まるで生まれる前から決まっていたかのように【本編完結・12/21番外完結】

桜以和果

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74 偶発(3)

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 その声に、シィンもはっとそちらを見る。
 するとそこには、ずっとずっとここに戻ってくるのを待っていた彼の騏驥の姿があった。

(ダン……!)

 シィンの胸が高鳴った。

 汗を流して着替えた彼は、レース後の疲労と神経の昂りがまだ余韻として残っているのか、どことなく気怠いような——それでいていつになく野性味のある、滅多に見ない風情だ。
 普段の彼の大人っぽく知的な様子に獣の気配が混じっているというか……雄の色香が際立っているというか。

 とにかくやけに艶かしく、目にした途端、シィンは鼓動が早まるとともに自身の背にぞく……と甘い震えが走ったのが分かった。
 圧倒的に強く、また端正な姿体を誇る雄々しい獣。
 彼の腕にきつく抱きしめられたときの眩暈がするような幸せな苦しさを、シィンはとてもよく知っている。その身体の重みも体温も香りも——口の中の熱さまで。

(…………っ……)

 人のいる場所で——それも特に親しい者たちだけというわけでもない公の場所で、しかも自身が主催の大会開催中のまだ明るいうちから不埒な記憶に浸ってしまい、シィンは慌てて頭を振ってその妄想を打ち壊す。

 そして改めてダンジァを見たが、彼はなんだか困っているような戸惑っているような……腰が引けているような様子だ。
 らしくもない。

 それにどうしてそんなところに突っ立っているのだ。
 早くこちらに来い。

 目が合ったにもかかわらずなぜか動こうとしないダンジァの様子に、微かに眉を寄せかけ——その直前、シィンは「ああ、そうか」と理解してツェンリェンに目を向けた。

 ……あっちに行け。

 視線で、彼に伝える。

 邪魔するな。

 しかしツェンリェンはそれに気づいていながら、動こうとしない。
 人の心の機微に敏感で、シィンに対しては特に気を回す彼にしては珍しいことだ。
 彼は、いまだ動こうとしないダンジァを見つめたまま微かに目を眇めると、やがて、改めてシィンを見つめてくる。

「……殿下」

 顔を寄せ、声を落として早口で言った。

「……なんだ。さっさとあっちに行け」

 同じように早口でシィンも応える。
 お前たちがいるからダンジァがこちらに来ないじゃないか——とは口に出さないものの、視線に込めて。
 と、ツェンリェンは存外真面目な声音で言った。

「行きます。ですが一つ。わたしたちが部屋を出た後には、きちんとあの騏驥に話をしておかれますよう」

「『話』? なんの話だ」

「わたしの連れのことです」

「??? なぜだ。彼には関係のないことだろう」

 言いながら、シィンはツェンリェンの「連れ」に目を移す。相変わらず扇で顔を隠したその姿は周囲を拒絶しているようでもあり、掴みどころがない。

「それに、”彼女”は自分のことを無闇矢鱈と話されたくないのではないか?」

「それは……」

 ツェンリェンが口籠る。
 二人の会話が聞こえているのかいないのかはわからないが、当の「連れ」からの声はない。
 その事実から、シィンはもう話は終わった、と判断すると、

「とにかくもう——いいからお前たちは早く出て行け!」

 慌ただしく二人の背を、肩を、腕を押し、一秒でも早くこの場から去らせようと試みる。ユェンが慌てたように道を開けるなか、早く早く早く——と、ほとんど追い立てるようにして二人を退かせると、シィンはふう、と息をついて改めてダンジァを見た。

 少し時間を経たからか——それとも見慣れたからなのか、その佇まいに先刻ほどの衝撃はない。が、ドキドキさせられることには変わりない。

 特別な、わたしの騏驥。

 シィンはダンジァを見つめる。

 が——。

 そこで微かな違和感を覚えた。
 なんとなく、彼の表情がいつもと違う気がしたのだ。レースの後だからではなく、なんとなく……浮かないような、もっと言えば苦しそうなそれ。

 それに、どうして彼はこちらに来ない?
 側に来ない?
 ユェンはいるにせよ、他にはもう誰もいなくなったというのに。

「……ダンジァ……?」

 何を気にしている?
 シィンは引っかかりつつも、とにかく側へ、と騏驥の名を呼ぶ。

 ダンジァは近づいてきたものの、その視線は彷徨い、シィンをしかと見つめることはなかった。

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