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淑女エキセントリック
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ゆず子がトイレ掃除をしようと、向かった時だ。トイレの前には入社2年目の事務:安西咲那と、長身でショートカットの女性が居た。
「こっちがトイレで、休憩室があっちになりまして…、あ! おはようございます」
ゆず子に気づいた安西が挨拶をすると、女性はこちらを振り向いた。ゆず子も口を開いた。
「おはようございます」
「清掃委託で入っている鳴瀬さんです。他に、丹野さんと六角さんという方も出入りしてます」
女性はこの会社の制服を着ているが、見覚えは無い。ゆず子は微笑んで挨拶した。
「どうも初めまして。鳴瀬です」
「あ、はい。初めまして」
女はアラフォーぐらい。ゆず子は安西に尋ねた。
「あ、もしかして伊藤さんの代わりに入る人?」
「はい、今日から研修で」
「そうなのね、どうぞよろしく」
「はい」
女は緊張してるのか、言葉少なめ。ところが、ゆず子が男子トイレに入ると女は話し始めた。
「…あの人、『委託』って事は外部の方ですか?」
「ええ、ここの従業員じゃないですよ」
「何で、この会社の産休入る人を把握してるんですか? 外部の人なのに知ってるなんて、管理体制ヤバいですよ」
それが、南波みちる42歳との初対面であった。
「南波さん、K大卒らしいですよ。経済学部」
「えー、すごいね」
昼休憩。安西は同期らと南波の話をしていた。安西は言った。
「でもね、正規雇用の経験無くて、ずっと派遣とか非正規だったらしい」
「え、何で? 実はヤバいってこと?」
「あたしもそれ疑ったんだけど、課長が『ロスジェネ世代だし、そういうの珍しくない』って言ってた」
ロスジェネ世代…。
子供時代を『平成大不況』で過ごし、就活時は『就職難』にあえぎ、社会人になってからは昭和を引きずる団塊ジュニア世代と適当主義なゆとり世代との板挟みで何かと苦労し、年金制度も冷遇されてると噂の、ツイてない時代に生を受けた者達だ。
(まあ、あたし達からすれば、『ギリギリ昭和の伝統が通じる世代』というかな。若い子は何かあると『あ、無理っす』だけど、あの世代は『なにくそ!』って頑張る子が多いのよね)
とは言え、世代で人を区別しないゆず子。南波は同じ事務の橋爪裕佳と齢が近いからか、よく話している。
「私、結婚とか興味なくて、焦る気持ち分かんないんですよ。『何で結婚願望無いの、派遣だから?』とか、『この齢まで独りって事は、難がある人なんだよ』とか、散々言われました」
「本当、失礼な人も居るよね」
昨今は多種多様。齢40越えて独身でも、何ら自由である。南波は言った。
「何か、30近くなると『結婚したい』『彼氏がプロポーズしてくれない』とかで、みんな騒いだもんじゃないですか。でもあの現象の意味が分からないって言うか、私は全然そういう感覚すら湧かなかったというか…」
「へえ、そうなの」
気のない返事の橋爪に対し、南波は満面の笑みで言った。
「私、『平成の異端児』ミトエモンと誕生日一緒なんですよ。何かそのせいか、人から『ちょっとユニークだね』とか『変わってるね』言われる事多くて。でも別に気にしないんですよ、世のしがらみや価値観とか、序列も全くこだわらないので」
(自称:変わり者、か)
ゆず子は、業務の手を止めずに思った。
業務に慣れてきた南波は、徐々にその『頭角』を現して行った。
「南波さん、あたしのマグカップ勝手に使って珈琲飲んでてぶったまげたよ。『お茶汲みセルフって聞いてたけど、マイカップあるとは思いませんでした』ですって。しかも使ったやつ、洗わず流しに放置するし」
湯沸室にて、橋爪は腕組みする。訊いてた安西も苦笑した。
「他課のトラブル応援に行ってもらった時も、『こっち今のとこ足りてるから、その辺でお茶でも飲んで待ってて』って言われたからって、会社出て喫茶店でお茶してたのは、あたしもびっくりしました」
「変わってるって言うか…、少々非常識って言うか。鳴瀬さんどう思う?」
「勤め人としての常識はあると思うよ。清掃員の目を見て挨拶しないし、話しかけても素っ気ないし」
