地味なβのふりをする僕。ある日助けたのは憧れのαだった。記憶を失った彼は僕にだけ懐き甘えてくるが、その瞳の奥には強すぎる独占欲が宿っていて…

水凪しおん

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第5話「陽だまりの中の無邪気な独占欲」

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 蓮との同居生活が始まって、一週間が経った。
 僕たちの毎日は驚くほど穏やかに、そして平穏に過ぎていった。朝、僕が目を覚ますと蓮はもう起きていて、リビングのソファで僕を待っている。二人で朝食をとり、一緒に大学へ向かう。講義が終わればまた一緒に家に帰り、夕食を作り同じ時間を過ごす。
 それは、僕がかつて夢に見たことさえなかった幸せな光景だった。

 大学では、蓮の変化に誰もが驚いていた。
 以前の彼を知る学生たちは、いつも誰かと一緒にいて人懐っこい笑顔を浮かべるようになった蓮を見て、口々に「神楽坂、事故で性格まで変わったのか?」と噂し合った。特に、僕のような目立たない学生と四六時中一緒にいることを不思議に思う者も少なくなかった。

「なあ、湊。お前、神楽坂とどういう関係なんだよ」

 昼休み、学食で健太が心配そうに尋ねてきた。

「どういうって…成り行きで、ルームメイトになっただけだよ」

「ルームメイトぉ? お前が、あの神楽坂と? どんな成り行きだよ」

 詳しい事情を話すわけにもいかず、僕は曖昧に笑って誤魔化す。そんな僕たちの会話に、いつの間にか蓮が割り込んできた。

「湊は、僕の大事な人だよ。だから、あんまり馴れ馴れしくしないでくれる?」

 蓮は健太に対して、あからさまに敵意のこもった視線を向けた。その瞳の奥に一瞬、冷たい光が宿ったのを僕は見逃さなかった。

「な、なんだよ、神楽坂…。別に、変な意味じゃ…」

 健太は蓮の放つアルファとしての威圧感に気圧されて、たじろいでいる。

「蓮、やめなよ。健太は、僕の親友なんだ」

 僕が間に入ると、蓮は不満そうな顔をしながらもすっと敵意を収めた。そして僕の腕に自分の腕を絡め、「行こう、湊」と僕をその場から連れ去ろうとする。

「ご、ごめん、健太! また後で!」

 僕は健太に謝りながら、蓮に引きずられるようにして学食を後にした。

 屋上へと続く階段の踊り場で、蓮は立ち止まった。

「…どうして、あんな奴と仲良くするの」

 拗ねたような、低い声。

「あんな奴って…健太は、僕の大切な友達だよ」

「僕より?」

「…そういう問題じゃないだろ」

 僕はため息をついた。記憶を失った蓮は、まるで独占欲の強い子供のようだった。僕が他の誰かと親しく話しているだけで、すぐに機嫌が悪くなる。

「湊は、僕だけ見ててくれればいいのに」

 彼はそう言って、僕の肩にこてんと頭を乗せてきた。甘えるような仕草。僕はそのギャップに戸惑いながらも、彼のプラチナブロンドの髪をそっと撫でた。

「わかった、わかったから。ごめんな、心配させて」

「…うん」

 僕が謝ると、蓮は満足そうに目を細めた。その姿は飼い主の愛情を確かめる子犬のようで、僕はつい苦笑してしまう。

 こんな日々が、ずっと続けばいいのに。
 そう願わずにはいられなかった。
 彼が記憶を取り戻せば、この陽だまりのように温かい関係はきっと終わってしまう。僕がオメガだという秘密も、いつまでも隠し通せるものではない。
 分かっている。これは、束の間の夢なのだと。
 それでも、僕は、この夢から覚めたくなかった。

 ある日の午後、僕たちは二人で近くの公園を散歩していた。
 柔らかな日差しが木々の間から差し込み、穏やかな時間が流れている。ベンチに座って自販機で買ったジュースを飲んでいると、蓮が不意に口を開いた。

「ねえ、湊」

「ん?」

「僕たち、事故に遭う前は、恋人同士だったの?」

「…ぶっ!」

 僕は飲んでいたオレンジジュースを盛大に吹き出しそうになった。

「な、な、な、なんでそうなるんだよ!」

「だって、湊と一緒にいると胸のあたりが、きゅうってなるんだ。温かくて、ちょっと苦しくて。それに、湊が他の誰かと話してるとすごく嫌な気持ちになる。これって、恋、なんじゃないかなって」

 真剣な顔で彼は言う。そのまっすぐな瞳に見つめられて、僕は顔から火が出そうなくらい熱くなるのを感じた。

「そ、それは…気のせいだよ! 僕たちは、ただの友達だって」

「本当に?」

 蓮は、疑うような目で僕の顔をのぞき込んでくる。

「…湊は、僕のこと、嫌い?」

 捨てられた子犬のような、悲しげな声。そんな声で言われたら僕がどれだけ罪悪感を覚えるか、彼は分かっていない。

「…嫌いなわけ、ないだろ」

 僕は蚊の鳴くような声で答えるのが精一杯だった。
 その言葉を聞いて、蓮の表情がぱっと明るくなる。

「そっか! よかった。じゃあ、これから恋人になればいいんだ」

「はあ!?」

「僕、湊のことが好きだよ。湊は?」

 あまりにもストレートな告白に、僕の思考は完全に停止した。
 好き? 神楽坂蓮が、僕を?
 いや、違う。これは記憶を失って精神的に不安定になっている彼が、一番初めに優しくしてくれた僕にただ依存しているだけだ。これは、恋じゃない。

 そう、頭では分かっているのに。
 僕の心は彼の言葉に、愚かにも喜びを感じてしまっていた。
 憧れの人が「好きだ」と言ってくれたのだ。たとえそれが、本当の彼からの言葉ではなかったとしても。

「…僕は…」

 答えられない僕の沈黙を、彼は肯定と受け取ったようだった。

「湊も、僕のこと、好きなんだね。嬉しいな」

 彼は心の底から嬉しそうに微笑んだ。その笑顔は春の陽だまりのように温かくて、僕の心を優しく溶かしていく。

 僕は大きな過ちを犯しているのかもしれない。
 彼に本当のことを告げず、この曖昧な関係を続けることは彼を騙しているのと同じだ。
 けれど、僕は、この陽だまりの中から一歩も動くことができなかった。
 無邪気な彼の独占欲も、まっすぐな好意も、すべてが僕にとっては心地よくて手放しがたいものになってしまっていたから。
 この幸せがいつか終わることを知りながら、僕はただ彼の手を握り返すことしかできなかった。
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