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40 驥騏謹慎中
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もしゃもしゃと味気なくまずい食事を義務的に済ませると、ルーランは馬房から放牧場へとのっそりと歩み出た。
眩しい。まだ陽が高い。
それを確認して、うんざりと顔を顰める。
といっても、馬の姿だから傍目にはわかるまい。
だが彼は、現在途方もなく退屈していた。
<時間が経つのが遅い……>
普段は気にしたことなどなかったが、ほとんど誰とも会わず、食べて寝て死なない程度に運動して……という毎日では、一日が長すぎて腐りそうだ。
隔離用の馬房と、そこから繋がっている小さな放牧場との往復だけでは、することがなさすぎる。
かといって誰かに会いたいという希望もなく、ルーランは王都に戻ってきて以来、毎日、こうして死んだようにただ生きているのだった。
◇
隣国、羅々国への大規模な遠征が失敗に終わり、全ての人馬や騏驥が王都に引き上げてから、およそ三十日あまり。
ルーランの時間は、そんな風にだらだらと過ぎていた。
といっても、戦場でルシーの酷い有様を見て以降のことは、全ておぼろげにしか覚えていなくて、だから、より正しく言えば、そのときから時間の経過がおかしくなっているのだ。
騎士に対する多大な反抗行為という名目で囚われたり、その後、王都に戻ってくるときも厳しい監視がついたりもしていたが(重い鎖付きで歩かされてえらく疲れた。リィは別の騏驥に乗ってた)、なんとなく自分が自分でないようだったし、記憶も途切れ途切れだ。
いっそ、再度の侵攻になれば戦闘で気が晴れたのかもしれないが、あまりにも「予定外」「予想外」のことが立て続けに起こったことから、結局遠征は仕切り直しとなり、王都に戻ることになったのだった。
戻ってきてからというもの、ルーランは厩舎地区でも、ことさら辺鄙なこの馬房に入れられ、閉じこめられている。
最初の数日間は、自分が犯した罪の審議の結果を――採決を待つ騏驥として。それからは、謹慎中の騏驥として。
ルーランにすれば、王都に戻り次第「処分」される可能性もあるだろうと思っていたし、それでもいいと思っていた。
ルシーの容態だけが気がかりだったけれど、彼女を助けられなかった自分など生きていたところでさして意味もない——と思っていたからだ。
それに、誰のためにももう駆けたくなかった。
誰のことも、もう背に乗せたいと思わなかった。
だからどうなってもよかったのに——。
『しばらくは、ここで大人しくしていろ』
二十日ほど前——ここに隔離されて、おそらく十回ほど昼と夜が過ぎたとき。
久しぶりに姿を見せたリィは、馬栓棒越しにそう言ったのだ。
(ちなみに、この隔離馬房は、それまで暮らしていた馬房以上にプライバシーがない。扉なんかなくて、棒が二本渡されてるだけ。これが馬栓棒だ。なので通路からはほぼ丸見え。でも魔術でしっかり逃げられないようにしてある)
リィは相変わらず綺麗でぴかぴかしていた。
隙のない佇まいで乱れのない髪。まっすぐな瞳。皺一つない整ったいでたち。「騎士」の見本のような格好だ。
ルーランが馬の姿でいるのにも構わず、彼は淡々と続けた。
『お前は謹慎ということになった。期間は折衝中だ。決定すればまた伝えに来る。だからとにかくここでじっとしていろ。大人しくして、反省の様子が窺えれば、そのうち少しは自由になれるはずだ』
<…………>
『ルーラン、聞こえているだろう。返事をしろ』
<……>
ルーランは返事をせず、リィを睨みつけた。
居丈高な言い方に、カチンと来たのだ。
いつもの——普段の彼の口調だとわかっていても、そのときは聞きたくなかった。
カンに障った。
尻を向け、寝藁を荒く蹴り上げ、大量の藁をリィに向けて撒き散らしてやる。
頭から被ればいいと思ってやったのだが、あいにく軽すぎるそれらはほんの少しも届かなかった。
<クソ>
苛立ちのまま、ルーランは荒い口調で言った。
<じっとしてろもなにも、出たくても出られないことはあんたも知ってるだろ。それをわざわざ言いに来るなんて、ずいぶん手間をかけた嫌がらせだな>
