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14. 悩めるマリク
しおりを挟む週末の出来事が頭から離れない。
ピアノは絶対僕の方が上手だったはずだ。けれど、ここ何年も姉上が弾いているところを見ていない。
(姉上は一体いつ、どこでピアノを弾いていたのだろう)
「ねぇ、どうしたの?」
後ろの席からディララが話しかけてきた。
「何がですか?」
「何がじゃないよ。マリクってば、今日はずっとそうやってぼんやりしてるよ?」
(僕がぼんやり? そんなバカな)
「ねぇ、ジェム様もそう思うでしょ?」
ディララが彼女の右側に座っていらっしゃるジェム殿下に話しかけた。
が、殿下はすでに席を立ち、教室を出ようとされているところだった。
「あっ、ジェム様ったら置いていかないで!」
「お、お待ちください!」
殿下を一人で行かせてしまうなんて、確かにボーっとしていたのかもしれない。
(くそっ、これじゃ側近失格だぞ)
早足で殿下の後を追いかけながら、僕は両手で頬をパァンと叩いた。
「もう! そんなことしちゃダメだよ」
ディララが横から手を伸ばして僕の頬に触れてくる。
「ほら、赤くなっちゃったじゃない」
そう言って、ひんやりと冷たい彼女の指先が僕の頬を優しく撫でてくれる。
(あぁ、心地いいな……)
思わず、ディララの優しい手に頬を寄せかけたところでハッと我に返る。
前を向くと、振り返ってこちらを見ている殿下と目があった。
その銀色の目は、まるで剣のように鋭い輝きを帯びて見えた。
「ディ、ディララ嬢。あなたは殿下の婚約者となられる方です。不用意に他の男に触れてはなりません」
この愛くるしい人は、いつも何かと僕に触れてくるから困る。
ある時はジャケットの袖口だったり、ある時は髪の毛だったり。
(ダメなんだ。この人は殿下の特別な女性だから)
「アハハ、他の男だなんて。私にとって、男の人はジェム殿下だけだもん。マリクはそう、可愛い弟みたいな存在だよ」
無邪気な笑顔を見せるディララに、僕はいつも振り回されている気がする。
(弟か……)
「あっ、でもマリクには本物のお姉様がいるから……」
「あの人の話はやめてください」
(姉上か……)
最近の姉上は、以前とはまるで別人のように感じる。その違和感の正体が一体何なのか、僕はまだ掴みかねている。
「今日は上へ行く」
今週も下のショップに向かうのかと思いきや、殿下は動く階段(上り)に飛び乗られた。
「はい」
「はーい」
ディララと二人、いつものように殿下の後に続く。
「でも、上にはフェリハ様がいらっしゃるんじゃない?」
「そうですよね、先週姉上はずっとランチルームへ行かれたようなので……」
先週は僕らが気を遣ってショップへ通った。だから初日以降、昼休みに姉上と出会うことはなかった。
「……少し変わったか」
ジェム殿下がぼそりとこぼされた。
(え、まさか、いや間違いなく姉上のことを仰ったんだよな?)
殿下が姉上のことを口にするなんて、相当珍しいことだった。
「そう! そうなんです。殿下もやはりそう感じられますか?」
「えー? そうかなぁ? だってフェリハ様、先週ランチルームで『ずっと殿下一筋です!!』とかなんとか叫んだらしいよ?」
ディララが、ないないと言って僕の発言を否定する。
(いや、それが残念ながら別人レベルで変わってるんです!)
本当は二人にそう伝えたかった。
けれど冷静に考えてみる。
僕はそもそも、姉上の何を知っているというのだろうか。
(ピアノだって……)
姉上もエファンディ家の人間なのだ。
もしかしたら知略を練って、時が来るのをただ待っていたのかもしれない。
バカなふりをして、ライバル達を油断させて……
(って、ここまで殿下に嫌われて、一体なんの意味があると??)
「マリク、もう着くよ?」
どうやらまた考え事をしていたようだ。
いつの間にか最上階まで上りきり、僕らはいつものように三人連れ立ってランチルームへと入った。
先に食事を取っている生徒達の視線が、入口に立つ僕らを一斉に捉えた。
いや、僕らというよりは殿下の姿を確認した後、すぐに窓側で一人ランチを取っている姉上の姿を捉えた。
皆が何を期待しているのか、手に取るようにわかる。
こんなに大勢の生徒が集まっているというのに、広いランチルームはしぃんと静まり返っていた。
そう。
いつもならここで姉上が、『ジェムさまぁ♡』とか言いながら駆け寄ってくるはずなのだ。
(やっぱり全然違う)
姉上が座っているのは窓側のカウンター席だから、もしかすると気付いていないのかもしれない。けれど、あの姉上にかぎって、殿下がいらっしゃったことに気付かないなんてことがあるだろうか。
そういえば先週、ショップで出会したときもかなり変だった。
なぜか外交上の、つまり他国の賓客が殿下に対して成す挨拶をしたかと思ったら、優雅に立ち去ったのだ。
(あの姉上に『優雅』なんて言葉を使う日が来るとはね……)
『あれ? なんで行かないの?』
『エファンディ嬢、気付いてないんじゃね?』
周囲の生徒達がヒソヒソ話をする。
ちらりと殿下のご様子を伺うと、窓際の姉上を一瞥した後、いつもの座り慣れたテーブルへと進まれた。
四人がけのテーブル。
殿下を真ん中にして右隣に僕、左隣にはディララが座る。僕とディララが隣にならないよう配慮した結果だ。
今まで、この残りの一席に姉上が乱入してくることもよくあった。
(人って、こんな急に変われるものか?)
そうして再び考え込んでいる時だった。
「私、わかっちゃったかも! これって殿下の気を惹く作戦じゃない?!」
まだ微妙に静けさの残るランチルームに、ディララの声がやけに響いた。
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