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最終章
最終話
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今、この屋敷にいる全員が、ロビーに集められた。
ロビーは緊張感を放っている。高い壁には、大小様々な時計が所狭しと並び、そのどれもが一風変わったデザインをしている。古びた木製の振り子時計は、まるで人の目のように不気味に揺れ動き、金属製の歯車が露出した機械式時計は、まるで生き物の血管のようだ。中央には、巨大なグランドファーザークロックが鎮座しており、その文字盤には不気味な顔が彫り込まれている。目の部分が時折動き、まるでこちらを見つめているかのようだ。壁の一角には、ガラスケースに収められたアンティークの懐中時計が並び、その中には、蜘蛛の巣が張り巡らされたものもある。
ロビー全体に漂うのは、古びた木材と金属の混ざり合った独特の匂い。時計の針が刻む音が不気味に響き渡る。時折、どこからともなく聞こえるかすかな笑い声や、足音のような音が、訪れる者の背筋を凍らせる。
この豪邸のロビーは、まるで時間そのものが狂ってしまったかのような異様な空間であり、その不気味な雰囲気が、訪れる者に一抹の恐怖を与えるのだった。
此処に来た時も通ったが、水樹は、その時から居心地の良さを感じられなかった。ましてや今は、壁一面に掛けられた無数の時計の圧迫感を、特に感じる。
「あの女探偵を殺害した犯人が、分かっただと?」
一条の声が、時計の音を掻き消すほどの声で響き渡った。水樹は小さく深呼吸し、杖で床を軽く叩いて、言葉を紡ぎ出す。
「――はい。明美子さんを殺害した犯人だけでなく、廣二さんを殺害した犯人も」
「廣二? ……嗚呼、女探偵の変態めいたファンの男か」
一条は、退官後もなお太い腕を組んで、顎を上げて水樹を見下ろすように言った。
「あの廣二って男は、女探偵を殺害したあと、自らドライヤーで感電死した。つまり、無理心中だな。丁度、直前に、ファンなら聞きたくないような話を、そっちの記者のお嬢ちゃんから聞いちゃったからよ」
「わ、わわ、私のせいですか。ごめんなさい!」
三千が首を竦める。水樹が見ていて、可哀想になる怯えっぷりだ。二人の間に立っている旭が小さく挙手した。
「誰のせいというならば、全て殺人を犯した人が悪い訳ですから。まぁ、水樹さんのお話を聞きましょう」
こうして水樹は、今一度、先ほど明美子の部屋で理人に解説して聞かせたような推理を、語って皆に聞かせた。やがて、話が一段落すると、杖で床をこんこんと突いて、
「――明美子さんを殺害した犯人は、廣二さんで間違いありません」
と、まとめた。
「でも、廣二さんは、亡くなってますよね」
旭が挙手してから、意見を静かに述べる。
「廣二さんが明美子さんを殺害したなら、もう明美子さんの部屋には、廣二さんを殺害できる人間はいなかったことになりませんか?」
「ええ、後からやって来たんです」
水樹が言うと、辺りは水を打ったように静かになった。水樹は、視線を一度床に落としてから、もう一度上げて、其処に立っている一人の人物を、じっと見つめた。
「――……そうですよね? 綺羽さん」
綺羽は、じっと胸に両手を当てたまま、眉一つ動かさなかった。
「はい。水樹様のおっしゃるとおりです。私が、廣二様を殺害しました」
綺羽は、一切顔色を変えず、そう頭を下げた。
「明美子様をお呼びしにお部屋へ伺った時、既に明美子様は、磔にされていました。浴室から音がして、其処に犯人がいるのかもしれないと思い、近づくと、ちょうど廣二様が返り血を、シャワーで落としているところだったのです」
「それを突き飛ばしたのですね?」
「ええ」
水樹の問いにも、平然としている。
「襲い掛かって来られましたから。それを突き飛ばしたところ、浴槽の中に尻もちをつくようにして、すっぽりと嵌られてしまいました。頭を打ったのか動かなくもなられて。ですから、浴槽にドライヤーを放り込んで、とどめを刺しました」
