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カサンドラ ※発達障害、支える家族の鬱病表現あり
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「へえ、伊吹くん引っ越したんだ」
「何でも、2人暮らしが始まるとか」
設備保安部:福留怜秀の言葉に、ゆず子はハッとする。
「あら。彼女さんと同棲?」
「いえ。お母ちゃんと同棲」
伊吹悠嘉は、福留と同じ部門で働く25歳の後輩男性。ゆず子は言った。
「えー、お母さんと? 何でまた?」
「ハルんとこの両親が離婚することになって。でも実家はとうに無くて帰れないから、お母ちゃんは1人暮らしする予定だったんです。でも一緒に暮らせば、生活費も抑えられるし家事も分担出来る。それで親子でルームシェアすんですって」
「へえ、そうなんだ。独り立ちしてたのに、介護が理由じゃなくまた暮らし始めるってあるのね」
「俺も初めて聞いたっす」
子供が独立後に親とまた再同居する場合、あまりポジティブじゃない理由が多い傾向がある。
1番は親の介護。次に多いのは、子供の出戻り(離婚、病気、無職など)。レアケースだと転勤・転職先が実家近くだから再同居とか、家業を継ぐ、親との同居前提で結婚した、など。
「伊吹くんのご両親ってまだ現役時代でしょ? 何が離婚原因だったのかしらね」
「さあ。よくある不貞とか、DVではないみたいですよ。伊吹自身も『よく知らん間に親が離婚することになってた』って言ってたし」
「まあ、夫婦間のことなんて当事者2人にしか分からないものね」
ゆず子と福留は頷き合った。
「おー、ハル。どうだ? お母ちゃんとのルームシェアは」
休憩室にて、福留に声を掛けられ、伊吹は缶コーヒー片手に笑った。
「いいっすよ。誰か家に居るって楽しいし、人の作った飯最高! 福留さんもいかがっすか?」
「いや俺、既に親と子供と同居だし。飯はお母ちゃんが全部作ってるの?」
「交代制っす。月水金が俺、火木土が母親、日曜は気分で」
それを聞いて、福留は苦笑した。
「ハル料理するんだ⁉ すげえなあ、俺チャーハンしか無理だわ」
「高校出てからずっと1人暮らしだったんで。一通り出来ますよ」
伊吹が答えると福留は尋ねた。
「母ちゃんの料理食べると、帰省した気分になったりは?」
「うーん、それもあるっちゃあるけど、『10年ぶりだな』って思いますね」
「10年?」
福留がキョトンとすると、伊吹はコーヒーを口にして説明をした。
「俺、大学2年で怪我するまで、Jリーグのユースチームだったじゃないですか。高校もサッカーの強豪A高で、スポーツ推薦だったから寮生活だったんすよ。
だから、この10年間で母親の飯って年に10回ぐらいしか食べてなくて。だから何か、逆に新鮮って言うか『こんな感じだったっけ?』ってなったり」
清掃をしながら、思わずゆず子も伊吹の話に聞き入った。伊吹は人懐っこい笑顔で言った。
「10年ぶりに一緒に暮らすもんだから、お互い何かぎこちない時もあるんすよ。変すよね、親子なのに」
多感な時期に離れて暮らしていたからか、違和感の様なものを感じていた伊吹も、時間経過と共に慣れてきたらしい。時に母親の愚痴を、笑い話にすることも出て来た。
「スイーツ食べ過ぎなんすよ。健康診断引っ掛かるぞって言っても、『仕事終わりの癒しだからこれがないと頑張れない』だって! でも毎日3個はおかしいじゃん」
休憩中の伊吹の話に、パートのおばちゃん達は笑った。
「でもお母さんの気持ちわかるよ。私も毎日、家帰ったらおやつ食べちゃうし」
「…伊吹くんて、お父さんとは仲いいの?」
「父親すか? 普通にいいっすよ。今度の休みも、一緒に飯食べに行くつもりだし」
何の気なしに答えた伊吹に、質問してきたパートのおばちゃんは言った。
「そうなんだ。気を悪くしたらごめんだけど、てっきりお父さん側に問題あっての離婚で、お母さん側についたというか、そういう感じなんだと思っちゃった」
伊吹はケロッとした笑顔で言った。
「いやいや、どっちにも問題は無いっす。互いの『進路変更』みたいなもんですよ」
(『進路変更』ね。いい離婚理由の説明だわ)
子供が成人を迎えてからの『熟年離婚』の場合、長年の恨みつらみや不満を溜め込んでて、耐えに耐えかねてのケースが多い気がする。
中にはとうに結婚生活が破綻している仮面夫婦で、子供の独立を受けてドライにさっさと別れる者もいたり。
夫婦ではなくただの友人に戻りたいという、不思議な理由で離婚する者もいる。
(多分伊吹くんの親御さんは、本当に不貞とかモラハラとかじゃないんだろうな。実の息子でさえ『両親の不仲』を感じ取ってないみたいだし)
「…あーあ、何だかなぁ」
別の日。休憩中の伊吹がボヤくと、福留が尋ねた。
「どうした? 母ちゃんと喧嘩でもしたか?」
「いや、母親じゃなく父親と弟と妹っす。こないだ久しぶりに飯一緒に食ってたら、母親の話になったんすよ。で、父親が『頑張って母親のフォローアップする必要は無いぞ』みたいなこと言ってきて…」
「ほ~う、アレだな。一方が離婚した相手側の悪口を、周りに言いふらしてディスるやつ」
離婚経験者(妻側有責)の福留が言うと、伊吹はうんざり顔で頷いた。
「多分ソレですよ。まさかうちの父親に限って、そういうこと言わないと思ってたから、ショックで」
「仕方ねえよ。円満離婚って言っても、協議で互いの意見や言い分が100%通るわけでないし。後から思う所は出て来るもんだ」
ところが、伊吹は首を振った。
「でもちょっと違うんすよ。妹と弟も、父親の肩を持っているんですよ」
その話に、ゆず子も興味が沸いた。福留は言った。
「ふ~ん…、何でだろ。弟と妹、父ちゃんと暮らしてるから贔屓的な?」
「妹大学生なんで父親と住んでるけど、弟は去年から1人暮らしっす。2人が父親に援助されてるかは知らねえけど、何か俺は嫌で」
福留は腕組みした。
「弟と妹、父ちゃんの肩を持ったってことは、悪口に加担してる感じ?」
「いえ。『よく母さんと住めるね』とか、『母さんと暮らして困ったことあったら、いつでも相談してよ』とか、そういう言い方」
(ほう?これまた…)
ゆず子はゴミ箱の中身を袋に入れつつ、聞きながら目を丸くした。
(悪口ではないけど、嫌な意味で含みがあると言うか、妙に引っ掛かる言い方ね)
伊吹は盛大な溜息をついた。
「何か、3人で1人を毛嫌いするとか、弱い者苛めっすよね。弟も妹も、これまで散々母親に世話してもらったくせに、恩知らずだわ」
浮き沈みのあった伊吹だが、それからしばらくは穏やかな日々を送っていた。こんな話を、聞くまでは。
「昨日息子と喧嘩してさあ。給料低いのは分かるけど、もう30なのに実家出ないのよ? 洗濯も食事もあたし任せ。伊吹くんとか若いのにちゃんとしてる子見てると、溜息出ちゃうよ~」
パートのおばちゃんが言うと、伊吹は笑った。
「息子さん、オオサワさんのこと大好きだからじゃないすか?」
「いやいや。むしろ伊吹くんのお母さんがすごいわ。早くに自立出来た息子さん育てて、しかも自分の一大事には手を差し伸べたんだし。育て方が違うんだろうね」
ところが伊吹は、その言葉に顔を曇らせた。
「えー、俺だって喧嘩ぐらいしますよ。それにうちの母親は言うほど出来てない」
「そうなの? なにで喧嘩するの?」
「金遣いですかね。生活費折半してるのに、しょっちゅう足らなくなって。だいたいお菓子の買い過ぎで。あと、整理整頓苦手みたいで、2DKだから自分の部屋あるのに、ゴミだか私物なんだか分からないものが、部屋の外に溢れ出てるし」
