鏡開きと恋のぜんざい~無愛想な和菓子職人はスランプ作家を甘く溶かす~

水凪しおん

文字の大きさ
2 / 16

第1話「寒空と無愛想な職人」

しおりを挟む
 吐き出した息が白く染まり、瞬く間に冬の空気に溶けていく。一ノ瀬湊は悴んだ両手をコートのポケットに深く突っ込み、石畳の坂道を登っていた。一月上旬の風は頬を刺すように冷たい。だが、東京のビル風のような荒々しさはなく、どこか凛とした静謐さを孕んでいた。
 祖母が遺してくれた古い日本家屋の整理という名目で、この街に来てから三日が経つ。本当の理由はただの逃避だ。次から次へと消費されるだけの記事を書くことに疲れ、言葉が紡げなくなっていた。空っぽになった頭と心を抱え、湊はあてどなく散策を続けている。
 ふと、甘く香ばしい匂いが鼻先を掠めた。
 小豆を煮る匂いだ。それも、とびきり丁寧に炊かれた極上の餡の香り。
 湊は無意識のうちに匂いの元へと足を向けていた。路地を一つ曲がると、古びた、しかし手入れの行き届いた木造の店舗が佇んでいる。看板には流麗な筆文字で『月光堂』とあった。
 観光客向けの派手な店ではない。地元の人間だけが知る名店、といった趣だ。ガラス戸越しに見えるショーケースには、季節の和菓子が宝石のように並んでいる。
 ここでなら、何かが変わるかもしれない。根拠のない予感に背中を押され、湊は重厚な引き戸に手をかけた。
 カラン、と古風な鈴の音が店内に響く。
「いらっしゃいませ」
 奥から聞こえたのは、予想していたような老婦人の声ではなく、低く、腹の底に響くような男の声だった。
 暖簾を分けて現れた人物を見て、湊は思わず息を呑む。
 背が高い。
 白い作務衣に身を包んだその男は、和菓子職人というよりも、まるで修行僧か武道家のような鋭い雰囲気を纏っていた。黒髪は短く刈り込まれ、眉は意志の強さを表すように太い。何より、その瞳が恐ろしいほどに澄んでいて、射るような強さがあった。
「あ、あの」
 湊は気圧され、言葉に詰まる。
 男――高遠蓮は、無言のまま湊を見下ろした。怒っているわけではないのだろうが、その無愛想さは客商売としてはいかがなものかと思うレベルだ。
「注文は」
 短く問われ、湊は慌ててショーケースに視線を落とす。
 色鮮やかな練り切りや、ふっくらとした大福が並んでいる。その隅に、小さな鏡餅が飾られていた。一月七日を過ぎ、松の内が明けたとはいえ、まだ店先に飾られているそれは、ひび割れ一つなく、神聖な白さを保っている。
「えっと、その……どら焼きを二つと、あと、この練り切りを一つください」
「……はい」
 蓮は表情一つ変えず、注文された菓子を取り出す。その手つきは驚くほど繊細だった。ゴツゴツとした大きな掌が、壊れ物を扱うように優しく和菓子を包んでいく。そのギャップに、湊の目は釘付けになった。
「手、大きいですね」
 言ってしまってから、湊は自分の軽率さを悔いた。初対面の、しかもあんなに怖そうな相手に何を言っているんだ。
 案の定、蓮の手が一瞬止まる。
 ゆっくりと顔を上げ、蓮は怪訝そうに眉間にしわを寄せた。
「……邪魔ですか」
「えっ、いえ! 違います! そうじゃなくて、その、あんなに繊細な細工をするのに、随分と立派な手だなと思って……魔法みたいだなって」
 湊は必死に取り繕う。だが、それはお世辞でも何でもなく、本心だった。蓮の指先から生み出される菓子たちは、どれも命が吹き込まれたかのように美しい。
 蓮はわずかに目を見開き、それからすぐに視線を逸らした。耳の端が、ほんのりと赤くなっているように見える。
「……四百八十円です」
 話題を打ち切るように、蓮は金額を告げた。
 湊は財布から小銭を取り出し、トレイに置く。蓮の指先が湊の指に触れた瞬間、温かい熱が伝わってきた。外の寒さで冷え切っていた湊の手とは対照的に、蓮の手は仕事の熱を帯びていた。
「ありがとうございます」
 商品を受け取り、湊は逃げるように店を出る。
 心臓が妙に早鐘を打っていた。怖かったからだろうか。それとも、あの手の温かさに驚いたからだろうか。
 店の外に出ても、小豆の甘い香りがまだ鼻腔に残っている。
 湊は紙袋の中のどら焼きを見つめた。
 あの職人、名前は何というのだろう。
 なぜだか無性に気になり、湊はもう一度だけ振り返る。ガラス戸の奥、蓮がじっとこちらを見ているのが見えた気がした。だが、すぐにその姿は暖簾の奥へと消えてしまう。
「……取材、申し込んでみようかな」
 つぶやきは、白い息となって空に溶けた。
 書けないと思っていた。もう書きたくないと思っていた。けれど、あの職人の手を見た瞬間、湊の中に眠っていた「伝えたい」という欲求が、小さな火種となって燻り始めたのだ。
『月光堂』の高遠蓮。
 その名を知るのは、もう少し先のことになる。だが、この出会いが湊の止まっていた時間を動かす歯車になるとは、この時の彼はまだ知る由もなかった。
 冷たい風が吹き抜ける。湊はコートの襟を立て、どら焼きの温かさを抱きしめるようにして歩き出した。その足取りは、来る時よりもほんの少しだけ軽くなっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼の理想に

いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。 人は違ってもそれだけは変わらなかった。 だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。 優しくする努力をした。 本当はそんな人間なんかじゃないのに。 俺はあの人の恋人になりたい。 だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。 心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。

《一時完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ

MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。 「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。 揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。 不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。 すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。 切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。 続編執筆中

目線の先には。僕の好きな人は誰を見ている?

綾波絢斗
BL
東雲桜花大学附属第一高等学園の三年生の高瀬陸(たかせりく)と一ノ瀬湊(いちのせみなと)は幼稚舎の頃からの幼馴染。 湊は陸にひそかに想いを寄せているけれど、陸はいつも違う人を見ている。 そして、陸は相手が自分に好意を寄せると途端に興味を失う。 その性格を知っている僕は自分の想いを秘めたまま陸の傍にいようとするが、陸が恋している姿を見ていることに耐えられなく陸から離れる決意をした。

【完結】言えない言葉

未希かずは(Miki)
BL
 双子の弟・水瀬碧依は、明るい兄・翼と比べられ、自信がない引っ込み思案な大学生。  同じゼミの気さくで眩しい如月大和に密かに恋するが、話しかける勇気はない。  ある日、碧依は兄になりすまし、本屋のバイトで大和に近づく大胆な計画を立てる。  兄の笑顔で大和と心を通わせる碧依だが、嘘の自分に葛藤し……。  すれ違いを経て本当の想いを伝える、切なく甘い青春BLストーリー。 第1回青春BLカップ参加作品です。 1章 「出会い」が長くなってしまったので、前後編に分けました。 2章、3章も長くなってしまって、分けました。碧依の恋心を丁寧に書き直しました。(2025/9/2 18:40)

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

【完結】恋した君は別の誰かが好きだから

花村 ネズリ
BL
本編は完結しました。後日、おまけ&アフターストーリー随筆予定。 青春BLカップ31位。 BETありがとうございました。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 俺が好きになった人は、別の誰かが好きだからーー。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 二つの視点から見た、片思い恋愛模様。 じれきゅん ギャップ攻め

婚約破棄を望みます

みけねこ
BL
幼い頃出会った彼の『婚約者』には姉上がなるはずだったのに。もう諸々と隠せません。

処理中です...