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「——だがそうなると、是が非でもこの遠征を成功させなければな」

 すると、ルシーたちを見つめながらGDが神妙な顔でそう呟く。

「これだけ大がかりなんだから、大丈夫だろ?」

 ルーランが即座に言い返したが、GDの顔は冴えない。
 リィもつい目を伏せてしまう。
 自身の騏驥の態度に対してではなく、GDが口にしたことに関してだ。
 と、ルーランの気配が変わった。

「……なんだよ……もしかしてなにかマズいわけ」

 ルーランがリィを見る。
 リィはルーランを見て、GDを見る。
 GDもリィを見ている。
 お互い、あまり言いたくないことだ。
 
 ルーランが焦れたように声を上げた。

「なんだよ。言いたいことがあるならはっきり言ってくれよ。遠征のことなら、俺たち騏驥にも関わりのあることだろ」

 その言葉に、仕方なくリィは口を開いた。

「——遠征の規模がどうあれ、楽観視はできない。戦場だからな。それに加えて、今回は色々と変更が多い……」

 今日までの、そして今日の、そして明日もあるであろう変更の数々を思い出し、また想像して、リィはうんざりしたように言う。

「こんな風に、明らかに他国への侵攻の意図を持った遠征は、私たちには初めてだ。だから色々と調整が入るのかもしれないが……」

 まだ何も始まっていないのに、こうも予定の変更が多いとは。
 それを考えると、今回の遠征が時期尚早だったのではないかという想いが消えない。 
 決して口には出せないが。
 黙ってしまったリィに変わるように、GDが続けた。

「成望国は、ここしばらくは安定していたからな。もちろん政治的なレベルでの駆け引きは絶えず行われているし、それによってちょこちょことした小競り合いが起こることはあるが、君たち騏驥の存在のおかげで、大きく揉めることはなかった。が……今回はわけが違う」

 彼も色々と言葉を選んでいる。
 
「とはいえ、決まったことだ。そして魔術師が時期を進言して、今回の遠征になった……はずなのだがな。……まあ、遠征では計画通りに行く方が稀と言えば稀だが」

 GDはあまり重たくない口調で言うが、それは意図して作られたもののように聞こえる。
 ルーランは納得しないだろうなと思っていると、案の定、

「なんだよそれ」

 と、ぼやくような声がした。

「そんなので大丈夫なのか? しかもそういうことを訊くまで教えてくれねえし」
「……」
「俺は別に平気だけどさ。どんな戦いになろうが生き残る自信はあるし……」

 むしろ荒れた戦いの方が彼は生き生きするだろう、とリィは思う。
 混戦になり、揉めて、荒れれば荒れるほど、彼は昂って激しさを増し、より活き活きする。
 けれど全ての騏驥がそうではない、とリィが思った時。

「でもルシーみたいなタイプは、そうじゃないだろ」

 傍を見ながら、ルーランが言う。
 大丈夫なのか? と気遣うような顔を見せている。

(そんな顔もするんだな……)

 リィが思っていると、ルシーが微苦笑を浮かべてノーランを見つめ返す。

「大丈夫よ、心配してくれなくても。これでもあなたより先輩なんですから」
「そりゃそう……だろうけど……」
「『けど』——なに? 『俺より弱っちいくせに』——?」
「じゃなくて」

 そうだろ、と言いたそうな顔だ。
 拗ねたような顔。
 リィの知らないルーランの顔が、今日は思いがけず色々と見られている。
 彼は心配そうにルシーを見る。

「そう、じゃないけど……ルシーはこう……俺より真面目だからさ。急にあれこれ変更になるのは嫌っていうか……苦手かもな、って」
「あなたに比べればどんな騏驥も真面目だと思うけど」
「ル——」
「わかってるから」

 からかわれることに慣れていないルーランが声を上げかけると、ルシーが笑ってそれを止めた。
 滅多にない光景だ。
 GDも面白そうに見ている。
 リィも笑おうと思ったけれど、なぜかうまく笑えない。

「心配してくれているのよね。わかってる、ありがとう。でも大丈夫よ。わたしだって騏驥なんだし。むしろ、予定変更でここに来た分、あなたより心構えはできてるつもりよ」
「『予定変更』?」

 尋ねるルーランに、小さく頷く。
 そしてルシーは、リィとGDに目を向けてきた。

「この話は、してもよろしいでしょうか」
「構わない」
 
 GDが言い、リィも頷くと、ルシーは「ありがとうございます」と礼をしてルーランに向けて続けた。
 
「わたし、本来なら別働隊だったの。あそこに、山の連なりみたいな、大きな丘みたいなものが見えるでしょう? わたしたちは、あの百合岩の連丘の向こうから隣国に入る予定だったのよ。二方向から攻め込むつもりだったんでしょうね。でも、その計画は早々に駄目になっちゃって……それでこっち合流することになったの」
「『駄目に』って……なんでそんなことに?」
「足もとが悪すぎたの。わたしたち騏驥でもちょっと大変なほどの悪路になってて……だから、普通の馬や人は進めなくなっちゃって……」
「……事前に調べてなかったのか?」