犯人である綺羽が冷静なのに、三千の方が全身をぶるぶると震わせ、一歩ずつ後ろに下がっている。
「こ、こ、廣二さんは、あ、頭を打った段階で、動かなくなっていたのではないんですか? その時点で、私たちに相談してくだされば……」
「……ああ、それもそうでしたね。私の頭ではとても、思いつきませんでした。明美子様の御遺体を目の当たりにした直後、廣二様に襲い掛かられたものですから、混乱しておりましたし。申し訳ございません」
綺羽が、あたかも正当防衛であったかのように話を締めくくろうとした時、理人が静かに口を開いた。
「――本当にそうだったのでしょうか? 綺羽さん、どうか、貴女の愛を、此処で堂々と照明なさってください」
理人が胸に手を当てて熱心に言うと、綺羽はぴくりと眉を動かした。しかし、その後は俯いてじっと口を真一文字に結んでいる。しかし、理人は諦めなかった。
「答えてください、綺羽さん。貴女のその、身を焦がすような思いが、なかったことになってしまいます」
「身を焦がすような思い?」
旭が一瞬首を傾げ、それからハッとなったように声を上げた。
「まさか、綺羽さんは、廣二さんのことを……? それで、廣二さんが狂おしいくらいに明美子さんを愛しているところを見てしまって、命を奪ってしまった。だから、正当防衛ではないということですか?」
しかし、理人は首を横に振る。それから、綺羽に向き直って、
「綺羽さん、教えてください。貴女は、愛するVincent Horologeさんの、命を削って作った時計と名誉を守るために、廣二さんを殺害したのですよね」
旭をはじめ、「探偵社アネモネ」以外の人たちが、ざわめいた。
理人は、かつて女性から性的な暴行を受けた過去がある。それから異性関係については、他人に対しても非常に敏感になったのだと、実際その考えが正しいのかは別として、彼自身は水樹にそう語っていたことがある。
綺羽だけが、ここでようやく静かに目を上げた。
「――ええ。理人様には全てお分かりなのですね」
その言葉に、更に長い、数十秒から数分、全員が止まる時間があった。
「えっ、だ、だって」
口火を切ったのは、三千である。おどおどし、声が震えつつも、言わずにはいられないというような早口だった。
「だって、年齢差が……」
綺羽は、今どう見積もっても二十代である。一方、Vincent Horologeは、十年も前に七十代で亡くなっている。二人で愛を語らったとすれば、当時、綺羽は十代だ。しかし、綺羽は涼しい顔だ。
「はい。私が、このお屋敷で働き始めたころ、私はまだ十六歳でした。今から十五年ほど前の時です。ですが、年齢に差があるということに何か問題がありますか?」
ずっと表情を変えないまま、綺羽は三千をじっと見た。三千の方が気圧されて背を丸めて黙ってしまった。
そのまま、綺羽は背筋を伸ばし、理人に向き直って、話を続けた。
「私は、Vincent Horologeを愛しておりました。Vincent Horologeは、極めて紳士的で常識的であり、更にユーモラスな最高の殿方です、勿論、Vincent Horologe自身も、ご指摘にあったように年齢が私と離れていることを、とても、とても気にしておりましたから、私を本当に大事にしてくれました。彼が亡くなってから……私は……文字通り三日三晩泣き続けました。其処から立ち上がった時、私が、彼の大事だったもの――この屋敷と、彼がやりたかったミステリー会、その他全てを守り続けていくと覚悟したのです」
綺羽が、今まで見たこともないほど、表情こそないものの、情熱的なはっきりとした声で語っているので、事実なのだろうということは水樹にも分かった。理人が深く頷き、そして、瞳に、悲しみと儚い美しさを宿す。
「だから、綺羽さんは、今まで、ミステリー会に参加した方々を、殺害してきたのですね。Vincent Horologeの時計を受け取るにふさわしい方が現れるまで」
