まるで生まれる前から決まっていたかのように【本編完結・12/21番外完結】

桜以和果

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104 うつつの悪夢

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 また夢だ。
 シィンは夢だとわかる夢の中で、ため息をついた。

 どうして自分は夢ばかり見ているのだろう?
 眠っていたいわけじゃないのに。

 できるなら自分はもっともっと——そう、いろんなものを見てみたい。
 いろいろなところへ行って、いろいろなものを見てみたい。この国の端から端まで。この世界の端から端まで。
 ——騏驥とともに。
 大切な、一番の騏驥とともに。



 そんな風に、昔、夢を——未来を語ったことがあった。
 今よりも、もう少し昔。あれは花が美しい季節だった。
 友人と呼べる親しいものたち過ごした、他愛のない、けれど大切なひととき。
 彼らは、シィンの言葉を聞くと、「それならば」と、にこにこしながら言ったのだ。

 
『——ではわたしは、副官として殿下を陰ながらお手伝いいたしましょう。騎士としての力量は人並みですが、幸いにして物事をあれこれと考える能力には恵まれたようです。どうぞ殿下——今後はわたしをうまくお使いくださいませ』


『ではわたしは、騏驥の調教師として殿下にお仕え致しましょう。若輩の身ではありますが、幼き頃より父の仕事を見て参りました。さらには殿下と乗馬の腕を競ってきた仲。技量もお好みも承知いたしております。父から引き継いだ技能と知識で、いずれは殿下のための騏驥を献上致しましょう』


『ではわたしは、近衛の騎士としてお側に控えましょう。これより先、殿下の歩む先に困難ありし折には、どうぞご存分にわたしを剣や盾になさいませ。ですが、くれぐれもご無理はなさいませんよう。これは、剣術の兄弟子からの忠告です』


 誰も皆、声は優しく弾み、頬は興奮に染まり、瞳は輝きに満ちていた。
 色とりどりの花、伸びやかな草の香り、吹き抜けていく爽やかな風。
 ささやかで、けれど確かにあった幸せな時間。
 






「ぅ…………」


 夢は、自身の微かな呻きとともに静かに引いていった。
 幕が下ろされた、と言うよりも幕が上がった、という印象が胸をよぎったのは何故だろう。
 新たな幕が上がったような……。
 ——最後の幕が上がったような。

 シィンはまだしかと覚醒できないまま、しかしその身体には間違いなく感じられる冷気に、ブルリと身を震わせた。

 寒い。
 寒い……?

「え……」

 どうして? と、混乱していると、

「お目覚めですか」

 頭上から声がした。
 頭上。
 そう、シィンは横になっていたのだ。
 寝巻きのような薄い単衣に、毛布ひとつ。そんな心許ない格好で横になっているのは……石畳の上だ。いや、石の床。冷たいそこに、一体自分はどうして。
 ここは外? 室内なのか?

 しかも——そんなシィンを見下ろしているのは……。

「ツォ……? どういうことだ……どうしてわたしは……」

 ここに?

 何が起こっているのかわからない。
 目を瞬かせながら、ゆるゆると上体を起こすシィンに、ツォはにっこりと微笑んで言った。
 
「ここは練楼観です」

 練楼観。
 それは、馬や騏驥の調教場に面すように立てられており、そこに上れば調教の様子を一望できる高楼だ。
 調教師は、調教の際、一頭一頭を間近で見てその様子を確かめる時もあれば、ここに上って、敢えて少し離れて——俯瞰する形で馬や騏驥の動きを見ることもある。
 
 魔術師たちのいる『塔』のような、天をつくほどの高さを誇るわけではないものの、威厳のあるその姿は、この国にとって騏驥がどれほど大事か——その調教がどれほど大事かを、周囲に知らしめるものだ。

 だが……。

 随分と殺風景だ。
 シィンの知っている練楼観とは違っている。
 というか……ぽつりぽつりと置かれている調度……のようなものは古く、あちこちが壊れ、すでに朽ちてしばらく経った様子だ。壁も天井も崩れているのではないだろうか。
 
 ——廃墟。

 そんな言葉が頭を過ぎる。

(なぜ……)

 自分がこんなところに。
 自分とツォがこんなところに?

 寒さに震え、胸の前で毛布を掻き合わせながらシィンが考えていると、そんなシィンの考えを察したように、「ええ」とツォが頷いた。

「練楼観ですが、今は使っていません。元・練楼観と言った方が正しいですね。ほとんどが崩れてしまって……今や高さは三階分ほど……でしょうか。とてもではありませんが、調教場が見渡せるというほどではありません。楼観とは名ばかりです。もっとも、馬場もずっと使われていないせいで、もう荒れ放題で……以前の面影はありませんが……」

「…………」

「でも、ここには見覚えがあるでしょう? 父が健在だった頃によく来ていたところです」

 その言葉に、シィンはぐるりとあたりを見回す。確かに、子供の頃にはよく調教を見るために練楼観を訪れていたし、言われてみれば見覚えがある……ような気もする。
 だが、子供の頃に訪れていたのは早朝。今は夜で、月明かりも雲に途切れがちで明るいとは言い難い。ポツポツと置かれた発光石の周りは様子がわかるものの、全容は伺えない。
 そもそも、昔すぎて記憶も曖昧だ。

 それより——どうして自分がここに。

 ようやくはっきりとした意識では——シィンの記憶が正しければ、確か自分は医館にいたはずだ。医師や薬師たちに囲まれていた。
 浅く覚醒しては、また沈む意識の中、彼らの治療を急ぐ声が聞こえていた。
 頭が重く、息をするのも辛く、全身が重たく感じられる中、解毒のために、何度か薬を飲むことになって……。
 
 なのにどうして自分はこんなところに?
 彼がここへ連れてきたのだろうか。

 それにしても——寒い。

「なぜ……」

 短いその言葉を言うだけでも、歯が、舌が、唇が、全身が寒気に震える。
 それでも尋ねずにはいられず、シィンは目の前のツォに問う。
 ツォは静かにシィンの前にしゃがみ込んでくると、目を細める。間近から微笑んで言った。 

「思い出の場所だからです。初めてお会いした思い出の場所ですから——殿下の最期を見届けるのに相応しい場所かと思いまして」

 穏やかな笑み、穏やかな声。
 だからシィンは、これも夢なのではないかと思った。


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