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第10話「夜明けの告白」
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どれくらいの時間が経っただろうか。嵐のような情交が終わり、部屋には二人の荒い息遣いと混じり合ったαとΩの濃密なフェロモンの香りだけが満ちていた。窓の外は白み始めている。長い夜が明けようとしていた。
伊織は征四郎の逞しい腕の中にぐったりと身体を横たえていた。あれほど猛威を振るったヒートの熱は、彼の身体を深く貫いたもので満たされたことで嘘のように凪いでいた。しかしそれとは別の心の熱が伊織の全身を支配していた。
シーツの所々には、初めてを証明する血の跡が滲んでいる。身体のあちこちが彼の愛撫の跡で熱を持ち疼いていた。けれど不思議と痛みはなかった。あるのは満ち足りたような倦怠感と、そして胸を締め付けるような切なさだけだった。
(終わってしまった……)
これはヒートによるただ一度きりの過ち。衝動に任せた行為。夜が明ければ彼はまた元の「氷の帝王」に戻ってしまうのだろうか。そして自分はただの「鳥」に。そう思うとたまらなく悲しかった。
隣で征四郎が身じろぎする気配がした。伊織は彼が何を言うのか怖くてぎゅっと目を閉じた。軽蔑されるだろうか。それとも昨夜のことなどなかったことにされてしまうのだろうか。
しかし耳に届いたのは深く静かな溜息だけだった。
やがて征四郎の大きな手が汗で額に張り付いた伊織の髪を優しく梳いた。その指先のあまりの優しさに、伊織の目からぽろりと一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……泣いているのか」
低い声が頭上から降ってくる。
「すまない……。俺は君を傷つけた」
その声には深い後悔の色が滲んでいた。伊織は慌てて首を横に振った。
「ちがいます……。傷つけられてなんかいません。僕は……嬉しかったです」
それは偽りのない本心だった。たとえ衝動からだったとしても愛する人に抱かれたことは、伊織にとって何物にも代えがたい喜びだった。
その言葉に征四郎は何も言わなかった。ただ伊織を抱きしめる腕にさらに力がこもる。
静寂が部屋を支配する。気まずい沈黙ではなかった。お互いの鼓動だけが聞こえる穏やかな時間。
しばらくして征四郎がぽつりぽつりと語り始めた。それは伊織が今まで知らなかった彼の心の内側だった。
「……俺にはかつて番がいた」
その声は遠い過去を懐かしむように静かだった。
「学生時代に出会い卒業してすぐに番になった。彼女は……花のように笑う明るいΩだった。俺のような無愛想な男には勿体ないくらいの太陽のような人だった」
伊織は息を詰めて彼の言葉に耳を傾けた。それはきっとあの植物図鑑の持ち主の話だ。
「幸せだった。永遠にこの幸せが続くと信じて疑わなかった。だが……あいつは事故で死んだ。俺の目の前で車に撥ねられて……。俺が少し気をつけていれば助けられた命だった」
彼の声が微かに震える。伊織を抱く腕が強く痛いほどに力を帯びた。
「あの日以来俺の時間は止まった。二度と誰かを愛するものかと。心に鍵をかけて生きてきた。誰かを失う悲しみをもう二度と味わいたくなかったからだ」
彼の告白は伊織の胸を強く打った。彼が抱えていた氷のような孤独の理由。そのあまりの深さと重さに伊織は言葉を失った。
「君をこの屋敷に呼んだのは気まぐれだった。いや……違うな。初めて君の写真を見た時あいつの面影をどこかに感じてしまったんだ。馬鹿げているとわかっていた。だが側に置きたかった。ただ美しい鳥としてそこにいてくれればいいと。そうすれば俺の孤独も少しは紛れるかもしれないと、身勝手なことを考えていた」
征四郎は自嘲するように言った。
「だが君はただの鳥ではなかった。庭で泥だらけになって働き、俺のためにこっそりと食事を作ってくれた。君のひたむきさが、優しさが、俺が固く閉ざしたはずの心の扉を少しずつこじ開けていったんだ」
征四郎は一度言葉を切ると伊織の身体を少し離し、その瞳をまっすぐに見つめた。夜明けの光が差し込み始めた部屋の中で彼の黒い瞳が真摯な光を宿して揺れていた。
「いつの間にか俺は君に惹かれていた。亡き番の代わりとしてではない。藍沢伊織、君自身にだ。縁談の話を聞いた時気が狂いそうだった。君を他の誰にも渡したくないと心の底から思った」
そして彼は昨夜の過ちについて深く頭を下げた。
「だが俺は君の気持ちも考えず衝動のままに君を抱いた。最低な男だ。本当にすまない」
彼のあまりにも誠実な告白。伊織は溢れそうになる涙を必死でこらえながら震える声で言った。
「……僕も同じです」
「え……?」
「僕もずっと征四郎さんのことが好きでした」
やっと言えたたった一言。その言葉は朝の静かな光の中に確かに溶けていった。
「あなたが時折見せてくれる優しさが、孤独だった私の心をどれだけ救ってくれたかあなたは知らないでしょう。昨日の夜、私は少しも不幸だなんて思っていません。あなたに抱かれたこと、心から幸せでした」
伊織の告白に征四郎の瞳が驚きに見開かれた。そしてその瞳から信じられないものが一筋こぼれ落ちた。
彼が泣いていた。
あの氷の帝王が。
その一粒の涙が伊織の心の最後の壁をも溶かしていく。伊織はそっと手を伸ばし彼の頬に触れた。
「征四郎さん……」
名前を呼ぶと彼はまるで子供のように伊織の胸に顔を埋めた。
「……いおり」
