6 / 30
第5話「陽だまりの中の無邪気な独占欲」
しおりを挟む
蓮との同居生活が始まって、一週間が経った。
僕たちの毎日は驚くほど穏やかに、そして平穏に過ぎていった。朝、僕が目を覚ますと蓮はもう起きていて、リビングのソファで僕を待っている。二人で朝食をとり、一緒に大学へ向かう。講義が終わればまた一緒に家に帰り、夕食を作り同じ時間を過ごす。
それは、僕がかつて夢に見たことさえなかった幸せな光景だった。
大学では、蓮の変化に誰もが驚いていた。
以前の彼を知る学生たちは、いつも誰かと一緒にいて人懐っこい笑顔を浮かべるようになった蓮を見て、口々に「神楽坂、事故で性格まで変わったのか?」と噂し合った。特に、僕のような目立たない学生と四六時中一緒にいることを不思議に思う者も少なくなかった。
「なあ、湊。お前、神楽坂とどういう関係なんだよ」
昼休み、学食で健太が心配そうに尋ねてきた。
「どういうって…成り行きで、ルームメイトになっただけだよ」
「ルームメイトぉ? お前が、あの神楽坂と? どんな成り行きだよ」
詳しい事情を話すわけにもいかず、僕は曖昧に笑って誤魔化す。そんな僕たちの会話に、いつの間にか蓮が割り込んできた。
「湊は、僕の大事な人だよ。だから、あんまり馴れ馴れしくしないでくれる?」
蓮は健太に対して、あからさまに敵意のこもった視線を向けた。その瞳の奥に一瞬、冷たい光が宿ったのを僕は見逃さなかった。
「な、なんだよ、神楽坂…。別に、変な意味じゃ…」
健太は蓮の放つアルファとしての威圧感に気圧されて、たじろいでいる。
「蓮、やめなよ。健太は、僕の親友なんだ」
僕が間に入ると、蓮は不満そうな顔をしながらもすっと敵意を収めた。そして僕の腕に自分の腕を絡め、「行こう、湊」と僕をその場から連れ去ろうとする。
「ご、ごめん、健太! また後で!」
僕は健太に謝りながら、蓮に引きずられるようにして学食を後にした。
屋上へと続く階段の踊り場で、蓮は立ち止まった。
「…どうして、あんな奴と仲良くするの」
拗ねたような、低い声。
「あんな奴って…健太は、僕の大切な友達だよ」
「僕より?」
「…そういう問題じゃないだろ」
僕はため息をついた。記憶を失った蓮は、まるで独占欲の強い子供のようだった。僕が他の誰かと親しく話しているだけで、すぐに機嫌が悪くなる。
「湊は、僕だけ見ててくれればいいのに」
彼はそう言って、僕の肩にこてんと頭を乗せてきた。甘えるような仕草。僕はそのギャップに戸惑いながらも、彼のプラチナブロンドの髪をそっと撫でた。
「わかった、わかったから。ごめんな、心配させて」
「…うん」
僕が謝ると、蓮は満足そうに目を細めた。その姿は飼い主の愛情を確かめる子犬のようで、僕はつい苦笑してしまう。
こんな日々が、ずっと続けばいいのに。
そう願わずにはいられなかった。
彼が記憶を取り戻せば、この陽だまりのように温かい関係はきっと終わってしまう。僕がオメガだという秘密も、いつまでも隠し通せるものではない。
分かっている。これは、束の間の夢なのだと。
それでも、僕は、この夢から覚めたくなかった。
ある日の午後、僕たちは二人で近くの公園を散歩していた。
柔らかな日差しが木々の間から差し込み、穏やかな時間が流れている。ベンチに座って自販機で買ったジュースを飲んでいると、蓮が不意に口を開いた。
「ねえ、湊」
「ん?」
「僕たち、事故に遭う前は、恋人同士だったの?」
「…ぶっ!」
僕は飲んでいたオレンジジュースを盛大に吹き出しそうになった。
「な、な、な、なんでそうなるんだよ!」
「だって、湊と一緒にいると胸のあたりが、きゅうってなるんだ。温かくて、ちょっと苦しくて。それに、湊が他の誰かと話してるとすごく嫌な気持ちになる。これって、恋、なんじゃないかなって」
真剣な顔で彼は言う。そのまっすぐな瞳に見つめられて、僕は顔から火が出そうなくらい熱くなるのを感じた。
「そ、それは…気のせいだよ! 僕たちは、ただの友達だって」
「本当に?」
蓮は、疑うような目で僕の顔をのぞき込んでくる。
「…湊は、僕のこと、嫌い?」
捨てられた子犬のような、悲しげな声。そんな声で言われたら僕がどれだけ罪悪感を覚えるか、彼は分かっていない。
「…嫌いなわけ、ないだろ」
僕は蚊の鳴くような声で答えるのが精一杯だった。
その言葉を聞いて、蓮の表情がぱっと明るくなる。
「そっか! よかった。じゃあ、これから恋人になればいいんだ」
「はあ!?」
「僕、湊のことが好きだよ。湊は?」
あまりにもストレートな告白に、僕の思考は完全に停止した。
好き? 神楽坂蓮が、僕を?
いや、違う。これは記憶を失って精神的に不安定になっている彼が、一番初めに優しくしてくれた僕にただ依存しているだけだ。これは、恋じゃない。
そう、頭では分かっているのに。
僕の心は彼の言葉に、愚かにも喜びを感じてしまっていた。
憧れの人が「好きだ」と言ってくれたのだ。たとえそれが、本当の彼からの言葉ではなかったとしても。
「…僕は…」
答えられない僕の沈黙を、彼は肯定と受け取ったようだった。
「湊も、僕のこと、好きなんだね。嬉しいな」
彼は心の底から嬉しそうに微笑んだ。その笑顔は春の陽だまりのように温かくて、僕の心を優しく溶かしていく。
僕は大きな過ちを犯しているのかもしれない。
彼に本当のことを告げず、この曖昧な関係を続けることは彼を騙しているのと同じだ。
けれど、僕は、この陽だまりの中から一歩も動くことができなかった。
無邪気な彼の独占欲も、まっすぐな好意も、すべてが僕にとっては心地よくて手放しがたいものになってしまっていたから。
この幸せがいつか終わることを知りながら、僕はただ彼の手を握り返すことしかできなかった。
僕たちの毎日は驚くほど穏やかに、そして平穏に過ぎていった。朝、僕が目を覚ますと蓮はもう起きていて、リビングのソファで僕を待っている。二人で朝食をとり、一緒に大学へ向かう。講義が終わればまた一緒に家に帰り、夕食を作り同じ時間を過ごす。
それは、僕がかつて夢に見たことさえなかった幸せな光景だった。
大学では、蓮の変化に誰もが驚いていた。
以前の彼を知る学生たちは、いつも誰かと一緒にいて人懐っこい笑顔を浮かべるようになった蓮を見て、口々に「神楽坂、事故で性格まで変わったのか?」と噂し合った。特に、僕のような目立たない学生と四六時中一緒にいることを不思議に思う者も少なくなかった。
「なあ、湊。お前、神楽坂とどういう関係なんだよ」
昼休み、学食で健太が心配そうに尋ねてきた。
「どういうって…成り行きで、ルームメイトになっただけだよ」
「ルームメイトぉ? お前が、あの神楽坂と? どんな成り行きだよ」
詳しい事情を話すわけにもいかず、僕は曖昧に笑って誤魔化す。そんな僕たちの会話に、いつの間にか蓮が割り込んできた。
「湊は、僕の大事な人だよ。だから、あんまり馴れ馴れしくしないでくれる?」
蓮は健太に対して、あからさまに敵意のこもった視線を向けた。その瞳の奥に一瞬、冷たい光が宿ったのを僕は見逃さなかった。
「な、なんだよ、神楽坂…。別に、変な意味じゃ…」
健太は蓮の放つアルファとしての威圧感に気圧されて、たじろいでいる。
「蓮、やめなよ。健太は、僕の親友なんだ」
僕が間に入ると、蓮は不満そうな顔をしながらもすっと敵意を収めた。そして僕の腕に自分の腕を絡め、「行こう、湊」と僕をその場から連れ去ろうとする。
「ご、ごめん、健太! また後で!」
僕は健太に謝りながら、蓮に引きずられるようにして学食を後にした。
屋上へと続く階段の踊り場で、蓮は立ち止まった。
「…どうして、あんな奴と仲良くするの」
拗ねたような、低い声。
「あんな奴って…健太は、僕の大切な友達だよ」
「僕より?」
「…そういう問題じゃないだろ」
僕はため息をついた。記憶を失った蓮は、まるで独占欲の強い子供のようだった。僕が他の誰かと親しく話しているだけで、すぐに機嫌が悪くなる。
「湊は、僕だけ見ててくれればいいのに」
彼はそう言って、僕の肩にこてんと頭を乗せてきた。甘えるような仕草。僕はそのギャップに戸惑いながらも、彼のプラチナブロンドの髪をそっと撫でた。
「わかった、わかったから。ごめんな、心配させて」
「…うん」
僕が謝ると、蓮は満足そうに目を細めた。その姿は飼い主の愛情を確かめる子犬のようで、僕はつい苦笑してしまう。
こんな日々が、ずっと続けばいいのに。