うんざりした表情で伊吹が言うと、パートのおばちゃんは笑った。
「あら、意外に神経質なんだね。それとも、遅れてきた反抗期?」
「…反抗期、で済むならいいんすけどね」
呟く様に伊吹は言うと、自分のスマホに目を落とした。
実の親子でも、相性の良し悪しはある。他にも、子供の頃は何とも思わなくとも、大人になり改めて親の行動や言動を見て、『うちの親、ちょっとおかしいかも』『こういうこと、他所の大人はやらないのに』など、幻滅したり軽蔑するようになることもある。
(伊吹くん、離れて暮らしていた期間が人より長いから、対親の面で相容れない部分が強いのかもね)
親子に限らず、生活のスタイルやペースが違えば、一緒に暮らすのは楽ではない。そんな折、伊吹にある意味事件が発生した。
「最近、服だのメイクだのに凝るようになったと思ったら、彼氏出来たんですよ」
同居開始から約9か月。休憩室で、伊吹はムスッとした顔で言った。福留は感心した。
「へー。やるねえ、母ちゃん。彼氏会った? どんなの?」
「同じ職場の年下の同僚っす。仕事終わって家帰ったら居て、それで初めて彼氏が出来た事と、俺が居ない時に何回か家に来てた事知った」
「何だよ、まるで浮気相手と鉢合わせしたみたいな浮かない顔だな。母ちゃん独り身じゃん? 恋ぐらいしたっていいだろ」
伊吹は少々イラついていた。
「分かってますよ。母親だって1人の人間だし、何しようが勝手だってこと。互いにいい大人だって事も、頭では分かってるんですけど…」
「…そりゃあ、息子からすれば、お母さんが『女』になってるとこは見たくないわよね」
思わずゆず子が口を挟むと、伊吹は驚いたような顔でこちらを見た。
「ごめんなさい、口を挟んで。ちょっと思うとこがあったから」
伊吹はゆず子の言葉に、文句を言うでもなく腕組みをした。
「ソレですわ。俺がイラつく原因。昔はね、俺が子供でヤヨイさんが母親で、今も親子関係は変わってない。けれど立場は変わってるんですよね、俺は成人を過ぎてヤヨイさんはテツノリさんの妻じゃなくなってる。
…俺、自分にも相手にも『役割』を押し付けていたのかも」
福留は小さく拍手をした。
「さすが鳴瀬さん! 解決したんじゃね?」
「やめてよ」
ゆず子は苦笑して手をかざした。
同居開始から1年後、伊吹は母との同居を解消し引っ越し。母と住んでいた2DKは、名義人を伊吹から母の恋人へ変更し、再婚を前提とした同棲生活が始まった。
不平不満で喧嘩の絶えなかった親子は、別居する事で普通の親子仲へと戻った。
「前に父親と妹と弟と、母親の事でちょっと揉めたんですよね。みんなして『大丈夫?あの人と一緒に居て』って感じに言われて。
後々、意味を知った訳だったんですけど、そもそも俺、母親と一緒に暮らした期間が短かったのに、深く考えず『長男だし面倒見なきゃ』って決断しちゃったんですよ」
あれ以来、よく話すようになった伊吹は、ゆず子に胸の内を明かした。
「うちの母親、アスペルガーとADHD併発して持ってるタイプで、父親は鬱になるくらい、長い間毎日苦労してたんですよ。俺、ずっと実家に不在だったから、何も気づかなかった」
「そうだったのね…」
ゆず子は心配そうに伊吹を見たが、元気そうだった。
「同居生活、大変でしたよ。毎日何かしら物は失くすし『謎ルーティン』は絶対だし、うちの父親よく26年も一緒に居れたなぁ。俺なんて1年でギブっすよ! ははは」
「でも、母親としてはいいお母さんだったでしょ?」
「ええ、大人としての立ち振る舞いは微妙でも、子供に対してはたっぷり愛情かけて、同じ目線で物を見て話してくれたし。俺のサッカーの才能を見出したの、母親なんですよ。『この子は絶対出来る、センスある』って」
