まるで生まれる前から決まっていたかのように【本編完結・12/21番外完結】

桜以和果

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35 騏驥の願望、欲望 空に向かって手を伸ばす

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 そうしたら……。

 シィンはこちらが拍子抜けするほど「普通」で。
 いつも通りで……。
 
 なんだか……。
 なんだかとてもがっかりしてしまったのだ。
 やはり彼にとっては自分に触れることなど些細なことなのか、と。
 薬を飲ませてくれたことも、それがもしかしたら口移しだったことも、単に「一晩面倒を診る」ことの延長で、こちらが思ったような、動揺してしまったような深い意味はないのか、と。
 
(でも……考えてみれば当然だ……)

 そう。考えてみればそんなこと問題にもならないようなことなのだ。

 そもそも、普通の騎士にとってだって、騏驥はただの兵器だ。
 元が人で、人の知性を宿し人の姿の時は人と同じものを食べ同じものを着るだけで、実態は「馬に変わる人間」——異形なのだ。
 普通の人とは決定的に違う。もちろん騎士とも。
 そんな相手をどうして同じ人間のように扱えるだろう。

 騏驥を徹底的に道具として用いる騎士がいる一方、愛着を持ち、優しく触れる者もいないことはない。
 が、それは「手に合う騏驥」「使いやすい騏驥」「乗りやすい騏驥」を気にかけているだけだ。愛用の道具の手入れをするように。
 ——そういうことだ。
 騏驥は人ではないのだから。

 そして、そんな騎士たちをさらに従えているのが彼なのだ。
 王子。
 いずれ王位を継ぐお方。
 そんな方が、騏驥の自分を「自らと同じ立場」に考えるわけがない。思うわけがない。
 
 
 あの行為だって——口付けだって、まさしく「お戯れ」だったのだろう。
 彼は多分、巫山戯ていただけだ。
 こちらがどんな反応をするか、見てみたかっただけだろう。
 もしくは、大会の前に試してみたかったのかもしれない。
 咄嗟の時にどんな反応をするか。思いがけない事態にぶつかった時にどう対処するか……。

 なのに自分は自分の醜い衝動に流されてシィンを抱きしめるような真似をしてしまった。欲望に流されて彼の唇を貪るような真似をして……。
 挙句、それを彼のせいにしたのだ。
 彼がからかってきたからだ、と。

 そんなこと言える立場ではないのに。

 王子である彼が騏驥である自分を揶揄うことに、何の問題があろうものか。試すことのなにが悪かろうか。
 なのに自分は恐れ多くも、そんな彼に対して憤りを覚えたのだ。
 まるで対等な存在であるかのように。
「どうしてこんなことを」と。

 自分に疚しさがあるから……だからそれを誤魔化そうとして……。
 戯れはやめて欲しいなんて言っておいて、その実自分はそれを悦んだくせに。
 ダンジァはぎゅっと拳を握りしめる。
 
 だからシィンは早々に部屋を出て行ったのではないだろうか。
 失望したのだろう、こちらの態度に。
 騏驥の分際で、しかも彼に大きな世話になった騏驥の分際で、彼の当然の行為を責めるようなことを言ったのだから。
 
 でなければ、こちらの欲を知られた。騎士に対して、王子に対して想った言い訳がない欲を知られて……失望されたのだ。自分は。
 きっと。
 
 ならば翌日、そして今日まで普通に朝の調教に乗ってくれていることは、喜びこそすれ、がっかりするなどもってのほかのことだろう。
 自分のせいで二人の間にある空気をぎこちないものに変えてしまったのに、シィンはそれを見なかったことにしてくれている……。

(殿下……)

 ダンジァは、今朝も自分に乗ってくれたシィンを思う。
 少し前までは、王の騏驥でもない自分に、特別に乗ってもらえていることが嬉しかった。でも今は、当たり前のように、普通に、自然に乗ってくれることが嬉しい。

(殿下……)

 ダンジァは噛み締めるように胸中でつぶやく。
 嬉しい。けれど嬉しいから切ない。
 欲が出て、もっと乗っていて欲しいと思ってしまう。大会が終わってからも、ずっと。
 ずっと、彼のそばにいられたら。
 彼のためだけに駆けることができたなら……。