一般会社員>清掃員の潜在的マウントがあるのか、そういう立ち振る舞いの大人が一定数居るのは事実だ。
ゆず子が微笑んで答えると、橋爪は溜息をついた。
「な~にが『こだわらない』だよ、めちゃくちゃ『序列』意識してんじゃん!…鳴瀬さん、ごめんね」
「いいのよ、普通のことだし。でも、仕事に関しては問題無いんでしょ?」
ゆず子が尋ねると、安西は言った。
「たま~に謎ルール持ち出すとこはあるけど、『変わり者』だから仕方ないかな」
色んな職場を渡り歩き、色んな変わり者に会ってきた。
ある者は『変わり者』の自覚が無く、ある者は自覚があり。変わり者だけれども、仕事は真摯に取り組んでいたり。変わり者故のトラブルで、職場も私生活も全てを狂わせたり。
(何となくだけど、最初に『変わり者』って予防線を張っておいて、自分の常識の無さを誤魔化そうとしてるんじゃないかしら)
いつの時代も『自分は○○な人だから』と先制的に言う者は、自分に自信が無い=キャラを設定して安心を得たい人である。
女42歳、独身、正規雇用歴無し。文字だけ見ると悲壮感漂うし、自覚している分『変わり者キャラ』という鎧で武装したくなるのか。
(素直になった方がいいと思うんだけどな…)
遠目に案ずるゆず子。だが南波の『変わり者劇場』は続いてゆく。
「色んな人に言われてきたんですよ、『何で非正規に留まるの?』『正規雇用を希望しないの?』って。どうせ業務内容は一緒じゃないですか。最近だと『同一労働同一賃金』だし、正規にこだわる必要無いんですよ」
休憩中。南波は安西に持論を展開していた。
「K大卒なのに勿体無いと言われてもね、大手入社したって倒産・統合でリストラはあるし、こだわっても意味無いんですよね」
「成程~」
安西は頷きつつテーブルの下で見えないよう、スマホをいじる。南波は続けた。
「平成の異端児のミトエモンだって、大学を中退した後はフリーターやってたんですって。業務内容同じなら勤務時間の短い非正規を選んで、空き時間を投資やお金の勉強に充てたらしいですよ」
「へえ、そこから起業したんですか」
「そうなの。あの人、KYだとか社会人として非常識な面があるとか、散々言う人も居るけどさ、それぐらい革新的な人の方が、世の中の為になると思うんですよ。
全員前にならえだと、気づけない事も色々あるでしょ?」
「やれやれ、推しへの愛を語られました」
トイレで会った安西は、疲れた笑顔で言った。
「それにしても、『三戸英志郎』の熱烈なファンなのね。すごく語っていたし」
「誕生日一緒だから親近感で推すのはいいけど、自分と重ね合わせるのは違うかな。ミトエモンはフリーターから1年半後にベンチャー企業立ち上げたんですから。20年非正規とは訳が違います」
ゆず子はその言い草に苦笑いした。
「そっかぁ、やっぱり長年非正規だったのは、それなりの理由があるのかしらね」
別日。ゆず子が湯沸室の掃除をしていると、お茶を淹れに南波が来た。珍しく目を合わせて挨拶してきた南波は、こんな事を聞いてきた。
「鳴瀬さんでしたっけ。この仕事、長いんですか?」
「20年近くやってますよ」
急にどうしたのかと思ったら、南波はニヤニヤしながら訊いてきた。
「時給、お幾らなんですか?」
(ああ、そういうことね)
ゆず子はにこやかに答えた。
「私、時給制じゃ無いんです」
「え。あら、じゃあ年棒制ですか?」
「『年棒』って響きいいですね、野球選手みたい!」
時給じゃないなら年棒、の安直な考えに思わず笑うと、南波は少々むすっとした。
「ああ、秘密って事ですか。それは失礼しまし…」
「南波さん! ちょっと来て」
慌てて駆け込んで来た橋爪は、南波を連れ出した。湯沸室の脇で、橋爪が小さめの声で問うのが聞こえる。
「庄司さんへの返金って、南波さんにお願いしましたよね? 足りなかったんですか?」
「はい20円ほど。封筒の中に残っていたの気づかなくて」
南波の返答に、橋爪が一呼吸置いて尋ねる。
「…そのお金、どうしたの?」
「庄司さん方の住所、例の名簿にあったので、その封筒に住所書いて切手貼って、そのままお送りしました」
その言葉に、思わずゆず子も手を止めた。
(え、封筒に?小銭入れてそのまま送った?)
