やっぱり、予め出来た物を食べる方が良いですから」
負債を出して畳んだだろう夫の会社に続き、妻の会社も二の舞にならないかと恐々見守ったが、意外な事に経営は順調そうであった。
佐野は言った。
「あの奥さん、旦那と比べて商才あるよ。宣伝はネットを中心に、チラシは児童館や小児科とか、子連れの出入りがある所に限定して置いてるみたい。前回より宣伝費浮いてるね」
「旦那さんは商店街の同友会に、無理やり入れて貰ってたんでしょ? 地域密着にしてはベンチャー過ぎるし、駅前でビラ配りもしたり、ちょっと的外れだったよね」
大喜田も頷きつつ言った。ゆず子も言った。
「良いわよね、温めるだけで食べれるの。未就学児向けとか、アレルギー対応もちゃんと表記してあるし」
ミールヘルプは、最初こそ小規模に限定してやっていたものの、クチコミで徐々に評判が広がっていった。
前の会社の代表だった夫も、普通に出入りして仕事を手伝っているようだった。
(設立1周年か。旦那さんの会社より長くもってるし、収益も結構あるみたいね)
市内で行われる乳児検診や子育て相談会などで配布される冊子には、必ずミールヘルプのパンフレットが同梱された。
『3児ママの現役代表』という事でビジネス誌や育児雑誌でインタビュー記事が掲載されたり、産院や小児科での栄養相談会に呼ばれる事もあるらしい。
インタビュー記事に載っていた顔写真は、朗らかで輝いた笑顔だった。その裏でしてきた苦労があることは、ゆず子も垣間知っていたのだが。
ゆず子が自転車を停めていると、塀の向こうで話し声がしていた。声の主は、あの元社長の夫と現社長の妻の様だった。
「…エマに串カツあげたんだって?」
「だから悪かったって」
「何でうちの豚カツあげなかったの? 冷凍庫入ってたじゃん」
男は黙り込んだ。
「まだエマは2歳なんだよ? 1人で串外せないから、豚カツあげてって言ったんだよ。なのに食べさせて、しかも串が喉に刺さるとか」
「ごめん…」
女は溜息をついた後、話を続けた。
「てかさ、今まで何回も冷凍の使ってって言ったのに、全然使わないよね。あれは何で?」
男はまた黙り込む。ゆず子は思わず、息をのんで耳を澄ませた。女は優しい声で言った。
「…使いたくないかぁ。いつぞやの時短料理全集にトライするのはいいけど、頑張って無理しないで」
「…無理なんかしてないよ」
男は絞り出すような声で返答した。女は言った。
「分かった分かった。エマも軽傷だったし、その話は終わろ。水曜だけど、小児栄養勉強会の打ち合わせあるから。朝の旗振りはあたしやるから、夜ご飯よろしく」
「うん。あのさ、旗振り俺が出ようか?」
「何で?」
「いや、忙しいだろ?」
「忙しいけど。旗振りって、次の当番さんに旗を渡すまでが仕事だよ。マコトくんち分かる? ママさんの連絡先は?」
「いや…」
「こういうのは母親の仕事ってやつだよ。だから気を使わないでいいよ」
「…うん」
事業が拡大し手狭になったため、ミールヘルプはその後、別の場所に移転した。
いつからか、根本あかりの肩書きに、3児ママ・冷凍惣菜会社社長の他に、シングルマザーの文字が追加されるようになった。
「子供にレトルトと惣菜しか食べさせてない? いいじゃない、それで」
子育て中の後輩からの相談に、橋爪はバッサリ言い切った。後輩は眉をハの字にした。
「えー。野菜とか、もっと食べさせなきゃいけないじゃないですかぁ」
「タンパク質とビタミン取れてりゃいいの。愛情は食事以外でもかけられます! て言うか、誰が言い出したんだろね『ちゃんとした手料理を子供に食べさせないとダメ!』って」
窓を拭きつつ、ゆず子は在りし日のあの夫婦を思うのであった。
休憩中の事務:橋爪裕佳は、スマホを見ながら呟いた。隣に座る同じく事務の安西咲那は、反応した。
