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九歳の決意の日から三年。十二歳になると、改めて神殿より司祭を招き、ダイナミクスに関する特別授業という名の性教育を受けた。
やって来た司祭は、九歳の時に出会った彼で、一時間にも満たない短い出会いだったにも関わらず、久方ぶりの再会に妙な懐かしさを覚えた。
「お久しぶりです、司祭様」
「……ええ、お久しぶりでございます、ベルナール様」
少しばかり驚いた表情の司祭──メルヴィルと名乗った彼は、淡く微笑むと、挨拶もそこそこに早速授業を開始した。
柔らかな声でゆったりと語られる言葉は、授業というよりも聖書の読み聞かせのようで、ぽわんと脳内で響くような心地良い声を聞きながら、目の前に立つメルヴィルを見つめた。
(……司祭様って、綺麗な人だったんだな)
三年前はそれどころではなかった為、記憶から飛んでしまっていたが、こうして改めて見ると整った顔立ちであることがよく分かった。
淡い銀の髪と澄んだ青空色の瞳。長い睫毛で覆われた瞳も、すっと通った高い鼻筋も、白い肌と相まってまるで彫刻のような美しさだった。
年は二十歳を過ぎた頃だろうか。侯爵家に出入りできる立場ということは、それなりに高位の司祭ということになるが──と、ぼんやりと考えている間に、特別授業は終わった。
(……父上に聞いた話とおんなじだったな)
多少の性的な言語を含んだ説明もあったが、それ以外は父が話してくれた内容とほぼ一緒だった。これが一般的な考えなのだとしたら、母がどうしてあそこまで拒絶反応を示したのか、逆に不思議に思えてくるほどだった。
「何か分からないところがありましたか?」
「あ……いいえ。大丈夫です」
首を傾げていたので、何か疑問点があると思われたのだろう。慌てて首を横に振ると、授業の終わりと共にメイドが用意してくれたお茶をメルヴィルに勧めた。
「……先日は、弟も世話になったようで……兄弟揃って、お見苦しい姿をお見せして、申し訳ございませんでした」
他愛もない会話を交わしながら、紅茶で喉を潤して暫く、思い切って謝罪の言葉を口にした。
「そのような謝罪は不要ですよ。ベルナール様にも、マルク様にも、非があった訳ではございません」
ふわりと微笑むその顔は三年前と変わらず、それが慰めでも同情でもなく、彼にとっての本心であることが分かり、ホッと息を吐いた。
つい先日、弟のマルクの第二性を登録する為、メルヴィルが屋敷を訪れていたのだ。
その場には父と母が揃い、自分は席を外していたのだが、弟が『Normal』だと分かると、母はその場でいきなり「マルクを次期当主にすべきです」と発言したのだ。
この三年間で母に対しほとほと愛想が尽きていた父は、怒鳴りたい気持ちをグッと堪えたそうだが、弟のマルクが堪えきれなかった。
「いい加減にして下さい! 兄様がどれだけ傷ついたかも知らないで……! お前は何様のつもりだ!?」
幼少期から母の態度に思うところがあったマルクは、母のその一言で我慢の限界に達し、そう叫ぶとそのまま部屋を飛び出したのだそうだ。
勿論、母はヒステリックに叫び、「マルクがああなったのはあなたのせいよ!」と父を詰った。まだメルヴィルがその場にいるというのに始まった夫婦喧嘩に、使用人達は慌てふためき、家令がメルヴィルを見送ることで、なんとかその場を収束させたと聞いた。
これが貴族間での揉め事なら醜聞もいいところだが、幸か不幸か、神殿に属する司祭には守秘義務が課せられている為、侯爵家のいざこざが外部に漏れる心配は無かった。その代わり、メルヴィルには何もかも筒抜けになってしまっている訳だが……
「この際です。ベルナール様も、胸の内に溜めたお気持ちがあるのなら、吐き出してしまってもいいのですよ?」
「え?」
「聞いているのは私だけです。私が誰かに話す事もありません。秘密を零す相手としては、最適ですよ」
そう言って笑うメルヴィルに、少しだけ気持ちが揺らいだが、弱音を吐いたらまた泣いてしまいそうで、緩く首を横に振るだけに留めた。
「……いいえ。私は、大丈夫です」
本当は、積もり積もった苦しみがあった。
この三年間、必死に勉強して、侯爵家の跡取りとして恥ずかしくないだけの学を身につけた。
マナーも、ダンスも、家庭教師に「完璧です」と言わしめるだけの作法を身につけた。
父に安心してもらえるように、弟にこれ以上の迷惑をかけないように、……母に恥ずかしいと思われないように、毎日毎日、努力してきた。
父は家庭を壊す原因となった私に対し、変わらず優しかったし、マルクもずっと変わらず慕ってくれた。
ただ母は、自分を視界に入れなくなった分、まるで一人息子のように弟を過剰に可愛がった。恐らくはそれがストレスとなって、今回のマルクの爆発にも繋がったのだろう。
(マルクは、笑っていたけれど……)
母に感情をぶつけたその足で自室までやって来たマルクは、「清々したよ」と笑顔でベッドに寝転んでいたが、ストレスを与えてしまった元の元、その原因は自分にあるのだと思うと、なんと言葉を返していいのかも分からなかった。
「……マルク……」
「やめて、兄様。謝らないで」
「……っ」
「兄様は悪くない。言いたいこともやりたいことも全部我慢して、いっぱい頑張ってるのを知ってる。謝るのは、あの人の方だよ」
『あの人』──母を『母』と呼ばない弟に、なぜか無性に悲しくなり、唇を噛んだ。
(……ごめんね)
言葉にできない分、心の中でこっそりと謝る。
いっそ母の望む通り、マルクが次期当主となり、自分がこの家を出ていけばいいのでは……そう思うが、父も弟も、母の思い通りになることを良しとしていないし、なにより二人とも、それを望んでいないことは分かる。
父と弟から愛されていると分かっている。だからこそ、愛する人達を苦しめているのが辛いのだと、キュウッと胸が痛んだ。
自分がSubでなかったら──たったそれだけ。たったそれだけの、どうしようもない現実に、瞳を伏せた。
やって来た司祭は、九歳の時に出会った彼で、一時間にも満たない短い出会いだったにも関わらず、久方ぶりの再会に妙な懐かしさを覚えた。
「お久しぶりです、司祭様」
「……ええ、お久しぶりでございます、ベルナール様」
少しばかり驚いた表情の司祭──メルヴィルと名乗った彼は、淡く微笑むと、挨拶もそこそこに早速授業を開始した。
柔らかな声でゆったりと語られる言葉は、授業というよりも聖書の読み聞かせのようで、ぽわんと脳内で響くような心地良い声を聞きながら、目の前に立つメルヴィルを見つめた。
(……司祭様って、綺麗な人だったんだな)
三年前はそれどころではなかった為、記憶から飛んでしまっていたが、こうして改めて見ると整った顔立ちであることがよく分かった。
淡い銀の髪と澄んだ青空色の瞳。長い睫毛で覆われた瞳も、すっと通った高い鼻筋も、白い肌と相まってまるで彫刻のような美しさだった。
年は二十歳を過ぎた頃だろうか。侯爵家に出入りできる立場ということは、それなりに高位の司祭ということになるが──と、ぼんやりと考えている間に、特別授業は終わった。
(……父上に聞いた話とおんなじだったな)
多少の性的な言語を含んだ説明もあったが、それ以外は父が話してくれた内容とほぼ一緒だった。これが一般的な考えなのだとしたら、母がどうしてあそこまで拒絶反応を示したのか、逆に不思議に思えてくるほどだった。
「何か分からないところがありましたか?」
「あ……いいえ。大丈夫です」
首を傾げていたので、何か疑問点があると思われたのだろう。慌てて首を横に振ると、授業の終わりと共にメイドが用意してくれたお茶をメルヴィルに勧めた。
「……先日は、弟も世話になったようで……兄弟揃って、お見苦しい姿をお見せして、申し訳ございませんでした」