そう願わずにはいられなかった。
彼が記憶を取り戻せば、この陽だまりのように温かい関係はきっと終わってしまう。僕がオメガだという秘密も、いつまでも隠し通せるものではない。
分かっている。これは、束の間の夢なのだと。
それでも、僕は、この夢から覚めたくなかった。
ある日の午後、僕たちは二人で近くの公園を散歩していた。
柔らかな日差しが木々の間から差し込み、穏やかな時間が流れている。ベンチに座って自販機で買ったジュースを飲んでいると、蓮が不意に口を開いた。
「ねえ、湊」
「ん?」
「僕たち、事故に遭う前は、恋人同士だったの?」
「…ぶっ!」
僕は飲んでいたオレンジジュースを盛大に吹き出しそうになった。
「な、な、な、なんでそうなるんだよ!」
「だって、湊と一緒にいると胸のあたりが、きゅうってなるんだ。温かくて、ちょっと苦しくて。それに、湊が他の誰かと話してるとすごく嫌な気持ちになる。これって、恋、なんじゃないかなって」
真剣な顔で彼は言う。そのまっすぐな瞳に見つめられて、僕は顔から火が出そうなくらい熱くなるのを感じた。
「そ、それは…気のせいだよ! 僕たちは、ただの友達だって」
「本当に?」
蓮は、疑うような目で僕の顔をのぞき込んでくる。
「…湊は、僕のこと、嫌い?」
捨てられた子犬のような、悲しげな声。そんな声で言われたら僕がどれだけ罪悪感を覚えるか、彼は分かっていない。
「…嫌いなわけ、ないだろ」
僕は蚊の鳴くような声で答えるのが精一杯だった。
その言葉を聞いて、蓮の表情がぱっと明るくなる。
「そっか! よかった。じゃあ、これから恋人になればいいんだ」
「はあ!?」
「僕、湊のことが好きだよ。湊は?」
あまりにもストレートな告白に、僕の思考は完全に停止した。
好き? 神楽坂蓮が、僕を?
いや、違う。これは記憶を失って精神的に不安定になっている彼が、一番初めに優しくしてくれた僕にただ依存しているだけだ。これは、恋じゃない。
そう、頭では分かっているのに。
僕の心は彼の言葉に、愚かにも喜びを感じてしまっていた。
憧れの人が「好きだ」と言ってくれたのだ。たとえそれが、本当の彼からの言葉ではなかったとしても。
「…僕は…」
答えられない僕の沈黙を、彼は肯定と受け取ったようだった。
「湊も、僕のこと、好きなんだね。嬉しいな」
彼は心の底から嬉しそうに微笑んだ。その笑顔は春の陽だまりのように温かくて、僕の心を優しく溶かしていく。
僕は大きな過ちを犯しているのかもしれない。
彼に本当のことを告げず、この曖昧な関係を続けることは彼を騙しているのと同じだ。
けれど、僕は、この陽だまりの中から一歩も動くことができなかった。
無邪気な彼の独占欲も、まっすぐな好意も、すべてが僕にとっては心地よくて手放しがたいものになってしまっていたから。
この幸せがいつか終わることを知りながら、僕はただ彼の手を握り返すことしかできなかった。
46
あなたにおすすめの小説
のほほんオメガは、同期アルファの執着に気付いていませんでした
こたま
BL
オメガの品川拓海(しながわ たくみ)は、現在祖母宅で祖母と飼い猫とのほほんと暮らしている社会人のオメガだ。雇用機会均等法以来門戸の開かれたオメガ枠で某企業に就職している。同期のアルファで営業の高輪響矢(たかなわ きょうや)とは彼の営業サポートとして共に働いている。同期社会人同士のオメガバース、ハッピーエンドです。両片想い、後両想い。攻の愛が重めです。
森で助けた記憶喪失の青年は、実は敵国の王子様だった!? 身分に引き裂かれた運命の番が、王宮の陰謀を乗り越え再会するまで
水凪しおん
BL
記憶を失った王子×森の奥で暮らす薬師。
身分違いの二人が織りなす、切なくも温かい再会と愛の物語。
