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第2話「偽りの仮面と深まる疑念」
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体質を偽る薬を飲み始めてから、一週間が経った。
薬の効果は確かで、あれほど顕著だった甘い香りはほとんど感じなくなった。
だが、根本的な解決にはなっていない。
身体の奥底で燻る熱は消えず、むしろ日を追うごとに力を増しているようだった。
それでも俺は、ラッセル様の前では決して弱みを見せまいと神経を張り詰めていた。
朝は誰よりも早く起き、夜は誰よりも遅く休む。
完璧な従者として、寸分の隙も見せない。
それが、今の俺にできる唯一の抵抗だった。
「レオンハルト、少し休んだらどうだ。最近のお前は、少し働きすぎだ」
書斎で分厚い歴史書を読んでいたラッセル様が、ふと顔を上げて俺に言った。
その声には、純粋な気遣いが滲んでいる。
しかし、俺にはその優しさすらも今の自分を暴こうとする罠のように感じられた。
「お気遣い痛み入ります。ですが、これくらいは当然の務めですので」
「……そうか」
ラッセル様は小さく息をつくと、再び本に視線を落とした。
その横顔を見ながら、俺はポケットに忍ばせた薬包をそっと握りしめる。
この薬がなければ、俺は今頃どうなっていたか。
ラッセル様の側にいることすら、許されなかったかもしれない。
そんなある日、王都で開かれる夜会にラッセル様が参加されることになった。
病弱なラッセル様にとって、大勢の人間が集まる夜会は心身ともに大きな負担となる。
当然、護衛である俺も付き従うことになるが、そこには一つの大きな懸念があった。
夜会には、多くのαが出席する。
もし、万が一にも薬の効果が切れ、俺の身体からΩのフェロモンが漏れ出てしまったら。
考えるだけで、全身の血の気が引く思いだった。
「大丈夫です、ラッセル様。俺が必ずお守りいたします」
夜会へ向かう馬車の中で、緊張を隠してそう告げると、ラッセル様は静かに俺を見つめた。
「ああ、信じている。だが、お前自身も無理はするな。お前の代わりはいないのだからな」
その言葉は、いつも以上に俺の胸に重く響いた。
豪華絢爛なシャンデリアが輝く夜会の会場は、着飾った貴族たちの熱気で満ちていた。
様々な香水の匂いに混じって、あちこちからαやΩのフェロモンが漂ってくる。
俺はラッセル様の背後で神経を研ぎ澄ませ、周囲への警戒を怠らなかった。
その時だった。
一人の屈強なαの貴族が、ラッセル様に近づいてきた。
「これはヴァレンティン公爵家の御曹司殿。今宵はお一人ですかな」
男は下卑た笑みを浮かべ、ラッセル様を値踏みするような視線を向けた
ラッセル様は公爵家の跡取りでありながら、病弱で未だ番もいない。
それを嘲るような、明らかな侮辱だった。
俺は咄嗟に前に出ようとしたが、それをラッセル様が手で制した。
「ええ。ですが、何か問題でも?」
ラッセル様は、少しも動じることなく涼しい顔で言い返す。
その毅然とした態度に、男は一瞬たじろいだがすぐにまた意地の悪い笑みを浮かべた。
「いやいや。ただ、あなたのような美しいαが一人では、悪い虫が寄ってくるのではないかと心配でしてね。例えば……そう、あなたの後ろにいるその従者のような」
男の視線が、俺を捉える。
その瞬間、ぞくりと悪寒が走った。
男の瞳が、獲物を見つけた獣のようにギラリと光ったのだ。
「この従者、βのふりをしているが……どこか甘い匂いがしませんか?」
男の言葉に、会場の空気が凍りついた。
周囲のαたちが、一斉にこちらに注目する。
まずい。
薬の効果が薄れてきているのかもしれない。
強いαのフェロモンに当てられて、俺の身体が反応してしまっているのだ。
身体の芯が熱い。
頭がぼうっとして、立っているのがやっとだった。
どうにか意識を保とうと歯を食いしばるが、脚の震えが止まらない。
「失礼。私の従者に、何かご用ですか」
冷たく響いたのは、ラッセル様の声だった。
その声は、普段の穏やかさとはかけ離れた絶対零度の響きを持っていた。
「彼は私の大切な従者だ。彼を侮辱することは、この私とヴァレンティン公爵家を侮辱することと同義と受け取るが、よろしいかな」
ラッセル様の身体から、圧倒的なαのフェロモンが放たれる。
それは、他のαを威圧し黙らせるほどの、純粋で強力な王者の香り。
病弱な姿からは想像もつかないほどのプレッシャーに、男は顔を青くして後ずさった。
「も、申し訳ない!どうか、お許しを……!」
男が逃げるように去っていくのを横目で見ながら、俺は限界を感じていた。
ラッセル様の強いフェロモンが、俺の身体の最後の箍を外してしまったのだ。
甘い香りが、もう抑えきれないほどに溢れ出す。
視界がぐにゃりと歪み、俺はその場に膝から崩れ落ちた。
「レオンハルト!」
駆け寄ってくるラッセル様の心配そうな声が、遠くに聞こえる。
意識が途切れる寸前、俺を抱きとめた主君が俺の耳元でこう囁いたのを、確かに聞いた。
「ようやく、捕まえた」
その声は、ひどく甘くそして歓喜に満ちていた。
薬の効果は確かで、あれほど顕著だった甘い香りはほとんど感じなくなった。
だが、根本的な解決にはなっていない。
身体の奥底で燻る熱は消えず、むしろ日を追うごとに力を増しているようだった。
それでも俺は、ラッセル様の前では決して弱みを見せまいと神経を張り詰めていた。
朝は誰よりも早く起き、夜は誰よりも遅く休む。
完璧な従者として、寸分の隙も見せない。
それが、今の俺にできる唯一の抵抗だった。
「レオンハルト、少し休んだらどうだ。最近のお前は、少し働きすぎだ」
書斎で分厚い歴史書を読んでいたラッセル様が、ふと顔を上げて俺に言った。
その声には、純粋な気遣いが滲んでいる。
しかし、俺にはその優しさすらも今の自分を暴こうとする罠のように感じられた。
「お気遣い痛み入ります。ですが、これくらいは当然の務めですので」
「……そうか」
ラッセル様は小さく息をつくと、再び本に視線を落とした。
その横顔を見ながら、俺はポケットに忍ばせた薬包をそっと握りしめる。
この薬がなければ、俺は今頃どうなっていたか。
ラッセル様の側にいることすら、許されなかったかもしれない。
そんなある日、王都で開かれる夜会にラッセル様が参加されることになった。
病弱なラッセル様にとって、大勢の人間が集まる夜会は心身ともに大きな負担となる。
当然、護衛である俺も付き従うことになるが、そこには一つの大きな懸念があった。
夜会には、多くのαが出席する。
もし、万が一にも薬の効果が切れ、俺の身体からΩのフェロモンが漏れ出てしまったら。
考えるだけで、全身の血の気が引く思いだった。
「大丈夫です、ラッセル様。俺が必ずお守りいたします」
夜会へ向かう馬車の中で、緊張を隠してそう告げると、ラッセル様は静かに俺を見つめた。
「ああ、信じている。だが、お前自身も無理はするな。お前の代わりはいないのだからな」
その言葉は、いつも以上に俺の胸に重く響いた。
豪華絢爛なシャンデリアが輝く夜会の会場は、着飾った貴族たちの熱気で満ちていた。
様々な香水の匂いに混じって、あちこちからαやΩのフェロモンが漂ってくる。
俺はラッセル様の背後で神経を研ぎ澄ませ、周囲への警戒を怠らなかった。
その時だった。
一人の屈強なαの貴族が、ラッセル様に近づいてきた。
「これはヴァレンティン公爵家の御曹司殿。今宵はお一人ですかな」
男は下卑た笑みを浮かべ、ラッセル様を値踏みするような視線を向けた
ラッセル様は公爵家の跡取りでありながら、病弱で未だ番もいない。
それを嘲るような、明らかな侮辱だった。
俺は咄嗟に前に出ようとしたが、それをラッセル様が手で制した。
「ええ。ですが、何か問題でも?」
ラッセル様は、少しも動じることなく涼しい顔で言い返す。
その毅然とした態度に、男は一瞬たじろいだがすぐにまた意地の悪い笑みを浮かべた。
「いやいや。ただ、あなたのような美しいαが一人では、悪い虫が寄ってくるのではないかと心配でしてね。例えば……そう、あなたの後ろにいるその従者のような」
男の視線が、俺を捉える。
その瞬間、ぞくりと悪寒が走った。
男の瞳が、獲物を見つけた獣のようにギラリと光ったのだ。
「この従者、βのふりをしているが……どこか甘い匂いがしませんか?」
男の言葉に、会場の空気が凍りついた。
周囲のαたちが、一斉にこちらに注目する。
まずい。
薬の効果が薄れてきているのかもしれない。
強いαのフェロモンに当てられて、俺の身体が反応してしまっているのだ。
身体の芯が熱い。
頭がぼうっとして、立っているのがやっとだった。
どうにか意識を保とうと歯を食いしばるが、脚の震えが止まらない。
「失礼。私の従者に、何かご用ですか」
冷たく響いたのは、ラッセル様の声だった。
その声は、普段の穏やかさとはかけ離れた絶対零度の響きを持っていた。
「彼は私の大切な従者だ。彼を侮辱することは、この私とヴァレンティン公爵家を侮辱することと同義と受け取るが、よろしいかな」
ラッセル様の身体から、圧倒的なαのフェロモンが放たれる。
それは、他のαを威圧し黙らせるほどの、純粋で強力な王者の香り。
病弱な姿からは想像もつかないほどのプレッシャーに、男は顔を青くして後ずさった。
「も、申し訳ない!どうか、お許しを……!」
男が逃げるように去っていくのを横目で見ながら、俺は限界を感じていた。
ラッセル様の強いフェロモンが、俺の身体の最後の箍を外してしまったのだ。
甘い香りが、もう抑えきれないほどに溢れ出す。
視界がぐにゃりと歪み、俺はその場に膝から崩れ落ちた。
「レオンハルト!」
駆け寄ってくるラッセル様の心配そうな声が、遠くに聞こえる。
意識が途切れる寸前、俺を抱きとめた主君が俺の耳元でこう囁いたのを、確かに聞いた。
「ようやく、捕まえた」
その声は、ひどく甘くそして歓喜に満ちていた。
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