「新商品て、何のですか?」
「ミールヘルプの。ビーンズカレーだって。美味しそう」
橋爪はウキウキしながらスマホをスクロールした。安西は言った。
「ミールヘルプって宅食ですよね? お子さんが居るお家向けの」
「そうだよ。割高だけど冷凍効くし、アレルギー対応食とか、幼児食の扱いも多いのよ。うちもたまに注文してる」
安西も製品の写真を見ながら言った。
「わ、思ったより本格的! あたしが子供の頃にもあったら良かったのに~」
「ミールヘルプの発祥ってココだったけど、もうほぼほぼ全国区ね」
思わずゆず子が口を開くと、橋爪と安西は驚いた顔でこちらを見た。安西は言った。
「え、そうなんですか?」
「ええ。厳密には前身の会社、だけどね」
「詳しいんですね。鳴瀬さんも買ってるんですか?」
「いいえ。うちの会社の隣に、ミールヘルプの元となった会社が入ってた事があったのよ」
「へえ! どんな会社だったんですか?」
「こんにちは初めまして」
「隣のテナントでこの度開業しました、『根本サポートクック』と申します」
近隣への挨拶回りに訪れたのは、30代半ばくらいの男女。鳥海クリンネスの隣にあるテナントビルの1階に、入居したという。
来客対応に社長の息子が出ると、陽に灼けた顔をした男は『代表取締役社長:根本輝秀』と書かれた名刺とチラシを渡しながら説明した。
「うちの会社は、主婦の方に耳寄りな業務をしているんです。良ければ、こちらのチラシを従業員さんにお渡し下さい」
「あ、はい。ありがとうございます」
やり取りを見ていた佐野が、戻ってきた社長の息子に尋ねた。
「『主婦に耳寄りな業務』?」
「だそうです。折角なので、これ」
差し出したチラシには『夕飯何にしたらいいの?を解決‼︎』との文字が大きく載っていた。ゆず子は眺めて口を開く。
「『材料の宅配』…。材料は既にカット済み、あらかじめ注文した人数分の量が入ってて、同梱のレシピ通りに作るだけ。あー、つまり『料理キット』なの」
佐野はニヤニヤしながら言った。
「あれ、多分ビルオーナーからうちの会社の事聞いたから来たんだね。清掃業なんて『掃除のおばちゃん=主婦』だから、いい金になるかもって」
「まあ、目の付け所がいいわね」
ゆず子は、チラシを読みながら会社を後にした。
共働き率は年々上がっている。仕事終わりの身体に鞭打って行う夕食作りを、いかに楽に仕上げるかは死活問題だ。
「独り身だったらコンビニでもカップ麺でも何でもいいけど、家族が居るとそうは行かないよね」
大喜田もチラシを見つつ言った。佐野も言った。
「そうそう。しかも作った物に文句つけられたりね!」
「加藤さん試しに注文したらしいけど、美味しかったんだって。あたしも注文してみようかな?」
ゆず子が言うと、佐野はチラシを見つつ眉間に皺を寄せた。
「…何か引っかかるなぁ」
「何が?」
「いや、目の付け所って言うの? 発想が隙間産業ですごく良さげなんだけど、何か違和感があるって言うか」
「違和感ねえ…」
ゆず子はチラシに目を落とした。
評判は上々の様だった。根本サポートクックは連日、仕入業者が入れ替わり立ち替わり出入りし、挨拶に来た社長と女性(社長の妻らしい)も、せっせと配送業務で忙しくしていた。
鳥海社長らの話では、夜も遅くまで明かりが灯っていて、業務に勤しんでるらしい。商売が繁盛しているんだな、とゆず子は思っていたのだが。
「はあ? 休めないかだって?」
出向先へ向かう際に使用する、社用自転車置き場に自転車を停めているゆず子の耳に、不機嫌そうな男性の声が届いた。
塀の向こう、隣のテナントビルの裏口付近で、誰かが煙草を吸いながら電話をしているようだ。
「今正念場なのはお前も分かってるだろ? 無理だっつの」
(根本サポートクック、男の従業員さんは居ないみたいだから社長さんかしら?)
