11 / 98
10 ある夜の出来事 騎士と騏驥と林檎
しおりを挟む(帰りたい……)
深夜。
いくつもの厩舎が立ち並ぶ西の厩舎地区。
馬や騏驥たちが日々暮らしているその場所の一角で、リィはらしくなくうろうろしながら何度となくそう思い続けていた。
もうどのくらいこうしているだろう。
そもそもなんでこんなところに来てしまったのだろう?
いや、理由はわかっている。ルーランに会うためだ。
だが問題は、なぜそんなことを思ってしまったのかということだ。そして思っただけでなく、実際に実行に移してしまうなんて。
「はぁ……」
人に見られぬよう、隠れるようにして——しかしじっとしていられず、ついウロウロしながら、リィはため息をつく。
胸に抱いた袋からは、甘酸っぱい香りが漂っている。
いつまでもこんなことをしていても仕方がないと解っているのに、最後の最後に踏ん切りがつかない。中に入っていくことに躊躇いがある。
かと言って、このまま部屋に戻ることにも抵抗があって……。
結局、ぐずぐずとこんなことをしてしまっているのだ。
だがいつまでもこうしているわけにもいかない。
誰かに見られれば不審に思われるだろう。
——もう思われているかもしれない。
眠る前に衝動的に飛び出してきたせいで、夜着に薄物を一枚羽織っただけの格好だ。
騎士が厩舎地区にやってきても問題はない——とは言え、「問題ない」ことと実際にやる事は別で、調教師や厩務員となにかしら話でもない限り、そんなことをする騎士は稀なのだ。
リィだって、今までここにきたことは殆どない。
ルーランに乗り始めた最初の頃、あまりに彼の癖が強く、あの性格は何とかならないのかと調教師に相談しにきたとき以来だ。
(ちなみにその相談は無駄に終わった。彼の性格はいまだに治っていない)
つまりあの時は、ここにくるはっきりとした理由があった。
誰に対しても、自分に対しても言い訳できる理由が。
だが今夜は……。
(ああ——もう)
いったい自分にどんな魔がさしたのだ。
こんな——騏驥の機嫌をとるような真似、絶対にしたくないと思っていたのに。
とは言え。
これは単純なる機嫌取りではない、と思っているからこそ来てしまったとも言えるのだ。
昼間。
自分はルーランを酷く叱り付けてしまった。
いや、叱ったのではなくあれは——。
(八つ当たりだ……)
自分の感情の行き場のなさを、彼にぶつけてしまっただけだった。
もちろん、彼がしたことは余計なことだったと思うし、許していい行為ではない。騏驥が騎士同士の話に首を突っ込むなど、あってはならないことなのだから。
ただ……。
あそこにあったのは決して悪意ではなかった。
巫山戯てのことでも、こちらを困らせようとしてのことでもなく、それとは違う理由で彼は口を挟んできたのだ。
多分……。
おそらく……。
——きっと。
にもかかわらず、自分は彼を酷く詰ってしまった。
彼に庇われた形になってしまったことが許せなくて。
けれどそれは、こちらの感情の問題だ。
彼が行った非礼とは分けて叱るべきだったのに。
「……」
リィは目を伏せると、キュッと唇を噛んだ。
昼間の自分は間違っていた——。
部屋に戻り、一人になり、反省文を書いてからも眠ろうとしてからもずっとその思いが消えなくて、だからとうとうここにやってきてしまったのだ。
こんな夜中に。
もう日が替わったような真夜中に。
騎士が騏驥に頭を下げるなんて……と今でも引っかかるものはあるが、彼が間違っているときだけ叱るのも、なんだか卑怯な気がして。
とは言え、こんなことを全て詳らかにすれば、あの性格の捻れた騏驥がどんな顔で喜ぶかも想像がつくから、それは癪で、そのためここから一歩進むことを迷っていたのだった。
念のための言い訳の品は用意してある。
謝罪ではなく、遠征時の活躍の褒美——彼が欲しがっていたものを持ってきた、という言い訳をすれば、さほど違和感なく彼に会う理由も、気にかけてやった理由もできるだろう、と考えて。
林檎は、彼の好物だ。
リィは赤く色づき芳香を放つそれらが入った袋を抱えたまま、またひとつため息をつく。
