天使様の愛し子

東雲

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エンプティベッセルと新たな魂

9

昨夜の天使にまた会えるかもしれない…と喜んだのも束の間、現れたのは別の赤ん坊だった。しかも、今度は二人。


「う~ん…?」

すよすよと眠る二人の赤ん坊天使を膝の上に乗せたまま、思わず首を捻った。
今日現れた二人の天使は、昨日の子同様、なぜか最初からご機嫌で、やはりなんの躊躇もなく近寄ってきた。
当たり前のように膝の上と腕の中に納まり、なにが楽しいのかきゃあきゃあとはしゃぎ、一通り笑って過ごすと眠そうに目を擦り、そのまま丸くなって眠ってしまった。
昨日の天使とまったく同じ行動に、二度目とはいえ頭が追いつかず、可愛らしい寝息が聞こえ始めた頃になってようやく落ち着いて考えに浸ることができた。

(昨日の子…じゃないよね…)

赤ん坊とはいえ、流石に見分けぐらいはつく。別の子がたまたま迷い込んでしまったと考えるべきなのだろうが、どうにもを目的として現れたような気がしてならなかった。

(…なにか、あるのかなぁ…)

キョロキョロと辺りを見回すが、めぼしい物など何もない。在るとしたらそれこそ自分くらいのものだが、自分を目的とする理由など更に無いだろう。悶々と考えるも答えが得られる筈もなく、疑問が増えるばかりだった。

(昨日の子が何か言った…? でも、この子達は話せないだろうし…)

首を捻るばかりでなにも分からない。生まれてからずっと、分からないことだらけだ。

「……まぁ、いいか」

どうしてこの小さな天使達だけ、自分に対して好意的なのか、なぜ急に現れるようになったのか、疑問は尽きないが、喜ばしいことに変わりはない。
考えても分からないことを悩んでも仕方ない…と、与えられる好意を素直に受け取ることにした。
眠る子を起こさぬよう、ふくふくとした小さな手に指先でそっと触れる。
未だに触れることに緊張してしまうせいで、手が僅かに震えたが、指先に伝わる柔らかな感触と、太腿に広がる温かな体温に口元は緩んだ。

「かわいい子…」

心まで温かく、強張りが解けていくような感覚に、胸の内は喜色で満たされていった。



その日を境に、小さな天使達は毎夜訪れるようになった。
最初の頃はただ戸惑うばかりだったが、それも何日か続けば夜に目覚めるのが楽しみになった。
いつか、この可愛らしい訪問が途切れる日が来るかもしれない…そう思うと寂しくなったが、今はただ与えられる喜びを享受しようと、悲しい考えには目を瞑った。

驚いたことに、訪れる赤子の天使達は毎晩違う子だった。それも、一人で来る子もいれば二人で連れ立って来る子もいて、多い時は三人仲良く手を繋いで現れる子達もいた。皆一様に楽しそうに笑っており、どの子も好意的な可愛らしい子達ばかりで、ただひたすらに嬉しかった。
過ごし方もまちまちで、明け方まで腕の中でぐっすり眠ったままの子もいれば、眠くなると欠伸をしながら寝床へと帰る子もいた。夜中に起きてどこかへ行ってしまったかと思うと、戻ってくる子もいたりと、とにかく自由だった。
困ってしまったのが、明け方になっても服を掴んだまま離してくれず、ぐずり出す子もいたことだろうか。
泣き出す一歩手前、ふにょふにょとした声でしがみつかれて、嬉しい反面ものすごく慌てた。
ぎゅうぎゅうと抱き着いてくる小さな体をやんわりと抱き締め、背中を撫で、必死にあやしてなんとか朝日と共に見送ることが出来た時には、精神的にどっと疲れてしまった。

それでも、可愛いものは可愛いし、嬉しいと思う気持ちは変わらなかった。
毎夜、赤ん坊達とふれあっている内に、徐々に自分から彼らに触れることにも緊張しなくなっていった。真ん丸な頬をつついたり、柔らかな体を抱き上げたりと、いつからか心から彼らを愛おしいと思うようになった。

そんな中で気づいたのは、彼らが皆、こちらの言っていることを理解してくれているということだった。
赤子の姿をしていてもやはり人間の赤ん坊とは違うのか、質問をすれば頷いたり首を横に振ったりと、言葉の意味を明確に理解して反応してくれていることに気づいた。
よく分からないことや、「はい」や「いいえ」で答えられないことには首を傾げたりと、言葉を話せないまでも意思の疎通が出来ることに感心した。
会話が出来る訳ではないが、それでも会話のようなやりとりが出来ることが嬉しくて、夜の心地良い静寂に紛れるように、ささやかなお喋りを楽しんだ。



そんな日々が長く続いたある夜。相変わらずやって来る赤ん坊は毎夜違う為、顔が覚えられなくなってきた頃だった。

「あっ…!」

つい口から大きな声が出てしまい、慌てて口を両手で塞ぐ。が、視線は目の前の小さな天使から外さなかった。

「君は…最初の…」

見間違えるはずがない。一番最初、手の傷を治してくれた、初めて出会った赤ん坊の天使がそこにいた。
思わず近寄って両手を広げれば、小さな体が腕の中に飛び込んできた。それが嬉しくて嬉しくて、ぎゅっと抱き締めれば、きゃあきゃあと嬉しそうに笑う声が腕の中で響いた。

「また会えた…っ」

どの子も可愛らしく大好きだが、やはりこの子には特別な思い入れがあった。もしかしたらまた会えるかもしれない…と密かに願っていた再会に、涙が出そうになる。
そうして再会の感動を噛み締めていると、不意に腕の中の子がもぞもぞと動き出した。
おや? と思い力を緩めると、腕の中を飛び出した赤子にグイグイと手を引っ張られた。

「…? なに?」

ふと気づけば、他にも二人の赤子が側におり、もう片方の手を同じようにグイグイと引っ張った。
赤子とはいえ三人寄ればそれなりに力がある。抵抗する気もないせいか、あれよあれよという間に窓辺から離されてしまった。

「あ…っ、ま、まって…あんまりそっちは…」

怖いから行きたくない───とは言えず、ぐっと言葉を飲み込む。
いつかの大人の姿をした天使達と邂逅してしまったのは、バルコニーの縁に近寄ってしまった時だ。
あの時は確か、目の前にいる小さな天使達の笑い声に誘われて、うっかり近づいてしまったのだと思い出し、体が強張った。
震えそうになるのをなんとか堪え、小さな天使達を引き留めようとするが、楽しそうに手を引く姿に何も言えなくなってしまう。

(…ど、どうしよう…)

ドクドクと大きく鳴り出した鼓動を落ち着けるように、深く息を吸う。そうしている間も、手を引く力は緩まず、いよいよバルコニーの端、手摺りの目の前まで来てしまった。

(うぅ…っ)

唸り声が出てしまいそうになるのを必死に堪え、未だに指先を掴んだままの小さな手をギュッと握った。

「…えっ…と…な、なに? なにか…あるの…?」

ここまで連れてこられた、ということは、バルコニーの下に何か見せたいものでもあるのだろうか───そう思い、怖々と手摺りに手を掛けるとゆっくりとバルコニーの下を覗いた。
…が、そこには何も無く、離れた眼下に地面が見えるだけだった。

何も無いけど…と思ったその瞬間、ガクンと体が前のめりになった。

「えっ…!?」

思ってもなかった衝撃に目を見開く。手摺りから身を乗り出すように体が傾き、心臓が竦み上がった。

(落ち───!!)

地に足がついていない。
その浮遊感に息を呑み、落下する恐怖に目を瞑った。




…が、いつまで経っても覚悟した衝撃も、体が落ちていく感覚もなく、恐る恐る薄目を開いた。

「…………へ?」

目を開いた自身の視点が、いつもより高い。
そのことにまず違和感を覚え、何度か目を瞬く。
次いで気づいたのは、足の裏に石造りのバルコニーの感触を感じないことだった。

(……う、そ…まさか…)

ゆっくりと、自分の状況を確かめるように足元を見れば、手摺りよりも高い位置に自分の体があった。

(…な、ん……)

体が浮いている───予想外の状況に、驚きから声も出ない。
理解が追いつかず、気は動転するばかりだった。そんな自分の心境などお構いなしに、ふわりと浮かんだままの体が徐々に動き始める。

「…っ! ま、まって…!」

焦る静止の言葉も届かず、手摺りを楽々と越えた体は宙へと放り出された。
高い位置から見下ろす地面は遠く、足場を無くした心細さと落下する恐怖を想像し、喉からか細い悲鳴が漏れた。
思わず握り締めた指先。そこにある温かな小さな手を思い出し、ハッとする。
予想外の事態にパニックになっており、視界が狭くなっていたが、今ここにいるのは自分一人ではないのだ。
開けた視界の中、ようやく三人の赤ん坊の姿を映せば、皆ニコニコと笑っていた。
その表情に一瞬安堵したのも束の間、現状とこの子達の様子からあることを察してしまい、サッと血の気が引いた。

「ま、まって…! 外は───!」

言葉が続くより早く、浮いていた体が緩やかに下降し始める。

「ひ…っ!」

体が自分の意思とは関係なく落ちていく感覚に、背筋がぞわりと粟立った。
初めての感覚に身を縮こまらせている内に、離れた所から見下ろしていたはずの地面がどんどんと近づいてくる。
声を発することも出来ず、何も考えられなくなった頭は、ただただ成り行きを見守ることしかできなかった。





時間にしたら、ほんの数十秒の出来事だろう。
体感の滞空時間はその何倍にも感じたが、それも地に足がつけば終わる。


───そう、


カサリと、足の裏に感じる柔らかな草の感触。それを擽ったいと感じる余裕もなく、茫然と辺りを見回した。
いつも上階から眺めていた、自分には遠く離れていた景色が、とても近い。
部屋の床と、バルコニーの石の硬さしか知らなかった足の裏に感じるのは、ふかふかとした草花の優しい感触。
ゆっくりと、空を見上げるように顔を上げれば、自分がいたはずのバルコニーの手摺りが遥か頭上に見えた。


あってはならないその光景に、様々な感情が波のように押し寄せ、開いた口が塞がらなかった。





「………でちゃ…た…」


ようやく振り絞った言葉は、途方もない動揺と困惑で、泣き声のように震えていた。

そんなことは露知らず、三人の赤ん坊は満足そうに笑っていた。
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