Sub侯爵の愛しのDom様

東雲

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紅い瞳の愛仔(後)

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その後、案の定泣き出してしまったベルナール様は、それはそれは可愛らしかった。
目元を真っ赤にして、必死になって「好きだ」と言葉を紡ぐお顔が可愛くて、動きと視線を制限されていることを悦ぶ様が可愛くて、そのくせ僅かなGlareグレアのオーラにすら怯えて「やだ」と言ってぐずる姿が可愛くて、この人の主成分は『可愛い』で出来ているんだろうなと本気で思った。
こんなに愛らしくて今までどうやって生きてきたのか、本気で心配になるほどだ。

ただ、僕のことが好きだと言いながら、「好きになったらダメだ」と更に泣き出した姿は痛々しくて、昂っていた熱がゆるゆると落ち着きを取り戻す。
そんな顔で泣かせたい訳じゃない。
泣き顔が愛らしいからと言って、悲しませたい訳でも、苦しませたい訳でもないのだ。

(ベルナール様のお気持ちも落ち着いてないみたいだし…まずは話を聞く時間が必要かな)

DomとSubの繋がりは、なにより話し合いが大切だ。
互いに相手に何を求めるか、どんな行為と躾を望むか、きちんと知らなければ関係が成り立たないからだ。

(ここでは落ち着いて話せないし……家に呼んでもいいかな?)

下心はある。が、いきなり襲うほど獣じみてはいない。
ただ自分のテリトリーに誘い込み、招き入れ、安心できる場所だと覚えさせたいだけだ。
兎にも角にも、今はこれ以上の話し合いをする時間はないだろう。忘れてしまいたいが仕事中なのだ。
心底離れ難かったが、瞼を泣き腫らし、目元から耳まで艶やかに染めた愛らしいベルナール様を他人の目に晒す気などさらさらなく、目元を冷やす物を取りにいこうと立ち上がった時だ。

クン…と弱く引っ張られる感覚がして振り返れば、ベルナール様が自身の服の裾を掴み、寂しげにこちらを見上げていた。

(ああもうっ、この人は…!!)

ベルナール様はとても凛々しい、素敵な殿方だ。
雄々しくて、騎士団を去ってから6年経った今でも、現役の騎士のような逞しい見目をしている。
それなのに、今目の前にいるこの可愛らしい生き物はなんだろう?
「置いてっちゃやだ」と雄弁に語る赤い瞳はずっと潤んでいて、「寂しい」と泣いてるのに怯える様が、どれだけDomを興奮させるのか、これっぽっちも分かっていなさそうな警戒心の無さだ。

(本当に、仔兎のような方だ)

寂しいと死んでしまう、甘えん坊で弱々しい小さな生き物。
僕がいなければ死んでしまいそうな弱々しい動物とベルナール様が重なり、唇がゆっくりと弧を描いた。

ああ、本当に、僕無しでは生きていけない可愛い生き物になってしまえばいいのに───止めどなく溢れ返る支配欲と執着は、今はまだベルナール様には見せられず、脱いだ上着の中にそっと隠した。



その日の仕事終わり、狙い通りベルナール様を屋敷に招いたのだが、緊張こそしていたものの、警戒心がまったくないことに驚きを通り越して感心してしまった。

『今は僕が1人で住んでいます。使用人達もこれで下がらせますので、どうぞ気兼ねなくお過ごし下さい』

言葉の裏に、「2人きりですよ」という意味を含んだのだが、分かっているのかいないのか、ホッと表情を崩したベルナール様に、本当にこの方は大丈夫だろうかと心配になる。

(僕の好意がどういう類のものか、分からない訳じゃないと思うんだけど…)

ベルナール様に対して抱く愛情には、多分な劣情を孕んでいる。
Domとして、雄として、目の前の者を喰らいたい───そういった類の情であることは、流石にベルナール様も分かっていらっしゃると思うのだが…
家に招いても素直に従い、家人のいない家に劣情と欲を孕んだ男と2人きりになるのだ。
いくら同性とはいえ、いくらベルナール様の方が純粋な腕力は上とはいえ、警戒しないのはおかしい。あまつさえ安堵するとは、一体どういう心境なのか、まったく読めなかった。
馬車の中で逃げられてしまった不満を混ぜ、腰を抱き寄せるも、触れた肌から伝わるのは羞恥と照れだけ。欠片ほどの警戒心も無いことに、喜んでいいのか分からなくなってしまう。

(やはりこういった経験が少ないのだろうか)

告白に真っ赤になり、接触に恥じらい、その上で肉欲的なものに対して無防備な様は、初めて恋を知った幼な子のそれとよく似ていた。
まさかそんなはずはないだろう…そう思いつつ、あまりにうぶな反応に期待は膨らみ、欲が頭を擡げる。

だが昂った熱は、俯き、翳りを見せた横顔に、スゥッと鎮まっていった。
性に対して、自分自身に対して、まるで責めるように「恥ずかしい」と零したベルナール様。
その言葉がやるせなくて、切なくて、愛しい人にそんなことを言わせたのが悔しくて───だから、全てを話してほしいと願った。

