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第10話:癒しのフェロモンと彼の弱さ
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仮の番の徴をつけられてからというもの、俺の体には確かな変化があった。シリウスのそばにいると、以前よりも心が落ち着くのだ。まるで、彼の存在そのものが、俺にとっての安全地帯になったかのようだった。
(これも全部、徴のせいだ。俺が絆されているわけじゃない……)
俺は必死にそう思い込もうとしていた。
そんなある夜のことだった。喉が渇いて目を覚ました俺は、水を飲もうと部屋を出た。深夜の公爵邸は静まり返っている。その静寂の中で、どこかからか、苦しげな呻き声が聞こえてくることに気づいた。
声は、シリウスの寝室の方から聞こえてくるようだ。
(どうしたんだろう……? まさか、刺客!?)
俺は最悪の事態を想像し、息を殺して彼の部屋の扉に耳を当てた。
「……っ……う……」
聞こえてくるのは、明らかにシリウスの声だった。だが、いつものような威厳のある声ではなく、痛みを必死にこらえているような、か細い声だ。
心配になって、俺は恐る恐る扉を少しだけ開けた。
月の光が差し込む部屋の中、ベッドの上でシリウスが体を丸め、シーツを固く握りしめているのが見えた。額には玉のような汗が浮かび、その表情は苦痛に歪んでいる。
「公爵閣下……!?」
俺は思わず駆け寄った。
「どうしたんですか! どこか痛むんですか!?」
「……来るな……アレン……」
彼は俺を遠ざけようとするが、その声には力がなかった。
「なぜだ……お前の匂いがしても……苦しい……」
彼の言葉の意味が、俺には分からなかった。俺の匂いが、彼を苦しめている?
その時、俺はふと、彼に関するある噂を思い出した。シリウス・フォン・クラーヴァインは、重度のフェロモン過敏症である、と。
普通の人間なら気にも留めないような微かなフェロモンですら、彼にとっては耐え難い苦痛になるのだという。だから彼は、常に人を遠ざけ、冷酷非情な仮面を被っているのだと。
(じゃあ、今のこの苦しみも、そのせい……?)
でも、なぜ? 今この部屋には、俺と彼しかいない。俺はオメガだが、彼の番(仮)だ。俺のフェロモンは、彼を癒やすことはあっても、苦しめるはずはなかった。
そこで、俺はハッとした。窓が開いている。そして、窓の外からは、夜の闇に紛れて、様々な人間の――アルファやオメガたちのフェロモンが、微かに流れ込んできている。おそらく、夜会か何かで、街に人が多く出ているのだろう。
常人には感じられないほどの、その微かなフェロモンの濁流が、彼を苛んでいるのだ。
(俺のフェロモンだけが、彼を癒せる……)
ヒートの時、彼の腕の中で楽になったことを思い出す。仮の番になった時、彼のフェロモンで安心したことを思い出す。なら、逆もまた然りなのではないか。
俺は覚悟を決めると、シリウスのそばに寄り添い、そっと彼を抱きしめた。そして、意識して自分のフェロモンを解放した。安らぎと癒やしを、ただひたすらに願って。
「……アレン……?」
「大丈夫です。俺が、そばにいますから」
俺のフェロモンが彼を包み込むと、シリウスの体のこわばりが、少しずつ解けていくのが分かった。苦しげだった呼吸も、次第に穏やかな寝息へと変わっていく。
彼の苦しみを知った。そして、俺だけが、その苦しみを和らげる特効薬なのだと気づかされた。
これは、偽装婚約の駆け引きなどではない。もっと根源的で、切実な繋がり。
初めて、俺はシリウス・フォン・クラーヴァインという人間の、弱くて脆い部分に触れた気がした。
(これも全部、徴のせいだ。俺が絆されているわけじゃない……)
俺は必死にそう思い込もうとしていた。
そんなある夜のことだった。喉が渇いて目を覚ました俺は、水を飲もうと部屋を出た。深夜の公爵邸は静まり返っている。その静寂の中で、どこかからか、苦しげな呻き声が聞こえてくることに気づいた。
声は、シリウスの寝室の方から聞こえてくるようだ。
(どうしたんだろう……? まさか、刺客!?)
俺は最悪の事態を想像し、息を殺して彼の部屋の扉に耳を当てた。
「……っ……う……」
聞こえてくるのは、明らかにシリウスの声だった。だが、いつものような威厳のある声ではなく、痛みを必死にこらえているような、か細い声だ。
心配になって、俺は恐る恐る扉を少しだけ開けた。
月の光が差し込む部屋の中、ベッドの上でシリウスが体を丸め、シーツを固く握りしめているのが見えた。額には玉のような汗が浮かび、その表情は苦痛に歪んでいる。
「公爵閣下……!?」
俺は思わず駆け寄った。
「どうしたんですか! どこか痛むんですか!?」
「……来るな……アレン……」
彼は俺を遠ざけようとするが、その声には力がなかった。
「なぜだ……お前の匂いがしても……苦しい……」
彼の言葉の意味が、俺には分からなかった。俺の匂いが、彼を苦しめている?
その時、俺はふと、彼に関するある噂を思い出した。シリウス・フォン・クラーヴァインは、重度のフェロモン過敏症である、と。
普通の人間なら気にも留めないような微かなフェロモンですら、彼にとっては耐え難い苦痛になるのだという。だから彼は、常に人を遠ざけ、冷酷非情な仮面を被っているのだと。
(じゃあ、今のこの苦しみも、そのせい……?)
でも、なぜ? 今この部屋には、俺と彼しかいない。俺はオメガだが、彼の番(仮)だ。俺のフェロモンは、彼を癒やすことはあっても、苦しめるはずはなかった。
そこで、俺はハッとした。窓が開いている。そして、窓の外からは、夜の闇に紛れて、様々な人間の――アルファやオメガたちのフェロモンが、微かに流れ込んできている。おそらく、夜会か何かで、街に人が多く出ているのだろう。
常人には感じられないほどの、その微かなフェロモンの濁流が、彼を苛んでいるのだ。
(俺のフェロモンだけが、彼を癒せる……)
ヒートの時、彼の腕の中で楽になったことを思い出す。仮の番になった時、彼のフェロモンで安心したことを思い出す。なら、逆もまた然りなのではないか。
俺は覚悟を決めると、シリウスのそばに寄り添い、そっと彼を抱きしめた。そして、意識して自分のフェロモンを解放した。安らぎと癒やしを、ただひたすらに願って。
「……アレン……?」
「大丈夫です。俺が、そばにいますから」
俺のフェロモンが彼を包み込むと、シリウスの体のこわばりが、少しずつ解けていくのが分かった。苦しげだった呼吸も、次第に穏やかな寝息へと変わっていく。
彼の苦しみを知った。そして、俺だけが、その苦しみを和らげる特効薬なのだと気づかされた。
これは、偽装婚約の駆け引きなどではない。もっと根源的で、切実な繋がり。
初めて、俺はシリウス・フォン・クラーヴァインという人間の、弱くて脆い部分に触れた気がした。
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