(……違う)

 違う。
 それだけじゃない。
 もう、それだけじゃない。

 ダンジァは一層きつく拳を握りしめた。

 自分が抱く希望は、願望は、欲は、もうそれだけじゃない。
 自分は騏驥として仕えるだけでなく、ただ乗ってもらうだけでなく、ただ駆けるだけでなく——もっと深く、彼と繋がりたいと思っている。
 もっと強く信じられたいし、もっと深く想われたい。
 もっと見てほしいしもっと見ていたい。誰よりも側で。彼の側で。より近くで。
 できるなら、他愛無く触れ合えるような、そんな距離で。
 
 なんと大それた望み……!

 けれどそれが偽らざる本心だ。
 シィンの「戯れ」で気付かされた本心だ。
 そんなはずはない、と目を逸らし続けていた本心。

 自分は、彼を求めているのだ。
 彼のものになりたいし、同時に——。

(ああ……)

 想像して、ダンジァは眉を寄せる。
 自分はいつからこんな——不埒極まりない欲望を抱く男になったのか。
 しかもよりによって相手は王子。願いが叶うことなどありえないだろう。
 
 あの美しい星が欲しい、と天空を見上げて手を伸ばしているようなものだ。どれだけ欲しくても背伸びをしても、どれだけ跳んでみても触れることすら叶わないのに。
 
 そう。相手は王子なのだ。
 ダンジァは、サイ師から聞かされた話を思い出す。



 シィンの部屋から厩舎地区に戻ったその日。
 王城での出来事は既にサイ師にも報告されていたのだろう。ダンジァは師に呼ばれたのだ。
 大丈夫だったか、と心配され、気をつけなければな、と優しく助言された。そして教えられたのだ。
「王の騏驥」という存在の意義、そして、そもそもそれがどうしてできたかを。


 サイ師のもとへは、ツォ師からの謝罪もあったらしい。「騏驥たちの管理が行き渡らなくて申し訳ない」と。
 それを受けてか、サイ師はダンジァに「騏驥たちを恨むなよ」と言った。
 ダンジァは素直に頷いた。
 恨んではいない。ただ、シィンから渡されていたものに触れられそうになったのが許せなかっただけだ。

 そしてそんな思いは、師から「王の騏驥」の成り立ちを聞いて一層強くなったが、ダンジァが一番ショックを受けたのはそのことではなかった。
 

「王の騏驥」がいる意味は、王や王族が他の騎士の騏驥を召し上げないようにするため。
 そしてまた同時に、政に食い込むことを企み王族に近づかんとする愚かな騏驥を寄せつけぬようにするため……。


 その説明をサイ師から聞いた時、ダンジァは「そうですね」と頷いた。
 なるほど、そうですね。納得しました。そういう理由だったのですね……。


 けれど胸の内は言葉にできないほどの恐怖でいっぱいだった。
 自分は違う、と叫びたかった。
 自分は違うのです。政など興味はなく、ただただ殿下の側に居たいだなのです、と。

 だが、心の中など誰にわかるだろう?
 欲望の種類など、どう区別できるというのか。

 いやそもそも。
 そんな風に望むことが禁忌なのだ。
 側にいたいと望むことが。下心があると思われても仕方がないことなのだ。
 しかも自分は「ただ」側にいたいだけじゃない。
 ただ騏驥として側にいたいだけじゃない。

 それ以上の欲がある。

 ならばもし。
 自分の気持ちがシィンに知れたら……?




「……おい? 大丈夫か」

 と、その時。軽く肩を揺さぶられる。
 はっとみると、シュウインが気遣うような顔でこちらを覗き込んできていた。

「話……聞こえてたか? それともどこか具合が?」

「あ……いえ」

 慌ててダンジァは首を振る。
 そうだ。せっかく彼が案内してくれていたのに、すっかり他のことを考えていた。シィンのことを考えていた。

「その、すみません。ちょっと……ええと……」

 何か言わなければと焦るものの、なにを言っても言い訳だ。
 申し訳なくてなにも言えなくなってしまうと、シュウインは一瞬戸惑うような顔を見せたのち、ポンと肩を叩いてきた。