人里離れた深い森の奥、ひっそりと暮らす薬師のフィンは、ある嵐の夜、傷つき倒れていた赤髪の青年を助ける。
記憶を失っていた彼に「アッシュ」と名付け、共に暮らすうちに、二人は互いになくてはならない存在となり、心を通わせていく。
しかし、幸せな日々は突如として終わりを告げた。
彼は隣国ヴァレンティスの第一王子、アシュレイだったのだ。
記憶を取り戻し、王宮へと連れ戻されるアッシュ。残されたフィン。
身分という巨大な壁と、王宮に渦巻く陰謀が二人を引き裂く。
それでも、運命の番(つがい)の魂は、呼び合うことをやめなかった――。
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
運命を知らないアルファ
riiko
BL
オメガ嫌いの西条司は女性アルファとしか付き合わない、そんな中やたらと気になるオメガを見つけた。
運命やフェロモンという不確かなモノではなく、初めて本気で惹かれた唯一のオメガにはとんでもない秘密があった!?
オメガ嫌い御曹司α×ベータとして育った平凡Ω
オメガ主人公がお好きな方は『運命を知っているオメガ』をお読みくださいませ。こちらはその物語のアルファ側のお話です。このお話だけでも物語は完結しますが、両方読まれると答え合わせが楽しめます。
性描写が入るシーンは
※マークをタイトルにつけます、ご注意くださいませ。
コメント欄はそのまま載せておりますので、ネタバレ大丈夫な方のみご覧くださいませ。
物語、お楽しみいただけたら幸いです。
欠陥αは運命を追う
豆ちよこ
BL
「宗次さんから番の匂いがします」
従兄弟の番からそう言われたアルファの宝条宗次は、全く心当たりの無いその言葉に微かな期待を抱く。忘れ去られた記憶の中に、自分の求める運命の人がいるかもしれないーー。
けれどその匂いは日に日に薄れていく。早く探し出さないと二度と会えなくなってしまう。匂いが消える時…それは、番の命が尽きる時。
※自己解釈・自己設定有り
※R指定はほぼ無し
※アルファ(攻め)視点
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
今からレンタルアルファシステムを利用します
夜鳥すぱり
BL
大学2年の鳴水《なるみ》は、ずっと自分がオメガであることを隠して生きてきた。でも、年々つらくなる発情期にもう一人は耐えられない。恋愛対象は男性だし、男のアルファに会ってみたい。誰でも良いから、定期的に安全に話し相手をしてくれる人が欲しい。でもそんな都合のいい人いなくて、考えあぐねた結果たどり着いた、アプリ、レンタルアルファシステム。安全……だと思う、評価も星5で良いし。うん、じゃ、お問い合わせをしてみるか。なるみは、恐る恐るボタンを押すが───。
◆完結済みです。ありがとうございました。
◆表紙絵を花々緒さんが描いてくださりました。カッコいい雪夜君と、おどおど鳴水くんです。可愛すぎますね!
幼馴染みのハイスペックαから離れようとしたら、Ωに転化するほどの愛を示されたβの話。
叶崎みお
BL
平凡なβに生まれた千秋には、顔も頭も運動神経もいいハイスペックなαの幼馴染みがいる。
幼馴染みというだけでその隣にいるのがいたたまれなくなり、距離をとろうとするのだが、完璧なαとして周りから期待を集める幼馴染みαは「失敗できないから練習に付き合って」と千秋を頼ってきた。
大事な幼馴染みの願いならと了承すれば、「まずキスの練習がしたい」と言い出して──。
幼馴染みαの執着により、βから転化し後天性Ωになる話です。両片想いのハピエンです。
他サイト様にも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる