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「こちらの報告書へのお目通しがまだですよ」
「分かってる! そう急かすな!」
広々とした執務室の大きな机の前、真剣な表情で積まれた書類と格闘する男を前に、やれやれと肩を竦めた。
「陛下、先にこちらだけでもご確認下さい。それさえいただければ、私は下がりますので」
「なんだ、手伝いにきたのではないのか?」
「その役目は陛下の側近の方々に振って下さい。私の仕事ではございません」
そう伝えれば、陛下──オードリックは、つまらなそうに眉を顰めた。
「つれないな。友の誼で助けてくれてもいいんだぞ」
「生憎と公私混同はしない主義ですので」
サラリと交わせば、自分より五つ年上の男が唇を尖らせ、そのまったくもって可愛くない仕草から、そっと目を逸らした。
王女殿下が隣国に嫁がれたその年に、姫君の父親であった陛下は王位を退き、王太子だったオードリックが国王に即位した。
オードリックとは末姫様の専属騎士として仕え始めてから、少しずつ交流を持つようになった仲だ。と言っても、元から親しくなれた訳ではなく、姫君の護衛合間の鍛錬に付き合っている内に、次第に打ち解けていったのだ。
三十一歳で王となるまで、第一騎士団の団長でもあったオードリックは、よく他の兵士に混じって鍛錬も行っていたが、やはり相手は王族。相手ができる者も自然と限られ、最初はその限られた中に自分も入っていたというだけの関係だった。
だが豪快で、生き生きとしていて、それでいて情の深いオードリックの性格に触れる内に、少しずつ絆され、気づけば『友』と呼ばれるような立場になっていた。
国王になってもそれは変わらず、更には家の者やメルヴィル以外では唯一、自分がSubであることを知っている人物であり、その上で当人の意思を尊重し、口を噤んでいてくれるとても得難い存在だ。
「では、私はこれで失礼致します」
「本当に帰るのかよ」
「私も仕事中ですので」
オードリックは体を動かすのは得意だが、机仕事は苦手だ。それでも逃げ出さず、誰彼と任せず、きちんと向き合うのは偉いと思う。
「はぁ……執務ばかりでは体が鈍っていかん。ベル、後で鍛錬に付き合え」
「お時間があれば是非とも。ただ今日はこれから新人が来ますので、手が空くか分かりませんね」
「ああ、今日だったか」
手にした書類を脇に持ち、扉へと迎えば、背後からオードリックのからかいを含んだ声が飛んできた。
「ご苦労だった、副長殿」
その言葉に眉根を寄せつつ、扉を開いた。
「失礼致します、陛下」
「ああ、ベルナールくん。おかえり~」
「ただ今戻りました」
いくつもの内務部門が連なる棟の一室、財務部の者達が働く一室に帰ってくると、のんびりとした出迎えを受けた。
「代わりに行ってもらって悪いねぇ」
「いえ、良い運動になりました」
ニコニコほのぼのと話す五十代半ばの男──ネロ・フラメル財務長に手にした書類を渡すと、財務長席の斜め向かいに設けられている副長席へと戻った。
(……副長と呼ばれるような実績なんてないんだけどな)
手にした書類を穏やかな顔で確認するフラメルをチラリと見遣りながら、はぁ……と溜め息を吐いた。
父が引退し、元々副長だったフラメルが、後任という形で財務長に就いた。ここまでは分かる。
そうして空いた副長の席に、なぜか自分が推薦されたのだ。ここが分からない。
財務部で働くようになって僅か二年の新人を副長にするなど、勤続年数の長い者や年嵩の者からも反感があるだろうと反対したのだが、恐ろしいことに皆がフラメルの決定に同意したのだ。
元財務長の息子、現侯爵、陛下の友人、二年前の事件の立役者……あらゆる肩書きから、皆が自分より上の役職に着くことを固辞し、結果的に自身が副長という役に収まるのが平和的解決になってしまったのだ。
分かりたくはないが、気持ちは分かる。幸い、財務部という神経を使う職にも関わらず、同僚や先輩方は穏やかな人柄の方ばかりで、副長という肩書きを得ながらも若輩者である自分をいつも手助けしてくれた。
そのおかげもあって、今ではなんとかそれらしく振る舞えるようになったが、それでもやはり自分には荷が重いと思ってしまう。
フラメルの『お使い』に使われるくらいがちょうどいいんだが……と、今となってはどうしようもないことを考えていると、不意にフラメルから声を掛けられた。
「ああ、そうだ。ベルナールくん」
「はい」
「午後から来る新しい子だけど、部署内の案内を頼んでもいいかな? 急用が入っちゃってね、挨拶だけしたら僕も出掛けなきゃいけないから」
「畏まりました」
新たな年度になり、多くの部署に新たな人員が補充される季節になった。今年、財務部に配属されたのは一人。改めて手元の書類に目を落とすと、新人の情報に目を通した。
(……十八歳か)
今年の春に学園を卒業したばかりの男の子。珍しい新人に、一体どんな子が来るのだろうと、少しばかりワクワクしている自分がいた。
「分かってる! そう急かすな!」
広々とした執務室の大きな机の前、真剣な表情で積まれた書類と格闘する男を前に、やれやれと肩を竦めた。
「陛下、先にこちらだけでもご確認下さい。それさえいただければ、私は下がりますので」
「なんだ、手伝いにきたのではないのか?」
「その役目は陛下の側近の方々に振って下さい。私の仕事ではございません」
そう伝えれば、陛下──オードリックは、つまらなそうに眉を顰めた。
「つれないな。友の誼で助けてくれてもいいんだぞ」
「生憎と公私混同はしない主義ですので」
サラリと交わせば、自分より五つ年上の男が唇を尖らせ、そのまったくもって可愛くない仕草から、そっと目を逸らした。
王女殿下が隣国に嫁がれたその年に、姫君の父親であった陛下は王位を退き、王太子だったオードリックが国王に即位した。
オードリックとは末姫様の専属騎士として仕え始めてから、少しずつ交流を持つようになった仲だ。と言っても、元から親しくなれた訳ではなく、姫君の護衛合間の鍛錬に付き合っている内に、次第に打ち解けていったのだ。
三十一歳で王となるまで、第一騎士団の団長でもあったオードリックは、よく他の兵士に混じって鍛錬も行っていたが、やはり相手は王族。相手ができる者も自然と限られ、最初はその限られた中に自分も入っていたというだけの関係だった。
だが豪快で、生き生きとしていて、それでいて情の深いオードリックの性格に触れる内に、少しずつ絆され、気づけば『友』と呼ばれるような立場になっていた。
国王になってもそれは変わらず、更には家の者やメルヴィル以外では唯一、自分がSubであることを知っている人物であり、その上で当人の意思を尊重し、口を噤んでいてくれるとても得難い存在だ。
「では、私はこれで失礼致します」
「本当に帰るのかよ」
「私も仕事中ですので」
オードリックは体を動かすのは得意だが、机仕事は苦手だ。それでも逃げ出さず、誰彼と任せず、きちんと向き合うのは偉いと思う。
「はぁ……執務ばかりでは体が鈍っていかん。ベル、後で鍛錬に付き合え」
「お時間があれば是非とも。ただ今日はこれから新人が来ますので、手が空くか分かりませんね」
「ああ、今日だったか」
手にした書類を脇に持ち、扉へと迎えば、背後からオードリックのからかいを含んだ声が飛んできた。
「ご苦労だった、副長殿」
その言葉に眉根を寄せつつ、扉を開いた。
「失礼致します、陛下」
「ああ、ベルナールくん。おかえり~」
「ただ今戻りました」
いくつもの内務部門が連なる棟の一室、財務部の者達が働く一室に帰ってくると、のんびりとした出迎えを受けた。
「代わりに行ってもらって悪いねぇ」
「いえ、良い運動になりました」
ニコニコほのぼのと話す五十代半ばの男──ネロ・フラメル財務長に手にした書類を渡すと、財務長席の斜め向かいに設けられている副長席へと戻った。
(……副長と呼ばれるような実績なんてないんだけどな)
手にした書類を穏やかな顔で確認するフラメルをチラリと見遣りながら、はぁ……と溜め息を吐いた。
父が引退し、元々副長だったフラメルが、後任という形で財務長に就いた。ここまでは分かる。
そうして空いた副長の席に、なぜか自分が推薦されたのだ。ここが分からない。
財務部で働くようになって僅か二年の新人を副長にするなど、勤続年数の長い者や年嵩の者からも反感があるだろうと反対したのだが、恐ろしいことに皆がフラメルの決定に同意したのだ。
元財務長の息子、現侯爵、陛下の友人、二年前の事件の立役者……あらゆる肩書きから、皆が自分より上の役職に着くことを固辞し、結果的に自身が副長という役に収まるのが平和的解決になってしまったのだ。
分かりたくはないが、気持ちは分かる。幸い、財務部という神経を使う職にも関わらず、同僚や先輩方は穏やかな人柄の方ばかりで、副長という肩書きを得ながらも若輩者である自分をいつも手助けしてくれた。
そのおかげもあって、今ではなんとかそれらしく振る舞えるようになったが、それでもやはり自分には荷が重いと思ってしまう。
フラメルの『お使い』に使われるくらいがちょうどいいんだが……と、今となってはどうしようもないことを考えていると、不意にフラメルから声を掛けられた。
「ああ、そうだ。ベルナールくん」
「はい」
「午後から来る新しい子だけど、部署内の案内を頼んでもいいかな? 急用が入っちゃってね、挨拶だけしたら僕も出掛けなきゃいけないから」
「畏まりました」
新たな年度になり、多くの部署に新たな人員が補充される季節になった。今年、財務部に配属されたのは一人。改めて手元の書類に目を落とすと、新人の情報に目を通した。
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