「ええ、理人様のおっしゃるとおりです」
「なんだと!?」
理人の確信を突いた言葉に、今度は皆がざわつき始めた。特に一条は前に出て、綺羽を指さして喚き散らす。
「ミステリー会を何度も開いているのに、時計が全部残っていたのは、お前が参加者を殺してたからなのか!?」
「一条様、私は先程から、そう申し上げております」
「どうせ、何だかんだ理由をこねくり回して、誰も相応しい人間はいないとか難癖つけて、時計は譲らないつもりなんだろう? 人を殺すくらいなら、ミステリー会なんて開くな!」
「いいえ。それはできません。ミステリー会を開くことは、Vincent Horologeのたっての希望です。私は、彼の願いを全て叶えなければならないのですから」
「謎の内容が簡単すぎたたこと。これが気になりました」
水樹が口を開くと、綺羽はちゃんと胸元に手をやって、水樹を見てくれる。律儀な人である。
「Vincent Horologeさんは、時計を譲る相手を探していた。だから、いつか誰かが解けるレベルの謎にしておいたのでしょう。今まで十年、何度もこの会を開催していたのに、一人も解けていないのは妙です」
「誰かが、意図的に、挑戦者を排除していなければ、ですね」
水樹の言葉を先取りするように言うと、綺羽は、傍にあった古い机を、ピアノを引くように撫でた。
「廣二さんにおかれましては、完全に色恋を目的としており、その行動はミステリー会に相応しくありませんでした。明美子さんは、時計を手に入れて売りさばき、私腹を肥やすつもりでいらっしゃいました。何方も、彼が命を削って作った時計に相応しくない」
そして、机の下に手を入れた。水樹は其処で気づいた。
「危ない! 皆さん、逃げてください!」
水樹が叫ぶと同時に、目の前を鈍色の刃がかすめた。杖で受ける。少しならば、杖がなくても立っていられる。
綺羽の目が、刃の向こうにあった。机の下に隠した短刀を持って、立ち向かってきたのだ。
「水樹様、大変申し訳ございませんが、私はこれからもずっと、この屋敷と彼の意思を守らなければなりません。ですので、皆様には此処で死んでいただきます。頭がよろしいのが、運の尽きでしたね」
綺羽の手首の筋肉が動き、段々と力が入っているのが分かった。
その時だ。
陽希が、綺羽の刃を、手で払った。
綺羽は諦めずに、今度は水樹ではなく陽希に刃を向ける。陽希は髪をあんず色に輝かせ、シャムネコのように俊敏な動きで相手の攻撃をかわしていた。耳にぶらさがるピアスが揺れ、戦いの激しさを物語っている。突如として武器を持って攻撃してきた綺羽に対し、陽希は素手で立ち向かう。
相手の刃が空を切るたびに、陽希は軽やかに身を翻し、まるで舞うように動く。その動きは一瞬の隙もなく、相手の攻撃をことごとくかわしていく。相手が一撃を繰り出すたびに、陽希はその腕を掴み、巧みに反撃を試みる。
激しい攻防が続く中、どちらも一歩も引かず、互いの技を尽くして戦い続ける。汗が飛び散り、息が荒くなるが、陽希の目には決して諦めの色は見えない。彼の動きはますます鋭く、相手の攻撃をかわしながらも、反撃の機会を狙っている。
「もう、やめてください」
理人の悲痛な声に、ようやく、二人が距離を取って動かなくなった。陽希は息を整えながら、綺羽を見据え、静かに立ち上がる。綺羽も、武器を下ろした。
理人は真っ赤にした目で綺羽を見上げた。
「そんなこと、Vincent Horologeさんは望んでいません」
「……お言葉ですが、彼の気持ちが、理人様に分かるはずはありません」
そう問いかける綺羽にはずっと表情がない。しかし、理人は、普段の優しい口調から一変し、厳しい口調で断定した。
「いいえ。分かります。根拠もあります……それは、ミステリー会です。時計を譲るだけなら、正直、謎を解かせるなんて回りくどいことをする必要はありません。他の、もっと簡単な方法が幾らでもある。こんな手間をかけた理由は一つ。この屋敷に残った綺羽さんを、一人ぼっちにさせないためです」
其処で初めて、綺羽の目が見開かれた。口も僅かに開いたまま、動けなくなった。理人は言葉を重ねる。
「時間のかかるミステリー会という形で、あの素晴らしい時計を賭ければ、この屋敷に人が途絶えることはない。そう考えたとしか思えません。彼は、自分の死後、綺羽さんに、たくさんの人に囲まれて暮らして欲しかったのですよ」
がしゃん、という音がして、水樹も陽希も身を竦めたが、綺羽の手から、短刀が落ちて床に跳ねた音だった。
「――……彼の愛を、私は――」
綺羽は、そう呟いたきり、俯き、瞬きも忘れてじっと立ちすくむのだった。
誰も動くことすら憚られ、そこには時計の針の音が、重く響いていた。
***
二〇二七年一月二十四日、午後五時。警察を屋敷に呼び、綺羽を無事に引き渡して、水樹たち「探偵社アネモネ」のメンバーはタントに乗り込んだ。
あれから、綺羽は喋ることも表情を崩すこともなく、大人しいものだった。他の参加者たちも、当たり障りのない会話に終始し、解散した。小雪が舞い始めた車外に目を向けて、水樹は運転手の理人に声を投げる。
「運転、気を付けてくださいね」
「お任せください。無論、車に雪対策は完全にしてありますし、安全運転で参ります」
頼もしい理人に、水樹とは正反対の位置の窓の枠に頬杖をついた陽希が、ぼんやりと問いかける。
「理人ちゃーん。あんなにも愛して、愛して、死んだあとまで愛した人の、与えてくれた愛を見誤るなんて、あり得ると思う?」
理人は極めて慎重にハンドルを切りながら答えた。
「与えるばかりに夢中になって、与えられた気になって、与えてくれたものには気づかなくなる。それが愛なのですよ」
雪は少しずつ、灰色の路面を白く染め上げていった。
ロビーは緊張感を放っている。高い壁には、大小様々な時計が所狭しと並び、そのどれもが一風変わったデザインをしている。古びた木製の振り子時計は、まるで人の目のように不気味に揺れ動き、金属製の歯車が露出した機械式時計は、まるで生き物の血管のようだ。中央には、巨大なグランドファーザークロックが鎮座しており、その文字盤には不気味な顔が彫り込まれている。目の部分が時折動き、まるでこちらを見つめているかのようだ。壁の一角には、ガラスケースに収められたアンティークの懐中時計が並び、その中には、蜘蛛の巣が張り巡らされたものもある。
ロビー全体に漂うのは、古びた木材と金属の混ざり合った独特の匂い。時計の針が刻む音が不気味に響き渡る。時折、どこからともなく聞こえるかすかな笑い声や、足音のような音が、訪れる者の背筋を凍らせる。
この豪邸のロビーは、まるで時間そのものが狂ってしまったかのような異様な空間であり、その不気味な雰囲気が、訪れる者に一抹の恐怖を与えるのだった。
此処に来た時も通ったが、水樹は、その時から居心地の良さを感じられなかった。ましてや今は、壁一面に掛けられた無数の時計の圧迫感を、特に感じる。
「あの女探偵を殺害した犯人が、分かっただと?」
一条の声が、時計の音を掻き消すほどの声で響き渡った。水樹は小さく深呼吸し、杖で床を軽く叩いて、言葉を紡ぎ出す。
「――はい。明美子さんを殺害した犯人だけでなく、廣二さんを殺害した犯人も」
「廣二? ……嗚呼、女探偵の変態めいたファンの男か」
一条は、退官後もなお太い腕を組んで、顎を上げて水樹を見下ろすように言った。
「あの廣二って男は、女探偵を殺害したあと、自らドライヤーで感電死した。つまり、無理心中だな。丁度、直前に、ファンなら聞きたくないような話を、そっちの記者のお嬢ちゃんから聞いちゃったからよ」
「わ、わわ、私のせいですか。ごめんなさい!」
三千が首を竦める。水樹が見ていて、可哀想になる怯えっぷりだ。二人の間に立っている旭が小さく挙手した。
「誰のせいというならば、全て殺人を犯した人が悪い訳ですから。まぁ、水樹さんのお話を聞きましょう」