「すまない。歩き通しで疲れさせたな。少し休もう。こっちへ——」

 そして彼は、近くの中庭に誘ってくれる。そのまま、そこにある椅子に座らされた。

「何か飲み物でも持ってくるよ」

 次いで彼はそう言うと、ダンジァが止める間もなく、いそいそと踵を返す。
 ダンジァは申し訳なさに苛まれつつ、木陰でふうっと息をついた。
 
 厚意に甘えておきながら、それを無下にするような真似をしてしまうなんて……。まったく、何から何までダメじゃないか。

 シィンのことは、もう考えないようにすべきなのだろう。
 諦めるべきなのだ。そもそも懸想することさえ許されない相手なのだから。

(懸想、か)

 馬鹿だな、と自嘲が漏れた。
 思慮深いとか賢いとか。そんなふうに評価されることが多かったから、自分は「そう」なのだろうと思っていた。
 愚かなことはしない騏驥なのだと。我慢ができる騏驥なのだと。過ちに気づけば正せる騏驥なのだと——いや、過ちになる前に回避できるのだと。

 それが。

 こんな有様だ。

 どうやら自分は思っていたより賢くも思慮深くもなかったらしい。
 それとも、誰かを恋い慕う気持ちは理性の外側にあるものなのだろうか。

 いずれにせよ、耐えて諦めるしかないのだけれど。
 大会まではこみ上げてくる自分の気持ちに耐えて、ただただ忠実に結果のために、彼のために走り、そしてそれが過ぎれば諦めるように努力するしかない……。

(できるのかな……)

 しかし果たして、そんな器用なことが自分にできるのだろうか。 
「思慮深い」「賢い」と言われるのと同じぐらい、真面目で不器用な自分に……。

 また一つため息をつきかけた時。

「——はい、どうぞ。爽草水だよ。これなら大会前でも大丈夫だろう?」

 シュウインが戻ってくる。
 差し出されたのは、玻璃杯に入った薬草水だ。少し青みがかっているのが美しい。恐縮しつつも「ありがとうございます」と受け取り、一気に飲む。
 冷えたそれはさっぱりとした味わいでとても美味しかった。

「わざわざありがとうございます。しかも気を遣ってくださって……」

 自分のために持ってきてくれただけでなく、大会前だということに配慮して、口に入れても大丈夫なものを選んでくれたことが嬉しい。そう、現在のダンジァはそろそろ飲食物に制限がかかっているのだ。飲食物、薬……。大会当日の薬物検査に引っかからないようにするために。

 すると、シュウインは「当然だよ」と笑った。

「そのためにわたしが付いているんだから。大会前のきみに何かあってはね」

 明るく言って、彼も同じ物を飲む。「美味しい」と笑った。

「シュウイン……さんは大会に出たことはあるんですか?」

 ダンジァが尋ねると、シュウインは「”さん”はいらないよ」と微笑む。

「同じ育成厩舎だった仲なんだ。同期といえば同期なんだから」

「……はい……」

 ダンジァとしてはあまりそんな実感はないのだが、気さくに言われれば悪い気はしない。シュウインは続ける。

「王の騏驥たちの代表として、何度か出たことはあるかな。実は、今回の大会も出場の話はあったんだ。殿下の騎乗でね」

「えっ!?」

 初耳だ。
 戸惑うダンジァに、シュウインは「違う違う」というように首を振った。

「まだ大会の話が具体化する前だよ。かなり前の話で……当初は、殿下の主催なら殿下も何か出た方が、っていう話があったんだ。まだ構想段階の頃の話だよ」

「……」

「でもその話は正式化する前に立ち消えになって……殿下は出ない、っていう形での開催になったというわけ」

「それは……」

 どう言えばいいのだろう。
 構想段階とはいえ、出るかもしれない、という話が「出ない」になり、再度「出る」ということになったというわけか。
 二転三転したわけだ。シィンの都合で。

 そしてその「都合」にはダンジァも関わっていて……。
 もちろんそれだけが理由ではないかもしれないけれど。

 黙り込んだダンジァを気にしたのだろう。シュウインが苦笑混じりに続ける。

「きみが気にすることはないんだ。大会の形式は変わるものだし、出場するかしないかだって、登録が終わっても決まらなかったりするのはザラなんだから。それに、出場しないことで今回は裏方として大会を見ることができるし」