そんな憂いはベルナール様に要らないのだ。
僕に愛される為、僕を愛してもらう為、余計な不安も、過去も、ベルナール様には不要なのだ。


「ベルナール様、全部、僕に聞かせて下さい。貴方の中に残る悲しい記憶も、苦しい感情も、心も体も、丸ごと全部───僕にください」


全部、全部、僕が貰って、壊して飲み込んで、糧にしてしまおう。
愛しい人の全てが欲しいという貪欲さから生まれた獰猛な獣が、要らぬ過去を噛み砕こうと、柔らかな牙を剥いた。



長い時間を掛け、ベルナール様から全てを聞き終えた後、胸に抱いたのは、ベルナール様の母親に対する2つの感情だった。
1つはベルナール様を蔑み、傷つけたことに対する怒り。
もう1つは、醜く歪んだ感謝の念だった。

(ああ、愚かな母親貴女のおかげで、ベルナール様はこれまで、誰にも穢されず、生きてこれたのですね)

故人に対し、ましてや愛しい人を産んでくれた人に対し、憎悪のような怒りをぶつけるつもりは無いし、罵る気も無い。なにより、ベルナール様が母親のことを悪し様に言われることを望んでいない。
傷つけられても親への情を抱く優しい人に、余計なことは言うまいと口を噤めば、膨れるのは歪な悦びだった。

ベルナール様は、本当の意味で、真っ新なのだ。
DomとSubの繋がり方も、性教育で得た程度の知識しか無い。それどころか、恋愛経験すら無い。
「嫌われてしまう」と卑下する言葉も、自信のない態度も、怯えるように震える睫毛も、全部母親の呪詛に縛られていたからだろう。

傷ついて、泣いて、怯えて、恐れて、全てを遠巻きにした。
そのおかげで、こんなに素敵で、こんなに魅力的で、かっこよくて、美しくて、可愛らしい生き物が今の今まで誰の手に穢されることもなく生きてこれた。
独占欲を剥き出しにした本能は、ベルナール様の悲しい過去にすら歓喜した。醜い悦びだと自覚している。それでも止められなかった。

逃がす気も、手離す気も露ほども無いのに、未だにぐずぐずと愛らしい不安を口にするベルナール様の心配事を容赦なく潰していく。

「愛しております、ベルナール様。これまでも、これから先も、僕が求めるのは貴方だけです」
「あ……ぅ……」

僕の悦ばせ方だけ覚えればいい、と傲慢に告げれば、ベルナール様は嬉しそうに身を震わせ、虐めてくれと言わんばかりの芳香を漂わせた。

「…好き、だ…メリアくんが、好きだ」
「……好きなだけですか?」

───その口で、自らの意思で、僕を求めろ。

満ちる甘い香りに刺激され、命じるように問えば、頬を赤く染めた可愛い人の声が、夢にまで見た言葉を紡いだ。


「好き…だ、好きだから……だから…、メリアくんの、Subにしてほしい…っ」


刹那、背筋を駆け抜けたゾクリとした快感と喜びに、痺れで全身が戦慄いた。

その言葉が欲しかった。
ずっとずっと、欲しくて欲しくて堪らなかった、たった1人の愛しい人から与えて欲しかった唯一。

愛しいと手を伸ばすばかりだった人に、望んでもらえた喜びは果てしなく、向けられた好意は嬉しくて嬉しくて、体の中で渦巻くような熱が暴れ狂った。
なんとか欲を抑え、想いを告げて下さったベルナール様を褒めれば、その顔がふにゃりと緩んだ。

(ああ、本当にどうしてこんなに可愛いんだろう…!)

無防備な笑顔を前に、擦り切れそうになる理性をなんとか繋ぎ止めるも、精一杯の虚勢で口にした望みに、「嬉しい」と言わんばかりの微笑みを返され、我慢の枷は呆気なく外れた。



…だからと言って、突然襲うだなんて野蛮なことはしない。
というより、押し倒されているにも関わらず、ポカンとしているベルナール様を前に、色欲を抜かれたといった方が正しい。
本心を混ぜ、それとなく性を刺激する言葉を告げても、素直に受け止めてしまうベルナール様に、肉欲が音を立てて萎んでいく。
純粋な様は大変愛らしいが、比例して募るのは心配と不安だ。

(経験が無いにしても、もう少し意識してほしいのだけど…)

2人きりの家に招いた時の警戒心の無さといい、押し倒されても狼狽えない様子といい、自分に対する恋情故の無警戒なのか、それともまさか14歳も年下の男に襲われるはずがないと思っているのか、判断がしづらい。

「その…躾と、お…仕置き、というのは…何をするんだ?」
「……そうですね。そのご説明の前に、ベルナール様はもう少し、DomとSubの繋がり方について、色々お勉強した方がいいかもしれませんね」

終いには、こんな言葉が出てくる始末だ。
可愛らしいことこの上ないが、性欲まで無いのでは、と疑ってしまう。
恋愛経験が無い上、ベルナール様のこの性格と過去だ。間違いなく性行為の経験は無いだろう。
肉体的な繋がりはおろか、他人の温度も知らず、性知識すら乏しい。

無垢で無知な幼な子に手取り足取り性の知識を与え、少しずつ汚し、自分好みの淫らな雌に育ていく。
愛しい人だからこそ生まれる劣情に、ぶるりと身が震えるも、包み隠さず伝えた欲に対して返ってきたのは、やはり愛らしい笑みだけだった。

「…メリアくんが嬉しいなら、私も嬉しい」

(…この可愛い人は、襲われたいのだろうか?)

そんな疑念が生まれるほど無防備で可愛い様子に、我慢できない欲と意識してほしいという欲が混じり合う。

「ひわっ!?」

吸い付いた首筋を舐め上げれば、その身が艶やかな声で鳴いた。

「やっ…、や…っ、メリアくん…!」

恐らく生まれて初めての性的な刺激に鳴く声は可愛らしく、泣いているような声がもっと聞きたくて、グツグツと欲が沸き立つ。

「“ルー”です」
「え…?」
「名前です。恋人になったのですから、僕のことは“ルー”とお呼び下さい」

このままでは流石にまずい───咄嗟に理性が仕事をし、膨れた欲を抑える為、それに変わるものを欲した。
無理やり話題を逸らすも、首筋への口づけが止んだことでホッとしたのか、その顔はキョトリとしていた。
その顔を可愛いなぁと見つめていると、もじもじとした様子で小さく名を呼ばれた。


「……ルゥ、くん…?」


瞬間、心臓を雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。
なんだその可愛い呼び方は。
なんだその可愛い言い方は。
なんだその可愛い仕草は。
呼び捨てにしてほしかったのだが、「ルー」ではなく「ルゥ」と発音するその舌も、「くん」を付けて呼ぶ声も、恥じらいながらもちゃんと名を呼んでくれる愛しさも、全部が全部可愛くて、受けた衝撃から惚けた頭は、なかなか現実に帰ってくることができなかった。
今日だけで何十回と抱いた『可愛い』という感情が際限無く生まれ、それと同時に湧いたのは、やはり一握りの憂いだった。

(ベルナール様は、きちんと僕の欲を理解されているのだろうか)

ベルナール様に向けたのは、淡い恋心のような慎ましいものではない。
どこまでも強欲で、貪欲で、ベルナール様の全てを欲しいと望んだ男の、激情と執着の塊だ。
支配欲は永遠に尽きることなく、二度とその身が自由になることはないだろう。
ダイナミクスの欲を満たす為、性を慰める為、一時のパートナーを望んだのではない。

生涯、愛情という名の檻に閉じ込められ、独占欲と支配の鎖に繋がれる。
その覚悟があるのか、ベルナール様の反応が不安で、最後のチャンスを与える意味も込めて、今一度いまひとたびの告白をした。


「愛しています、ベル。今この瞬間から、貴方は僕のものです。ベルの過去も、今も、未来も、自由も全部、僕に縛られます。…それを、望んでくれますか?」


ここで一瞬でも狼狽するならば、ほんの少しでも怯えるならば、その時は───そんな覚悟と恐怖を必死に隠した告白。
本当は、拒絶されるのが怖くて怖くて堪らなかった愛の言葉は、欠片の躊躇いも戸惑いも無い無垢な微笑みに一蹴された。

「悦んで。私のDom様」

どこまでも優しく、慈愛に満ちた、『大好き』という想いを込めた、たった一言。
その一言が嬉しくて、嬉しくて、息ができないほどの感動に、泣きそうになる。

(僕のSubものだ…!!)

永遠に、離すものか───誓いを立てるように、微笑みの形で薄く開いたままの唇に噛みついた。

「んぅ…!」

互いに生まれて初めての口づけ。
息を奪い、声を飲み込み、咥内の中を貪るようなキスに、ベルナール様の苦しそうな声が聞こえるも、それも全部食らった。
何度も何度も角度を変え、その度に深く唇を合わせ、舌を捻じ込む。
ベルナール様の口の中は熱く、柔らかく厚い舌は食べてしまいたいほど甘美で、何度も吸い付き、歯を立てた。
舐めて、齧って、啜り、口の中が互いの唾液でドロドロに溶けた頃、混じり合ったそれを一滴残らず飲み干し、唇を離した。

「ふはっ…、あ……はぁっ…、ぁ…」

粘着質な糸が、互いの舌を繋ぐ。唇を開いたまま懸命に酸素を取り込むベルナール様は、耳から首筋まで真っ赤で、その蕩けた表情は激しい性交を終えた後のように淫靡だった。

(このいやらしい顔も、僕以外、誰も知らない。…誰にも、見せてやるものか)

過去も、そして未来も、ベルナール様の愛らしさを知るのは未来永劫、僕だけだ。

疼く腹を抱え、その身を潰してしまいそうなほどの重く重い熱を込めて、愛しい人に微笑んだ。


「愛しています。僕のベル」
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