行くべきか、やはり帰るべきか。
行ってさっさと憂いをなくしたほうがいい思う反面、明日でもいいではないかと思ったりもする。
明日、なにもなかった顔でいつものように彼の騎乗調教をすればいいのだ、と。
だがそれは自分の過ちを有耶無耶にしてしまうことだ。誤魔化すことだ。
そんなのは……したくない。
いずれにせよ、早く決めなければ。
「……よし……!」
ややあって。
リィは深呼吸すると「行こう」と決める。
行って、中に入って、彼の馬房の前にこれを置いてくればいいのだ。
誰からのものか気づけば明日彼が話を持ち出すだろう。その時に褒美として渡したと言えばいい。
気づかなかったとしても、自分が謝罪したことにはなる、はずだ。
(なるかな……)
「……」
わからない。
わからない、が。
せめて気持ちだけは伝えておきたいと思ったのだ。
自己満足だとしても。
そうと決めると、リィは袋を抱え直して姿勢を正す。
こういうことは、さらりとスマートにやるほうがいい。
何気なく。自然に。
そのほうが人目を引かないだろう。
明日、見かけた誰かがルーランにリィのことを話したとしても、自然にしていればそうそう妙な伝えられ方はしないだろう。
リィは、ドキドキしている心臓の音を聞いていないことにしながら、すれ違う厩務員や騏驥たちからの目礼を何気ない表情を装って受け止め、奥へと足を進める。
誰かに呼び止められたらと思ったが、それはないようだ。少しホッとする。
だが鼓動は一歩進むごとに、ますます大きくなるようだ。
ただ騏驥に差し入れをするだけだと言うのに(そう、これは差し入れだ。ご褒美の差し入れだ)、なにをこんなに動揺しているのか。
(自然に……自然に)
自分に言い聞かせながら歩いていると、やがてリィは、ルーランの馬房の前まで辿り着く。
ほっと息をつき、何となく扉に耳を寄せて中の様子を探ってみる。
騏驥ほど耳がよくはないから、こうしたところでなにがわかるわけでもないが、中は静かなような気がする。
もう眠っているのだろう。
(遠征から戻ったばかりだしな……)
問題はあったものの、いつも通りよく働いてくれた騏驥のことを思いながら、リィが袋を置こうとした——とき。
「——!?」
突然目の前の引き戸が開き、馬房の主が姿を見せた。
つまり、ルーランが。
「…………」
「…………」
リィは袋を置こうとした中腰のまま。
ルーランは扉に手をかけた格好のまま。
しばらく無言で見つめ合ってしまう。
その張り詰めたような静寂を破ったのは、袋が破れる音。そして林檎が転がる音だった。
「あっ——」
転がっていく林檎に思わず伸ばしたリィの手に、同じくそれを拾おうとしたルーランの手が重なる。
身体がぶつかり、傾いだリィが尻餅をつく寸前、ルーランのもう一方の腕に抱き留められていた。
「!」
黙って置いて去ろうとしたところを、ちょうど見られてしまったこと。
そのせいで動揺してしまったところを見られたこと。
思いがけず手が触れたこと。
そしてこの状況……!
「……あ……」
一気に押し寄せてきた予定外のあれこれに、リィはすぐに対応できず狼狽えるばかりだ。
しかもそんなリィを片腕で軽々と抱いたまま、
「……ええと……何であんたがここにいんの? つか、いい匂いがすると思ったら……」
ルーランがまじまじとリィと林檎とを見ながら言うから、リィの羞恥心は一気に最高点まで達してしまった。
「っ……や、やる!」
リィはルーランの腕の中から逃げ出すと、「やる! これをやる!」と繰り返しながら、抱いたままだった袋と、拾った林檎とを彼の胸に押し付ける。
「やる!」
「は? いや、ちょっ——」
「やる!」
感じた事がないほどの頬の熱さのせいか、頭がクラクラする。
リィは上手く動かない舌を無理やり動かし、叫ぶようにそう言うと、逃げるようにしてその場から去ろうとする。
だが次の瞬間、その手首をギュッと掴まれた。
「!!」
「いやいや。それはないだろ」
「離っ……!」
「説明ぐらいして行けって。おい——暴れるな、こら」
「こ……っ……」
今なんと言った!?
振り返ってリィが睨むと、ルーランは「しまった」という顔をする。
だがリィを掴む手は離れない。
そのまま、リィは彼の馬房に引っ張り込まれた。
0
あなたにおすすめの小説
ヒールオメガは敵騎士の腕の中~平民上がりの癒し手は、王の器に密かに溺愛される
七角@書籍化進行中!
BL
君とどうにかなるつもりはない。わたしはソコロフ家の、君はアナトリエ家の近衛騎士なのだから。
ここは二大貴族が百年にわたり王位争いを繰り広げる国。
平民のオメガにして近衛騎士に登用されたスフェンは、敬愛するアルファの公子レクスに忠誠を誓っている。
しかしレクスから賜った密令により、敵方の騎士でアルファのエリセイと行動を共にする破目になってしまう。
エリセイは腹が立つほど呑気でのらくら。だが密令を果たすため仕方なく一緒に過ごすうち、彼への印象が変わっていく。
さらに、蔑まれるオメガが実は、この百年の戦いに終止符を打てる存在だと判明するも――やはり、剣を向け合う運命だった。
特別な「ヒールオメガ」が鍵を握る、ロミジュリオメガバース。
俺のファルハ 《黒豹獣人と俺》
大島Q太
BL
《黒豹獣人×異世界転移者》 マナトは子供を助けてトラックにひかれそうになった瞬間、異世界転移し、ついた先はジャングルの中だった。マナトを拾ったのは褐色の黒豹獣人ナミル。ナミルは俺を「ファルハ」と呼び甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。流されやすい主人公とそれを溺愛する原住民の話。
塔の上のカミーユ~幽囚の王子は亜人の国で愛される~【本編完結】
蕾白
BL
国境近くにあるその白い石の塔には一人の美しい姫君が幽閉されている。
けれど、幽閉されていたのはある事情から王女として育てられたカミーユ王子だった。彼は父王の罪によって十三年間を塔の中で過ごしてきた。
そんな彼の前に一人の男、冒険者のアレクが現れる。
自分の世界を変えてくれるアレクにカミーユは心惹かれていくけれど、彼の不安定な立場を危うくする事態が近づいてきていた……というお話になります。
2024/4/22 完結しました。ありがとうございました。
聖者の愛はお前だけのもの
いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。
<あらすじ>
ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。
ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。
意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。
全年齢対象。
ちびドラゴンは王子様に恋をする
カム
BL
異世界でチート能力が欲しい。ついでに恋人も。そんなお願いをしたら、ドラゴンに生まれ変わりました。
卵から孵してくれた王子様に恋をして、いろいろ頑張るちびドラゴンの話。(途中から人型になります)
心優しい第三王子×時々チートな働き者のドラゴン
表紙イラストはしけつ(ck2)さまにいただきました。ありがとうございます。
愛しの妻は黒の魔王!?
ごいち
BL
「グレウスよ、我が弟を妻として娶るがいい」
――ある日、平民出身の近衛騎士グレウスは皇帝に呼び出されて、皇弟オルガを妻とするよう命じられる。
皇弟オルガはゾッとするような美貌の持ち主で、貴族の間では『黒の魔王』と怖れられている人物だ。
身分違いの政略結婚に絶望したグレウスだが、いざ結婚してみるとオルガは見事なデレ寄りのツンデレで、しかもその正体は…。
魔法の国アスファロスで、熊のようなマッチョ騎士とツンデレな『魔王』がイチャイチャしたり無双したりするお話です。
表紙は豚子さん(https://twitter.com/M_buibui)に描いていただきました。ありがとうございます!
11/28番外編2本と、終話『なべて世は事もなし』に挿絵をいただいております! ありがとうございます!
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!?
「こんなところで寝られるか!」
極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く!
ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。
すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……?
「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした
リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。
仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる