6 / 23
第5話「黒髪の傭兵、カイとの出会い」
しおりを挟む
カブの種を蒔いてから、数日が過ぎた。
俺は毎日、夜明けと共に起き出しては畑の様子を見に行くのが日課になっていた。
幸いなことに、小さな双葉がいくつも土から顔を出し始め、その光景は俺の心を温かいもので満たしてくれた。
村人たちの俺を見る目も、少しずつ変化してきたように思う。
ヨハンが積極的に手伝ってくれるようになったのを皮切りに、「水やりくらいなら」と数人の若者が協力してくれるようになったのだ。
彼らはまだ半信半疑だったが、それでも何かが変わるかもしれないという、かすかな期待がその瞳に宿り始めていた。
その日、俺は村の水源である川の上流を調査するために、一人で村の外れを歩いていた。
水路を整備するにあたって、正確な地形と水量を把握しておく必要がある。
森に近づくにつれて、空気がひんやりと澄んでくるのを感じる。
村人たちからは「魔獣が出るから危ない」と止められたが、昼間のうちは比較的安全だという話だったし、あまり奥まで入るつもりはなかった。
川の流れに沿って、慎重に歩を進めていく。
すると、不意にガサリ、と近くの茂みが揺れた。
『魔獣か!?』
緊張が走る。
俺は咄嗟に、護身用に持っていた古いナタを握りしめた。
貴族の嗜みとして剣術は学んでいたが、実戦経験など皆無に等しい。
茂みから現れたのは、しかし、俺が想像していたような牙を持つ獣ではなかった。
そこに立っていたのは、一人の男だった。
歳は俺と同じくらいだろうか。
旅慣れた様子の革鎧を身につけ、腰には長剣を差している。
陽の光を吸い込むような艶やかな黒髪と、獲物を射抜く猛禽を思わせる鋭い金の瞳が印象的だった。
全身から放たれる、ただ者ではないという空気が肌をピリピリと刺激する。
男は俺の姿を認めると、少し驚いたように目を見開いたが、すぐに興味深そうな表情を浮かべた。
「……あんた、こんな場所で何をしてるんだ」
低く、落ち着いた声だった。
だが、その声には有無を言わせぬ圧がある。
「それはこちらのセリフだ。あなたこそ、ここで何を?」
警戒を解かずに問い返す。
見たところ、村の人間ではない。
旅人か、あるいは……傭兵か。
「俺はカイ。しがない傭兵だ。この先の森で、ちょっとした依頼を片付けてきたところでな」
カイと名乗った男は、肩をすくめてみせた。
その仕草には、妙な色気があった。
『アルファだ……』
直感的に悟った。
それも、並のアルファではない。
彼の周りの空気は濃密で、まるで重力さえもねじ曲げてしまいそうなほどの存在感を放っている。
俺は咄嗟に、いつも服用しているオメガの匂いを抑制する薬の効果が切れていないか、内心で焦った。
幸い、カイに特に変わった様子はない。
俺がオメガであることには気づいていないようだ。
「俺はレオン。この村の者だ」
身分を偽る。
いや、もう貴族ではないのだから、嘘ではないか。
「レオン、か。こんな寂れた村に、あんたみたいな男がいるとはな」
カイは面白そうに俺を頭のてっぺんからつま先まで眺めた。
その視線に、品定めされているような不快感を覚える。
「何か用か? なければ、俺はこれで」
早々に立ち去ろうと背を向けた、その時だった。
「待て」
カイの声に、足が縫い付けられたように止まる。
「一つ、頼まれてくれないか。怪我をしていてな。少しの間、この村で休ませてほしい。宿代は払う」
見れば、彼の左腕の鎧には真新しい切り傷があり、そこから血がにじんでいた。
森での依頼とやらは、魔獣の討伐だったのかもしれない。
怪我人を放っておくのは、寝覚めが悪い。
それに、この男から情報を引き出せるかもしれない。
辺境の情勢や、魔獣の生態について。
俺は小さくため息をつくと、彼の方に向き直った。
「……分かった。村に空き家はないから、俺の家でよければ使うといい。手当もしてやろう」
「ほう。それは助かる」
カイはにやりと、不敵な笑みを浮かべた。
この時、俺はまだ知らなかった。
この黒髪の傭兵との出会いが、俺の運命を、そしてこの世界の形さえも大きく変えることになるということを。
ただ、彼の金の瞳に見つめられていると、胸の奥が妙にざわつくのだけは、確かだった。
