鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

文字の大きさ
95 / 114

メラビアン ※就業規則違反、依存症表現あり

しおりを挟む
 初対面の人と顔を合わせた際に、話す内容が7%、声やそのボリュームなど聴覚が38%、見た目など視覚が55%の割合で、相手にその影響を与えるという、どこぞの偉い人が提唱した理論がある。

 面接やお見合いなどで、対話で一応相手の内面にも注意を払ったとしても、大体は外見に気を取られジャッジを下す傾向があるのは、仕方がないらしい。

 では逆に、何故か第一印象で引っ掛かりを覚えた場合は、何かがあるのだろうか。


天野夏帆あまの なつほです。よろしくお願いいたします」

 自己紹介の後にお辞儀をしたのは、礼儀正しく控えめな感じの女だった。社員が、ゆず子と大喜田ふじよに説明をする。

「天野さんは、こちらの2人から手順を教わって下さい。鳴瀬さんと大喜田さんは、今月中は天野さんと一緒に、村嶋珈琲フーズと浅香屋食品の仕事に行って下さい」

 新メンバーは、30代半ばの若い世代。大喜田はワクワクした表情だ。

「30代の人なんて久しぶり! よろしくね」

「ご指導よろしくお願いします」

 天野は、はにかんだ笑みを見せたのだが、ゆず子は何故か妙に気にかかった。

(何だろう。何かこの人、気になるな…)


 研修1箇所目は、ゆず子が業務の流れを教える。
 外回り用の自転車の駐輪場所、出向先への入室手順(どこの入口から入るとか)、その出向先でのルールなど、教える事はいっぱいだ。
 天野が必死でメモを取る傍ら、ゆず子は質問をした。

「天野さんは…、どちらにお住まいなの?」

「私ですか? Aです」

「へえ、隣の市なのね。遠くない?」

「確かに少し離れてます…。でも、少し離れた場所で働きたかったので」

 天野は照れたように笑った。ゆず子は続けて質問した。

「ご家族と暮らしていらっしゃるの?」

「はい、夫と子供2人です」

「そうなんだ。お子さんおいくつなの?」

「6歳と4歳です。下の子、幼稚園に入ったので働こうと」

 天野は、にっこりして言った。



「天野さん、来週から1人体制がスタートするわね」

 研修最終日。ゆず子が言うと、天野は困った様に笑った。

「そうですねぇ。頼りになるお姉さん達が居ないと、何だかとても不安です」

「大丈夫よ、天野さんなら問題無いわ。それに、出向先も良い人達ばかりだし。連絡先教えるから、判らない事があったらいつでも聞いて」

「あ、お願いします。PINEでいいですか?」

「ええ、いいわよ」

 天野のアイコンは、2歳くらいの幼児が赤ちゃんに頬ずりしている画像だった。ゆず子は思わず声を上げた。

「わぁ、可愛い~!! これ、天野さんのお子さん?」

 天野は照れ笑いで答えた。

「あ、はい。少し前のなんですが、上のお兄ちゃんと下の妹です」

「賑やかそうでいいわね」

「はい」

 天野は穏やかな笑みだった。



 天野は、研修修了後も問題なく仕事に取り組めていたようだ。ネックとなっていた『子供の体調不良時の急な欠勤』も、皆無だった。

「旦那さんが、リモートワーク出来る職種らしいのよね。それに、天野さんは短時間契約の人だから、何とか出来るのかな」

 報告書提出で会った大喜田は言った。ゆず子も口を開く。

「お子さん小さいからね。…あ、ねえねえ、天野さんのアイコン見た?」

 ゆず子がスマホの画面を見せると、大喜田は目を細めて見た。

「天野さんのお子さん? あら可愛いこと。でも、お子さん幼稚園児じゃなかったっけ?」

「うん、少し前の画像って言ってたよ」

「ふーん。最新のを使わないのね」

「ベストショットなんじゃない? すっごく可愛いからね」

 2人は道端で談議した。



 ゆず子が妙な点に気づいたのは、天野の研修が終了してひと月程経った頃だ。

(何か。トイレ汚いな)

 ここの担当はゆず子と天野の2人だけで、前回の清掃は天野がしたのだが、明らかに清掃が行き届いてない日があった。

 天野の施した状態は許容範囲ではあるが、清掃員歴20年近いゆず子から見ればクレームが少々心配なレベルだ。

(何かあって急いでいたのかな…。お子さんの急な早退とか)

