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8 寝起きの再会
しおりを挟む『明日はまだ予定がはっきりしてないから、朝は少しゆっくりでいいぞ』
サイ師からはそう言われていたはずが、なぜか朝早くに目が覚めてしまった。
(?)
なぜだろう、とダンジァは布団の中でしばし考え、直後、びくりと慄いた。
視線の先に、朧な光と人の姿があったからだ。
「!?」
一瞬でしゃっきりと覚醒してしまった。
元々寝起きはいい方だが、こんなに瞬時に眠気が吹き飛んだのは初めてだ。
普段は一人のダンジァの馬房。なのにそこには、見覚えのある人が立っていた。
「……」
だが起き上がって呼ぼうとして、気づく。
(名前を聞いてなかった……)
しかも迂闊なことに、サイ師にも確認していなかった。
街でこの人と出会ってから五日ほどだろうか。
次に会う時には、と言われていたけれど、まさか本当に会うとは思っていなかった。
しかも、どうしてこの馬房に!?
馬房は、騏驥それぞれの私室のようなものだ。
厩舎にはいくつもの馬房が並んでいて、いわば長屋のような様子になっている。
中はといえば、馬の姿でも人の姿でも暮らせるような作りで、だから馬の姿の時用の寝藁もあれば、今のように人の姿で寝る時用の寝台もある。
気分に合わせて好きな姿・楽な方姿で休めるというわけだ。
眠る場所だけでなく、食事も二通りの姿で摂ることができるし、温度の調節もされているから不便はない。
唯一の問題らしい問題といえば、扉に鍵がかからないから、「完全な個室」にはできないということだが、それでも今まで特に問題はなく、このスペースは「自分の馬房」としてくつろげていた場所だった。
だった。
——のだが。
ダンジァは息を潜めると、布団でそっと顔を隠し、目だけで様子を伺う。
すぐに起きても良かったはずだが、なんとなく……なぜだかそうしたくなかったのだ。
そこにいる青年——例の騎士はといえば、ダンジァが起きたことに気付いていないのか、こちらを向くことなく部屋の中を眺めている。
彼の周囲を、ふわふわと光が舞っている。発光石だろう。
夜明け前、まだ薄暗い馬房の中で、そこだけがふわりと明るい。
騏驥は夜目が効くから、彼の整った横顔も、すっきりと背筋の伸びた綺麗な立ち姿も鮮明に映る。
魅力的な人だな、とダンジァは改めて思った。
騎士に対してはいつも尊敬の念を抱いているけれど、この人については、なんとなくそれだけじゃない感情を抱いている自分がいる。尊敬だけでなく、素敵だなと思うのだ。
以前、乗って欲しいと憧れていた人も、とてもとても美しい人だったけれど、その人とも違う。
なんだか、ただ乗って欲しいだけでなく、ずっとそばにいたいような……そんな気持ちを抱いてしまうのだ。乗ってもらうだけでなく、彼に付き従って、ずっとその後ろ姿を眺めていたい、と
変だな、とダンジァは内心首を傾げる。
そんな期待、今まで抱いたことはなかった。騏驥が騎士に抱くにしては大きすぎる無礼すぎる——身の程を弁えないものだから。
なのに、どうしてだろう。
彼に対しては「そうだといいな」と思ってしまうのだ。
意外な出会い方をしたからだろうか。彼が予想外のことばかりするからだろうか。振り回されている気がしないこともないが、けれどなんだかそれは楽しくて……。
ダンジァは再び首を傾げる。
楽しくて?
騏驥である自分が騎士に従うことは義務だ。少なくとも今まではそう思っていた。
けれど、なんだか今の自分は——彼に対しての自分は、そうした義務感以外の理由で彼の側にいたいかもしれない……と思い始めている。
義務感以外、もしくは以上の理由で。
そう。
なんだか、彼といるのは楽しくて。
こんなことは初めてだった。
騎士に対してこんなふうに思うのは。
(???)
戸惑うダンジァの気持ちなど当然知らぬまま、視線の先の彼は、まだ馬房(部屋)のあちこちを眺めている。
楽しいのだろうか?
騏驥の部屋なんて、彼のような貴族の住まいと比べれば、使用人の部屋かそれ以下のようなものだろう。
だから普通の騎士は、わざわざこんなところまで来ない。厩舎地区には来ても、せいぜい調教師と話すぐらいだ。
調教の時だって、調教場の入り口で騏驥と合流する形の方が多い。
なのに、彼のような貴族の中でもより高位かお金持ちそうな人が、なぜこんなところに……?
