【完結】不可説不可説転 〜ツミツグナイセイトシ~

羽瀬川璃紗

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村谷士穏3 ※グロ表現あり

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 気づけば自分は暗闇の中に居た。

 目が慣れてくると、そこはベッドが1つある狭い部屋である事が分かった。室内は荒れ果て、床はハサミやペンなど雑多な物で散らかっていた。

『…、…… 』

 どこからか、人の声が聞こえてくる。遠くに居るのか、違う部屋に居るのか、声は途切れ途切れでよく聞き取れない。

 うずくまっていた私は、立ち上がると手探りで壁伝いに進んだ。
 手はある地点で壁の質感が変わり、ドアノブと思われる突起に触れた事を伝えてくる。

 ドアノブを掴むと、私は記憶を整理する。

(分かってる。これはいつも見るあの夢だ)

(このドアを開けると、私はいつも後悔する)

(今日は何が居るんだ?細切れにされ泣いている親友か。刃物を私の首に突き立てる片目の男か。掴みかかって喚く親友の母親か)

 それでも私はドアを開ける。例え、耐えられない程の恐怖に襲われたとしても。
 それが、1人だけ生き残った者の務めだと考えるからだ。


 開けると、光に包まれ私は面食らう。そこは、かつての学び舎の非常階段だった。

「ねえ」

 懐かしい声に目をやると、そこには手すりにもたれかかる親友が居た。五体満足の姿で現れるなんて、しばらくぶりだ。

 お気に入りのドクロ柄パーカーを着た親友は、呆気に取られる私を尻目に、語り出す。

「先へ進めるって事は、いい事じゃん」

 意味が分からず黙り込む私をそのままに、親友は続けた。

「こっちに合わせて立ち止まる必要なんて、無いんだよ」

 親友はこちらに向き直ると、変わらぬ懐かしい笑みを見せた。

「誰が何と言おうとも、気にせず進んでよ。それは、お前の権利なんだから」





 西嶋良晴にしじまよしはるは待ち合わせ場所の喫茶店に着くと、額の汗を拭いた。
 6月だというのに、最高気温31度予報でとても蒸し暑かった。

 入店し、涼しい店内を見渡すと、壁沿いのボックス席に居た女が片手を振り会釈した。
 西嶋は目を一瞬丸くした後、笑みを浮かべ女の元に向かった。

「お久しぶりです。随分美人さんになって、見違えたよ」

「ご無沙汰しております、先生」

 女は、西嶋のかつての教え子だ。西嶋は言った。

「最後に会ったのは何年前だっけな、お母さんは元気してるか?」

「はい、おかげさまで。おばあちゃんは3年前に亡くなったけど、母は元気にしています」

 教え子は明るく答えた。

「教員免許取得目指してるって、電話で聞いた時は驚いたよ。でも、お前ならきっといい先生になれるよ。俺が保証する」

「ありがとうございます。何年かかるか、もしかしたら教員じゃない形になるかもしれないけど、そう言って貰えて嬉しいです」

 教えていた当時の面影は、はにかんだ笑顔に確かに残っていた。


 教え子は、10年程前に発生したある事件で大親友を失っていた。
 彼女も事件の被害者の1人だったが、生き残ったがためにマスコミ取材から執拗に追われたり、捜査や公判などで知らなくていい話を知り傷ついたり、長く辛い目に遭い続けていた。


「…通院は、今でもしているのか?」

「そうですね、半年前に適合手術受けてからは月1か2くらい?」

「あ、ごめん。そっちじゃなくて」

「あ! 心療内科の方? やだ、勘違いしました! カウンセリングは年に1回です」

 教え子は顔を赤らめて答えた。西嶋はホッとした。

(良かった。頭の中が『それ以外』も占めているみたいだ)


 教え子から数年ぶりに連絡があり、今日は亡くなった大親友の墓参りに行く事になっていた。
 徒歩での道中、西嶋は質問した。

「…墓参りは行ってるのか?」

 教え子は少しだけ目を伏せ、明るく言った。

「いえ。行くのは今回が初めてです」

 西嶋の脳裏に、葬儀の際の出来事が蘇る。


 親友の母親は教え子に『どうしてお前だけが無傷で戻って来た!』と喚き散らした。
 2児の父である西嶋には、その母親の気持ちが痛い程よく解った。


 西嶋は空を眺めつつ言った。

「そうか。…今年で10年だもんな」

「早いですよね。色んな事あったから『あっという間』とは、言えませんが」

 寺の門をくぐった2人は、親友の墓へと進んだ。

 命日は再来月だが10年目の節目なので、関係者の参列に合わないように今日を選んだ。
 それでも誰かが最近訪れたのか、墓石周りは綺麗に整えられていた。

「茅敬、士穏が来たぞ」

 西嶋は墓石に向かって声をかけた。教え子:村谷士穏は手を合わせた後、口を開いた。

「…久しぶり、茅敬。ずっと来てなくてごめんね」

 親友:茅敬の好物だった炭酸飲料を供えた後、脇の芳名碑を見た士穏は思わず声を漏らした。

「名前…!」


 戸籍上は平仮名表記だった茅敬の名前は、生前に彼が望んでいた『茅敬』表記で芳名碑に彫られていた。


「戒名も、特別に『男性用』のを付けてもらったんだ」

「そうだったんだ。…知らなかった」


 彼は生前に成しえなかった志を、死後に引き継がれて叶えてもらったのだ。

 士穏は言った。

「茅敬良かったね。あのね、あたしは来月、戸籍変更をする事になったよ」

 その言葉に、西嶋も目を丸くした。士穏は続けた。

「あたしも、今年は節目の年なんだ。だから、茅敬に会いに来たの。…遅くなって、ごめんね」



 墓参りの帰路、西嶋は士穏へ言った。

「戸籍の性別変更をする時は、名前も変えるのか?」

「漢字だけ。読みは変わらず『シオン』のままです。この時ばかりは、男女両方通用する名前をつけてくれた、父親に感謝ですね。あはは!」

「そうか。どんな字にするんだ?」

「色々候補はあったんですけど、昔、茅敬と一緒に考えていた字を使って、申請する予定です」


 彼は死んだ。肉体と存在は失われても、過ごした時間や学んだ事は消えない。
 士穏は茅敬との日々を新しい名前に刻み、これからの人生を生きていく。


 バス停に着いた西嶋は、士穏に言った。

「士穏、お前はいい教育者になれる。色んな子供に分け隔てなく教えられる人材が、重要視される時代が絶対に来る。だから、夢を叶えてくれ。
助けが必要な時はいつでも頼って欲しい。力を貸すから」

「ありがとうございます。今日、先生に会えて本当に良かったです」

 士穏は穏やかな笑顔を浮かべていた。



 命の数だけ、生の物語がある。理不尽、不条理、歓喜、幸福…、分岐点での選択によって物語は幾千もの展開を見せる。

 そして物語は最期まで続く。最期の後は、新しい最初へ続いてゆく。

 物語の数は無限、不可説不可説転の数まで至る。


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