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新城颯十3
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「具合はどうですか?」
酷く怠い意識の中、颯十に尋ねてきたのは白衣の男だった。颯十は声を絞り出した。
「弁護士を…呼んで下さい」
「どうしたんですか?」
「自宅の…、家事使用人の星山さんに…、僕の部屋にいる、猫の世話を…」
負傷した右目の事でも逮捕後の事でもなく、颯十が最優先したのは愛猫シャグリの事だった。
身柄を拘束された新城颯十は、病院へ救急搬送され、5日間の入院治療措置後に逮捕、警察での勾留と取り調べが始まった。
愁いを帯びた表情で警察車両に乗り込む颯十の姿は、ニュース番組やワイドショーで広く報じられた。
名家出身、高IQの医大生である事が報じられると、『隻眼のシリアルキラー』『稀代の天才殺人鬼』『平成のマッドサイエンティスト』などと揶揄された。
留置施設の前には、何かを勘違いした『ハヤトガールズ』と呼ばれる若い女性らが集まる事もあった。
(きっと俺の部屋には、大勢の捜査官が証拠品押収のために押しかけているだろう。シャグリは危害を加えられてないだろうか)
颯十は、当番弁護士にも使用人へシャグリを保護するよう頼んだが、伝言が正確にもたらされ、ちゃんと保護されたかまで教えてもらう事は無かった。
(ああ、シャグリ。どうか無事で居てくれ…!)
夜眠ると、シャグリの夢を見た。フサフサで柔らかい体毛に触れ、小さな頭を撫で、体温を感じた。
(シャグリに会いたい…!)
愛猫への恋しさに、取り調べも上の空になっていた。
親族の面会は無く(恐らく父が拒否しているのだろう)、差し入れも職員経由で渡されるだけだった。
差し入れには着替えが入っているのみで、他には手紙すらない。
自宅では、シャグリをどう扱っているのだろう。まさか保健所に連れてかれてないだろうか。そう考えると、とても居ても立ってもいられなかった。
一方で、状況を客観的に見ている冷静な自分も居た。
(普通に考えてみれば、5人も殺している自分が有期刑で済む筈が無い。証拠隠滅もキッチリしているから、精神障害と訴えるのも不可能だ。…どちらにせよ、生きている間にシャグリに会うのは望めないな)
シャグリも自分も、寿命は限りがある。いつしか恋しさは、諦めへと変わった。
「お前、猫を飼っていたらしいな?」
捜査官が颯十に不意に尋ねた。
「そうですよ。別に『食べさせた』事はありませんが」
颯十があっけらかんと言うと、捜査官は無表情で言った。
「猫を解剖していたお前が、何で猫を飼おうと思ったんだ?」
颯十は黙りこんだ。黙秘権の行使ではない。理由を、言葉に出来なかったからだ。
沈黙の後、颯十は口を開いた。
「…言葉に出来ないです。ありていに言うと『あの猫と出会って、何となくそう思った』、ですかね」
取り調べ中、シャグリの話題が出たのも、颯十が口にしたのもそれきりだった。
1件目と2件目の被害者は下水道管も捜索したが、死体などの有力証拠は出て来ず、風俗店やレンタカー会社の利用などの状況証拠のみで立件となった。
3~4件目は自宅に薬品漬けにされた遺体の一部と、5件目は宿泊先で切断された遺体で立証された。
5件目に関しては、自分で立てた匿名掲示板に複数アカウントからの嘘の書き込みをして、架空の事柄の信憑性を高める手口が『現代的』と評された。
颯十の所持していたデジタルカメラには、200を越える遺体画像が記録されていた。