「あの……」
ややあって。
ダンジァはとうとう身を起こすと、騎士に向けておずおずと声をかけた。
流石にいつまでも部屋の中を見て回られるのは……と思ったのだ。
嫌というよりも、彼の目的が知りたかった。
すると、青年騎士は「ああ」という顔を見せてダンジァに近づいてくる。
断りなくダンジァの馬房に入っていたことも、その中を眺めていたことも全く気にしていない様子だ。
むしろ、半裸で髪も寝乱れているだろうダンジァの方が寝起きの自分を気にしていると、
「起きたな。出かけるぞ」
彼はダンジァを見下ろして言った。
「え?」
出かける?
どこに?
いきなりだな、とダンジァは目を瞬かせたが、青年は構わず「早くしろ」と急かすように言う。
「早くお前に乗りたいのだ。急げ」
「あ……は、はい」
何が何だかわからない。
が、なんだか従ってしまう。彼の言葉には、彼の声にはそんな不思議な力があった。背を押されるような、手を引かれるような、そんな力が。
それに「乗りたい」と言われたことは素直に嬉しい。
ダンジァは言われるまま、急いで身支度を整える。
青年はその間も部屋を眺めていた。
「お前の部屋は何もないな」
面白がっているような声だ。
ダンジァは服を着ながら「はい」と頷いた。
「特に置いておきたいものもないので」
「ふむ……。……これは?」
と、青年はそこにあった毛糸の束のようなものを摘んで見せる。
「ぁ……それは、猫に」
「猫?」
今度は青年が訝しそうな顔をする。
そうすると、なんだか少し可愛らしい。ダンジァは、騎士に対してそんな風に感じた気持ちを慌てて打ち消しながら「はい」と頷いた。
「馬房に……というか、厩舎に時々猫が来るんです。それで、遊んでやるときにそれを」
「猫は好きか」
「そうですね。嫌いではありません」
仕方のないこととはいえ、この厩舎地区で変化のない生活を送らざるを得ない自分たちに、少しばかりの彩りを与えてくれる小さな生き物だ。
「用意できました」
程なくダンジァが言うと、騎士は「灯りを」と命じてくる。ダンジァは慌てて馬房に灯を灯した。自分は昼と変わりなく見えるから気づかなかった。
「失礼いたしました」
「構わない」
言うと、騎士は明るくなった馬房の中で改めてダンジァを見つめてくる。
確認するようなその視線にドキドキした。
この時間から出かけると言うから、てっきり調教なのだろうと思った。
だから普段のような格好にしてしまったが、大丈夫だろうか。ただ外衣だけは、感謝の意も込めて以前彼から貰ったものを纏った。それでよかったのだろうか。
(でも、彼も今日は前ほどきちんとした格好ではないし……)
とはいえ、前回会った時同様、質が良さそうで高価そうではあるのだが。
すると彼は「ふむ」と一つ頷いたのち、
「やはりそれはお前に似合っているな」
と微笑む。そして、
「持っていろ」
不意に、ダンジァの前に腕を突き出してきた。
その手に握られているものを——彼が差し出してきたものを目にした途端、ダンジァは瞠目した。
それは、一振りの剣だったのだ。
その見事さに、そして彼が自分に向けてそれを差し出したことに、ダンジァは混乱した。
騏驥も人の姿の時は剣を佩くことができる。できるが、それは騎士の許可あってのことであり、連れている騎士が全ての責任を負うという前提のもとでだ。
だからよほどその騏驥を信頼していなければ剣を持たせるようなことはしない——というのが、今までのダンジァの認識だったのだが。
(一度会っただけの、自分に……?)
一体どういうことなのだろう?
貴族の酔狂にしても、これは……。
しかもまさか、このためにわざわざこの馬房まで……??
だがそんな風に戸惑うダンジァに、
「何をしている、さっさと受け取れ」
青年騎士は強い口調で促してくる。その声に気圧され、ダンジァはとうとうそれを受け取ってしまった。
騏驥に対しての騎士の命令——という以上に、彼の声には聞いた者を従わせるような力がある。
「で、ではお借りいたします」
「違う。貸すのではない。お前のものだ」
「…………」
「ダン。お前のもの、だ。……まさかそれでは不満か」
「まさか……! ありがたく、頂戴いたします」
ようようダンジァが言うと、騎士は満足そうに笑い、「では行くぞ」と先に立って馬房を出る。
だがダンジァの方は混乱が深まっていた。
(何が起こっているんだ??)
もしかして、何かの試験だろうか。抜き打ちの、騏驥に対する何かの……。
眠っていたところにいきなり(勝手に)侵入され、いきなり出かける用意をさせられて、いきなり剣を渡されて……。
彼のことは、まだ名前も知らないというのに……。
(でも——)
けれど、どうしてか彼に従うことに迷いはない。
ダンジァは貰ったばかりの剣を帯びると、胸の高揚を感じながら騎士を追った。
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