「…OK? こっちはやっとくから、さっさと風邪治して。お袋でも義母さんでも呼んで、手伝ってもらってや」
姿の見えない男は、電話を切ると裏口から中へと入って行った。
「ねえねえ、隣の会社がタウン情報誌に載ってたよ」
大喜田は、わざわざ開いて見せてきた。ゆず子は読みつつ呟いた。
「へえ、大手に就職したのに、34歳で辞めて起業したんだ」
色黒な社長は、挨拶に来た時よりも心なしかほっそりして見えた。大喜田は言った。
「お子さん3人居るのね。『休日は子供を連れて自然の多いとこに遊びに行ってます』ってあるけど、ここ3ヶ月くらい定休日なくやってるみたいだよ。いつの話なんだか」
(こないだ聞いた電話、もし社長さんとしたら奥さんからよね。奥さん、風邪ひいて大変ななかお子さん3人の育児もあって、限界でよこした電話だったのかな)
体調不良の最中の育児ほど、死ぬまで行かないが死にそうな状況は無い。
弱音を吐けば『じゃあ何故子供を産んだ』『何故風邪をひいた(ひかせた)』『みんなどうにかしてるから頑張れ』など。
(子供達元気ならまだしも、子供も母親もダウンしてたとしたら、目も当てられないわね)
ゆず子が回想しつつ記事を読んでると、大喜田が口を開いた。
「そうそう、根本~のとこ、ちょっと悪い話も出てきたよ」
「どんな?」
「『献立レパートリーが少ない』とか『材料の入れ忘れ多い』とか。最近はね、材料の切り方が雑になってきたって、加藤さんが言ってた」
「あらま」
聞きつつ、ゆず子は記事のある一文に目を止めた。起業のきっかけのインタビューだ。
『忙しくて、夕食がお惣菜やお弁当になってしまう時がありますよね。そういう時、世のお母さん方は罪悪感を覚える訳ですよ。一品だけでもいいから、フライパンを振るったり鍋で煮込む。僕はその手助けをしたいと考えてるんです』
根本サポートクックは、開業4ヶ月を待たずに方針を転換した。業績が振るわないのだろう。
「あら、またチラシ貰ったんですか?」
ゆず子が手に取ったチラシには、『お子さんでもお年寄りでも簡単調理!』と目立つ文言が印刷されていた。今回対応した社長が、呟くように言った。
「暑いなか奥さん1人でビラ配りしててね。何かあそこ、もうヤバイと思うな」
店舗も会社も方針転換や新業務の導入は、状況転換のためのテコ入れであり、業績不振かと思うものである。
一時は物珍しさから伸びたのだろうが、今では目で見て分かるくらい低迷してるのは明らかだ。
「時短メニュー?」
「うん。ネットで色々仕入れたから、PDFで送るわ」
塀の向こう。男女の話し声が聞こえ、ゆず子は自転車のハンドルを握ったまま、息をひそめた。
「送るってどういうこと?」
「46品、リストアップしたから。作ってみて」
「はあ⁉︎」
女は不快感を露わにした。男は続けた。
「出来れば全部。作りやすかったとか、美味しかったやつ教えて」
「何言ってんの?」
「だーかーらー。『お母さん』が実際に作ってみないと分からないじゃん。現場の感想が必要なんだよ」
「何なのそれ。家で作りもしないのに偉そうだね!」
「…あのさぁ、よそに聞こえるよ。そんな大声出して」
聞いていたゆず子は、口元が強張ってくるのを感じた。
それから2ヶ月後、隣のテナントに改装工事が入ったのを見かけた。
潰れたのか、と思ったゆず子だったが、鳥海クリンネスに半年前に挨拶で訪れた女が、満面の笑顔でまたやってきた。
「こんにちは。この度社名が変わりました、ミールヘルプの根本です」
差し出された名刺には、『代表・根本あかり』の文字と、可愛いハリネズミのキャラクターのイラスト。あかりは続けた。
「冷凍保存のできるお惣菜を作っています。注文はこちらのQRから出来ます」
「あら、調理キットからお惣菜に転向したのね」
名刺を受け取りながらゆず子が言うと、あかりは笑って頷いた。