離れ離れになっても、家族の絆はそのまま。距離があった方が互いにより良い関係も、時にはあるものなのだ。
伊吹一家は、ゆず子が知る中では唯一、バラバラなのに上手く行っている家族なのである。
「何でも、2人暮らしが始まるとか」
設備保安部:福留怜秀の言葉に、ゆず子はハッとする。
「あら。彼女さんと同棲?」
「いえ。お母ちゃんと同棲」
伊吹悠嘉は、福留と同じ部門で働く25歳の後輩男性。ゆず子は言った。
「えー、お母さんと? 何でまた?」
「ハルんとこの両親が離婚することになって。でも実家はとうに無くて帰れないから、お母ちゃんは1人暮らしする予定だったんです。でも一緒に暮らせば、生活費も抑えられるし家事も分担出来る。それで親子でルームシェアすんですって」
「へえ、そうなんだ。独り立ちしてたのに、介護が理由じゃなくまた暮らし始めるってあるのね」
「俺も初めて聞いたっす」
子供が独立後に親とまた再同居する場合、あまりポジティブじゃない理由が多い傾向がある。
1番は親の介護。次に多いのは、子供の出戻り(離婚、病気、無職など)。レアケースだと転勤・転職先が実家近くだから再同居とか、家業を継ぐ、親との同居前提で結婚した、など。
「伊吹くんのご両親ってまだ現役時代でしょ? 何が離婚原因だったのかしらね」
「さあ。よくある不貞とか、DVではないみたいですよ。伊吹自身も『よく知らん間に親が離婚することになってた』って言ってたし」
「まあ、夫婦間のことなんて当事者2人にしか分からないものね」
ゆず子と福留は頷き合った。
「おー、ハル。どうだ? お母ちゃんとのルームシェアは」
休憩室にて、福留に声を掛けられ、伊吹は缶コーヒー片手に笑った。
「いいっすよ。誰か家に居るって楽しいし、人の作った飯最高! 福留さんもいかがっすか?」
「いや俺、既に親と子供と同居だし。飯はお母ちゃんが全部作ってるの?」
「交代制っす。月水金が俺、火木土が母親、日曜は気分で」
それを聞いて、福留は苦笑した。
「ハル料理するんだ⁉ すげえなあ、俺チャーハンしか無理だわ」
「高校出てからずっと1人暮らしだったんで。一通り出来ますよ」
伊吹が答えると福留は尋ねた。
「母ちゃんの料理食べると、帰省した気分になったりは?」
「うーん、それもあるっちゃあるけど、『10年ぶりだな』って思いますね」
「10年?」
福留がキョトンとすると、伊吹はコーヒーを口にして説明をした。
「俺、大学2年で怪我するまで、Jリーグのユースチームだったじゃないですか。高校もサッカーの強豪A高で、スポーツ推薦だったから寮生活だったんすよ。
だから、この10年間で母親の飯って年に10回ぐらいしか食べてなくて。だから何か、逆に新鮮って言うか『こんな感じだったっけ?』ってなったり」
清掃をしながら、思わずゆず子も伊吹の話に聞き入った。伊吹は人懐っこい笑顔で言った。
「10年ぶりに一緒に暮らすもんだから、お互い何かぎこちない時もあるんすよ。変すよね、親子なのに」
多感な時期に離れて暮らしていたからか、違和感の様なものを感じていた伊吹も、時間経過と共に慣れてきたらしい。時に母親の愚痴を、笑い話にすることも出て来た。
「スイーツ食べ過ぎなんすよ。健康診断引っ掛かるぞって言っても、『仕事終わりの癒しだからこれがないと頑張れない』だって! でも毎日3個はおかしいじゃん」
休憩中の伊吹の話に、パートのおばちゃん達は笑った。
「でもお母さんの気持ちわかるよ。私も毎日、家帰ったらおやつ食べちゃうし」
「…伊吹くんて、お父さんとは仲いいの?」
「父親すか? 普通にいいっすよ。今度の休みも、一緒に飯食べに行くつもりだし」
何の気なしに答えた伊吹に、質問してきたパートのおばちゃんは言った。