他愛もない会話を交わしながら、紅茶で喉を潤して暫く、思い切って謝罪の言葉を口にした。
「そのような謝罪は不要ですよ。ベルナール様にも、マルク様にも、非があった訳ではございません」
ふわりと微笑むその顔は三年前と変わらず、それが慰めでも同情でもなく、彼にとっての本心であることが分かり、ホッと息を吐いた。
つい先日、弟のマルクの第二性を登録する為、メルヴィルが屋敷を訪れていたのだ。
その場には父と母が揃い、自分は席を外していたのだが、弟が『Normal』だと分かると、母はその場でいきなり「マルクを次期当主にすべきです」と発言したのだ。
この三年間で母に対しほとほと愛想が尽きていた父は、怒鳴りたい気持ちをグッと堪えたそうだが、弟のマルクが堪えきれなかった。
「いい加減にして下さい! 兄様がどれだけ傷ついたかも知らないで……! お前は何様のつもりだ!?」
幼少期から母の態度に思うところがあったマルクは、母のその一言で我慢の限界に達し、そう叫ぶとそのまま部屋を飛び出したのだそうだ。
勿論、母はヒステリックに叫び、「マルクがああなったのはあなたのせいよ!」と父を詰った。まだメルヴィルがその場にいるというのに始まった夫婦喧嘩に、使用人達は慌てふためき、家令がメルヴィルを見送ることで、なんとかその場を収束させたと聞いた。
これが貴族間での揉め事なら醜聞もいいところだが、幸か不幸か、神殿に属する司祭には守秘義務が課せられている為、侯爵家のいざこざが外部に漏れる心配は無かった。その代わり、メルヴィルには何もかも筒抜けになってしまっている訳だが……
「この際です。ベルナール様も、胸の内に溜めたお気持ちがあるのなら、吐き出してしまってもいいのですよ?」
「え?」
「聞いているのは私だけです。私が誰かに話す事もありません。秘密を零す相手としては、最適ですよ」
そう言って笑うメルヴィルに、少しだけ気持ちが揺らいだが、弱音を吐いたらまた泣いてしまいそうで、緩く首を横に振るだけに留めた。
「……いいえ。私は、大丈夫です」
本当は、積もり積もった苦しみがあった。
この三年間、必死に勉強して、侯爵家の跡取りとして恥ずかしくないだけの学を身につけた。
マナーも、ダンスも、家庭教師に「完璧です」と言わしめるだけの作法を身につけた。
父に安心してもらえるように、弟にこれ以上の迷惑をかけないように、……母に恥ずかしいと思われないように、毎日毎日、努力してきた。
父は家庭を壊す原因となった私に対し、変わらず優しかったし、マルクもずっと変わらず慕ってくれた。
ただ母は、自分を視界に入れなくなった分、まるで一人息子のように弟を過剰に可愛がった。恐らくはそれがストレスとなって、今回のマルクの爆発にも繋がったのだろう。
(マルクは、笑っていたけれど……)
母に感情をぶつけたその足で自室までやって来たマルクは、「清々したよ」と笑顔でベッドに寝転んでいたが、ストレスを与えてしまった元の元、その原因は自分にあるのだと思うと、なんと言葉を返していいのかも分からなかった。
「……マルク……」
「やめて、兄様。謝らないで」
「……っ」
「兄様は悪くない。言いたいこともやりたいことも全部我慢して、いっぱい頑張ってるのを知ってる。謝るのは、あの人の方だよ」
『あの人』──母を『母』と呼ばない弟に、なぜか無性に悲しくなり、唇を噛んだ。
(……ごめんね)
言葉にできない分、心の中でこっそりと謝る。
いっそ母の望む通り、マルクが次期当主となり、自分がこの家を出ていけばいいのでは……そう思うが、父も弟も、母の思い通りになることを良しとしていないし、なにより二人とも、それを望んでいないことは分かる。
父と弟から愛されていると分かっている。だからこそ、愛する人達を苦しめているのが辛いのだと、キュウッと胸が痛んだ。
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