「え、どういうこと?」
「だから、お金が入れてあった封筒に住所書いて送りましたよ。改めて入金すると手数料かかって、経費削減出来ないので」
「そうじゃなくて、何で失敗したのに報告しないんですか! それに書留じゃないのに現金送ったりとか。先方から電話あって、課長とかカンカンですよ!」
(40越えて、お金と手紙のルール知らないとは…)
ずっと非正規とは言え、ゆず子は少々驚いた。
こってり絞られた南波は、休憩中も不服そうだった。
「失敗したから機転利かせたつもりだったんですけどね。いやはや」
一部始終を勿論知る安西は、困った様な表情で頷くだけだ。南波は続けた。
「失敗ってね、チャンスなのよ。ミトエモンもね、テレビ局の会長の葬儀の際に、ノーネクタイで出席しちゃって大ブーイングになって、会社の株価まで低迷しちゃった事あるの。
でも、それをバネにスーツの会社と縁が出来て、結果として買収にまで至ったんですよ」
「あれ? もしかして三戸英志郎の話ですか?」
語る南波に話しかけてきたのは、斜め向かいに座っていた営業部新人:恵口幸哉。南波は頷いた。
「そうですよ、ご存じですか?」
「ええ、知ってます。俺、卒論でミトエモンの事書いたんです」
「へえ、その若さでチョイスするなんて、センスありますね!」
南波は趣味の合いそうな人を見つけ、満面の笑みを浮かべた。恵口は目を輝かせて言った。
「さっきのノーネクタイの話ですけど、今から20年位前にあった『サファイアスーツの戦略的買収』ですよね?」
「社名は忘れたけど、あれって20年前の事だったんだ? ヤバいな、最近の出来事だと思ってました」
「アパレル企業の買収計画中に偶然あった著名人の葬儀で、わざと安いスーツにノーネクタイで出席して炎上、『TPOにあったスーツなら是非我が社を!』って来た当時国内大手の『サファイアスーツ』との提携にこぎつけて、2年かけて買収に至ったやつですよね。
やり口が激エグだけど、めっちゃ戦略的ですよね。リアルタイムで見てて、どうでしたか?」
恵口の熱意に、南波は少々気圧されている。
「え、まあワイドショーでは『冠婚葬祭マナーを知らないのに、よく社長をやってる』とか、連日言われてたね」
「まあそうですよね、その頃は買収するための布石だなんて、誰も予想しなかったですもんね!」
(おやおや?)
ゆず子がちょっとだけ見やると、恵口は更に話を始めた。
「俺、大学2年の時に初めてミトエモンの事を知ったんですけど、あの人って大学を中退してフリーターやってたじゃないですか。で、そこから投資とかお金の勉強して、『エナジークラウン』を立ち上げたから、真似して中退しようかとか思った時期もあったんですよ。
流石にやりませんでしたが」
「すごいわね、そこまで憧れるなんて」
南波が相槌を打つと、恵口は続けた。
「ええ、そもそも時代が違いますから。今現在、わざわざ非正規で居る理由もないですしね。ミトエモン、非正規の経験あるから『非正規で何が悪い』とか肩持つけど、たった1年半で起業して事業主なってますからね。説得力微妙ですよね」
他部署のため事情を知らない恵口の言葉に、南波は『虚無』の目になった。
「南波さんと、ミトエモン話またしようと思ったのに、持ち掛けても素っ気ないんですよ」
しばらくした頃の昼、休憩中に恵口が橋爪へ嘆く。
「同担拒否だよ。あの人、人と被らない事を良しとしてるから」
「えー、同担でもいいじゃないですか。語りたいのに」
橋爪は弁当を食べる手を止め、虚空を見上げた。
「あ、でも齢の割に浅いから、話し相手若者の方がいいかもね。頼むわ、恵口くん」
変わり者でも、大きな事を成し遂げられる器を持つ者は、ごく少数。でも彼らは、普通の人とは違う着眼点を持っていたり、並外れた行動力も持っているのである。
そして一つ言えるのは、『変わり者』と『浅はか』は全く別物である、ということだ。
「こっちがトイレで、休憩室があっちになりまして…、あ! おはようございます」
ゆず子に気づいた安西が挨拶をすると、女性はこちらを振り向いた。ゆず子も口を開いた。
「おはようございます」
「清掃委託で入っている鳴瀬さんです。他に、丹野さんと六角さんという方も出入りしてます」
女性はこの会社の制服を着ているが、見覚えは無い。ゆず子は微笑んで挨拶した。
「どうも初めまして。鳴瀬です」
「あ、はい。初めまして」
女はアラフォーぐらい。ゆず子は安西に尋ねた。
「あ、もしかして伊藤さんの代わりに入る人?」
「はい、今日から研修で」
「そうなのね、どうぞよろしく」
「はい」
女は緊張してるのか、言葉少なめ。ところが、ゆず子が男子トイレに入ると女は話し始めた。
