捨てられた花屋のオメガは、雨の日に現れたスパダリ社長に溺愛される~抑制剤をやめたら、運命の番に捕まりました~

水凪しおん

文字の大きさ
5 / 16

第4話「砕け散った運命の欠片」

しおりを挟む
 抑制剤をやめてから、世界は再び色を取り戻した。同時に、感情の波も激しくなった。特に、橘蓮に対する気持ちは、自分でも制御できないほどに揺れ動いていた。
 彼に会いたいと思う自分と、これ以上深入りしてはいけないと警告する自分が、心の中で絶えず争っている。

 あの日、体調を崩した蓮をタクシーに乗せて帰してから、彼は三日ほど店に顔を見せなかった。心配だったが、連絡先も知らない俺にできることは何もない。
 ただ、彼の不在が、店の空気をやけにがらんとしたものに感じさせた。毎日聞こえていたドアベルの音がしないだけで、こんなにも寂しいなんて。

『俺は、どうかしてる』

 カウンターに頬杖をつき、ため息を吐く。
 脳裏に蘇るのは、大学時代の記憶。あの頃の俺は、もっと素直で、人を信じることを知っていた。

 ***

「湊!見つけた」

 図書館の隅で本を読んでいた俺の前に、太陽みたいな笑顔が現れた。藤堂灰都。同じ大学に通う、一つ年上のアルファ。

「灰都さん……静かにしてください、ここ図書館です」

「わりぃわりぃ。でも、お前のフェロモン、すぐ分かるんだよな。なんか、雨の日の花の匂いっていうか……落ち着く」

 灰都はそう言って、俺の隣に当たり前のように座った。彼のフェロモンは、真夏の向日葵のように明るく、力強い。その香りに包まれると、いつも安心した。

 俺たちは、いわゆる「運命の番」だった。
 初めて会った瞬間に、雷に打たれたような衝撃と共に、互いが唯一無二の存在だと理解した。世界中のどんなアルファやオメガより、彼の香りは甘く、彼の存在は俺を満たした。

「卒業したら、すぐに籍を入れよう。そんで、日当たりのいい部屋で、お前が好きな花をいっぱい育てるんだ」

 灰都はよく、そんな未来の話をした。俺も、その言葉を疑うことなんてなかった。彼がいれば、何もいらない。そう本気で思っていた。

 幸せの絶頂。だが、それはあまりにも脆く、唐突に終わりを告げた。

 灰都の卒業が間近に迫った、ある冬の日。
 彼に呼び出された俺は、いつものように大学の屋上へ向かった。しかし、そこにいた灰都は、いつもとは全く違う、冷たい目をしていた。

「湊、別れてくれ」

「……え?何言ってるんですか、冗談……」

「冗談じゃねぇよ」

 彼の口から語られたのは、信じがたい現実だった。
 彼の家は由緒ある旧家で、親が決めたオメガの許嫁がいること。その相手は、俺なんかとは比べ物にならないほど家柄が良く、優れたオメガであること。

「運命の番じゃなかったのかって?ああ、そうかもな。でもな、湊。運命なんて、家柄の前じゃ何の役にも立たねぇんだよ」

 彼は吐き捨てるように言った。

「お前みたいな、平凡で何の取り柄もないオメガを、うちの家が認めるわけないだろ。今まで楽しかったよ。お前、素直で可愛かったしな」

 目の前が、真っ暗になった。
 砕け散ったのは、俺たちの未来だけじゃない。俺という人間の、尊厳そのものだった。
 運命だと信じていた絆は、ただの火遊びだった。俺は、彼の家柄の良い婚約者が見つかるまでの、都合のいい繋ぎでしかなかったのだ。

 最後に彼が言った言葉を、俺は一生忘れないだろう。

「じゃあな。せいぜい、抑制剤でも飲んで、まともなフリして生きていけよ」

 それ以来、俺の時間は止まった。
 人を愛することも、信じることもできなくなった。アルファの優しさは全て、下心があるようにしか見えなくなった。
 運命なんて、クソくらえだ。

 ***

 チリン、とドアベルの音がして、俺は過去の記憶から引き戻された。
 そこに立っていたのは、少し痩せたように見える、橘蓮だった。

「……橘さん」

「心配をかけたかな」

 彼は少し気まずそうに笑った。その顔はまだ少し青白い。

「体調は、もういいんですか」

「ああ、君のおかげで。本当に助かった」

 蓮はそう言うと、カウンターに小さな紙袋を置いた。

「これ、お礼だ。大したものではないが」

 中には、有名な洋菓子店の焼き菓子が詰まっていた。

「こんなもの、いただくわけには……」

「俺のわがままだと思って、受け取ってほしい。じゃないと、俺が君に会いに来る口実がなくなってしまう」

 彼の言葉に、胸が詰まる。
 どうして、この人はこんなにも真っ直ぐなんだろう。
 俺は、もう誰も信じないと決めたはずなのに。灰都と同じ、アルファだというのに。

「……ありがとうございます」

 俺は、かろうじて礼を言うと、紙袋を受け取った。
 蓮は、心から安堵したように微笑んだ。その笑顔は、灰都の太陽のような笑顔とは違う。まるで、曇り空から差し込む、一筋の光のような、穏やかで優しい笑顔だった。

 この光に、手を伸ばしてもいいのだろうか。
 また、裏切られるだけだと分かっているのに。
 砕け散った心の欠片が、彼の前ではちりちりと痛みを訴えていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

処理中です...