 ゆず子らの勤める、鳥海クリンネスの業態は委託契約が主だ(滝童ショッピングセンターなど、一部時給制の場所もある)。
 各出向先によって、清掃区画・清掃方法や使用道具と洗剤、留意点などが細かく契約書に記載されているが、かかる時間に関しては明記してない所が多い(1日に複数か所担当するのが普通なので、時間制約があると業務が回らなくなる)。
 なので極端な話、契約の内容さえ満たせば、出向先1か所の業務時間が、30分でも3時間でもいいのである。

 用事があるから、普段1時間かける業務を40分ぐらいで終わるよう仕上げたのか。まあ、ゆず子やベテラン従業員もよくやる方法ではあるが。

(入社してひと月して、天野さんの本性が出て来たのかな)

 ゆず子は苦笑した。



 別の出向場所。昼食中の若手社員:福田菜美ふくだ なみと後輩:柄北柚羽からきた ゆうは、ゆず子が何気なく天野の事を訊くと口を揃えて言った。

「天野さん、いつも爆速でやってるね」

「ですね。ちょっと…、心配になるって言うか」

「『心配』?」

 ゆず子が聞き返すと、福田は腕組みして言いづらそうに口を開いた。

「えーっと。結構…、大雑把かな? ゴミ箱の中はキレイなのに、その周りに小さいゴミが落ちていたり」

 柄北も口を開く。

「…ここだけの話、忘れてるのか省略してるのか、たまにモップ掛けしないでお帰りになること、ありますよ」

「あらま! それは良くないわね」

 ゆず子は呆れた表情をした。


 清掃員の全員が、綺麗好きな訳では無い。個人の裁量の割合が大きい仕事で、完成状態にばらつきが出るのは当然だが。

(うーん、でも決められた作業を省いちゃうのは、問題外よね…)

 会社と出向先(この場合清掃場所)で交わされる委託契約書に則って、清掃員は清掃業務を行なうのが規則だ。勝手な省略は、契約不履行である。

 上司にそれとなく相談してみるか、でもその前に天野へ『大急ぎ』の理由を聞いてみるか。その日の1か所目の業務を終わらせたゆず子が、考えつつ自転車で移動していると、あるモノを見つけた。

 駅前のパチンコ屋の駐輪場に、鳥海クリンネスが所有している自転車(出向先へ移動する時に従業員が使うもの)が停まっていたのだ。

(防犯登録証といい、型と色といい、うちの会社のやつだわ。何でここに停めてあるんだろう)

 だが、次の現場の時間も迫っていたので、ゆず子はそのまま通り過ぎた。


「ねえ、鳴瀬ちゃん。天野さんと最近会った?」

 出向先でたまたま会った大喜田は、渋そうな表情で尋ねてきた。

「会ってない。何かあったの?」

「掃除、ちゃんとやってない時があるのよ」

「あー…、ちょっと雑だよね」

 ところが、大喜田は首を振った。

「ちゃうちゃう、床掃いてゴミだけ捨てて終わりよ。佐野さんがたまたま見つけて、上に報告して注意したみたい」

「え、それ本当?」

「うん。本人は『幼稚園から早退の連絡を受けて、焦って手順を飛ばした』って言って謝ったみたいだけど、1回だけじゃないんだよね…」

 大喜田が顔をしかめると、ゆず子も言った。

「あたしも、浅香屋の人から『いつも焦って掃除してる』とか『モップ掛けしてない時ある』って言われたの。急用で焦ってたなら、連絡先教えたんだし声かければいいのに」

「気を遣ってるのかね? 割にやることがぶっ飛んでるけど」

「まあ、改善されるといいわね」

 ゆず子は息をついた。



「ねえねえ、鳴瀬さん。天野さんの事なんだけど…」

 トイレ掃除中。話しかけてきた出向先の顔見知り:事務の河北富由美かわきた ふゆみに、ゆず子は一瞬身構えた。

「天野さん、どうかした?」

「お子さん2人、A市の『サイバラ幼稚園』に通ってるって聞いたけど本当?」

 苦情でなくホッとしたものの、ゆず子は首を振った。

「そこまでは知らないや。何で?」

「そうなんだ。いやあのね、お子さんのこと訊いたらそう言われたんだけど、統合して『ホタルこども園』になってて、『サイバラ幼稚園』は存在しないんだよ。だからあれ? って思って」

「そうなの? 詳しいわね」

「仲の良い店舗パートさんの子が、丁度『こども園』になる頃に在籍しててさ。『途中でルールが色々変わって大変なんだ~』って聞いたから、覚えてたの。ホームページ見たけど、やっぱり『サイバラ』は無い」