こうして水樹は、今一度、先ほど明美子の部屋で理人に解説して聞かせたような推理を、語って皆に聞かせた。やがて、話が一段落すると、杖で床をこんこんと突いて、
「――明美子さんを殺害した犯人は、廣二さんで間違いありません」
と、まとめた。
「でも、廣二さんは、亡くなってますよね」
旭が挙手してから、意見を静かに述べる。
「廣二さんが明美子さんを殺害したなら、もう明美子さんの部屋には、廣二さんを殺害できる人間はいなかったことになりませんか?」
「ええ、後からやって来たんです」
水樹が言うと、辺りは水を打ったように静かになった。水樹は、視線を一度床に落としてから、もう一度上げて、其処に立っている一人の人物を、じっと見つめた。
「――……そうですよね? 綺羽さん」
綺羽は、じっと胸に両手を当てたまま、眉一つ動かさなかった。
「はい。水樹様のおっしゃるとおりです。私が、廣二様を殺害しました」
綺羽は、一切顔色を変えず、そう頭を下げた。
「明美子様をお呼びしにお部屋へ伺った時、既に明美子様は、磔にされていました。浴室から音がして、其処に犯人がいるのかもしれないと思い、近づくと、ちょうど廣二様が返り血を、シャワーで落としているところだったのです」
「それを突き飛ばしたのですね?」
「ええ」
水樹の問いにも、平然としている。
「襲い掛かって来られましたから。それを突き飛ばしたところ、浴槽の中に尻もちをつくようにして、すっぽりと嵌られてしまいました。頭を打ったのか動かなくもなられて。ですから、浴槽にドライヤーを放り込んで、とどめを刺しました」
犯人である綺羽が冷静なのに、三千の方が全身をぶるぶると震わせ、一歩ずつ後ろに下がっている。
「こ、こ、廣二さんは、あ、頭を打った段階で、動かなくなっていたのではないんですか? その時点で、私たちに相談してくだされば……」
「……ああ、それもそうでしたね。私の頭ではとても、思いつきませんでした。明美子様の御遺体を目の当たりにした直後、廣二様に襲い掛かられたものですから、混乱しておりましたし。申し訳ございません」
綺羽が、あたかも正当防衛であったかのように話を締めくくろうとした時、理人が静かに口を開いた。
「――本当にそうだったのでしょうか? 綺羽さん、どうか、貴女の愛を、此処で堂々と照明なさってください」
理人が胸に手を当てて熱心に言うと、綺羽はぴくりと眉を動かした。しかし、その後は俯いてじっと口を真一文字に結んでいる。しかし、理人は諦めなかった。
「答えてください、綺羽さん。貴女のその、身を焦がすような思いが、なかったことになってしまいます」
「身を焦がすような思い?」
旭が一瞬首を傾げ、それからハッとなったように声を上げた。
「まさか、綺羽さんは、廣二さんのことを……? それで、廣二さんが狂おしいくらいに明美子さんを愛しているところを見てしまって、命を奪ってしまった。だから、正当防衛ではないということですか?」
しかし、理人は首を横に振る。それから、綺羽に向き直って、
「綺羽さん、教えてください。貴女は、愛するVincent Horologeさんの、命を削って作った時計と名誉を守るために、廣二さんを殺害したのですよね」
旭をはじめ、「探偵社アネモネ」以外の人たちが、ざわめいた。
理人は、かつて女性から性的な暴行を受けた過去がある。それから異性関係については、他人に対しても非常に敏感になったのだと、実際その考えが正しいのかは別として、彼自身は水樹にそう語っていたことがある。
綺羽だけが、ここでようやく静かに目を上げた。
「――ええ。理人様には全てお分かりなのですね」
その言葉に、更に長い、数十秒から数分、全員が止まる時間があった。
「えっ、だ、だって」
口火を切ったのは、三千である。おどおどし、声が震えつつも、言わずにはいられないというような早口だった。
「だって、年齢差が……」
綺羽は、今どう見積もっても二十代である。一方、Vincent Horologeは、十年も前に七十代で亡くなっている。二人で愛を語らったとすれば、当時、綺羽は十代だ。しかし、綺羽は涼しい顔だ。