取り調べで、6件目の殺人未遂の被害者は少年だと知り、だから抵抗の際の力が強かったのか、と颯十は納得した。
ワイドショーや週刊誌は連日、颯十の生い立ちや趣味嗜好などを報道した。
颯十の父が経営し、長姉も医師として所属している病院は、報道陣が連日押し寄せ、通常業務が阻害された。
患者や病院関係者から今後を不安視する声が上がったり、悪質な嫌がらせ行為もあった事から、他の団体に病院の権利を譲渡し、事実上閉院した。
颯十の逮捕後、父親と長姉は自宅から離れ、隠遁生活を送っていると弁護士経由で訊いた。颯十は特に何とも思わなかった。
『申し訳ない』とも『ざまあみろ』とも思わなかった。
公判が始まったが、颯十は被害者に対して謝罪の言葉を述べる事は1度も無かった。
被害者の事を『献体』と呼び、『知識欲をお陰で満たす事が出来ました。献体の方には感謝しています』と淡々と述べ、人々の肝を冷やした。
殺人未遂の公判では、唯一の生存者への謝罪を促されたが、『彼は僕の右目を破壊しましたので、それを以て謝罪を相殺とさせて頂きます』と、謝罪を拒否した。
通算何回目かの公判の前日、颯十は留置施設内で服を裂いた物を使い、首を吊って自殺した。
自殺を仄めかす様な発言も無く、部屋に残された便箋には『先に行って待つ』の一文だけが書かれていた。
何を待つのか、誰に向けたものなのか、誰にも何も分からなかった。
誰も知らなかったが、奇しくもその日は、颯十とシャグリが出会って4回目の『記念日』だった。
気がかりは、会った事の無い母親でも、探求途中の知識欲でもなく、1匹の猫だけだった。
それ以外は、何の未練も想いも無かった。
「那由他さん、長きにわたって極量センターでの業務、お疲れ様でした」
訶魯那はそう言うと、会釈をした。相変わらず、冷たさの滲む無表情。那由他は、複雑な思いで口を開いた。
「はい。…何と言えば、良いかわかりませんが、ありがとうございます」
一持はいつものように軽口で言った。
「何だよ、全然嬉しそうじゃねえじゃん。大丈夫~? これから転生出来るの?」
那由他は口を結んだ後、訶魯那に向かって深いお辞儀をした。
「…申し訳ありません。お孫さんに酷い事をして、今日まで謝らずに居ました」
訶魯那は、新城颯十の被害者のなかで唯一の生存者、村谷士穏の祖母だ。
那由他は続けた。
「罪を償わず死に逃げて、謝る事から逃げました。記憶が戻ってから、すぐ謝ろうと思いましたが、しませんでした。
…弱かったからです。謝罪が、とても、怖かった。…すみません」
那由他はボロボロ涙を零しながら、頭を上げた。視界が歪んでいて、訶魯那の表情は分からない。
「あんな…、怖い目に遭わせて、本当に、すみませんでした…」
声も裏返り鼻水も垂れて、酷い有様だった。那由他の顔にぐしゃっと当てがわれたのは、ガーゼのハンカチ。
持っているのは訶魯那だ。
「…私じゃなくて、士穏に言って欲しかった。でも、聞けて良かった。私の願いは、あなたがあの子に2度と近づかないこと。
転生でも何でもして、私の目の前からも早く消えてちょうだい」
訶魯那はそう言うと、ハンカチを那由他に渡した。一持は苦笑した。
「さて、訶魯那さんからも餞の言葉を頂いた事なので。最後に縁者さんと少し話して、手続きに入りましょう」
控室へ歩きつつ、那由他は呟いた。
「俺なんかに会いたい縁者なんて、居るんでしょうか?」
「え、何で? 凶悪殺人犯だから?」
一持が言うと、那由他は頷いた。一持は笑った。
「確かに生前はそうだったね。でもさ、君、現世で償わなかった分、ここでずっと働いて償ったでしょ?