「はい。やっぱり、予め出来た物を食べる方が良いですから」
負債を出して畳んだだろう夫の会社に続き、妻の会社も二の舞にならないかと恐々見守ったが、意外な事に経営は順調そうであった。
佐野は言った。
「あの奥さん、旦那と比べて商才あるよ。宣伝はネットを中心に、チラシは児童館や小児科とか、子連れの出入りがある所に限定して置いてるみたい。前回より宣伝費浮いてるね」
「旦那さんは商店街の同友会に、無理やり入れて貰ってたんでしょ? 地域密着にしてはベンチャー過ぎるし、駅前でビラ配りもしたり、ちょっと的外れだったよね」
大喜田も頷きつつ言った。ゆず子も言った。
「良いわよね、温めるだけで食べれるの。未就学児向けとか、アレルギー対応もちゃんと表記してあるし」
ミールヘルプは、最初こそ小規模に限定してやっていたものの、クチコミで徐々に評判が広がっていった。
前の会社の代表だった夫も、普通に出入りして仕事を手伝っているようだった。
(設立1周年か。旦那さんの会社より長くもってるし、収益も結構あるみたいね)
市内で行われる乳児検診や子育て相談会などで配布される冊子には、必ずミールヘルプのパンフレットが同梱された。
『3児ママの現役代表』という事でビジネス誌や育児雑誌でインタビュー記事が掲載されたり、産院や小児科での栄養相談会に呼ばれる事もあるらしい。
インタビュー記事に載っていた顔写真は、朗らかで輝いた笑顔だった。その裏でしてきた苦労があることは、ゆず子も垣間知っていたのだが。
ゆず子が自転車を停めていると、塀の向こうで話し声がしていた。声の主は、あの元社長の夫と現社長の妻の様だった。
「…エマに串カツあげたんだって?」
「だから悪かったって」
「何でうちの豚カツあげなかったの? 冷凍庫入ってたじゃん」
男は黙り込んだ。
「まだエマは2歳なんだよ? 1人で串外せないから、豚カツあげてって言ったんだよ。なのに食べさせて、しかも串が喉に刺さるとか」
「ごめん…」
女は溜息をついた後、話を続けた。
「てかさ、今まで何回も冷凍の使ってって言ったのに、全然使わないよね。あれは何で?」
男はまた黙り込む。ゆず子は思わず、息をのんで耳を澄ませた。女は優しい声で言った。
「…使いたくないかぁ。いつぞやの時短料理全集にトライするのはいいけど、頑張って無理しないで」
「…無理なんかしてないよ」
男は絞り出すような声で返答した。女は言った。
「分かった分かった。エマも軽傷だったし、その話は終わろ。水曜だけど、小児栄養勉強会の打ち合わせあるから。朝の旗振りはあたしやるから、夜ご飯よろしく」
「うん。あのさ、旗振り俺が出ようか?」
「何で?」
「いや、忙しいだろ?」
「忙しいけど。旗振りって、次の当番さんに旗を渡すまでが仕事だよ。マコトくんち分かる? ママさんの連絡先は?」
「いや…」
「こういうのは母親の仕事ってやつだよ。だから気を使わないでいいよ」
「…うん」
事業が拡大し手狭になったため、ミールヘルプはその後、別の場所に移転した。
いつからか、根本あかりの肩書きに、3児ママ・冷凍惣菜会社社長の他に、シングルマザーの文字が追加されるようになった。
「子供にレトルトと惣菜しか食べさせてない? いいじゃない、それで」
子育て中の後輩からの相談に、橋爪はバッサリ言い切った。後輩は眉をハの字にした。
「えー。野菜とか、もっと食べさせなきゃいけないじゃないですかぁ」
「タンパク質とビタミン取れてりゃいいの。愛情は食事以外でもかけられます! て言うか、誰が言い出したんだろね『ちゃんとした手料理を子供に食べさせないとダメ!』って」
窓を拭きつつ、ゆず子は在りし日のあの夫婦を思うのであった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。