まるで生まれる前から決まっていたかのように【本編完結・12/21番外完結】

桜以和果

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75 身を焦がす

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「その光景」を目にした途端、頭の芯が焼き切れたように熱くなって、胸の奥が一気に澱んだ気がした。

 いかにも仲睦まじく、そして秘密めいた様子の二人。
 シィンと、あのわけあり風の美女……。
 二人はツェンリェンがいても、気にしていない様子で顔を寄せ合っている。
 周囲から切り離されたように。特別な二人のように。

 それだけでも足元がぐらつくようなショックで、ダンジァは近づくことも去ることもできない。しかも目を逸らすこともできないまま佇んでいると、直後、視線の先のシィンが楽しげに声を上げて笑った。
 その笑みに、声に、胸が軋む。気づかず食いしばった奥歯が嫌な音を立てる。

(嫌だ……)

 ここにいることが嫌だ。

 そう思った途端、

 ——どこかへ。

 どこかから声がした。
 耳のすぐ側。否、内側からだったかもしれない。けれどそんなことはどうでもよかった。

 どこかへ。
 ここではないどこかへ。
 彼らを見なくてすむどこかへ。
 どこかへ行かなければ。
 
 ダンジァは身体の中から湧いてくるかのような声に追い立てられるまま、急いでこの場を去ろうと試みる。
 どこかへ。
 どこかへ去るのだ。
 早く。早く早く。
 彼らを見ずに済むところへ。

 でないと——。

 しかし身体が、足がうまく動かない。
 刹那。

『もしかしたら、殿下の花嫁探しを兼ねてるんじゃ——なんて噂されたりもしてるしね』

 立ち竦むままのダンジァに、恐れていたことが起こる。
 ユェンの声が、どこからともなく蘇ってくる。
 その途端、一度は抑えつけたはずの気持ちが、一度は振り払ったはずの、見ないようにしたはずの気持ちが、しぶとく息を吹き返したように次々と飛び出してくる。
 先刻よりもなお鋭利な棘を持って。

 それは、全く無防備だったダンジァの心をズタズタに切り裂き、切り刻み、苛んでいく。

(どこかへ、行かないと……)

 じくじく疼く胸の痛みを堪えながら、ダンジァは譫言のように繰り返す。
 
 早くここから逃げないと。
 
 こんな自分を見られたくない。
 こんな自分に気づかれたくない。その前に。早く——早く。

 しかし頭の中のそんな焦燥をよそに、身体は全く動かない。指ひとつまともに動いていないのではないだろうか。自分の自由になるものが何もない。

(どうして)

 さっきまではあんなに——さっきはあんなに走れていたのに。
 誰を恐れることもなく、何を恐れることもなく。シィンと共にならばなんでもできるとさえ思っていたのに——。
 今は自分がどんな顔をしているのかさえわからない。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう?
 さっきまではあんなに幸せで、達成感と充実感に満ちていて……。

 それでも辛うじて視線を引き剥がし、せめて顔を背けようとした、その寸前。
 
「——ダンジァ」

 不意に名が呼ばれた。
 ——呼ばれてしまった。

 気づかれてしまった。

 ツェンリェンだ。

 恐る恐る目を向け直す。と、彼はこちらに向けていた笑みを、ふ、と訝しそうな表情に変える。
 その変化に、ダンジァは背中が冷たくなる想いだった。

 自分は、今、一体どんな顔をしているのか。
 
 シィンとその傍の女性の親しげな様子を目の当たりにして、どんな。

 なんとか表情を取り繕おうとするが、上手くいっているとは思えない。
 できるなら今からでも逃げ出したいものを、もちろんそんなことはできず、むしろツェンリェンの声でダンジァの存在に気づいたらしいシィンがばっと勢いよくこちらを見る。

 目が合って——けれどダンジァは思わず自らのそれを逸らしてしまった。

 シィンの、キラキラとした瞳。それはこの世に二つとないほど美しく、それこそ、その名の通り星のようにいつも輝いている。
 その目に見つめられることが嬉しかった。誇らしかった。喜びだった。
 今までは。さっきまでは。

 けれど今は、その澄んだ瞳に自分がどう映っているのかを想像すると怖くてたまらない。
 しかもその双眸は、ついさっき、そこにいるその女性を見つめていたのではないのか。扇の陰で。隠れるように二人して。

(——だめだ)

 ダンジァは、自分の思考が昏く濁っていくことに恐れを覚えた。
 
 シィンが誰を見ようが何をしようが関係ないはずなのだ。
 百歩譲って自分に騎乗しているときならともかく、そうではない彼がここで何をしていようが騏驥の自分には関係ないはずなのだ。
 なのに自分は、彼の行動を「嫌だ」と思ってしまっている。

 なぜそんなことを。どうして自分ではない相手を。
 ——そんなふうに。

 ここは、彼が自分のためにわざわざ会いにきてくれた特別な場所のはずだったのに……。
 ——そんなふうに。


 ツェンリェンとやりとりしているシィンを見ながら、ダンジァは回らない頭で思う。

 今の自分が抱いている感情は嫉妬だ。そして悲しみ。どちらも、騏驥には相応しくないものだ。いや——違う。
 騏驥だって嫉妬はする。王の騏驥がダンジァにそれを向けてきたように。ダンジァの周囲にいた騏驥たちが、騎士を取り合って喧嘩していたように。
 けれど彼らと自分が違うのは、自分の方がより愚かだということだ。
 自分は騏驥の立場を弁えておらず、だから嫉妬がいっそう恥ずかしくてみっともなくて、気持ちの持って行き場がない。
 
 彼に感謝を伝えるつもりだった。
 言葉で、声で、表情で、自分の全部で。
 あなたに乗ってもらえて幸せです、と、周囲から褒められるこの結果を出せたのはあなたのおかげなのです、と。
 彼に会えたなら、感謝を伝えるつもりだったのだ。

 それなのに。
 それなのに、今は——。


 その人は誰ですか?
 あなたにとってどんな人なのですか?
 さっきは二人で何を?


 今、胸の中に浮かんでくるのはそんな言葉ばかりだ。
 まるで騎士であり王子である彼を問いつめようとするかのような、分不相応な言葉。
 自らの下衆さにダンジァは大きく顔を顰める。

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