ちゃんと償えば、誰だって『再スタート』する権利があるんだよ。縁者と話せるのも、当然の権利さ」
控室のドアを開けた那由他は、目が点になった。
そこには、会いたくて焦がれた愛猫シャグリが居た。
「シャグリ…?!」
腕の中に飛び込んで来たシャグリは、懐かしい匂いがした。
シャグリはあの頃と変わらぬ姿形のまま、頭を擦り寄せてきた。
「1人にさせてごめん…! 本当に…、バカな事、してしまって…。 シャグリ、シャグリ…」
那由他は涙を流し、愛猫を抱き締めた。
「あーあ、俺も早く転生手続き入りたいなー」
一持が背伸びしつつ言うと、訶魯那は那由他の入室した部屋を一瞥して、息をついた。
酷く怠い意識の中、颯十に尋ねてきたのは白衣の男だった。颯十は声を絞り出した。
「弁護士を…呼んで下さい」
「どうしたんですか?」
「自宅の…、家事使用人の星山さんに…、僕の部屋にいる、猫の世話を…」
負傷した右目の事でも逮捕後の事でもなく、颯十が最優先したのは愛猫シャグリの事だった。
身柄を拘束された新城颯十は、病院へ救急搬送され、5日間の入院治療措置後に逮捕、警察での勾留と取り調べが始まった。
愁いを帯びた表情で警察車両に乗り込む颯十の姿は、ニュース番組やワイドショーで広く報じられた。
名家出身、高IQの医大生である事が報じられると、『隻眼のシリアルキラー』『稀代の天才殺人鬼』『平成のマッドサイエンティスト』などと揶揄された。
留置施設の前には、何かを勘違いした『ハヤトガールズ』と呼ばれる若い女性らが集まる事もあった。
(きっと俺の部屋には、大勢の捜査官が証拠品押収のために押しかけているだろう。シャグリは危害を加えられてないだろうか)
颯十は、当番弁護士にも使用人へシャグリを保護するよう頼んだが、伝言が正確にもたらされ、ちゃんと保護されたかまで教えてもらう事は無かった。
(ああ、シャグリ。どうか無事で居てくれ…!)
夜眠ると、シャグリの夢を見た。フサフサで柔らかい体毛に触れ、小さな頭を撫で、体温を感じた。
(シャグリに会いたい…!)
愛猫への恋しさに、取り調べも上の空になっていた。
親族の面会は無く(恐らく父が拒否しているのだろう)、差し入れも職員経由で渡されるだけだった。
差し入れには着替えが入っているのみで、他には手紙すらない。
自宅では、シャグリをどう扱っているのだろう。まさか保健所に連れてかれてないだろうか。そう考えると、とても居ても立ってもいられなかった。
一方で、状況を客観的に見ている冷静な自分も居た。
(普通に考えてみれば、5人も殺している自分が有期刑で済む筈が無い。証拠隠滅もキッチリしているから、精神障害と訴えるのも不可能だ。…どちらにせよ、生きている間にシャグリに会うのは望めないな)
シャグリも自分も、寿命は限りがある。いつしか恋しさは、諦めへと変わった。
「お前、猫を飼っていたらしいな?」
捜査官が颯十に不意に尋ねた。
「そうですよ。別に『食べさせた』事はありませんが」
颯十があっけらかんと言うと、捜査官は無表情で言った。
「猫を解剖していたお前が、何で猫を飼おうと思ったんだ?」
颯十は黙りこんだ。黙秘権の行使ではない。理由を、言葉に出来なかったからだ。
沈黙の後、颯十は口を開いた。
「…言葉に出来ないです。ありていに言うと『あの猫と出会って、何となくそう思った』、ですかね」
取り調べ中、シャグリの話題が出たのも、颯十が口にしたのもそれきりだった。
1件目と2件目の被害者は下水道管も捜索したが、死体などの有力証拠は出て来ず、風俗店やレンタカー会社の利用などの状況証拠のみで立件となった。
3~4件目は自宅に薬品漬けにされた遺体の一部と、5件目は宿泊先で切断された遺体で立証された。
5件目に関しては、自分で立てた匿名掲示板に複数アカウントからの嘘の書き込みをして、架空の事柄の信憑性を高める手口が『現代的』と評された。
颯十の所持していたデジタルカメラには、200を越える遺体画像が記録されていた。
取り調べで、6件目の殺人未遂の被害者は少年だと知り、だから抵抗の際の力が強かったのか、と颯十は納得した。
ワイドショーや週刊誌は連日、颯十の生い立ちや趣味嗜好などを報道した。
颯十の父が経営し、長姉も医師として所属している病院は、報道陣が連日押し寄せ、通常業務が阻害された。
患者や病院関係者から今後を不安視する声が上がったり、悪質な嫌がらせ行為もあった事から、他の団体に病院の権利を譲渡し、事実上閉院した。
颯十の逮捕後、父親と長姉は自宅から離れ、隠遁生活を送っていると弁護士経由で訊いた。颯十は特に何とも思わなかった。
『申し訳ない』とも『ざまあみろ』とも思わなかった。
公判が始まったが、颯十は被害者に対して謝罪の言葉を述べる事は1度も無かった。
被害者の事を『献体』と呼び、『知識欲をお陰で満たす事が出来ました。献体の方には感謝しています』と淡々と述べ、人々の肝を冷やした。
殺人未遂の公判では、唯一の生存者への謝罪を促されたが、『彼は僕の右目を破壊しましたので、それを以て謝罪を相殺とさせて頂きます』と、謝罪を拒否した。
通算何回目かの公判の前日、颯十は留置施設内で服を裂いた物を使い、首を吊って自殺した。
自殺を仄めかす様な発言も無く、部屋に残された便箋には『先に行って待つ』の一文だけが書かれていた。
何を待つのか、誰に向けたものなのか、誰にも何も分からなかった。
誰も知らなかったが、奇しくもその日は、颯十とシャグリが出会って4回目の『記念日』だった。
気がかりは、会った事の無い母親でも、探求途中の知識欲でもなく、1匹の猫だけだった。
それ以外は、何の未練も想いも無かった。
「那由他さん、長きにわたって極量センターでの業務、お疲れ様でした」
訶魯那はそう言うと、会釈をした。相変わらず、冷たさの滲む無表情。那由他は、複雑な思いで口を開いた。
「はい。…何と言えば、良いかわかりませんが、ありがとうございます」
一持はいつものように軽口で言った。
「何だよ、全然嬉しそうじゃねえじゃん。大丈夫~? これから転生出来るの?」
那由他は口を結んだ後、訶魯那に向かって深いお辞儀をした。
「…申し訳ありません。お孫さんに酷い事をして、今日まで謝らずに居ました」
訶魯那は、新城颯十の被害者のなかで唯一の生存者、村谷士穏の祖母だ。
那由他は続けた。
「罪を償わず死に逃げて、謝る事から逃げました。記憶が戻ってから、すぐ謝ろうと思いましたが、しませんでした。
…弱かったからです。謝罪が、とても、怖かった。…すみません」
那由他はボロボロ涙を零しながら、頭を上げた。視界が歪んでいて、訶魯那の表情は分からない。
「あんな…、怖い目に遭わせて、本当に、すみませんでした…」
声も裏返り鼻水も垂れて、酷い有様だった。那由他の顔にぐしゃっと当てがわれたのは、ガーゼのハンカチ。
持っているのは訶魯那だ。
「…私じゃなくて、士穏に言って欲しかった。でも、聞けて良かった。私の願いは、あなたがあの子に2度と近づかないこと。
転生でも何でもして、私の目の前からも早く消えてちょうだい」
訶魯那はそう言うと、ハンカチを那由他に渡した。一持は苦笑した。
「さて、訶魯那さんからも餞の言葉を頂いた事なので。最後に縁者さんと少し話して、手続きに入りましょう」
控室へ歩きつつ、那由他は呟いた。
「俺なんかに会いたい縁者なんて、居るんでしょうか?」
「え、何で? 凶悪殺人犯だから?」
一持が言うと、那由他は頷いた。一持は笑った。
「確かに生前はそうだったね。でもさ、君、現世で償わなかった分、ここでずっと働いて償ったでしょ?
ちゃんと償えば、誰だって『再スタート』する権利があるんだよ。縁者と話せるのも、当然の権利さ」
控室のドアを開けた那由他は、目が点になった。
そこには、会いたくて焦がれた愛猫シャグリが居た。
「シャグリ…?!」
腕の中に飛び込んで来たシャグリは、懐かしい匂いがした。
シャグリはあの頃と変わらぬ姿形のまま、頭を擦り寄せてきた。
「1人にさせてごめん…! 本当に…、バカな事、してしまって…。 シャグリ、シャグリ…」
那由他は涙を流し、愛猫を抱き締めた。
「あーあ、俺も早く転生手続き入りたいなー」
一持が背伸びしつつ言うと、訶魯那は那由他の入室した部屋を一瞥して、息をついた。
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