「…あの人、『委託』って事は外部の方ですか?」
「ええ、ここの従業員じゃないですよ」
「何で、この会社の産休入る人を把握してるんですか? 外部の人なのに知ってるなんて、管理体制ヤバいですよ」
それが、南波みちる42歳との初対面であった。
「南波さん、K大卒らしいですよ。経済学部」
「えー、すごいね」
昼休憩。安西は同期らと南波の話をしていた。安西は言った。
「でもね、正規雇用の経験無くて、ずっと派遣とか非正規だったらしい」
「え、何で? 実はヤバいってこと?」
「あたしもそれ疑ったんだけど、課長が『ロスジェネ世代だし、そういうの珍しくない』って言ってた」
ロスジェネ世代…。
子供時代を『平成大不況』で過ごし、就活時は『就職難』にあえぎ、社会人になってからは昭和を引きずる団塊ジュニア世代と適当主義なゆとり世代との板挟みで何かと苦労し、年金制度も冷遇されてると噂の、ツイてない時代に生を受けた者達だ。
(まあ、あたし達からすれば、『ギリギリ昭和の伝統が通じる世代』というかな。若い子は何かあると『あ、無理っす』だけど、あの世代は『なにくそ!』って頑張る子が多いのよね)
とは言え、世代で人を区別しないゆず子。南波は同じ事務の橋爪裕佳と齢が近いからか、よく話している。
「私、結婚とか興味なくて、焦る気持ち分かんないんですよ。『何で結婚願望無いの、派遣だから?』とか、『この齢まで独りって事は、難がある人なんだよ』とか、散々言われました」
「本当、失礼な人も居るよね」
昨今は多種多様。齢40越えて独身でも、何ら自由である。南波は言った。
「何か、30近くなると『結婚したい』『彼氏がプロポーズしてくれない』とかで、みんな騒いだもんじゃないですか。でもあの現象の意味が分からないって言うか、私は全然そういう感覚すら湧かなかったというか…」
「へえ、そうなの」
気のない返事の橋爪に対し、南波は満面の笑みで言った。
「私、『平成の異端児』ミトエモンと誕生日一緒なんですよ。何かそのせいか、人から『ちょっとユニークだね』とか『変わってるね』言われる事多くて。でも別に気にしないんですよ、世のしがらみや価値観とか、序列も全くこだわらないので」
(自称:変わり者、か)
ゆず子は、業務の手を止めずに思った。
業務に慣れてきた南波は、徐々にその『頭角』を現して行った。
「南波さん、あたしのマグカップ勝手に使って珈琲飲んでてぶったまげたよ。『お茶汲みセルフって聞いてたけど、マイカップあるとは思いませんでした』ですって。しかも使ったやつ、洗わず流しに放置するし」
湯沸室にて、橋爪は腕組みする。訊いてた安西も苦笑した。
「他課のトラブル応援に行ってもらった時も、『こっち今のとこ足りてるから、その辺でお茶でも飲んで待ってて』って言われたからって、会社出て喫茶店でお茶してたのは、あたしもびっくりしました」
「変わってるって言うか…、少々非常識って言うか。鳴瀬さんどう思う?」
「勤め人としての常識はあると思うよ。清掃員の目を見て挨拶しないし、話しかけても素っ気ないし」
一般会社員>清掃員の潜在的マウントがあるのか、そういう立ち振る舞いの大人が一定数居るのは事実だ。
ゆず子が微笑んで答えると、橋爪は溜息をついた。
「な~にが『こだわらない』だよ、めちゃくちゃ『序列』意識してんじゃん!…鳴瀬さん、ごめんね」
「いいのよ、普通のことだし。でも、仕事に関しては問題無いんでしょ?」
ゆず子が尋ねると、安西は言った。
「たま~に謎ルール持ち出すとこはあるけど、『変わり者』だから仕方ないかな」
色んな職場を渡り歩き、色んな変わり者に会ってきた。
ある者は『変わり者』の自覚が無く、ある者は自覚があり。変わり者だけれども、仕事は真摯に取り組んでいたり。変わり者故のトラブルで、職場も私生活も全てを狂わせたり。
(何となくだけど、最初に『変わり者』って予防線を張っておいて、自分の常識の無さを誤魔化そうとしてるんじゃないかしら)
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女42歳、独身、正規雇用歴無し。文字だけ見ると悲壮感漂うし、自覚している分『変わり者キャラ』という鎧で武装したくなるのか。
(素直になった方がいいと思うんだけどな…)
遠目に案ずるゆず子。だが南波の『変わり者劇場』は続いてゆく。
「色んな人に言われてきたんですよ、『何で非正規に留まるの?』『正規雇用を希望しないの?』って。どうせ業務内容は一緒じゃないですか。最近だと『同一労働同一賃金』だし、正規にこだわる必要無いんですよ」