『これは申し渡しだ。お前は返事をする義務がある』
<へえ。じゃあ、返事をしなかったらどうなるわけだ?>
『罰する』
<は。なに、鞭で打つとか>
『そうだ』
<……………>
躊躇なく言ったリィにますます胸が悪くなり、ルーランは人の姿に変わった。
馬から人に変わったばかりの、肌を覆う布の一枚もないこの姿の自分でも打てるものなら打ってみろ——そんな気分で。
だが、リィの気配は変わらない。
ルーランの全裸を目にしても恥ずかしがるわけでもなく、野営地でのときのようにたじろぐ様子でもない。
騎士として騏驥に対峙している——。それがはっきりわかる態度だ。
(…………)
ルーランはチッと舌打ちすると、服を着た。
野営地で挑発したときとはえらい違いだ。
もう元に戻ったわけか、と思うと、その切り替えの速さに胸の中がモヤモヤする。
やはり騎士は騏驥が一人傷ついたところでさして気にしないらしい。
(そんなもんだよな)
悔しいような諦めるような気持ちで、ルーランはふっと息をついた。
そんなものだ。
そんなものだから、彼は騎士なのだ。
自分が背中を許した——許していた唯一の騎士。
『わかったよ。謹慎——わかった』
わかったから、もう帰れ、と言わんばかりに顔を逸らして言い捨てる。
そのまま放牧場へ出ようとしたが、リィの声は追いかけてくる。
『なるべく動いておけ。こちらからもできる限り騎乗訓練の申請をだしておく。実際に乗ってやるわけにはいかないだろうが……訓練の名目があれば、その時間はもっと広い馬場に出られるはずだ』
『お心遣いどうも』
『また何かあれば知らせる』
『別にいいよ、そんなの。もう誰かを乗せる気もない』
『お前に断る権利はない』
にべもない言葉に、また舌打ちしそうになる。
ルーランはそれを堪えると、
『そうでした』
と、さも今思い出したように言った。
そしリィを振り返ると、わざわざ彼に近づいて言う。
『そう——そうだよな。まあそうだよな。あんたが騎士としてやってくためには、強い騏驥が必要だもんな。——俺が』
苛立ちが込み上げ、無性にリィを傷つけてやりたくなる。
『俺の代わりになりそうなのが見つかるまでは、どれだけ不本意でも俺を庇わなきゃならないってわけだ。大変だな、あんたも』
鼻先が触れるほど顔を寄せ、嘲るように言う。
騏驥と騎士。
厩舎の中と——外。
隔てているのは馬栓棒だけ。
なのに絶対の違いがある。越えられない差が。
そんなこと嫌というほどわかっていたはずなのに、性懲りもなくこの「違い」に「差」に、ルーランは憤っていた。
愚かな自分——。
ルーランの耳の奥に、ルシーの声が蘇る。
『こんなのは嫌だ、って顔してた』
『こんな運命は嫌だ、って顔してた。こんなのは違う、こんなのは嫌だ、って』
ルーランの蜂蜜色の瞳に、美しい騎士の姿が映っている。
姿も心も麗しく、痛々しいほど頑なで懸命な騎士。
『——そうだ』
その騎士は——リィは、ルーランを真っ直ぐに見据えたまま言った。
ルーランの不躾さに怒ることもなく、そして、迷いを微塵も感じさせることのない声音で。
『お前がわたしにとって有益である限り、わたしはお前に騎乗する』
『……で、役に立たなくなったらポイ——か?』
見つめ返してルーランが言うと、微かにリィの瞳が揺れたような気がする。
でもそれは、彼の見間違いかもしれなかった。
それから、二十回の昼と夜が過ぎた。
ルーランは相変わらず、無駄に生きている。
あの後、リィはルシーの容体について話してくれた。
集中治療に回されたとか、怪我は治りつつあるとか。
けれどそれを聞いても、ルーランは「ああそうですか」としか思えなかった。
回復にはほっとしたけれど、それがなんの慰めになるんだと思っていたせいだ。
身体の経過の話はしてくれても、彼女の精神が安定した話はしてくれない。
——できないからだ。
安定していないからだ。しないからだ。きっともう、一生。
それに、リィがわざわざ伝えてくれることにも、感謝どころかむしろ苛立ちがつのった。
確かに、謹慎しているルーランは誰かから伝えてもらわなければ、ルシーの容体など知れはしない。
けれど。
そうしてリィがルシーの話をしてくれるたび、どうしても思い出すのだ。
あの日のことを。
リィが止めてなかったら——。
その思いは何度となくルーランの頭を巡ったし、そのたび、ルーランはリィを恨まずにいられなかった。
クソ。
思い出し、苛立ちのまま、ルーランは放牧場にガリガリと穴を掘る。
そこにゴロゴロと転がっていると、誰かが近づいてくる足音がした。
ジァンだった。
「よう」
目が合うと、彼は笑顔で手を上げる。
馬の姿のまま立ち上がったルーランが、<……なんだよ>と返すと、彼は「ご挨拶だな」と苦笑した。
一線を退いた後も、調教師や騎士たちからの信頼の篤いベテラン騏驥のジァンは、現在、現役の騏驥たちに助言をしたり、騎士や調教師との橋渡し役という位置にいるためか、比較的自由に厩舎地区をうろつくことが許されている。
ルーランが謹慎になってからも彼だけは面会を黙認されていて、度々様子を見に来てくれていた。
彼は、ルーランの横柄な態度も「いつものこと」とばかり受け流すと、放牧場を囲う牧柵に寄りかかりながら言った。
「いい知らせだ。明日から元の馬房に戻れるそうだ。よかったな。謹慎は謹慎だが隔離謹慎から自宅謹慎に変更だ」
<…………>
「どうした。不満か? まさかこの隔離馬房の方が快適とかいうんじゃないだろう?」
<……それはまあ……自分の馬房に戻れるのは嬉しいけどさ……>
「? なんだ。奥歯に物が挟まったような言い方だな。というか、人の姿になったらどうだ。俺を威嚇してもしょうがないだろう」
笑いながら言われ、ルーランは人の姿に変わる。
いそいそと服を着込んでいると、「で?」と促された。
「なにが不満なんだ。いい話だろうに、どうしてそんな顔をしてる?」
「別に」
ルーランがぶっきらぼうに応えた、その数秒後。
「ああ」
ジァンが苦笑した。
「あの騎士に知らせてもらいたかったのか。俺が伝えに来たからそんな顔なわけだな」
図星だ。
だがもちろんそれは口に出さず、ルーランはただ大きく顔を顰めてみせた。
「別に……。ただそんな約束も守らないんだなと思っただけだ」
何かあれば知らせるって言ったくせに——ルーランは胸の中でぼやく。
確かに、「知らせに『来る』」とは言っていない。言っていないが、「知らせる」といえば本人が来るものとばかり思っていたのに。
眉間に皺を寄せていると、そんなルーランの気分をほぐすようにジァンが言う。
「忙しいんだろう。先の遠征じゃ怪我をした騎士もいる。その分、騏驥の調教に乗ってるんだろうし、聞いた話じゃ最近は騎士学校の方にもちょくちょく行ってるらしいな」
「……へえ。そういえば生徒たちに話をしてほしい、とか言われてたみたいだからな。どんなご高説をたれるんだか」
フン、と鼻で嗤うと、ジァンが渋い表情を見せた。
「お前、まだあの騎士にそういう態度なのか?」
「…………なんだよ。どういう意味だよ」
「そういう、やたらと突っかかるような刺々しい態度なのかって訊いてるんだ」
「悪いかよ。まあ、もうずいぶん会ってねえけど」
こちらを見つめてくるジァンの視線——ルーランを咎めるようなその目つきに、反発心が湧く。
睨み返した。
「会ってねえけど……俺はあいつのことしばらく許せそうにねえし」
唸るように言うと、ジァンは大きく溜息を吐く。
そして呆れたような口調で言った。
「騏驥が随分とまた大きな口をきくもんだな」
「! なんだと!?」
ルーランは柵越しにジァンの胸ぐらを掴む。
だがその手に力を込めても、ジァンはされるままだ。ただ呆れたように——哀れむようにルーランを見つめてくる。
その視線に尚更イライラして、ルーランがは思わず拳を固める。
——そのときだった。
「——ルーラン。お前、あんなことまでしておいて、どうして謹慎程度で済んだか考えたことはあるのか」
「!?」
不意の問いに、当惑した。
目を瞬かせると、胸元を掴んでいた手をゆっくりとジァンに外される。
されるままになっているルーランの前で、ジァンは襟元を直すと、やれやれというように大きく息をつく。
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