鏡開きと恋のぜんざい~無愛想な和菓子職人はスランプ作家を甘く溶かす~

水凪しおん

文字の大きさ
9 / 16

第8話「鏡開きの音と梅の馨り」

しおりを挟む
 一月十一日。鏡開きの日がやってきた。
 昨夜の蔵での劇的な出来事から一睡もしないまま、湊と蓮は工房に立ち続けている。不思議と眠気はなかった。体中にアドレナリンが駆け巡り、高揚感が疲れを麻痺させているようだった。
 加工場の神棚に供えられていた本物の鏡餅を下ろす。乾燥してひび割れた表面は、カチコチに硬化して石のようだ。
「さて、これを割るわけですが」
 蓮が木槌を構える。その表情は、これから儀式を行う神官のように厳かだ。
「包丁で切っちゃ駄目なんですよね?」
「ええ。鏡餅は年神様の魂が宿るもの。刃物を入れるのは切腹を連想させて縁起が悪いとされています。だから、木槌で叩いて『開く』んです」
 蓮が大きく振りかぶり、ドン、と鏡餅を叩く。
 重い音が響くが、餅はびくともしない。
「……硬いですね」
「数日風に当てて乾燥させすぎました。これは骨が折れそうだ」
 蓮が苦笑する。その笑顔に、湊は胸が温かくなるのを感じた。以前の彼なら、舌打ちをして一人でイライラしていただろう。だが今は、この困難すらも楽しんでいるように見える。
「僕も手伝います。反対側から押さえてますから」
「危ないですよ」
「大丈夫。蓮さんを信じてますから」
 湊が餅の端をタオル越しにしっかりと押さえる。蓮は深く息を吸い込み、気合の入った声と共に木槌を振り下ろした。
 ガッ、という音がして、餅の中心に亀裂が走る。
「よし、入った!」
「もう一撃いきます」
 蓮のリズムに合わせて、湊も力を込める。二人の呼吸が重なり、硬い殻が少しずつ砕かれていく。
 それはまるで、二人の間にあった見えない壁が、音を立てて崩れていくようだった。
 パカンッ、と乾いた音がして、鏡餅が見事に割れた。
 中から現れた断面は、白く輝いている。
「やった……!」
 二人は顔を見合わせ、ハイタッチを交わした。蓮の手のひらは大きく、そして熱かった。
「これを細かく砕いて、焼いてからぜんざいに入れます。そして、これの出番です」
 蓮が取り出したのは、昨夜蔵から見つけ出した『梅』の木型だ。
 丁寧に洗われ、磨き上げられた木型は、長い眠りから覚めて喜んでいるように見える。
「白玉粉で生地を作って、この型で抜くんですね」
「はい。紅白の梅を作ります。普通のぜんざいに彩りを添えて、新年の祝いとします」
 蓮の手つきは迷いがなかった。先代の残したノートを読み込み、父の技を再現しようとしている。いや、再現ではない。父の技を受け継ぎながら、蓮自身の感性を加えて昇華させようとしているのだ。
 生地を練る手、型に押し込む指先の力加減、型から抜く瞬間の繊細な動き。
 ポン、と小気味よい音と共に、可愛らしい梅の花が次々と生まれていく。
「綺麗だ……」
 湊は息を呑んで見つめる。
 ただの団子ではない。そこには、冬の厳しさを耐え抜き、春を待ちわびる生命力が宿っていた。
「湊さん、鍋の火加減をお願いします。小豆が踊らないように、静かに」
「了解です!」
 湊は銅鍋の前に立ち、木べらでゆっくりと餡を混ぜる。
 甘い湯気が立ち上り、顔を包み込む。幸せな匂いだ。
 鍋の中でふっくらと煮えた小豆たちが、艶やかに光っている。蓮が炊き上げた極上の粒あんだ。
「味見、しますか?」
 蓮が小皿に少量のぜんざいをよそい、差し出してくれた。
 湊はフーフーと息を吹きかけ、口に運ぶ。
 熱い。そして、甘い。
 けれど、その甘さは決してくどくない。小豆の風味が鼻に抜け、あと口には上品な余韻だけが残る。そして何より、心に染み入るような優しさがあった。
「……美味しい。すごく、美味しいです」
 湊の目から、自然と涙が滲んだ。
 東京での激務、人間関係の軋轢、将来への不安。それらで冷え切っていた心の芯まで、この一杯が溶かしていくようだ。
「泣くほど不味いですか?」
 蓮が心配そうに覗き込む。
「違いますよ、馬鹿。美味しすぎて泣いてるんです」
 湊が袖で目を拭うと、蓮は安堵したように微笑み、そっと湊の頭に手を置いた。
「……良かった。あなたに、一番に食べてほしかった」
 その低く甘い声は、ぜんざいよりも熱く湊の胸を焦がした。
「開店まであと二時間。仮眠を取りましょう」
 蓮の提案に、湊は頷いた。
 二人は工房の隅にある休憩スペースのソファに並んで座る。
 狭いソファだ。肩と肩が触れ合う。
 疲れがどっと押し寄せ、湊の瞼が重くなる。
「……おやすみなさい、湊さん」
「ん……おやすみなさい、蓮さん」
 意識が薄れていく中、蓮がそっと毛布をかけてくれたのを感じた。そして、湊の頭が蓮の肩にもたれかかっても、彼は拒むことなく、その重みを受け止めてくれていた。
 窓の外では、朝の光が降り積もった雪をキラキラと照らしている。
『月光堂』の新しい一日が、もうすぐ始まろうとしていた。それは単なる営業日ではなく、高遠蓮という職人の再生の日であり、一ノ瀬湊というライターの復活の日でもあった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼の理想に

いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。 人は違ってもそれだけは変わらなかった。 だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。 優しくする努力をした。 本当はそんな人間なんかじゃないのに。 俺はあの人の恋人になりたい。 だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。 心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。

《一時完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ

MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。 「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。 揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。 不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。 すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。 切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。 続編執筆中

目線の先には。僕の好きな人は誰を見ている?

綾波絢斗
BL
東雲桜花大学附属第一高等学園の三年生の高瀬陸(たかせりく)と一ノ瀬湊(いちのせみなと)は幼稚舎の頃からの幼馴染。 湊は陸にひそかに想いを寄せているけれど、陸はいつも違う人を見ている。 そして、陸は相手が自分に好意を寄せると途端に興味を失う。 その性格を知っている僕は自分の想いを秘めたまま陸の傍にいようとするが、陸が恋している姿を見ていることに耐えられなく陸から離れる決意をした。

【完結】言えない言葉

未希かずは(Miki)
BL
 双子の弟・水瀬碧依は、明るい兄・翼と比べられ、自信がない引っ込み思案な大学生。  同じゼミの気さくで眩しい如月大和に密かに恋するが、話しかける勇気はない。  ある日、碧依は兄になりすまし、本屋のバイトで大和に近づく大胆な計画を立てる。  兄の笑顔で大和と心を通わせる碧依だが、嘘の自分に葛藤し……。  すれ違いを経て本当の想いを伝える、切なく甘い青春BLストーリー。 第1回青春BLカップ参加作品です。 1章 「出会い」が長くなってしまったので、前後編に分けました。 2章、3章も長くなってしまって、分けました。碧依の恋心を丁寧に書き直しました。(2025/9/2 18:40)

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

【完結】恋した君は別の誰かが好きだから

花村 ネズリ
BL
本編は完結しました。後日、おまけ&アフターストーリー随筆予定。 青春BLカップ31位。 BETありがとうございました。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 俺が好きになった人は、別の誰かが好きだからーー。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 二つの視点から見た、片思い恋愛模様。 じれきゅん ギャップ攻め

婚約破棄を望みます

みけねこ
BL
幼い頃出会った彼の『婚約者』には姉上がなるはずだったのに。もう諸々と隠せません。

処理中です...