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「成程~」
安西は頷きつつテーブルの下で見えないよう、スマホをいじる。南波は続けた。
「平成の異端児のミトエモンだって、大学を中退した後はフリーターやってたんですって。業務内容同じなら勤務時間の短い非正規を選んで、空き時間を投資やお金の勉強に充てたらしいですよ」
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「そうなの。あの人、KYだとか社会人として非常識な面があるとか、散々言う人も居るけどさ、それぐらい革新的な人の方が、世の中の為になると思うんですよ。
全員前にならえだと、気づけない事も色々あるでしょ?」
「やれやれ、推しへの愛を語られました」
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「それにしても、『三戸英志郎』の熱烈なファンなのね。すごく語っていたし」
「誕生日一緒だから親近感で推すのはいいけど、自分と重ね合わせるのは違うかな。ミトエモンはフリーターから1年半後にベンチャー企業立ち上げたんですから。20年非正規とは訳が違います」
ゆず子はその言い草に苦笑いした。
「そっかぁ、やっぱり長年非正規だったのは、それなりの理由があるのかしらね」
別日。ゆず子が湯沸室の掃除をしていると、お茶を淹れに南波が来た。珍しく目を合わせて挨拶してきた南波は、こんな事を聞いてきた。
「鳴瀬さんでしたっけ。この仕事、長いんですか?」
「20年近くやってますよ」
急にどうしたのかと思ったら、南波はニヤニヤしながら訊いてきた。
「時給、お幾らなんですか?」
(ああ、そういうことね)
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「私、時給制じゃ無いんです」
「え。あら、じゃあ年棒制ですか?」
「『年棒』って響きいいですね、野球選手みたい!」
時給じゃないなら年棒、の安直な考えに思わず笑うと、南波は少々むすっとした。
「ああ、秘密って事ですか。それは失礼しまし…」
「南波さん! ちょっと来て」
慌てて駆け込んで来た橋爪は、南波を連れ出した。湯沸室の脇で、橋爪が小さめの声で問うのが聞こえる。
「庄司さんへの返金って、南波さんにお願いしましたよね? 足りなかったんですか?」
「はい20円ほど。封筒の中に残っていたの気づかなくて」
南波の返答に、橋爪が一呼吸置いて尋ねる。
「…そのお金、どうしたの?」
「庄司さん方の住所、例の名簿にあったので、その封筒に住所書いて切手貼って、そのままお送りしました」
その言葉に、思わずゆず子も手を止めた。
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「え、どういうこと?」
「だから、お金が入れてあった封筒に住所書いて送りましたよ。改めて入金すると手数料かかって、経費削減出来ないので」
「そうじゃなくて、何で失敗したのに報告しないんですか! それに書留じゃないのに現金送ったりとか。先方から電話あって、課長とかカンカンですよ!」
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ずっと非正規とは言え、ゆず子は少々驚いた。
こってり絞られた南波は、休憩中も不服そうだった。
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一部始終を勿論知る安西は、困った様な表情で頷くだけだ。南波は続けた。
「失敗ってね、チャンスなのよ。ミトエモンもね、テレビ局の会長の葬儀の際に、ノーネクタイで出席しちゃって大ブーイングになって、会社の株価まで低迷しちゃった事あるの。
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流石にやりませんでしたが」
「すごいわね、そこまで憧れるなんて」
南波が相槌を打つと、恵口は続けた。
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他部署のため事情を知らない恵口の言葉に、南波は『虚無』の目になった。
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しばらくした頃の昼、休憩中に恵口が橋爪へ嘆く。
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