俺は毎日、夜明けと共に起き出しては畑の様子を見に行くのが日課になっていた。
幸いなことに、小さな双葉がいくつも土から顔を出し始め、その光景は俺の心を温かいもので満たしてくれた。
村人たちの俺を見る目も、少しずつ変化してきたように思う。
ヨハンが積極的に手伝ってくれるようになったのを皮切りに、「水やりくらいなら」と数人の若者が協力してくれるようになったのだ。
彼らはまだ半信半疑だったが、それでも何かが変わるかもしれないという、かすかな期待がその瞳に宿り始めていた。
その日、俺は村の水源である川の上流を調査するために、一人で村の外れを歩いていた。
水路を整備するにあたって、正確な地形と水量を把握しておく必要がある。
森に近づくにつれて、空気がひんやりと澄んでくるのを感じる。
村人たちからは「魔獣が出るから危ない」と止められたが、昼間のうちは比較的安全だという話だったし、あまり奥まで入るつもりはなかった。
川の流れに沿って、慎重に歩を進めていく。
すると、不意にガサリ、と近くの茂みが揺れた。
『魔獣か!?』
緊張が走る。
俺は咄嗟に、護身用に持っていた古いナタを握りしめた。
貴族の嗜みとして剣術は学んでいたが、実戦経験など皆無に等しい。
茂みから現れたのは、しかし、俺が想像していたような牙を持つ獣ではなかった。
そこに立っていたのは、一人の男だった。
歳は俺と同じくらいだろうか。
旅慣れた様子の革鎧を身につけ、腰には長剣を差している。
陽の光を吸い込むような艶やかな黒髪と、獲物を射抜く猛禽を思わせる鋭い金の瞳が印象的だった。
全身から放たれる、ただ者ではないという空気が肌をピリピリと刺激する。
男は俺の姿を認めると、少し驚いたように目を見開いたが、すぐに興味深そうな表情を浮かべた。
「……あんた、こんな場所で何をしてるんだ」
低く、落ち着いた声だった。
だが、その声には有無を言わせぬ圧がある。
「それはこちらのセリフだ。あなたこそ、ここで何を?」
警戒を解かずに問い返す。
見たところ、村の人間ではない。
旅人か、あるいは……傭兵か。
「俺はカイ。しがない傭兵だ。この先の森で、ちょっとした依頼を片付けてきたところでな」
カイと名乗った男は、肩をすくめてみせた。
その仕草には、妙な色気があった。
『アルファだ……』
直感的に悟った。
それも、並のアルファではない。
彼の周りの空気は濃密で、まるで重力さえもねじ曲げてしまいそうなほどの存在感を放っている。
俺は咄嗟に、いつも服用しているオメガの匂いを抑制する薬の効果が切れていないか、内心で焦った。
幸い、カイに特に変わった様子はない。
俺がオメガであることには気づいていないようだ。
「俺はレオン。この村の者だ」
身分を偽る。
いや、もう貴族ではないのだから、嘘ではないか。
「レオン、か。こんな寂れた村に、あんたみたいな男がいるとはな」
カイは面白そうに俺を頭のてっぺんからつま先まで眺めた。
その視線に、品定めされているような不快感を覚える。
「何か用か? なければ、俺はこれで」
早々に立ち去ろうと背を向けた、その時だった。
「待て」
カイの声に、足が縫い付けられたように止まる。
「一つ、頼まれてくれないか。怪我をしていてな。少しの間、この村で休ませてほしい。宿代は払う」
見れば、彼の左腕の鎧には真新しい切り傷があり、そこから血がにじんでいた。
森での依頼とやらは、魔獣の討伐だったのかもしれない。
怪我人を放っておくのは、寝覚めが悪い。
それに、この男から情報を引き出せるかもしれない。
辺境の情勢や、魔獣の生態について。
俺は小さくため息をつくと、彼の方に向き直った。
「……分かった。村に空き家はないから、俺の家でよければ使うといい。手当もしてやろう」
「ほう。それは助かる」
カイはにやりと、不敵な笑みを浮かべた。
この時、俺はまだ知らなかった。
この黒髪の傭兵との出会いが、俺の運命を、そしてこの世界の形さえも大きく変えることになるということを。
ただ、彼の金の瞳に見つめられていると、胸の奥が妙にざわつくのだけは、確かだった。
324
あなたにおすすめの小説
悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!
水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。
それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。
家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。
そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。
ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。
誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。
「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。
これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。
虐げられΩは冷酷公爵に買われるが、実は最強の浄化能力者で運命の番でした
水凪しおん
BL
貧しい村で育った隠れオメガのリアム。彼の運命は、冷酷無比と噂される『銀薔薇の公爵』アシュレイと出会ったことで、激しく動き出す。
強大な魔力の呪いに苦しむ公爵にとって、リアムの持つ不思議な『浄化』の力は唯一の希望だった。道具として屋敷に囚われたリアムだったが、氷の仮面に隠された公爵の孤独と優しさに触れるうち、抗いがたい絆が芽生え始める。
「お前は、俺だけのものだ」
これは、身分も性も、運命さえも乗り越えていく、不器用で一途な二人の成り上がりロマンス。惹かれ合う魂が、やがて世界の理をも変える奇跡を紡ぎ出す――。
冷酷なアルファ(氷の将軍)に嫁いだオメガ、実はめちゃくちゃ愛されていた。
水凪しおん
BL
これは、愛を知らなかった二人が、本当の愛を見つけるまでの物語。
国のための「生贄」として、敵国の将軍に嫁いだオメガの王子、ユアン。
彼を待っていたのは、「氷の将軍」と恐れられるアルファ、クロヴィスとの心ない日々だった。
世継ぎを産むための「道具」として扱われ、絶望に暮れるユアン。
しかし、冷たい仮面の下に隠された、不器用な優しさと孤独な瞳。
孤独な夜にかけられた一枚の外套が、凍てついた心を少しずつ溶かし始める。
これは、政略結婚という偽りから始まった、運命の恋。
帝国に渦巻く陰謀に立ち向かう中で、二人は互いを守り、支え合う「共犯者」となる。
偽りの夫婦が、唯一無二の「番」になるまでの軌跡を、どうぞ見届けてください。
『偽物の番』だと捨てられた不憫な第三王子、隣国の冷徹皇帝に拾われて真実の愛を教え込まれる
レイ
BL
「出来損ない」と捨てられた場所は、私の居場所ではありませんでした。
ラングリス王国の第三王子・フィオーレは、王族の証である『聖種の紋様』が現れなかったことで「偽物の番」と罵られ、雪降る国境へと追放される。
死を覚悟した彼の前に現れたのは、隣国アイゼン帝国の「冷徹皇帝」ヴォルフラムだった。
冤罪で追放された悪役令息、北の辺境で幸せを掴む~恐ろしいと噂の銀狼将軍に嫁いだら、極上の溺愛とモフモフなスローライフが始まりました~
水凪しおん
BL
「君は、俺の宝だ」
無実の罪を着せられ、婚約破棄の末に極寒の辺境へ追放された公爵令息ジュリアン。
彼を待ち受けていたのは、「北の食人狼」と恐れられる将軍グリーグとの政略結婚だった。
死を覚悟したジュリアンだったが、出会った将軍は、噂とは真逆の不器用で心優しいアルファで……?
前世の記憶を持つジュリアンは、現代知識と魔法でボロボロの要塞を快適リフォーム!
手作りスープで将軍の胃袋を掴み、特産品開発で街を救い、気づけば冷徹将軍から規格外の溺愛を受けることに。
一方、ジュリアンを捨てた王都では、破滅の足音が近づいていて――。
冤罪追放から始まる、銀狼将軍との幸せいっぱいな溺愛スローライフ、ここに開幕!
【オメガバース/ハッピーエンド/ざまぁあり/子育て/スパダリ】
悪役令息(Ω)に転生した俺、破滅回避のためΩ隠してαを装ってたら、冷徹α第一王子に婚約者にされて溺愛されてます!?
水凪しおん
BL
前世の記憶を持つ俺、リオネルは、BL小説の悪役令息に転生していた。
断罪される運命を回避するため、本来希少なΩである性を隠し、出来損ないのαとして目立たず生きてきた。
しかし、突然、原作のヒーローである冷徹な第一王子アシュレイの婚約者にされてしまう。
これは破滅フラグに違いないと絶望する俺だが、アシュレイの態度は原作とどこか違っていて……?
悪役令息ですが破滅回避で主人公を無視したら、高潔な態度だと勘違いされて聖人認定。なぜか溺愛ルートに入りました
水凪しおん
BL
BL小説『銀の瞳の聖者』の悪役令息ルシアンに転生してしまった俺。
原作通りなら、主人公ノエルをいじめ抜き、最後は断罪されて野垂れ死ぬ運命だ。
「そんなの絶対にお断りだ! 俺は平和に長生きしたい!」
破滅フラグを回避するため、俺は決意した。
主人公ノエルを徹底的に避け、関わらず、空気のように生きることを。
しかし、俺の「無視」や「無関心」は、なぜかノエルにポジティブに変換されていく。
「他の人のように欲望の目で見ないなんて、なんて高潔な方なんだ……!」
いじめっ子を視線だけで追い払えば「影から守ってくれた」、雨の日に「臭いから近寄るな」と上着を投げつければ「不器用な優しさ」!?
全力で嫌われようとすればするほど、主人公からの好感度が爆上がりして、聖人認定されてしまう勘違いラブコメディ!
小心者の悪役令息×健気なポジティブ主人公の、すれ違い溺愛ファンタジー、ここに開幕!
エリートαとして追放されましたが、実は抑制剤で隠されたΩでした。辺境で出会った無骨な農夫は訳あり最強αで、私の運命の番らしいです。
水凪しおん
BL
エリートαとして完璧な人生を歩むはずだった公爵令息アレクシス。しかし、身に覚えのない罪で婚約者である王子から婚約破棄と国外追放を宣告される。すべてを奪われ、魔獣が跋扈する辺境の地に捨てられた彼を待っていたのは、絶望と死の淵だった。
雨に打たれ、泥にまみれたプライドも砕け散ったその時、彼を救ったのは一人の無骨な男、カイ。ぶっきらぼうだが温かいスープを差し出す彼との出会いが、アレクシスの運命を根底から覆していく。
畑を耕し、土に触れる日々の中で、アレクシスは自らの体に隠された大きな秘密と、抗いがたい魂の引力に気づき始める。
――これは、偽りのαとして生きてきた青年が、運命の番と出会い、本当の自分を取り戻す物語。追放から始まる、愛と再生の成り上がりファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる