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第9話「契約の終わり、衝動の始まり」
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征四郎の腕の中で、伊織は安堵と恐怖がないまぜになった感情に震えていた。彼が助けに来てくれた。自分を守ってくれた。その事実が嬉しくて、けれど桜坂という男に触れられた不快感がまだ肌に残っているようだった。
「……もう大丈夫だ」
征四郎は伊織の背中をまるで壊れ物を扱うかのように優しくゆっくりと撫でた。その大きな手のひらから伝わる温もりが、伊織の強張った心を少しずつ解きほぐしていく。αである彼のフェロモンは本来ならΩである伊織を萎縮させるはずなのに、不思議と今は安らぎしか感じなかった。むしろもっとこの香りに包まれていたいとさえ思う。
しばらくして伊織が少し落ち着いたのを見計らい、征四郎はゆっくりと身体を離した。しかしその手は伊織の肩を掴んだままだ。彼の黒い瞳が真剣な光を宿して、まっすぐに伊織を見つめていた。
「……すまなかった。君があんな男に不快な思いをしているとは知らずに……」
「い、いえ……僕こそご迷惑をおかけして……」
「迷惑だなどと思っていない」
征四郎は伊織の言葉を遮るようにきっぱりと言った。
「君が他の男に触れられるのは我慢がならない。君が他の男のところへ行くのも絶対に許さない」
その言葉はまるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。彼の瞳の奥で激しい感情が渦巻いているのが伊織にもわかった。
その時伊織の身体に奇妙な変化が起きていた。身体の芯がじんと熱を帯び始めている。指先が微かに痺れ呼吸が少しずつ荒くなる。そして甘くとろりとした香りが自分の身体から立ち上り始めていることに気づいた。
(まさか……ヒート……?)
伊織は血の気が引いた。毎日欠かさず抑制剤を飲んでいるはずなのに。こんなタイミングで、なぜ。
原因は明らかだった。征四郎のフェロモンだ。桜坂への怒りと伊織への独占欲によって昂った彼のフェロモンが、伊織のΩとしての本能を強制的に呼び覚ましてしまったのだ。抑制剤の許容量をはるかに超える強力なαのフェロモン。それに誘発される形で抑えられていたはずのヒートが、無理やりこじ開けられようとしていた。
「……っ、ぁ……」
熱い吐息が勝手に漏れる。足に力が入らなくなり伊織の身体がぐらりと傾いだ。
「おい、どうした!?」
征四郎が慌ててその身体を支える。伊織の身体は火のように熱かった。そして彼の身体から放たれるむせ返るような甘いΩのフェロモンが、征四郎の鼻腔を突き刺した。
「ヒート……なのか?薬は飲んでいるんだろう!?」
「の、んで……ます……でも……っ」
もうまともに言葉を紡ぐことができない。理性が熱に溶かされていく。目の前の逞しいαの身体に、本能がすり寄りたいと叫んでいた。
征四郎は状況を即座に理解した。自分のせいだ。自分の感情の高ぶりが彼の身体に変調をきたさせてしまった。
「くそっ……!」
征四郎は舌打ちをすると伊織の身体を軽々と横抱きに抱え上げた。
「しっかりしろ!」
ベッドにそっと降ろされると伊織はシーツに顔を埋めて喘いだ。もう自分を抑えることができない。熱い。苦しい。誰かにこの熱を鎮めてほしい。αに強く抱きしめてほしい。
「せいしろう、さん……っ」
無意識のうちに彼の名を呼んでいた。涙で潤んだ瞳で彼を見上げると、征四郎は苦悶に満ちた表情で伊織を見下ろしていた。
彼の額にも汗が滲んでいる。伊織から放たれる甘いフェロモンはαである彼にとっても強烈な媚薬であるはずだ。理性を保っているのが不思議なほどだった。
「君を傷つけたくない」
征四郎は呻くように言った。
「衝動のままに君を抱くことだけはしたくない」
それは彼の理性からの叫びだった。だが彼の身体は正直だった。伊織には彼のズボンの下が硬く昂っているのが見てとれた。彼も限界なのだ。
「……いい、です……」
伊織は震える手で征四郎の服の裾を掴んだ。
「僕は……あなたがいい……。征四郎さんに抱かれたい……」
それはヒートによる本能の叫びか、伊織自身の心の叫びか。もうわからなかった。ただ目の前の男に自分をすべて委ねてしまいたい。その想いだけが確かだった。
伊織の言葉は征四郎の中に残っていた最後の理性の糸を、ぷつりと断ち切った。
「……後悔するなよ」
低い掠れた声。次の瞬間、征四郎の大きな身体が伊織の上に覆いかぶさってきた。貪るように唇が塞がれる。乱暴で、しかしどこか切実なキス。伊織は必死でそれにしがみついた。
「君を番にする気はない」。
そう言われたあの冷たい契約はもうどこかへ消え去ってしまった。
今はただお互いの熱だけが確かだった。服が乱暴に剥ぎ取られ熱い肌が触れ合う。征四郎の指が伊織の秘蕾に触れた瞬間、伊織は甘い声を上げた。
「……名前を呼んでくれ」
喘ぎながら征四郎が囁く。
「いおり、と」
「……いおり……」
伊織は夢中で彼の名を呼んだ。
「せいしろう、さん……っ、せいしろうさん……!」
熱に浮かされた頭で伊織は思う。これは夢なのだろうか。もし夢ならどうか覚めないでほしい。
箱庭で始まった孤独な契約。それは今お互いの衝動と本能によって終わりを告げようとしていた。そしてそれは同時に新しい関係の始まりでもあった。
熱く激しく、そしてどこまでも切ない始まりの夜だった。
「……もう大丈夫だ」
征四郎は伊織の背中をまるで壊れ物を扱うかのように優しくゆっくりと撫でた。その大きな手のひらから伝わる温もりが、伊織の強張った心を少しずつ解きほぐしていく。αである彼のフェロモンは本来ならΩである伊織を萎縮させるはずなのに、不思議と今は安らぎしか感じなかった。むしろもっとこの香りに包まれていたいとさえ思う。
しばらくして伊織が少し落ち着いたのを見計らい、征四郎はゆっくりと身体を離した。しかしその手は伊織の肩を掴んだままだ。彼の黒い瞳が真剣な光を宿して、まっすぐに伊織を見つめていた。
「……すまなかった。君があんな男に不快な思いをしているとは知らずに……」
「い、いえ……僕こそご迷惑をおかけして……」
「迷惑だなどと思っていない」
征四郎は伊織の言葉を遮るようにきっぱりと言った。
「君が他の男に触れられるのは我慢がならない。君が他の男のところへ行くのも絶対に許さない」
その言葉はまるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。彼の瞳の奥で激しい感情が渦巻いているのが伊織にもわかった。
その時伊織の身体に奇妙な変化が起きていた。身体の芯がじんと熱を帯び始めている。指先が微かに痺れ呼吸が少しずつ荒くなる。そして甘くとろりとした香りが自分の身体から立ち上り始めていることに気づいた。
(まさか……ヒート……?)
伊織は血の気が引いた。毎日欠かさず抑制剤を飲んでいるはずなのに。こんなタイミングで、なぜ。
原因は明らかだった。征四郎のフェロモンだ。桜坂への怒りと伊織への独占欲によって昂った彼のフェロモンが、伊織のΩとしての本能を強制的に呼び覚ましてしまったのだ。抑制剤の許容量をはるかに超える強力なαのフェロモン。それに誘発される形で抑えられていたはずのヒートが、無理やりこじ開けられようとしていた。
「……っ、ぁ……」
熱い吐息が勝手に漏れる。足に力が入らなくなり伊織の身体がぐらりと傾いだ。
「おい、どうした!?」
征四郎が慌ててその身体を支える。伊織の身体は火のように熱かった。そして彼の身体から放たれるむせ返るような甘いΩのフェロモンが、征四郎の鼻腔を突き刺した。
「ヒート……なのか?薬は飲んでいるんだろう!?」
「の、んで……ます……でも……っ」
もうまともに言葉を紡ぐことができない。理性が熱に溶かされていく。目の前の逞しいαの身体に、本能がすり寄りたいと叫んでいた。
征四郎は状況を即座に理解した。自分のせいだ。自分の感情の高ぶりが彼の身体に変調をきたさせてしまった。
「くそっ……!」
征四郎は舌打ちをすると伊織の身体を軽々と横抱きに抱え上げた。
「しっかりしろ!」
ベッドにそっと降ろされると伊織はシーツに顔を埋めて喘いだ。もう自分を抑えることができない。熱い。苦しい。誰かにこの熱を鎮めてほしい。αに強く抱きしめてほしい。
「せいしろう、さん……っ」
無意識のうちに彼の名を呼んでいた。涙で潤んだ瞳で彼を見上げると、征四郎は苦悶に満ちた表情で伊織を見下ろしていた。
彼の額にも汗が滲んでいる。伊織から放たれる甘いフェロモンはαである彼にとっても強烈な媚薬であるはずだ。理性を保っているのが不思議なほどだった。
「君を傷つけたくない」
征四郎は呻くように言った。
「衝動のままに君を抱くことだけはしたくない」
それは彼の理性からの叫びだった。だが彼の身体は正直だった。伊織には彼のズボンの下が硬く昂っているのが見てとれた。彼も限界なのだ。
「……いい、です……」
伊織は震える手で征四郎の服の裾を掴んだ。
「僕は……あなたがいい……。征四郎さんに抱かれたい……」
それはヒートによる本能の叫びか、伊織自身の心の叫びか。もうわからなかった。ただ目の前の男に自分をすべて委ねてしまいたい。その想いだけが確かだった。
伊織の言葉は征四郎の中に残っていた最後の理性の糸を、ぷつりと断ち切った。
「……後悔するなよ」
低い掠れた声。次の瞬間、征四郎の大きな身体が伊織の上に覆いかぶさってきた。貪るように唇が塞がれる。乱暴で、しかしどこか切実なキス。伊織は必死でそれにしがみついた。
「君を番にする気はない」。
そう言われたあの冷たい契約はもうどこかへ消え去ってしまった。
今はただお互いの熱だけが確かだった。服が乱暴に剥ぎ取られ熱い肌が触れ合う。征四郎の指が伊織の秘蕾に触れた瞬間、伊織は甘い声を上げた。
「……名前を呼んでくれ」
喘ぎながら征四郎が囁く。
「いおり、と」
「……いおり……」
伊織は夢中で彼の名を呼んだ。
「せいしろう、さん……っ、せいしろうさん……!」
熱に浮かされた頭で伊織は思う。これは夢なのだろうか。もし夢ならどうか覚めないでほしい。
箱庭で始まった孤独な契約。それは今お互いの衝動と本能によって終わりを告げようとしていた。そしてそれは同時に新しい関係の始まりでもあった。
熱く激しく、そしてどこまでも切ない始まりの夜だった。
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