 ゆず子は思わず手を止めて口を開いた。

「入園当時『サイバラ』だったから、ずっと『サイバラ』呼びしてるとか?」

「うーん。でもお子さん年長と年少でしょ? 統合が3年前だから、上の子が入園時には既に『ほたる』だよ。未満児クラスから通わせてたとしても、今となっては新名称になってからの方が長いし、呼び続けるかな?
だから、聞き間違ったかと思って」



 天野の研修終了後、ゆず子は全く彼女に会っていない。担当場所は一緒でも入れ違いのシフトで、開始と終了時間も違うからだ。

(顔を合わせなくなってから、妙な話をよく聞くわね)

 話した感じも、立ち振る舞いや勤務態度も、同行していた研修中におかしな点は無かった。むしろゆず子からすれば、聞こえて来る話が信じられないくらいだ。

(人は見かけによらない、ってことかな)

「鳴瀬さん!」

 退勤途中のゆず子を呼び止めたのは、20代の後輩:六角陽詩ろっかく ひなた。六角は歩道脇で、ゆず子にこんな話をした。

「天野さん、いつも仕上がり雑で苦情あったから、大喜田さんが注意しようと出向先で待ち伏せたらしいんですね。たまたま天野さん、大喜田さんの居ない側から出ちゃって、追いかけたらそのまま駅前のパチンコ屋に行ったんです」

 ゆず子の脳裏に、いつぞやの停めてあった自転車が浮かぶ。

「パチンコ屋?」

「そうです。天野さん、パチンコ屋の開店待ちの列に並んで、その後に台で打ってるの、ガッツリ見たそうで。…今、会社にも報告して、ちょっとした騒ぎになってます」

 目を伏せたゆず子は、思わずこめかみを押さえた。



「天野さん?」

 ゆず子が声を掛けると、鳥海クリンネスから出て来た私服姿の天野は、ビクッとしてこちらを見た。

「…鳴瀬、さん」

「久しぶりね、元気だった?」

「あの…」

 天野は顔を伏せ、口ごもる。

「ごめんなさい。あんなに良くして頂いたのに…。ここを今日付で、辞める事になりました」

「そうなの? 寂しくなるわね」

 ゆず子は残念そうな笑みを浮かべた。

「長い人生、色々あるわ。今はお子さん達についててあげればいいのよ」

 天野はポツリと言った。

「…出来ません」

「え?」

「私、子供と一緒に暮らしてないんです。
…預貯金と生活費を使い込んで、子供も放置してパチンコに通い詰めて、夫に見限られました。子供は、夫と義理の両親が育てています」

 天野は無表情で言った。

「離婚して実家に戻って何年も病院通いして、何とか社会復帰しようと、こちらに勤め始めました。しばらく大丈夫だったけど、ダメでした。母親失格以前に、人として問題があるんです」

「天野さん…」

 天野は、ゆず子の方は一切見なかった。

「恩を仇で返す様な事をして、申し訳ありません。ご迷惑おかけしました…」

 踵を返す天野の腕を、ゆず子は咄嗟に掴んだ。

「天野さん、『ゆっくり』でいいんだよ?」

 天野はこちらを見ないが、振り払う事はしなかった。

「人生は長いの。失敗はするし、何回も繰り返すこともあるのよ。ゆっくりでも何回でもいいの。誰だって、前に進む権利はあるんだから」

 ゆず子が手を離すと、天野はとぼとぼ歩いて行った。



「天野さん、パチンコ行くために仕事のショートカットをしてたんだね」

 大喜田が抹茶ロールケーキを頬張ると、六角はチョコサンデーをスプーンでつついた。

「依存症や離婚の事実を隠すために、前に聞いた事ある幼稚園の名前を出した…。だから園名がおかしい訳ですね」

 ゆず子は頬杖をついて、2種のアイスセットを眺めた。

「アイコンにしていたのは、まだ一緒に暮らしてた頃のお子さんの画像だったのかな? PINEのアカウントも、あの後すぐ削除されて、無くなっちゃってたな」


 天野のその後は分からない。客観的に見れば就業規則違反をし、会社や所属する従業員の評価を下げるかもしれない行為をやった、『違反で解雇に至った劣悪な従業員』である。

 そんな天野ではあるが、ゆず子はこれからも何度も、彼女のことを思い返して案じるのだろう。
 彼女が先へ進める未来を、心の中で密かに願って。

しおりを挟む
感想 102

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...