掠れた声で彼は伊織の名前を呼んだ。それは二人の心が初めて本当の意味で一つになった瞬間だった。
長い凍てついた夜が明け、箱庭にようやく温かい朝の光が差し込もうとしていた。
伊織は征四郎の逞しい腕の中にぐったりと身体を横たえていた。あれほど猛威を振るったヒートの熱は、彼の身体を深く貫いたもので満たされたことで嘘のように凪いでいた。しかしそれとは別の心の熱が伊織の全身を支配していた。
シーツの所々には、初めてを証明する血の跡が滲んでいる。身体のあちこちが彼の愛撫の跡で熱を持ち疼いていた。けれど不思議と痛みはなかった。あるのは満ち足りたような倦怠感と、そして胸を締め付けるような切なさだけだった。
(終わってしまった……)
これはヒートによるただ一度きりの過ち。衝動に任せた行為。夜が明ければ彼はまた元の「氷の帝王」に戻ってしまうのだろうか。そして自分はただの「鳥」に。そう思うとたまらなく悲しかった。
隣で征四郎が身じろぎする気配がした。伊織は彼が何を言うのか怖くてぎゅっと目を閉じた。軽蔑されるだろうか。それとも昨夜のことなどなかったことにされてしまうのだろうか。
しかし耳に届いたのは深く静かな溜息だけだった。
やがて征四郎の大きな手が汗で額に張り付いた伊織の髪を優しく梳いた。その指先のあまりの優しさに、伊織の目からぽろりと一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……泣いているのか」
低い声が頭上から降ってくる。
「すまない……。俺は君を傷つけた」
その声には深い後悔の色が滲んでいた。伊織は慌てて首を横に振った。
「ちがいます……。傷つけられてなんかいません。僕は……嬉しかったです」
それは偽りのない本心だった。たとえ衝動からだったとしても愛する人に抱かれたことは、伊織にとって何物にも代えがたい喜びだった。
その言葉に征四郎は何も言わなかった。ただ伊織を抱きしめる腕にさらに力がこもる。
静寂が部屋を支配する。気まずい沈黙ではなかった。お互いの鼓動だけが聞こえる穏やかな時間。
しばらくして征四郎がぽつりぽつりと語り始めた。それは伊織が今まで知らなかった彼の心の内側だった。
「……俺にはかつて番がいた」
その声は遠い過去を懐かしむように静かだった。
「学生時代に出会い卒業してすぐに番になった。彼女は……花のように笑う明るいΩだった。俺のような無愛想な男には勿体ないくらいの太陽のような人だった」
伊織は息を詰めて彼の言葉に耳を傾けた。それはきっとあの植物図鑑の持ち主の話だ。
「幸せだった。永遠にこの幸せが続くと信じて疑わなかった。だが……あいつは事故で死んだ。俺の目の前で車に撥ねられて……。俺が少し気をつけていれば助けられた命だった」
彼の声が微かに震える。伊織を抱く腕が強く痛いほどに力を帯びた。
「あの日以来俺の時間は止まった。二度と誰かを愛するものかと。心に鍵をかけて生きてきた。誰かを失う悲しみをもう二度と味わいたくなかったからだ」
彼の告白は伊織の胸を強く打った。彼が抱えていた氷のような孤独の理由。そのあまりの深さと重さに伊織は言葉を失った。
「君をこの屋敷に呼んだのは気まぐれだった。いや……違うな。初めて君の写真を見た時あいつの面影をどこかに感じてしまったんだ。馬鹿げているとわかっていた。だが側に置きたかった。ただ美しい鳥としてそこにいてくれればいいと。そうすれば俺の孤独も少しは紛れるかもしれないと、身勝手なことを考えていた」
征四郎は自嘲するように言った。
「だが君はただの鳥ではなかった。庭で泥だらけになって働き、俺のためにこっそりと食事を作ってくれた。君のひたむきさが、優しさが、俺が固く閉ざしたはずの心の扉を少しずつこじ開けていったんだ」
征四郎は一度言葉を切ると伊織の身体を少し離し、その瞳をまっすぐに見つめた。夜明けの光が差し込み始めた部屋の中で彼の黒い瞳が真摯な光を宿して揺れていた。
「いつの間にか俺は君に惹かれていた。亡き番の代わりとしてではない。藍沢伊織、君自身にだ。縁談の話を聞いた時気が狂いそうだった。君を他の誰にも渡したくないと心の底から思った」
そして彼は昨夜の過ちについて深く頭を下げた。
「だが俺は君の気持ちも考えず衝動のままに君を抱いた。最低な男だ。本当にすまない」
彼のあまりにも誠実な告白。伊織は溢れそうになる涙を必死でこらえながら震える声で言った。
「……僕も同じです」
「え……?」
「僕もずっと征四郎さんのことが好きでした」
やっと言えたたった一言。その言葉は朝の静かな光の中に確かに溶けていった。
「あなたが時折見せてくれる優しさが、孤独だった私の心をどれだけ救ってくれたかあなたは知らないでしょう。昨日の夜、私は少しも不幸だなんて思っていません。あなたに抱かれたこと、心から幸せでした」
伊織の告白に征四郎の瞳が驚きに見開かれた。そしてその瞳から信じられないものが一筋こぼれ落ちた。
彼が泣いていた。
あの氷の帝王が。
その一粒の涙が伊織の心の最後の壁をも溶かしていく。伊織はそっと手を伸ばし彼の頬に触れた。
「征四郎さん……」
名前を呼ぶと彼はまるで子供のように伊織の胸に顔を埋めた。
「……いおり」
掠れた声で彼は伊織の名前を呼んだ。それは二人の心が初めて本当の意味で一つになった瞬間だった。
長い凍てついた夜が明け、箱庭にようやく温かい朝の光が差し込もうとしていた。
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