「? 裏方?」

「ああ」

 どうやら、今回の大会では、王の騏驥たちは数頭の参加者のほか大会の運営側として携わることになったらしい。要は、手伝いだ。

「初めての試みなんだけど、ツォ先生が殿下に提案されたようでね。王の騏驥たちなら、城の中のことには詳しいだろう? なら、大会の手伝いとして役に立つんじゃないか、ということらしい。あとは、少し他の騏驥たちの様子も知れた方がいい、ということのようだね。わたしたちは他の騏驥たちをほとんど見ることがないから」
 
「……」

 なるほど、とダンジァは頷く。ツォ師は色々と考えてくださっているようだ。
 流石に王の騏驥たちの調教師——というところか。

 いつだったか——。
 朝、殿下に調教をつけてもらい、坂路を順調に二本駆け登りクールダウンをしていたとき。
 何かの話の流れで、ツォ師のことになったことがあった。
 シィンに、『ツォをどう思う?』と尋ねられたのだ。サイ師とは調教の方針も違うだろうから、やり辛くはないか、と。

 だがダンジァは「大丈夫です」と答えた。

 師は、いつも少し離れて調教を見ている。
 騏驥に乗ることはなく、見ようによってはただ漠然と見ているだけにも思えるのに、どの騏驥に対しての指示も的確で、だから常々すごいなと思っている、とダンジァは話した。
 すると、シィンも師について話してくれた。ずいぶん昔から二人は親しいようだった。

『父の代から仕えてくれている。父親を訪ねて城にやってきたりもしていたから、子供の頃から互いを知っているな。馬に乗るのも上手かった。わたしよりも上手かったほどだが……結局は父親と同じ道を選んでわたしを支えてくれている』

 調教後でいささか昂っているダンジァの気持ちを宥め、激しい運動後で震える全身の筋肉を緩やかに平常に戻すようにゆっくりと森の中を歩かせてくれながら、背の上からシィンは話してくれたのだった。
 その声は落ち着いていて穏やかで、「仕えてくれている」「支えてくれている」と話しながらも友人のことを語っているようでもあった。
 
 以前の「話し合い」の時にも感じたが、側近のうちの一人なのだろう。

 

 こんなふうにシュウインを側につけてくれていることにも、感謝しきりだ。
 なのに、そんなシュウインの話よりもシィンのことを考える方に夢中になってしまうなんて……。
 反省しなければ、と思いながら、ダンジァは「そうなんですね」と相槌を打った。

「そういうことになっているとは知りませんでした。でも確かに城に慣れていない騏驥は助かると思います。当日は、シュウインさ……シュウインも、その手伝いに?」

「加わる予定ではいるよ。規模の大きな大会は華やかだから、携われるだけでも楽しそうだし……。ああ、もちろん与えられた仕事はちゃんとやりつつ楽しむ、ってことだけどね」

 言って、シュウインはにっこり微笑む。ダンジァもつられるように笑みを浮かべた。

「じゃあ、当日も会えるかもしれませんね。……よろしくお願いします」

「わからないことがあったらなんでも訊いてくれ」

 シュウインは言うと、「じゃあ、続きを案内しようか」と立ち上がる。
 ダンジァも腰を上げ、シュウインに再び案内してもらっていると、城内の雰囲気も心なしか以前より慌ただしい気がしてくる。なんとなく伝わってくる。
 と言っても、以前城の中に足を踏み入れたのは、シィンの部屋に連れられた時とその帰りのことだから、周りなんて見ていたようで見ていなかったのだけれど……。
 それでも、いよいよ大会が近いのだ、緊張が高まってくる。
 
 あと何回、シィンに乗ってもらえるだろう。
 そして当日の最後の騎乗の後、自分は彼を忘れられるのだろうか……。

(っ……)

 また考えている——と、ダンジァが人知れず顔を顰め、振り切るように頭を振った、その時。


「……ダンジァ?」

 声が届く。
 聞き覚えのある声に振り返ると、そこには、以前乗ってもらいたいと焦がれた騎士——リィがいた。

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