 眉を寄せてルーランが言う。
 ルシーは困ったように黙ってしまう。
 代わりに、GDが口を開いた。

「言っただろう。予定外が続いている、と。魔術師の託宣が珍しく外れたというわけだ。それで、仕方なく別働隊もこちらへ合流した」
「それでこんなに人も馬も多いってわけか。いくら規模の大きい遠征って言っても、多すぎると思ったんだよな……」

 ルーランがうんざりしたような口調で言うと、GDは「そうだな」と、心なしか厳しい表情で呟く。
 リィがはっと見ると、彼は苦笑して言った。

「やれと言われればどんな戦いでも躊躇わないが、個人的な好みで言えば、ごちゃつくのは好きじゃない」
「……」

 GDが戦闘に関わることで個人的な好き嫌いを口にするのは珍しい。
 この場では口にしても大丈夫だと思ったのだろうか。
 リィが驚いていると、彼は苦笑を微苦笑に変える。

「そんな顔をするが、リィだってそうだろう? ——というか、騎士は皆そう思っているはずだ。騏驥は体が大きい分、跳びも大きいからな。効果的に使うならそれが活かせる状況の方がいい」
「まあ……あまりごちゃごちゃするのはわたしも好きではないが……」
「だろう? ああ、それともルーランならその方が活躍しそう——か?」

 揶揄うように言われ、リィは苦笑するしかない。
 GDは本当に、他の騏驥までよく見ている。ルーランは特別だとしても、だ。

 
 と、そのとき、

「ガリディイン様、外でどなたかがお探しのようです」

 さり気なく、レイ=ジンが囁く。
 GDの名が呼ばれているのが聞こえたのだろう。
 本当に、主人中心の騏驥だ。
 
 GDは「わかった」と頷くと、「じゃあ、また明日」とリィに軽く手を上げて去っていく。
 黙礼したレイ=ジンが、それに続く。
 その動きが合図だったかのように、ルシーもまた「じゃ、わたしも戻るわ」と、ルーランに告げる。

「今度は迷わないようにしないとね。庇ってくれてありがとう」
「あ……うん……」

 ルーランは頷くと、じっとルシーを見つめた。

「気をつけてな。えっと、ここからの帰り道だけじゃなくて、つまり……」
「わかってるわ」
「さっきGDも言ってたけど、なにがあるかわからないみたいだし」
「ええ……ありがとう。あなたも」
「まあ、俺は大丈夫だけどさ」
「強くて速いから? ——そうね。あなたはそうだわ、ルーラン。それに……」

 ふっと言葉を切って、ルシーがリィを見る。
 彼女にしてはいささか不作法なまでの視線だ。だが不快なそれではない。
 むしろその真摯さに胸を打たれる。
 そう、リィが感じた直後。
 ルシーはリィに頭を上げた。

「騏驥の身で頼み事を申し上げるなど恐れ多いことですが、どうか……ルーランをよろしくお願いいたします」
「ちょっ、ルシー!」

 狼狽えたようにルーランが声を上げる。
 リィも戸惑っていた。騏驥にこんなことをされるのは初めてだ。
 こんなことをする騏驥に、出会うのも。

「そんなことしなくていいからさ」
 
 ルーランは言うと、ルシーの身体を抱え起こす。
 その焦ったような表情からは、恥ずかしがっているのか、自身の大切な相手が他人に——騎士に頭を下げていることに抵抗を感じているのかはわからない。
  
 だがルシーはそんなノーランに首を振ると、諭すように言った。

「ずっと一人の方に乗っていただけるのは、幸せなことよ」
「……」
「もちろん相性が良ければの話だけれど……良いから乗り続けてくださるのでしょうし。そういうのはあなたにとっても幸せなことなのよ」
「……」
「それは、なるべく胸に留めておいたほうがいいことよ。わたしからの、最後の助言。わたしよりよほど立派なあなたには、お節介になっちゃうかもしれないけれど」

 ルシーはそう言って目を細めてルーランを見ると、程なく、リィに一礼して去っていく。
 髪がふわりと揺れ、纏っている服が、ひらりと舞う。
 その姿は、思っていたよりももっと小柄だ。そのことに、リィは驚きを覚えていた。
 今し方まですぐ側にいて、ずっと見ていたはずなのに。

 そんなリィの傍で、ルーランは彼女が去っていった天幕の出入り口をずっと見つめ続けていた。

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