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第05話「深夜オフィスのパラメータ」
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祝勝会は、会社の近くにある馴染みの居酒屋で開かれた。久しぶりの明るい話題に社員たちの酒も進み、店内は熱気に包まれていた。主役であるはずの理人は、案の定、隅の席で黙々とソフトドリンクを飲んでいる。その周りには、彼の理論に興味を持った若手社員たちが集まり質問攻めにしていたが、理人はいつもの調子で淡々と答えるだけだった。
「社長、彼は本当に面白い人物ですね。お酒も飲まないし、愛想もない。ですが、言うことは的確ですし、仕事ではきっちり結果を出す。正直、見直しましたよ」
隣の席で顔を赤くした田中部長が、感慨深げにつぶやいた。
「せやろ? 俺も最初はなんやこいつって思ったけどな」
慎一はビールをあおりながら、理人の横顔を盗み見た。騒がしい輪の中心にいながら、まるでそこにいないかのように、彼は一人だけの世界にいるように見えた。その孤独な姿が、なぜか慎一の胸をちくりと刺した。
会が盛り上がってきた頃、慎一はそっと席を立ち、店の外へ出た。夜風が火照った顔に心地よい。しばらく星空を眺めていると、静かにドアが開く音がして、理人が出てきた。
「……少し、空気を吸いに」
理人は気まずそうに言った。
「ああ。ああいうの、苦手か」
「得意ではありません。集団における非言語的コミュニケーションの複雑さは、私の処理能力を超えています」
理人らしい言い方に、慎一は思わず吹き出した。
「なんやそれ。要は、ノリについていかれへん、てことやろ」
「……端的に言えば、そうなります」
理人は少しむっとしたように唇を尖らせた。その子供っぽい表情が、妙におかしくて愛おしく感じられた。
「まあ、無理せんでもええよ。君は君のやり方で、会社に貢献してくれたらそれでええ」
慎一がそう言うと、理人は少し驚いたように慎一の顔を見た。
「あなたは、不思議な人ですね」
「何がや」
「普通、経営者というものはもっと論理的で、支配的であるべきだと考えていました。でもあなたは、感情で動き、部下と同じ目線に立とうとする。私の理解の範疇を超えています」
「そんな難しいこと考えとらんよ。俺はただ、みんなが笑って働ける会社にしたいだけや」
慎一は夜空に向かって、タバコの煙を吐き出した。
「会社は人やからな。どんなに優れたシステムや理論があっても、それを使う人間が幸せやないと意味がない。俺は、そう思うとる」
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。居酒屋の中から、社員たちの楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてくる。
「……あなたの会社に来て、良かったのかもしれません」
理人が、ぽつりとつぶやいた。それは、ほとんど独り言のような小さな声だった。
「なんや、急に」
「以前の職場では、私はただの『データ処理装置』でした。私の分析結果は重宝されましたが、そこにどんな意味があるのか、誰が幸せになるのか、誰も気にしていませんでした。ただ、数字が動くだけ。……虚しかったです」
初めて聞く、理人の弱音だった。いつも自信に満ちた彼が、これほどまでに脆い一面を抱えているとは。慎一は、胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。
「そうか……」
慎一に言えるのは、それだけだった。もっと気の利いた言葉をかけてやりたかったが、うまい言葉が見つからない。代わりに、彼は無意識に理人の肩に手を置いていた。
びくり、と理人の体が震える。だが、彼はその手を振り払おうとはしなかった。
「なあ、冬月。君といると、自分がただの経営者やなくて、学生時代の自分に戻ったみたいや」
「学生時代?」
「ああ。難しいことはよう分からんかったけど、ただ、面白いもんを作りたいっていう情熱だけはあった。君が、あの頃の気持ちを思い出させてくれた気がするんや」
慎一の言葉に、理人は何も答えなかった。ただ、うつむいた彼の横顔が、街灯の光に照らされていつもよりずっと柔らかく見えた。
その夜、慎一は夢を見た。広い海を、小さな船で一人漕いでいる夢だ。あたりは濃い霧に包まれ、どちらへ進めばいいのか分からない。不安と焦りで心臓が張り裂けそうになった時、遠くの灯台が一筋の光を放った。その光に導かれるように船を進めると、霧が晴れ、目の前に新しい大陸が広がっていた。夢の中で、その灯台の光は、理人の冷静な瞳の色をしていた。
翌日から、二人の関係は少しずつ変化していった。相変わらず理人は理屈っぽく、慎一は直感的だったが、その間の見えない壁は確実に薄くなっていた。
残業で二人きりになることも増えた。そんな夜は、仕事の話もそこそこに、とりとめのない話をするようになった。理人が好きなSF小説の話、慎一が好きだったバンドの話。お互いのことを知るたびに、データでは測れない人間的な魅力に、強く惹かれていくのを自覚していた。
慎一は、理人が時折見せる不器用な笑顔が好きだった。理論で武装した鎧の下にある彼の素顔に触れるたび、守ってやりたいという気持ちが芽生えるのを止められなかった。
一方、理人もまた、慎一の中に眠る純粋な情熱に心を動かされていた。彼の言葉は、理人が忘れていた人間らしい感情を呼び覚ます。データという白黒の世界に生きてきた理人にとって、慎一の存在は、世界に鮮やかな色を取り戻してくれる唯一の光のように感じられ始めていた。
だが、二人はまだ知らない。順調に見えた会社の改革の先に、暗い雲が立ち込めていることを。そして、その嵐が二人の関係を根底から揺るがすことになるということを。
「社長、彼は本当に面白い人物ですね。お酒も飲まないし、愛想もない。ですが、言うことは的確ですし、仕事ではきっちり結果を出す。正直、見直しましたよ」
隣の席で顔を赤くした田中部長が、感慨深げにつぶやいた。
「せやろ? 俺も最初はなんやこいつって思ったけどな」
慎一はビールをあおりながら、理人の横顔を盗み見た。騒がしい輪の中心にいながら、まるでそこにいないかのように、彼は一人だけの世界にいるように見えた。その孤独な姿が、なぜか慎一の胸をちくりと刺した。
会が盛り上がってきた頃、慎一はそっと席を立ち、店の外へ出た。夜風が火照った顔に心地よい。しばらく星空を眺めていると、静かにドアが開く音がして、理人が出てきた。
「……少し、空気を吸いに」
理人は気まずそうに言った。
「ああ。ああいうの、苦手か」
「得意ではありません。集団における非言語的コミュニケーションの複雑さは、私の処理能力を超えています」
理人らしい言い方に、慎一は思わず吹き出した。
「なんやそれ。要は、ノリについていかれへん、てことやろ」
「……端的に言えば、そうなります」
理人は少しむっとしたように唇を尖らせた。その子供っぽい表情が、妙におかしくて愛おしく感じられた。
「まあ、無理せんでもええよ。君は君のやり方で、会社に貢献してくれたらそれでええ」
慎一がそう言うと、理人は少し驚いたように慎一の顔を見た。
「あなたは、不思議な人ですね」
「何がや」
「普通、経営者というものはもっと論理的で、支配的であるべきだと考えていました。でもあなたは、感情で動き、部下と同じ目線に立とうとする。私の理解の範疇を超えています」
「そんな難しいこと考えとらんよ。俺はただ、みんなが笑って働ける会社にしたいだけや」
慎一は夜空に向かって、タバコの煙を吐き出した。
「会社は人やからな。どんなに優れたシステムや理論があっても、それを使う人間が幸せやないと意味がない。俺は、そう思うとる」
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。居酒屋の中から、社員たちの楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてくる。
「……あなたの会社に来て、良かったのかもしれません」
理人が、ぽつりとつぶやいた。それは、ほとんど独り言のような小さな声だった。
「なんや、急に」
「以前の職場では、私はただの『データ処理装置』でした。私の分析結果は重宝されましたが、そこにどんな意味があるのか、誰が幸せになるのか、誰も気にしていませんでした。ただ、数字が動くだけ。……虚しかったです」
初めて聞く、理人の弱音だった。いつも自信に満ちた彼が、これほどまでに脆い一面を抱えているとは。慎一は、胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。
「そうか……」
慎一に言えるのは、それだけだった。もっと気の利いた言葉をかけてやりたかったが、うまい言葉が見つからない。代わりに、彼は無意識に理人の肩に手を置いていた。
びくり、と理人の体が震える。だが、彼はその手を振り払おうとはしなかった。
「なあ、冬月。君といると、自分がただの経営者やなくて、学生時代の自分に戻ったみたいや」
「学生時代?」
「ああ。難しいことはよう分からんかったけど、ただ、面白いもんを作りたいっていう情熱だけはあった。君が、あの頃の気持ちを思い出させてくれた気がするんや」
慎一の言葉に、理人は何も答えなかった。ただ、うつむいた彼の横顔が、街灯の光に照らされていつもよりずっと柔らかく見えた。
その夜、慎一は夢を見た。広い海を、小さな船で一人漕いでいる夢だ。あたりは濃い霧に包まれ、どちらへ進めばいいのか分からない。不安と焦りで心臓が張り裂けそうになった時、遠くの灯台が一筋の光を放った。その光に導かれるように船を進めると、霧が晴れ、目の前に新しい大陸が広がっていた。夢の中で、その灯台の光は、理人の冷静な瞳の色をしていた。
翌日から、二人の関係は少しずつ変化していった。相変わらず理人は理屈っぽく、慎一は直感的だったが、その間の見えない壁は確実に薄くなっていた。
残業で二人きりになることも増えた。そんな夜は、仕事の話もそこそこに、とりとめのない話をするようになった。理人が好きなSF小説の話、慎一が好きだったバンドの話。お互いのことを知るたびに、データでは測れない人間的な魅力に、強く惹かれていくのを自覚していた。
慎一は、理人が時折見せる不器用な笑顔が好きだった。理論で武装した鎧の下にある彼の素顔に触れるたび、守ってやりたいという気持ちが芽生えるのを止められなかった。
一方、理人もまた、慎一の中に眠る純粋な情熱に心を動かされていた。彼の言葉は、理人が忘れていた人間らしい感情を呼び覚ます。データという白黒の世界に生きてきた理人にとって、慎一の存在は、世界に鮮やかな色を取り戻してくれる唯一の光のように感じられ始めていた。
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