「はい。私が、このお屋敷で働き始めたころ、私はまだ十六歳でした。今から十五年ほど前の時です。ですが、年齢に差があるということに何か問題がありますか?」
ずっと表情を変えないまま、綺羽は三千をじっと見た。三千の方が気圧されて背を丸めて黙ってしまった。
そのまま、綺羽は背筋を伸ばし、理人に向き直って、話を続けた。
「私は、Vincent Horologeを愛しておりました。Vincent Horologeは、極めて紳士的で常識的であり、更にユーモラスな最高の殿方です、勿論、Vincent Horologe自身も、ご指摘にあったように年齢が私と離れていることを、とても、とても気にしておりましたから、私を本当に大事にしてくれました。彼が亡くなってから……私は……文字通り三日三晩泣き続けました。其処から立ち上がった時、私が、彼の大事だったもの――この屋敷と、彼がやりたかったミステリー会、その他全てを守り続けていくと覚悟したのです」
綺羽が、今まで見たこともないほど、表情こそないものの、情熱的なはっきりとした声で語っているので、事実なのだろうということは水樹にも分かった。理人が深く頷き、そして、瞳に、悲しみと儚い美しさを宿す。
「だから、綺羽さんは、今まで、ミステリー会に参加した方々を、殺害してきたのですね。Vincent Horologeの時計を受け取るにふさわしい方が現れるまで」
「ええ、理人様のおっしゃるとおりです」
「なんだと!?」
理人の確信を突いた言葉に、今度は皆がざわつき始めた。特に一条は前に出て、綺羽を指さして喚き散らす。
「ミステリー会を何度も開いているのに、時計が全部残っていたのは、お前が参加者を殺してたからなのか!?」
「一条様、私は先程から、そう申し上げております」
「どうせ、何だかんだ理由をこねくり回して、誰も相応しい人間はいないとか難癖つけて、時計は譲らないつもりなんだろう? 人を殺すくらいなら、ミステリー会なんて開くな!」
「いいえ。それはできません。ミステリー会を開くことは、Vincent Horologeのたっての希望です。私は、彼の願いを全て叶えなければならないのですから」
「謎の内容が簡単すぎたたこと。これが気になりました」
水樹が口を開くと、綺羽はちゃんと胸元に手をやって、水樹を見てくれる。律儀な人である。
「Vincent Horologeさんは、時計を譲る相手を探していた。だから、いつか誰かが解けるレベルの謎にしておいたのでしょう。今まで十年、何度もこの会を開催していたのに、一人も解けていないのは妙です」
「誰かが、意図的に、挑戦者を排除していなければ、ですね」
水樹の言葉を先取りするように言うと、綺羽は、傍にあった古い机を、ピアノを引くように撫でた。
「廣二さんにおかれましては、完全に色恋を目的としており、その行動はミステリー会に相応しくありませんでした。明美子さんは、時計を手に入れて売りさばき、私腹を肥やすつもりでいらっしゃいました。何方も、彼が命を削って作った時計に相応しくない」
そして、机の下に手を入れた。水樹は其処で気づいた。
「危ない! 皆さん、逃げてください!」
水樹が叫ぶと同時に、目の前を鈍色の刃がかすめた。杖で受ける。少しならば、杖がなくても立っていられる。
綺羽の目が、刃の向こうにあった。机の下に隠した短刀を持って、立ち向かってきたのだ。
「水樹様、大変申し訳ございませんが、私はこれからもずっと、この屋敷と彼の意思を守らなければなりません。ですので、皆様には此処で死んでいただきます。頭がよろしいのが、運の尽きでしたね」
綺羽の手首の筋肉が動き、段々と力が入っているのが分かった。
その時だ。
陽希が、綺羽の刃を、手で払った。
綺羽は諦めずに、今度は水樹ではなく陽希に刃を向ける。陽希は髪をあんず色に輝かせ、シャムネコのように俊敏な動きで相手の攻撃をかわしていた。耳にぶらさがるピアスが揺れ、戦いの激しさを物語っている。突如として武器を持って攻撃してきた綺羽に対し、陽希は素手で立ち向かう。
相手の刃が空を切るたびに、陽希は軽やかに身を翻し、まるで舞うように動く。その動きは一瞬の隙もなく、相手の攻撃をことごとくかわしていく。相手が一撃を繰り出すたびに、陽希はその腕を掴み、巧みに反撃を試みる。
激しい攻防が続く中、どちらも一歩も引かず、互いの技を尽くして戦い続ける。汗が飛び散り、息が荒くなるが、陽希の目には決して諦めの色は見えない。彼の動きはますます鋭く、相手の攻撃をかわしながらも、反撃の機会を狙っている。
「もう、やめてください」
理人の悲痛な声に、ようやく、二人が距離を取って動かなくなった。陽希は息を整えながら、綺羽を見据え、静かに立ち上がる。綺羽も、武器を下ろした。
理人は真っ赤にした目で綺羽を見上げた。
「そんなこと、Vincent Horologeさんは望んでいません」
「……お言葉ですが、彼の気持ちが、理人様に分かるはずはありません」
そう問いかける綺羽にはずっと表情がない。しかし、理人は、普段の優しい口調から一変し、厳しい口調で断定した。
「いいえ。分かります。根拠もあります……それは、ミステリー会です。時計を譲るだけなら、正直、謎を解かせるなんて回りくどいことをする必要はありません。他の、もっと簡単な方法が幾らでもある。こんな手間をかけた理由は一つ。この屋敷に残った綺羽さんを、一人ぼっちにさせないためです」
其処で初めて、綺羽の目が見開かれた。口も僅かに開いたまま、動けなくなった。理人は言葉を重ねる。
「時間のかかるミステリー会という形で、あの素晴らしい時計を賭ければ、この屋敷に人が途絶えることはない。そう考えたとしか思えません。彼は、自分の死後、綺羽さんに、たくさんの人に囲まれて暮らして欲しかったのですよ」
がしゃん、という音がして、水樹も陽希も身を竦めたが、綺羽の手から、短刀が落ちて床に跳ねた音だった。
「――……彼の愛を、私は――」
綺羽は、そう呟いたきり、俯き、瞬きも忘れてじっと立ちすくむのだった。
誰も動くことすら憚られ、そこには時計の針の音が、重く響いていた。
***
二〇二七年一月二十四日、午後五時。警察を屋敷に呼び、綺羽を無事に引き渡して、水樹たち「探偵社アネモネ」のメンバーはタントに乗り込んだ。
あれから、綺羽は喋ることも表情を崩すこともなく、大人しいものだった。他の参加者たちも、当たり障りのない会話に終始し、解散した。小雪が舞い始めた車外に目を向けて、水樹は運転手の理人に声を投げる。
「運転、気を付けてくださいね」
「お任せください。無論、車に雪対策は完全にしてありますし、安全運転で参ります」
頼もしい理人に、水樹とは正反対の位置の窓の枠に頬杖をついた陽希が、ぼんやりと問いかける。
「理人ちゃーん。あんなにも愛して、愛して、死んだあとまで愛した人の、与えてくれた愛を見誤るなんて、あり得ると思う?」
理人は極めて慎重にハンドルを切りながら答えた。
「与えるばかりに夢中になって、与えられた気になって、与えてくれたものには気づかなくなる。それが愛なのですよ」
雪は少しずつ、灰色の路面を白く染め上げていった。
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丸田 文…82歳。専業主婦。
麗奈…広一が定期的に会っている女。
※7月13日初回完結
※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。
※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。
2026年1月ジャンルを大衆文学→ミステリーに変更しています。
寄生虫の復讐 ~美咲の冷徹な一刺し~
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