「そうなんだ。気を悪くしたらごめんだけど、てっきりお父さん側に問題あっての離婚で、お母さん側についたというか、そういう感じなんだと思っちゃった」
伊吹はケロッとした笑顔で言った。
「いやいや、どっちにも問題は無いっす。互いの『進路変更』みたいなもんですよ」
(『進路変更』ね。いい離婚理由の説明だわ)
子供が成人を迎えてからの『熟年離婚』の場合、長年の恨みつらみや不満を溜め込んでて、耐えに耐えかねてのケースが多い気がする。
中にはとうに結婚生活が破綻している仮面夫婦で、子供の独立を受けてドライにさっさと別れる者もいたり。
夫婦ではなくただの友人に戻りたいという、不思議な理由で離婚する者もいる。
(多分伊吹くんの親御さんは、本当に不貞とかモラハラとかじゃないんだろうな。実の息子でさえ『両親の不仲』を感じ取ってないみたいだし)
「…あーあ、何だかなぁ」
別の日。休憩中の伊吹がボヤくと、福留が尋ねた。
「どうした? 母ちゃんと喧嘩でもしたか?」
「いや、母親じゃなく父親と弟と妹っす。こないだ久しぶりに飯一緒に食ってたら、母親の話になったんすよ。で、父親が『頑張って母親のフォローアップする必要は無いぞ』みたいなこと言ってきて…」
「ほ~う、アレだな。一方が離婚した相手側の悪口を、周りに言いふらしてディスるやつ」
離婚経験者(妻側有責)の福留が言うと、伊吹はうんざり顔で頷いた。
「多分ソレですよ。まさかうちの父親に限って、そういうこと言わないと思ってたから、ショックで」
「仕方ねえよ。円満離婚って言っても、協議で互いの意見や言い分が100%通るわけでないし。後から思う所は出て来るもんだ」
ところが、伊吹は首を振った。
「でもちょっと違うんすよ。妹と弟も、父親の肩を持っているんですよ」
その話に、ゆず子も興味が沸いた。福留は言った。
「ふ~ん…、何でだろ。弟と妹、父ちゃんと暮らしてるから贔屓的な?」
「妹大学生なんで父親と住んでるけど、弟は去年から1人暮らしっす。2人が父親に援助されてるかは知らねえけど、何か俺は嫌で」
福留は腕組みした。
「弟と妹、父ちゃんの肩を持ったってことは、悪口に加担してる感じ?」
「いえ。『よく母さんと住めるね』とか、『母さんと暮らして困ったことあったら、いつでも相談してよ』とか、そういう言い方」
(ほう?これまた…)
ゆず子はゴミ箱の中身を袋に入れつつ、聞きながら目を丸くした。
(悪口ではないけど、嫌な意味で含みがあると言うか、妙に引っ掛かる言い方ね)
伊吹は盛大な溜息をついた。
「何か、3人で1人を毛嫌いするとか、弱い者苛めっすよね。弟も妹も、これまで散々母親に世話してもらったくせに、恩知らずだわ」
浮き沈みのあった伊吹だが、それからしばらくは穏やかな日々を送っていた。こんな話を、聞くまでは。
「昨日息子と喧嘩してさあ。給料低いのは分かるけど、もう30なのに実家出ないのよ? 洗濯も食事もあたし任せ。伊吹くんとか若いのにちゃんとしてる子見てると、溜息出ちゃうよ~」
パートのおばちゃんが言うと、伊吹は笑った。
「息子さん、オオサワさんのこと大好きだからじゃないすか?」
「いやいや。むしろ伊吹くんのお母さんがすごいわ。早くに自立出来た息子さん育てて、しかも自分の一大事には手を差し伸べたんだし。育て方が違うんだろうね」
ところが伊吹は、その言葉に顔を曇らせた。
「えー、俺だって喧嘩ぐらいしますよ。それにうちの母親は言うほど出来てない」
「そうなの? なにで喧嘩するの?」
「金遣いですかね。生活費折半してるのに、しょっちゅう足らなくなって。だいたいお菓子の買い過ぎで。あと、整理整頓苦手みたいで、2DKだから自分の部屋あるのに、ゴミだか私物なんだか分からないものが、部屋の外に溢れ出てるし」
うんざりした表情で伊吹が言うと、パートのおばちゃんは笑った。
「あら、意外に神経質なんだね。それとも、遅れてきた反抗期?」
「…反抗期、で済むならいいんすけどね」
呟く様に伊吹は言うと、自分のスマホに目を落とした。
実の親子でも、相性の良し悪しはある。他にも、子供の頃は何とも思わなくとも、大人になり改めて親の行動や言動を見て、『うちの親、ちょっとおかしいかも』『こういうこと、他所の大人はやらないのに』など、幻滅したり軽蔑するようになることもある。
(伊吹くん、離れて暮らしていた期間が人より長いから、対親の面で相容れない部分が強いのかもね)
親子に限らず、生活のスタイルやペースが違えば、一緒に暮らすのは楽ではない。そんな折、伊吹にある意味事件が発生した。
「最近、服だのメイクだのに凝るようになったと思ったら、彼氏出来たんですよ」
同居開始から約9か月。休憩室で、伊吹はムスッとした顔で言った。福留は感心した。
「へー。やるねえ、母ちゃん。彼氏会った? どんなの?」
「同じ職場の年下の同僚っす。仕事終わって家帰ったら居て、それで初めて彼氏が出来た事と、俺が居ない時に何回か家に来てた事知った」
「何だよ、まるで浮気相手と鉢合わせしたみたいな浮かない顔だな。母ちゃん独り身じゃん? 恋ぐらいしたっていいだろ」
伊吹は少々イラついていた。
「分かってますよ。母親だって1人の人間だし、何しようが勝手だってこと。互いにいい大人だって事も、頭では分かってるんですけど…」
「…そりゃあ、息子からすれば、お母さんが『女』になってるとこは見たくないわよね」
思わずゆず子が口を挟むと、伊吹は驚いたような顔でこちらを見た。
「ごめんなさい、口を挟んで。ちょっと思うとこがあったから」
伊吹はゆず子の言葉に、文句を言うでもなく腕組みをした。
「ソレですわ。俺がイラつく原因。昔はね、俺が子供でヤヨイさんが母親で、今も親子関係は変わってない。けれど立場は変わってるんですよね、俺は成人を過ぎてヤヨイさんはテツノリさんの妻じゃなくなってる。
…俺、自分にも相手にも『役割』を押し付けていたのかも」
福留は小さく拍手をした。
「さすが鳴瀬さん! 解決したんじゃね?」
「やめてよ」
ゆず子は苦笑して手をかざした。
同居開始から1年後、伊吹は母との同居を解消し引っ越し。母と住んでいた2DKは、名義人を伊吹から母の恋人へ変更し、再婚を前提とした同棲生活が始まった。
不平不満で喧嘩の絶えなかった親子は、別居する事で普通の親子仲へと戻った。
「前に父親と妹と弟と、母親の事でちょっと揉めたんですよね。みんなして『大丈夫?あの人と一緒に居て』って感じに言われて。
後々、意味を知った訳だったんですけど、そもそも俺、母親と一緒に暮らした期間が短かったのに、深く考えず『長男だし面倒見なきゃ』って決断しちゃったんですよ」
あれ以来、よく話すようになった伊吹は、ゆず子に胸の内を明かした。
「うちの母親、アスペルガーとADHD併発して持ってるタイプで、父親は鬱になるくらい、長い間毎日苦労してたんですよ。俺、ずっと実家に不在だったから、何も気づかなかった」
「そうだったのね…」
ゆず子は心配そうに伊吹を見たが、元気そうだった。
「同居生活、大変でしたよ。毎日何かしら物は失くすし『謎ルーティン』は絶対だし、うちの父親よく26年も一緒に居れたなぁ。俺なんて1年でギブっすよ! ははは」
「でも、母親としてはいいお母さんだったでしょ?」
「ええ、大人としての立ち振る舞いは微妙でも、子供に対してはたっぷり愛情かけて、同じ目線で物を見て話してくれたし。俺のサッカーの才能を見出したの、母親なんですよ。『この子は絶対出来る、センスある』って」
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