その出会いは確率ゼロ。倒産寸前の会社を舞台に、情熱社長とクールな天才が仕掛ける、恋とビジネスの壮大な逆転劇。

水凪しおん

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第07話「偽りの因果関係」

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 理人が会社を去ってから、数日が過ぎた。彼の不在は、ネクストリープに想像以上の打撃を与えていた。活気を取り戻していた社内は再び以前のような重苦しい空気に逆戻りし、進行中だったプロジェクトはことごとく停滞した。社員たちは、情報漏洩の犯人がいなくなったことに安堵する一方で、会社の未来に対する漠然とした不安を募らせていた。
 慎一は、そのどちらの感情も抱いていた。理人がいなくなったことで、これ以上情報が漏れる心配はなくなったかもしれない。しかし、彼の的確な分析と大胆な戦略がなければ、この先、生き残れないことも痛いほど分かっていた。
 何よりも、慎一自身の心が空っぽになってしまっていた。理人と交わした何気ない会話、二人きりで残業した深夜のオフィス、彼の不器用な笑顔。失って初めて、その存在がどれほど大きかったかを思い知らされる。

 後悔が波のように押し寄せてくる。なぜ、もっと彼の言葉を信じてやれなかったのか。「相関と因果は違う」。あの時の彼の言葉が、何度も頭の中で反響する。自分は状況という名のノイズに惑わされ、真実という名のシグナルを見失ってしまったのではないか。
 そんなある日、慎一の元に一通の匿名メールが届いた。
 差出人は不明。本文には短いメッセージと、一つのファイルが添付されているだけだった。

『冬月理人は、無実です。真実を知りたければ、このファイルを開いてください』

 慎一は、ためらいながらもファイルを開いた。それは音声ファイルだった。再生ボタンを押すと、二人の男の会話が聞こえてきた。一人は、ギガ・ソリューションズの幹部の声。そしてもう一人は、聞き覚えのある声――ネクストリープの営業部長、田中だった。

『……というわけで、例の新サービスの件、情報提供に感謝する』
『いえいえ。これも、社長に目を覚ましてもらうためですから。あんな得体の知れない若造に会社をかき回されて、黙って見てられなかったんですよ』
『分かっている。君が我々に協力してくれる限り、悪いようにはしない。ネクストリープが潰れた後は、うちで良いポストを用意しよう』

 慎一は、全身の血が逆流するような感覚に襲われた。田中が、スパイだった。理人を追い出すために、ギガ社と内通していたのだ。長年、苦楽を共にしてきたと思っていた部下からの、最悪の裏切りだった。
 怒りで体が震えた。だが、それ以上に理人に対する申し訳なさで胸が張り裂けそうだった。自分は彼を疑い、最も信じてやるべき時に、その手を離してしまった。
 慎一は、すぐに田中の身辺調査を興信所に依頼した。結果は数日で出た。田中が多額のギャンブルによる借金を抱えており、ギガ社から金銭的な支援を受けていたことが明らかになった。音声データと調査報告書。動かぬ証拠を前に、慎一はすぐに行動を起こした。
 まず、田中を社長室に呼び出した。

「田中部長、君に聞きたいことがある」

 慎一は、努めて冷静に言った。田中は、何も知らずにのんきな顔で椅子に座る。

「何でしょう、社長」
「ギガ・ソリューションズに、うちの情報を売っていたな」

 慎一が単刀直入に切り出すと、田中の顔からさっと血の気が引いた。

「な、何を言ってるんですか! 人聞きが悪い!」
「とぼけるな。全部、分かってるんや」

 慎一は、机の上に音声プレーヤーと調査報告書を叩きつけた。再生される自分自身の声を聞き、田中は顔面蒼白になった。

「こ、これは……何かの間違いです……」
「もうええ。言い訳は聞きたない。君はクビや。今すぐこの会社から出て行け」

 慎一の低い声に、田中はがっくりと肩を落とし、何も言わずに社長室を出ていった。その背中を見送りながら、慎一の心に湧き上がってきたのは、怒りよりも虚しさだった。
 次に慎一が向かったのは、警察署だった。田中を不正競争防止法違反の疑いで告発するためだ。そして、もう一つ。理人の名誉を回復し、彼に謝罪するために。
 だが、理人の行方は分からなかった。会社を去った後、彼は借りていたマンションも引き払い、どこかへ姿を消してしまっていた。携帯電話も繋がらない。
 途方に暮れた慎一は、ただ彼が戻ってくるのを待つしかなかった。毎日、誰もいない社長室で、理人が座っていたソファを見つめる。彼が残していった数々の分析資料や企画書を読み返すたびに、彼の才能と自分への思いやりを改めて感じ、胸が締め付けられた。

 数週間後、田中の逮捕がニュースで報じられた。ネクストリープからの情報漏洩事件の全貌が明らかになり、社内には衝撃が走った。同時に、誰もが理人を誤解していたことに気づき、罪悪感に苛まれた。
 慎一は、全社員の前で自分の過ちを認め、深く頭を下げた。

「すべては、社長である俺の責任や。彼を信じきれず、守ってやることができなかった。本当に、すまない」

 社員たちは、何も言わなかった。だが、その目は慎一を責めてはいなかった。皆、同じ後悔を共有していた。
 その日の夜、慎一は一人オフィスに残っていた。窓の外は、どしゃ降りの雨だった。まるで自分の心のようだ、と自嘲する。
 その時、静かなオフィスにドアの開く音が響いた。まさか、と思い振り返ると、そこに立っていたのは、ずぶ濡れになった理人だった。

「……冬月、くん……?」

 慎一は、自分の目を疑った。幻を見ているのではないかと思った。
 理人は何も言わず、ただそこに立っている。その体は雨に濡れて冷え切っているはずなのに、彼の瞳は静かな炎のように揺れていた。
 慎一は、椅子から立ち上がり、夢遊病者のように理人へと歩み寄った。言いたいことは山ほどある。謝りたい。礼を言いたい。そして、もう一度そばにいてほしい、と。
 だが、言葉にならなかった。ただ、目の前のずぶ濡れの体を、衝動的に力強く抱きしめていた。

「……すまんかった」

 ようやく絞り出した声は、雨音に負けそうなほどか細く震えていた。
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