その出会いは確率ゼロ。倒産寸前の会社を舞台に、情熱社長とクールな天才が仕掛ける、恋とビジネスの壮大な逆転劇。

水凪しおん

文字の大きさ
4 / 16

第03話「損失回避のワルツ」

しおりを挟む
 理人が提案した最初のナッジは、社内の意思決定プロセスを根本から変えるものだった。それは「プレモータム」と呼ばれる手法の導入だった。

「プレモータム? 死後の検死(ポストモーテム)なら知ってるけどな」

 企画書を眺めながら、慎一が首をかしげる。

「その逆です。プロジェクトが『始まる前』に、それが『壮大に失敗した』と仮定して、その原因を全員で自由に話し合うんです」

 理人は冷静に説明した。

「そんな縁起でもないこと、なんでせなあかんねん」
「人間の心理には『同調圧力』が強く働きます。会議の場で、特に社長や上司が推進しているプロジェクトに対して、正面から『失敗する可能性がある』とはなかなか言えないものです。しかし、『すでに失敗した』という前提に立てば、人々は心理的な制約から解放され、リスクや問題点を自由に指摘しやすくなる。これは集団浅慮、つまり集団で愚かな決定をしてしまうことを防ぐための有効な手法です」

 なるほど、と慎一は思った。確かに、自分の威圧感や他のメンバーへの遠慮が、自由な意見交換を妨げていたのかもしれない。これまで「トップダウン」で物事を進めてきた自負があったが、それは裏を返せば、社員の主体性を奪っていたことにもなる。
 翌週、懸案だった新規ソフトウェア開発の定例会議で、理人は早速プレモータムを実践した。

「では皆さん、想像してください。一年後、このプロジェクトは歴史的な大失敗に終わりました。多額の投資は水泡に帰し、メディアからは叩かれ、顧客からの信頼も失墜します。さて、なぜそうなったのでしょうか。原因を自由に挙げてください」

 理人の言葉に、最初は戸惑っていた社員たちも、次第に恐る恐る口を開き始めた。

「……そもそも、ターゲット顧客のニーズを正確に把握できていなかったのでは」
「開発スケジュールに無理があって、バグが多発したのかもしれない」
「競合他社が、もっと安くて高機能な類似サービスを先に出してしまった、とか……」

 堰を切ったように、今まで誰も口にしなかったリスクが次々と挙げられていく。それはまるで、膿を出す作業のようだった。慎一は、黙ってその光景を見つめていた。自分が情熱を注いできたプロジェクトがいかに多くの脆弱性を抱えていたか、それを思い知らされて胸が痛んだ。しかし同時に、社員たちの顔が次第に生き生きとしていくのを見て、安堵する自分もいた。
 会議の終わり、ホワイトボードはプロジェクトの「死因」で埋め尽くされていた。

「ありがとうございます。これだけの潜在的リスクを事前に洗い出せました。これらを一つずつ潰していけば、プロジェクトの成功確率は格段に上がります」

 理人がそう締めくくると、会議室には不思議な一体感が生まれていた。今まで重苦しい雰囲気だった会議が、前向きな課題解決の場へと変わった瞬間だった。
 社員たちが退出した後、慎一は理人に歩み寄った。

「冬月くん、すごいやないか。みんなの顔、見たか? あんな生き生きした顔、久しぶりに見たわ」
「当然の結果です。人間は自分の意見が尊重され、意思決定に関与していると感じることで、内発的動機付けが高まりますから」

 理人は相変わらずクールだったが、慎一には、彼の声に微かな満足感が含まれているように聞こえた。
 その日の夜、慎一は残務整理のためにオフィスに残っていた。他の社員は皆帰宅し、静まり返ったフロアにパソコンのキーを叩く音だけが響いている。ふと、コンサルタント用の仮設デスクにまだ人影があることに気づいた。理人だった。彼は、膨大なデータが表示されたモニターに、吸い込まれるように集中していた。
 慎一は缶コーヒーを二本買い、彼の元へ向かった。

「お疲れさん。まだやっとるんか」

 声をかけると、理人はびくりと肩を震わせ、ゆっくりとこちらを振り返った。その顔は、昼間の自信に満ちたコンサルタントの顔ではなく、どこか年の離れた弟のような、あどけなさを感じさせた。

「……夏目社長。お疲れ様です」
「社長はええって。慎一さんでええよ。大学の先輩やしな」

 慎一が缶コーヒーを差し出すと、理人は少し戸惑ったようにそれを受け取った。

「ありがとうございます」
「しかし、君はほんまによう働くわ。まるで機械みたいやな」

 慎一が冗談めかして言うと、理人は少しだけ眉をひそめた。

「仕事ですから。それに、私には時間がありません」
「時間がない?」
「……ええ。この会社を立て直す時間は、限られています」

 そう言う理人の横顔に、一瞬、焦りのような色が浮かんだのを慎一は見逃さなかった。この男は、ただ仕事としてここに来ているだけではない。何か強い目的意識、あるいは使命感のようなものに突き動かされているように見えた。

「まあ、根を詰めすぎるなや。たまには息抜きも必要やで」

 慎一はそう言うと、理人の隣の椅子に腰掛けた。しばらく、二人の間に沈黙が流れる。カツン、と理人が缶コーヒーのプルタブを開ける音が、静かなオフィスにやけに大きく響いた。

「……あなたは、なぜこの会社を始めたんですか」

 不意に、理人が問いかけた。それは、彼の口からはおよそ出そうにない、個人的な質問だった。
 慎一は少し驚いたが、遠い昔を懐かしむように、ゆっくりと語り始めた。

「なんでやろな。ただ、面白いことがしたかったんや。世の中を、ちょっとだけ便利に、ちょっとだけ楽しくできるような、そんなもんを作りたかった。それだけや」
「……非合理的ですね」

 理人はぽつりとつぶやいた。

「せやろ? でもな、人間、理屈だけやないやろ。そういう非合理な情熱みたいなもんが、世の中を動かすこともあるんちゃうかなって、俺は思うとる」

 慎一がそう言って理人の顔を見ると、彼はじっと慎一の目を見つめていた。その深い黒色の瞳に、自分が映っている。その瞳は、まるでこちらの心の中まで見透かしているようで、慎一は少しだけ動揺した。

「……そう、かもしれませんね」

 理人は静かにそう言うと、ふいと視線をモニターに戻した。だが、その耳がわずかに赤くなっているのを、慎一は見逃さなかった。
 この時、慎一は気づいていなかった。理人が仕掛けた「ナッジ」は、会社のシステムだけでなく、自分自身の心にも静かに作用し始めているということに。変化を恐れていたのは、社員だけではなかった。慎一自身もまた、誰かが自分の築いたコンフォートゾーンの扉を叩いてくれるのを、心のどこかで待ち望んでいたのかもしれない。
 その扉を叩いたのが、まさかこんなにクールで生意気で、そしてどこか寂しげな後輩だとは夢にも思わずに。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

勇者パーティーを追放された「生きた宝箱」、無愛想な騎士団長に拾われて宝石のように愛でられる

たら昆布
BL
勇者パーティーを追放された魔法生物が騎士団長に拾われる話

氷の婚約者様に破談を申し出たら号泣された

楽矢
BL
目が覚めると、レースの牢獄のような天蓋付きベッドの上だった。 何も覚えていない出来損ない下級貴族ミラ。無能だクズだと冷酷な罵詈雑言を浴びせてくる氷の騎士セティアス。 記憶喪失から始まる、2人のファンタジー貴族ラブコメディ。 ---------- ※注) かっこいい攻はいません。 タイトル通りそのうち号泣しますのでご注意! 貴族描写は緩い目で雰囲気だけお読みいただけると幸いです。 ハッピーエンドです。 激重感情をこじらせた攻→受な関係がお好きな同志の方、どうぞよろしくお願いします! 全16話 完結済み/現在毎日更新予定 他サイトにも同作品を投稿しています。 様子を見ながらそのうち統合するかもしれません。 初めての一次創作でまだよく分かっておらず、何かおかしなことをしでかしていたら申し訳ないです!

没落令息はクラスメイトの執着に救われる

夕月ねむ
BL
突然父親の爵位がはく奪され、帰る屋敷も家名も失ったローレンス。貴族が集まる学院の寮からも放り出されるところだった彼を、クラスメイトのアルフレッドが引き留める。 「侯爵家の私であれば、従者をひとり授業に同席させることができる」と言って。 アルフレッドの従者となったローレンス。けれどその二年後、彼らの関係は再び大きく変わることとなった。 ※FANBOXからの転載です。 ※他サイトにも投稿しています。

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

地味メガネだと思ってた同僚が、眼鏡を外したら国宝級でした~無愛想な美人と、チャラ営業のすれ違い恋愛

中岡 始
BL
誰にも気づかれたくない。 誰の心にも触れたくない。 無表情と無関心を盾に、オフィスの隅で静かに生きる天王寺悠(てんのうじ・ゆう)。 その存在に、誰も興味を持たなかった――彼を除いて。 明るく人懐こい営業マン・梅田隼人(うめだ・はやと)は、 偶然見た「眼鏡を外した天王寺」の姿に、衝撃を受ける。 無機質な顔の奥に隠れていたのは、 誰よりも美しく、誰よりも脆い、ひとりの青年だった。 気づいてしまったから、もう目を逸らせない。 知りたくなったから、もう引き返せない。 すれ違いと無関心、 優しさと孤独、 微かな笑顔と、隠された心。 これは、 触れれば壊れそうな彼に、 それでも手を伸ばしてしまった、 不器用な男たちの恋のはなし。

情けない男を知っている

makase
BL
一見接点のない同僚二人は週末に飲みに行く仲である。

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話

日向汐
BL
「好きです」 「…手離せよ」 「いやだ、」 じっと見つめてくる眼力に気圧される。 ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26) 閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、 一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 短期でサクッと読める完結作です♡ ぜひぜひ ゆるりとお楽しみください☻* ・───────────・ 🧸Twitterもぜひ遊びに来てください🫧 ❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21 ・───────────・ 応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪) なにとぞ、よしなに♡ ・───────────・

処理中です...