67 / 157
65 かの人を乗せて駆けるために(2)
しおりを挟むもし間に合わなければ、その時は仕方がない。
時間に間に合うように馬の姿に変わり、鞍を着けてもらい、シィンがやってくるのを静かに待つだけだ。
だが、まだサイ師も来ていない。ダンジァがそう判断している通り、時間にはまだ余裕があるということだ。そうそう急いで馬の姿に変わることはない。
馬の姿になると「変われない」という危険性は無くなるが、代わりに色々なことに対して敏感になるせいで、それはそれで色々と大変なのだ。
人のときより多くのものが見えて、多くのものが耳に入る。そのせいで、騏驥によっては気持ちが昂りすぎて、レースの前に疲れてしまうものもいるから。
ダンジァは手足の感覚、感触を幾度も確かめて問題ないことを確信すると、改めてユェンを見つめる。そして言った。
「大丈夫です。安心してください。変化のタイミングについては、ちゃんと考えていますから」
「…………」
「ユェンさんに迷惑をかけるようなことはしません」
と、ユェンはハッとしたように息を呑み、直後、どことなく気まずそうな顔を見せる。自分の態度がダンジァを急かすようなそれだったと思ったのだろう。
彼は苦笑しながら「ん」と頷いた。
「そうだね。きみならそういう判断もちゃんとできてるよね……。なんか、こっちばっかり焦っちゃって……ごめん」
「謝らないでください。気にしてもらえているのは助かります。ユェンさんがそうして時間や周囲を気にしてくれているから、自分は自分のことだけ考えていられるので」
ダンジァが言うと、ユェンはほっとした顔を見せつつも、苦笑を深めた。
「そう言ってもらえると報われるよ。でも、なんだかこれじゃどっちがどっちの面倒を見てるかわからないな」
自身もまた初めて大会に参加するユェンは、そう言って笑う。
直後、じっとダンジァをを見つめ返して続けた。
「たださ、迷惑とかはいいんだよ。そんなことは気にしなくていい。きみの世話をしたり準備をしたりするのは、全部僕にとって勉強だし、やれて光栄だと思ってるからね。こんな機会、なかなかないから。ただきみが、アクシデントで出走できなくなることだけは避けたいからさ。ずっと頑張ってたこと、知ってるから」
噛み締めるように言うその言葉は、素朴で温かいものだ。
ダンジァがふっと笑みを浮かべたとき。
「あ」
そのユェンが声あげる。
続けて挨拶するように頭を下げる様子を見て、ダンジァが振り返ると、サイ師がのんびりとした足取りで近づいてくるのが見える。
目が合うと軽く手を上げる師に、ダンジァも頭を下げる。
すると、
「なんじゃ、まだその姿か」
すぐ側までやって来た師は楽しそうに笑いながら言う。
気がつけば、視界に入る騏驥たちは全員が馬の姿に変わっている。
それどころか、既に鞍を着け終わっている者もいるから、彼らに比べれば、ダンジァは「用意が遅れている」と言えるだろう。
しかし師の意見は違うようだ。
「余裕があるのぉ。いいことじゃ」
他の騏驥たちを刺激しないように小声ではあったが、声や表情はいかにも愉快そうだ。ダンジァは苦笑しながら「そういうわけではないのですが……」と応えた。
「馬の姿になることには問題ないと思われるので、もう少しこのままでいたいと……」
「うんうん。かまわん構わん。まだ時間もあるしな……。ところで……殿下はこちらにお見えになるのかの」
そして師はぽつりと、辺りをぐるりと見ながら言う。
ダンジァも目を向けると、騎士に寄り添われている騏驥も増えているようだ。
他のどのレースでもこうなのか……それとも、このレースはシィンが騎乗するせいで、どの騎士もより一層やる気になっているのか……。
ダンジァは、前夜祭の宴に王が突然やって来たときの言葉を思い出していた。
『周りの者も振り回されて大変よの。しかも上手く負けてやらねばならぬとなれば——』
陛下はそんなふうに、言外に、他の騎士たちがわざと負けるのでは……というような言い方をしていた。
おそらく、遠回しにシィンを侮辱するために。
だがシィンが言い返したように、騎士たちの考えは王の想像とはむしろ逆なのではないかと思うのだ。
(その点が、陛下は騎士らしくないなとダンジァが思う理由の一つでもあるのだが、もちんそんな気持ちを抱いていることは秘密だ)
こんな大きな、しかも観客もいるような大会なのだ。
騎士ならば、シィンに配慮してわざと負けるのではなく、勝って自身の名を広く知らしめることを選ぶだろう。
自分は”あの”シィンに勝った、”あの”殿下に先着した騏驥に騎乗した騎士なのだ、と。
それは、ただの勝利や先着より、より箔が付くことだろう。
騎士ならそれを望まないわけがない。
(なのに陛下は……)
あのときのことを思い出したためか、憤るような悔しいような思いが込み上げそうになる。それを、ダンジァは慌てて飲み込んだ。
今は、そういうことを考えるときじゃない。
ダンジァは軽く頭を振り、気持ちを切り替えると、サイ師からの問いに
「わかりません」
と素直に答えた。
「でも、さっきは来てくださいました。様子を見に……」
「さっき?」
「はい。待機所に」
ダンジァは頷く。知らず知らずのうちに嬉しそうな——もしかしたら誇らしそうな顔をしていたのだろう。
師は「ほぅ」と驚いたように目を丸くして、次いで満足そうに「うんうん」と頷いた。
0
あなたにおすすめの小説
異世界の遊郭に拾われたオメガは、ただ一人に愛される
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
オメガであることでさんざんな目に遭ってきたオメガちゃん。
オメガである自分が大嫌い!
ある日事故に遭い、目が覚めたらそこは異世界。
何故か遊郭に拾われますが、そこはオメガだけが働くお店で戸惑う
ことばかり。
しかも、お客であるアルファ氏には毎日からかわれて?
【完結】竜を愛する悪役令嬢と、転生従者の謀りゴト
しゃもじ
BL
貴族の間で婚約破棄が流行し、歪みに歪んだサンドレア王国。
飛竜騎士団率いる悪役令嬢のもとに従者として転生した主人公グレイの目的は、前世で成し遂げられなかったゲームクリア=大陸統治を目指すこと、そして敬愛するメルロロッティ嬢の幸せを成就すること。
前世の記憶『予知』のもと、目的達成のためグレイは奔走するが、メルロロッティ嬢の婚約破棄後、少しずつ歴史は歪曲しグレイの予知からズレはじめる……
*主人公の股緩め、登場キャラ貞操観念低め、性癖尖り目、ピュア成分低めです。苦手な方はご注意ください。
*他サイト様にも投稿している作品です。
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
大嫌いなこの世界で
十時(如月皐)
BL
嫌いなもの。豪華な調度品、山のような美食、惜しげなく晒される媚態……そして、縋り甘えるしかできない弱さ。
豊かな国、ディーディアの王宮で働く凪は笑顔を見せることのない冷たい男だと言われていた。
昔は豊かな暮らしをしていて、傅かれる立場から傅く立場になったのが不満なのだろう、とか、
母親が王の寵妃となり、生まれた娘は王女として暮らしているのに、自分は使用人であるのが我慢ならないのだろうと人々は噂する。
そんな中、凪はひとつの事件に巻き込まれて……。
【完結】僕の大事な魔王様
綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。
「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」
魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。
俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/11……完結
2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位
2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位
2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位
2023/09/21……連載開始
イケメン俳優は万年モブ役者の鬼門です
はねビト
BL
演技力には自信があるけれど、地味な役者の羽月眞也は、2年前に共演して以来、大人気イケメン俳優になった東城湊斗に懐かれていた。
自分にはない『華』のある東城に対するコンプレックスを抱えるものの、どうにも東城からのお願いには弱くて……。
ワンコ系年下イケメン俳優×地味顔モブ俳優の芸能人BL。
外伝完結、続編連載中です。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる