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「ベル、ご飯は食べられそうですか?」
「うん……」
「お茶は温かいものと冷たいもの、どちらがいいでしょう?」
「……温かいもので……」
「デザートも用意してありますから、食べられそうなら、是非召し上がってくださいね」
「ん、ありがとう」
灯りの点った部屋の中、まるで夢の中にいるようなふわふわとした感覚のまま、くるくるとよく動くルノーを見つめる。
昼間とは雰囲気を変えた室内の様子にそわりとしながら、目だけで辺りを見回すと、気持ちを落ち着けるように、彼の淹れてくれた紅茶に口をつけた。
意識を失うように眠りに落ちた後、ふと目を覚ますと、辺りは暗闇に包まれていた。
一瞬、自分が今どこにいるのか分からず、寝惚け眼のままぼんやりと見知らぬ天井を見つめるも、瞬間的にそれまでの出来事を思い出すと、飛び跳ねんばかりの勢いで起き上がった。
『……ベル? どうしました?』
次いで聞こえた声に、ハッとして隣を見れば、ベッドに横になり、キョトンとした表情でこちらを見上げるルノーと目が合った。
どうやって取り替えたのか、己の体液や潤滑剤でぐちゃぐちゃに乱れたリネンは清潔な物に変わり、そこに情事の痕は一切ない。
そんな中、絹のガウンを羽織っただけのルノーと、なぜか一糸纏わぬ姿で寝ていた現実は、甘い情事を思い出させ、一気に体温が上昇した──が、この時はそれどころではなかった。
明らかに陽が沈んだ室内の暗さに、慌ててルノーに時刻を聞き、サァッと血の気が引いた。
あと一時間で日付けが変わる──これまで仕事で家を空ける以外、無断外泊はおろか、家人へ連絡もせずに帰りが遅くなることもなかった。
ましてや情事に耽って帰りが遅くなるなど、恥ずかしさと後ろめたさでどうにかなってしまいそうで、慌てふためきながら「早く帰らないと……!」とルノーに告げれば、なぜか堪えきれない笑みを含んだ声が返ってきた。
『ベル、大丈夫ですから、落ち着いて下さい。ちゃんと使いの者をやって、お家には外泊する旨をお伝えしましたから』
『え?』
聞けば、夜の鐘が鳴る前に、突然外泊させることになってしまった謝罪を認めた手紙を侯爵邸に届けたのだそうだ。
その際、家令から了承の返事と共に「明日、登城する前に一度お帰り下さい」という言付けを預かったと聞かされ、じわじわと現状を把握すると同時に脱力した。
「お泊まりのお許しをもらえましたね」とにこやかに告げるルノーに、喜べばいいのか、明日どんな顔をして帰ればいいのか分からなくなり、手にしたシーツの端で隠れるように顔を覆えば、それをルノーの手でやんわりと止められた。
『慌てるベルも、とても可愛らしかったですよ。まるで、恋人との密会で帰りが遅くなって、お父様に怒られるのを怖がるご令嬢のようで』
本当に愛らしいのだから──そう言って笑うルノーに、何から何まで恥ずかしくなって、羞恥に身悶えながら、布団の中に潜り込んだ。
その後、ルノーに手を引かれるまま風呂場まで連れていかれると、頭の天辺から足の爪先まで、彼の手で隅々まで磨かれた。
家の者にすら体を洗われた経験がないせいか、正直戸惑う気持ちが強かったが、優しい手つきで丁寧に体を洗われる感覚は擽ったくて、それでいて信じられないほど気持ち良くて、再び眠ってしまいそうになるほど心地良かった。
そうして日付けも変わった深夜。夜食と呼ぶには豪華な軽食を味わいながら、ルノーと二人、彼の部屋で寛いでいた。
「はい、あーん」
「あ……」
口元に差し出されたフォークの先。そこに乗った小さなカプレーゼを口にすれば、ルノーが満足気に笑った。
「美味しいですか?」
「……ん」
「良かった。昼間、何も食べられなかったから、お腹が空いちゃいましたよね」
そう言いながら、今度は一口サイズのサンドイッチを差し出され、求められるまま、柔らかなそれを食んだ。
(……嬉しそうだな)
咀嚼しながら、自身の食事もそっちのけで嬉々として自分の世話をするルノーを見つめる。
本人曰く、彼はSubに尽くしたいタイプのDomらしいが、目が覚めてからここまで、風呂に食事にと、甲斐甲斐しく世話をされ、自分で動くことがほとんどなかった
風呂は勿論、上がった後に体を拭くのも髪の毛を乾かすのもルノーの役目で、自分はただ座っているだけ。腰を下ろしたソファーには柔らかなクッションが山ほど並べられ、どこに寄り掛かっても体が心地良く沈んだ。
ルノーと揃いのガウンの上からは厚手の羽織りを掛けられ、包まれるような安心感から、ほぅっと吐息が漏れた。
あまりにも至れり尽くせりで恐ろしいほどだが、なにより恐ろしいのは、すべて己の手で世話をしなければ気が済まないと言いたげなルノーの行動を、自分が心底悦んでいることだ。
「ベル、他に欲しい物はありますか?」
「うぅん、もう、いっぱいだ」
「じゃあ、してほしいことは?」
「それも、もういっぱい……」
「もっと欲しがってくれてもいいのに」
クスクスと笑うルノーの声が、心地良く鼓膜を揺する。
まだ倦怠感の残る体だが、湯浴みでじっくりと温まり、美味しい食事で満たされたおかげか、今はその僅かな疲労感さえも気持ち良い。
全身どこもかしこも気持ち良くて、温かくて、それだけで頭がぼんやりとするのに、ルノーの声に滲んだ『可愛くてしょうがない』という響きに、肉の体まで溶けてしまいそうになる。
(あ……この感じ……)
直後、不意に体内を巡ったなんとも言えない感覚に、いつかの記憶が重なった。
『君がいないと、ダメになってしまいそうだ』
あの時の言葉が、現実になってしまいそうなほどぐずぐずに甘やかされている今が、少しだけ怖い。
それなのに、身も心も、ルノーに甘やかされることを求めていて、彼の望むまま、己を丸ごと差し出せてしまえることが、嬉しくて仕方なかった。
(……本当に、ダメになってしまいそうだ)
もしもこの先、ルノーと離れるようなことになった時、果たして自分は、彼を知らなかった頃のように生きていけるのだろうか……ふと浮かんだ『もしも』を恐れてしまうほど、彼の存在も、注がれる愛情も愛しくて、胸がキュウッと締め付けられた。
「ベル? どうしました?」
「……いや、なんでもないよ」
あれもこれも怖がっている内に、ぼぅっとしていたらしい。顔を覗き込んだルノーにドキリとしつつ、ふるりと頭を振った。
(離れるのも怖いが、甘やかされることが当たり前になるのも怖いな……)
初めての性交だからこそ、不慣れな自分を気遣って、ルノーも殊更優しくしてくれているのかもしれないが……と、そんなことを考えていると、ルノーの手がおもむろに自身の手に重なった。
「ベル、無理はしないで、もう休みましょう?」
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ」
「ですが……」
「本当に、大丈夫だ。たくさん寝たから、まだ眠くないし……それに、せっかく二人でいるんだから、もう少し起きていたい」
なんだかんだと思いつつ、こうしてルノーと二人きりで過ごせる時間が嬉しいのだ。
重なった手を自ら握り返せば、ルノーが僅かに目を見開き、そのままゆっくりと細めた。
「……それじゃあ、せっかくですから、初めてのエッチの感想を聞かせてください」
「へっ!?」
「大切なことですよ。初めてのことでしたから、僕も手探りでしたし……なによりベルがどう感じたか、どう思ったかで、この先の交わり方も変わりますから」
「あ……」
突然の話題におかしな声が出たが、続いたルノーの言葉ですぐに納得した。
恋人同士として、DomとSubとして、より円満で強固な信頼を結ぶ為、互いの意思を共有するのは大切なことだ。
非常に恥ずかしいが、ここで嘘をついたり、誤魔化したりするのは、お互いの為に良くないのだろう。
「えっと……、気持ち良かった、です……」
「うん、どこが?」
「……胸も、下半身も……全部……」
「下半身というのは、おちんちんのこと?」
「おっ……、そ、そこも、だし……その、股の……」
「……素股、気持ち良かったですか?」
「っ……、う、ん……」
「本当にセックスしてるみたいだったでしょう? どうでしたか?」
「ど、どうって……」
「ベルは、どう感じましたか?」
「うぅっ」
明らかに意地悪な質問をされているのだが、濁すに濁せない。
ぐぅ……と唸りつつ、観念して気持ちを固めると、思い出せる限りのことを語った。
「その……ちゃんと、繋がれた訳じゃないけど……ルゥくんと、一緒に気持ち良くなれて、嬉しかったし……お、お尻を叩かれたのも、胸も、股……も、ルゥくんが、色んな所を、いっぱい触ってくれて……それだけで気持ち良くて、嬉しくて……すごく、幸せだった……よ」
言いながら、どんどん顔が熱くなり、堪らず視線を逸らした。
裸体も恥部も、すべてルノーの前に曝け出し、泣いて喘いだ恥ずかしい記憶。それと共に、ルノーの手や唇が肌を撫でる体温も思い出し、じわじわと胸の鼓動が速くなる。
正直、刺激が強すぎた感は否めないし、最初から最後まで恥ずかしかったが、彼との性交が気持ち良かったのも嬉しかったのも事実だ。
真っ赤に染まっているであろう顔を片手で隠しながら、チラリとルノーを見遣れば、なぜか同じように片手で顔を覆って俯くルノーが視界に映り、目を瞬いた。
「ルゥくん?」
「……すみません。大丈夫です。ちょっと、予想以上の衝撃が……」
「……良くないことを言ってしまっただろうか?」
「まさか、良い意味での衝撃です。……素敵な感想をありがとうございます。ベルに気持ち良くなってもらえて、僕も嬉しいです」
俯いていた顔を上げ、頬を赤らめるルノーにホッとしつつ、疑問を混ぜて言葉を返す。
「気持ち良さそうに、見えなかったかい?」
「いいえ、とても気持ち良さそうでしたよ。でも、初めてのことでしたし、怖かったんじゃないかと思って、少し心配でした」
「……ちょっとだけ、怖かったよ。でもそれは、ルゥくんが怖い訳でも、行為そのものが怖い訳でもなくて……その、気持ち良すぎて、怖かっただけで……」
「……無自覚で煽るのだから」
「ん?」
「いえ、ベルは本当に可愛いなぁと思って。他には、何か気になることはありましたか?」
「いや、他にはないよ」
というより、他を気にするほどの余裕が無かったという方が正しい。ふるふると首を振れば、ルノーが表情を和らげた。
「それじゃあ、僕から少しだけ、お願いをしてもいいですか?」
ふと変わった声のトーンに、反射的に背筋を伸ばした。
「……すまない。何か、良くないことをしてしまっただろうか?」
「いえ、ベルは何も悪いことをしてませんよ。というより、そのことについて言いたかったのですが……」
「そのこと?」
「ベルは謝りすぎです」
「っ……」
その一言に、心臓がビクリと怯えた。
「責めてる訳じゃありません。ベルはまだDomとSubの繋がり方に対する知識が少ないですし、もしかしたら、そういった不安から謝ってしまうのかもしれません。でも、僕が怒っても叱ってもいないのに、ベルが一方的に謝るのは、あまり良いことではないと思うんです」
「ご、ごめんなさ──」
「ベル」
「……うん」
「うん、良い子。勿論、謝るなと言ってる訳じゃありません。ベルが自分の行いに対して、悪いことをしてしまったと思って謝るのは、良いことだと思います。でも、僕を基点に、僕に対する不安から謝るのは、少しずつ無くしていきましょう?」
「……うん」
「いけないことはいけないことと、ちゃんと言います。悪いことをしてしまったら、きちんと叱ります。ベルが不安にならないように、ちゃんと躾けてあげますから、ベルも不安や心配があれば、謝る前に、僕に教えてください」
「……うん」
謝りすぎ……その自覚がない訳ではない。ルノーの言う通り、不安や心配から、つい口をついて出てしまっていた。
それをルノーに指摘させてしまったというショックから気持ちが沈むも、重たい感情はすぐに振り払った。
(……違う。ルゥくんが、気づいてくれたんだ)
“ルノーの言う通り”ということは、彼がそれだけ、自分のことを気にして、見てくれているということだ。指摘してくれたのも、余計な不安や心配を取り払おうとしてくれたからだ。
そこにあるのは紛れもない愛情で、改めて自分という存在を大事に大事にされているのだと自覚した途端、歓喜の波がぶわりと押し寄せ、胸がきゅうきゅうと鳴いた。
「……ルゥくん」
「はい」
「気づいて、言ってくれて、ありがとう」
「! ……どういたしまして。ベルも、ごめんなさいじゃなくて、ありがとうと言ってくれて、ありがとうございます」
「ん……」
絡ませた指先もそのままに、ルノーの唇が手の甲に触れた。
チュッ……と響いたリップ音と、彼の唇の感触。それが妙に恋しくて、そわりと気を揺らせば、ルノーが静かに笑みを浮かべたまま、くっと顔を上げた。
(あ……)
──気づいてくれた。
『キスがしたい』
思わず滲んだ欲は少し恥ずかしくて、でも今は、言葉にせずともルノーと通じ合えたことが嬉しくて、ふわふわと浮き立つ気持ちのまま身を屈めると、自分の為に差し出された唇に、そっと口づけをした。
それから眠くなるまで、食事と会話をゆったりと楽しむと、ルノーと共に彼のベッドに潜り込んだ。
「おやすみなさい、ベル」
「おやすみ、ルゥくん」
大きなベッドの上、甘えるように体を密着させたルノーの体を抱き寄せると、小さく笑い合い、目を閉じる。
ただ触れ合っているだけで、こんなにも嬉しい。
昼間の艶事が夢であったかのような穏やかな空気の中、腕に抱いたルノーの温もりに心まで満たされながら、ゆっくりと眠りに落ちた。
深夜二時。初めてだらけの愛しい人との交わりは、甘やかな微睡みと共に、静かに幕を閉じた。
「うん……」
「お茶は温かいものと冷たいもの、どちらがいいでしょう?」
「……温かいもので……」
「デザートも用意してありますから、食べられそうなら、是非召し上がってくださいね」
「ん、ありがとう」
灯りの点った部屋の中、まるで夢の中にいるようなふわふわとした感覚のまま、くるくるとよく動くルノーを見つめる。
昼間とは雰囲気を変えた室内の様子にそわりとしながら、目だけで辺りを見回すと、気持ちを落ち着けるように、彼の淹れてくれた紅茶に口をつけた。
意識を失うように眠りに落ちた後、ふと目を覚ますと、辺りは暗闇に包まれていた。
一瞬、自分が今どこにいるのか分からず、寝惚け眼のままぼんやりと見知らぬ天井を見つめるも、瞬間的にそれまでの出来事を思い出すと、飛び跳ねんばかりの勢いで起き上がった。
『……ベル? どうしました?』
次いで聞こえた声に、ハッとして隣を見れば、ベッドに横になり、キョトンとした表情でこちらを見上げるルノーと目が合った。
どうやって取り替えたのか、己の体液や潤滑剤でぐちゃぐちゃに乱れたリネンは清潔な物に変わり、そこに情事の痕は一切ない。
そんな中、絹のガウンを羽織っただけのルノーと、なぜか一糸纏わぬ姿で寝ていた現実は、甘い情事を思い出させ、一気に体温が上昇した──が、この時はそれどころではなかった。
明らかに陽が沈んだ室内の暗さに、慌ててルノーに時刻を聞き、サァッと血の気が引いた。
あと一時間で日付けが変わる──これまで仕事で家を空ける以外、無断外泊はおろか、家人へ連絡もせずに帰りが遅くなることもなかった。
ましてや情事に耽って帰りが遅くなるなど、恥ずかしさと後ろめたさでどうにかなってしまいそうで、慌てふためきながら「早く帰らないと……!」とルノーに告げれば、なぜか堪えきれない笑みを含んだ声が返ってきた。
『ベル、大丈夫ですから、落ち着いて下さい。ちゃんと使いの者をやって、お家には外泊する旨をお伝えしましたから』
『え?』
聞けば、夜の鐘が鳴る前に、突然外泊させることになってしまった謝罪を認めた手紙を侯爵邸に届けたのだそうだ。
その際、家令から了承の返事と共に「明日、登城する前に一度お帰り下さい」という言付けを預かったと聞かされ、じわじわと現状を把握すると同時に脱力した。
「お泊まりのお許しをもらえましたね」とにこやかに告げるルノーに、喜べばいいのか、明日どんな顔をして帰ればいいのか分からなくなり、手にしたシーツの端で隠れるように顔を覆えば、それをルノーの手でやんわりと止められた。
『慌てるベルも、とても可愛らしかったですよ。まるで、恋人との密会で帰りが遅くなって、お父様に怒られるのを怖がるご令嬢のようで』
本当に愛らしいのだから──そう言って笑うルノーに、何から何まで恥ずかしくなって、羞恥に身悶えながら、布団の中に潜り込んだ。
その後、ルノーに手を引かれるまま風呂場まで連れていかれると、頭の天辺から足の爪先まで、彼の手で隅々まで磨かれた。
家の者にすら体を洗われた経験がないせいか、正直戸惑う気持ちが強かったが、優しい手つきで丁寧に体を洗われる感覚は擽ったくて、それでいて信じられないほど気持ち良くて、再び眠ってしまいそうになるほど心地良かった。
そうして日付けも変わった深夜。夜食と呼ぶには豪華な軽食を味わいながら、ルノーと二人、彼の部屋で寛いでいた。
「はい、あーん」
「あ……」
口元に差し出されたフォークの先。そこに乗った小さなカプレーゼを口にすれば、ルノーが満足気に笑った。
「美味しいですか?」
「……ん」
「良かった。昼間、何も食べられなかったから、お腹が空いちゃいましたよね」
そう言いながら、今度は一口サイズのサンドイッチを差し出され、求められるまま、柔らかなそれを食んだ。
(……嬉しそうだな)
咀嚼しながら、自身の食事もそっちのけで嬉々として自分の世話をするルノーを見つめる。
本人曰く、彼はSubに尽くしたいタイプのDomらしいが、目が覚めてからここまで、風呂に食事にと、甲斐甲斐しく世話をされ、自分で動くことがほとんどなかった
風呂は勿論、上がった後に体を拭くのも髪の毛を乾かすのもルノーの役目で、自分はただ座っているだけ。腰を下ろしたソファーには柔らかなクッションが山ほど並べられ、どこに寄り掛かっても体が心地良く沈んだ。
ルノーと揃いのガウンの上からは厚手の羽織りを掛けられ、包まれるような安心感から、ほぅっと吐息が漏れた。
あまりにも至れり尽くせりで恐ろしいほどだが、なにより恐ろしいのは、すべて己の手で世話をしなければ気が済まないと言いたげなルノーの行動を、自分が心底悦んでいることだ。
「ベル、他に欲しい物はありますか?」
「うぅん、もう、いっぱいだ」
「じゃあ、してほしいことは?」
「それも、もういっぱい……」
「もっと欲しがってくれてもいいのに」
クスクスと笑うルノーの声が、心地良く鼓膜を揺する。
まだ倦怠感の残る体だが、湯浴みでじっくりと温まり、美味しい食事で満たされたおかげか、今はその僅かな疲労感さえも気持ち良い。
全身どこもかしこも気持ち良くて、温かくて、それだけで頭がぼんやりとするのに、ルノーの声に滲んだ『可愛くてしょうがない』という響きに、肉の体まで溶けてしまいそうになる。
(あ……この感じ……)
直後、不意に体内を巡ったなんとも言えない感覚に、いつかの記憶が重なった。
『君がいないと、ダメになってしまいそうだ』
あの時の言葉が、現実になってしまいそうなほどぐずぐずに甘やかされている今が、少しだけ怖い。
それなのに、身も心も、ルノーに甘やかされることを求めていて、彼の望むまま、己を丸ごと差し出せてしまえることが、嬉しくて仕方なかった。
(……本当に、ダメになってしまいそうだ)
もしもこの先、ルノーと離れるようなことになった時、果たして自分は、彼を知らなかった頃のように生きていけるのだろうか……ふと浮かんだ『もしも』を恐れてしまうほど、彼の存在も、注がれる愛情も愛しくて、胸がキュウッと締め付けられた。
「ベル? どうしました?」
「……いや、なんでもないよ」
あれもこれも怖がっている内に、ぼぅっとしていたらしい。顔を覗き込んだルノーにドキリとしつつ、ふるりと頭を振った。
(離れるのも怖いが、甘やかされることが当たり前になるのも怖いな……)
初めての性交だからこそ、不慣れな自分を気遣って、ルノーも殊更優しくしてくれているのかもしれないが……と、そんなことを考えていると、ルノーの手がおもむろに自身の手に重なった。
「ベル、無理はしないで、もう休みましょう?」
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ」
「ですが……」
「本当に、大丈夫だ。たくさん寝たから、まだ眠くないし……それに、せっかく二人でいるんだから、もう少し起きていたい」
なんだかんだと思いつつ、こうしてルノーと二人きりで過ごせる時間が嬉しいのだ。
重なった手を自ら握り返せば、ルノーが僅かに目を見開き、そのままゆっくりと細めた。
「……それじゃあ、せっかくですから、初めてのエッチの感想を聞かせてください」
「へっ!?」
「大切なことですよ。初めてのことでしたから、僕も手探りでしたし……なによりベルがどう感じたか、どう思ったかで、この先の交わり方も変わりますから」
「あ……」
突然の話題におかしな声が出たが、続いたルノーの言葉ですぐに納得した。
恋人同士として、DomとSubとして、より円満で強固な信頼を結ぶ為、互いの意思を共有するのは大切なことだ。
非常に恥ずかしいが、ここで嘘をついたり、誤魔化したりするのは、お互いの為に良くないのだろう。
「えっと……、気持ち良かった、です……」
「うん、どこが?」
「……胸も、下半身も……全部……」
「下半身というのは、おちんちんのこと?」
「おっ……、そ、そこも、だし……その、股の……」
「……素股、気持ち良かったですか?」
「っ……、う、ん……」
「本当にセックスしてるみたいだったでしょう? どうでしたか?」
「ど、どうって……」
「ベルは、どう感じましたか?」
「うぅっ」
明らかに意地悪な質問をされているのだが、濁すに濁せない。
ぐぅ……と唸りつつ、観念して気持ちを固めると、思い出せる限りのことを語った。
「その……ちゃんと、繋がれた訳じゃないけど……ルゥくんと、一緒に気持ち良くなれて、嬉しかったし……お、お尻を叩かれたのも、胸も、股……も、ルゥくんが、色んな所を、いっぱい触ってくれて……それだけで気持ち良くて、嬉しくて……すごく、幸せだった……よ」
言いながら、どんどん顔が熱くなり、堪らず視線を逸らした。
裸体も恥部も、すべてルノーの前に曝け出し、泣いて喘いだ恥ずかしい記憶。それと共に、ルノーの手や唇が肌を撫でる体温も思い出し、じわじわと胸の鼓動が速くなる。
正直、刺激が強すぎた感は否めないし、最初から最後まで恥ずかしかったが、彼との性交が気持ち良かったのも嬉しかったのも事実だ。
真っ赤に染まっているであろう顔を片手で隠しながら、チラリとルノーを見遣れば、なぜか同じように片手で顔を覆って俯くルノーが視界に映り、目を瞬いた。
「ルゥくん?」
「……すみません。大丈夫です。ちょっと、予想以上の衝撃が……」
「……良くないことを言ってしまっただろうか?」
「まさか、良い意味での衝撃です。……素敵な感想をありがとうございます。ベルに気持ち良くなってもらえて、僕も嬉しいです」
俯いていた顔を上げ、頬を赤らめるルノーにホッとしつつ、疑問を混ぜて言葉を返す。
「気持ち良さそうに、見えなかったかい?」
「いいえ、とても気持ち良さそうでしたよ。でも、初めてのことでしたし、怖かったんじゃないかと思って、少し心配でした」
「……ちょっとだけ、怖かったよ。でもそれは、ルゥくんが怖い訳でも、行為そのものが怖い訳でもなくて……その、気持ち良すぎて、怖かっただけで……」
「……無自覚で煽るのだから」
「ん?」
「いえ、ベルは本当に可愛いなぁと思って。他には、何か気になることはありましたか?」
「いや、他にはないよ」
というより、他を気にするほどの余裕が無かったという方が正しい。ふるふると首を振れば、ルノーが表情を和らげた。
「それじゃあ、僕から少しだけ、お願いをしてもいいですか?」
ふと変わった声のトーンに、反射的に背筋を伸ばした。
「……すまない。何か、良くないことをしてしまっただろうか?」
「いえ、ベルは何も悪いことをしてませんよ。というより、そのことについて言いたかったのですが……」
「そのこと?」
「ベルは謝りすぎです」
「っ……」
その一言に、心臓がビクリと怯えた。
「責めてる訳じゃありません。ベルはまだDomとSubの繋がり方に対する知識が少ないですし、もしかしたら、そういった不安から謝ってしまうのかもしれません。でも、僕が怒っても叱ってもいないのに、ベルが一方的に謝るのは、あまり良いことではないと思うんです」
「ご、ごめんなさ──」
「ベル」
「……うん」
「うん、良い子。勿論、謝るなと言ってる訳じゃありません。ベルが自分の行いに対して、悪いことをしてしまったと思って謝るのは、良いことだと思います。でも、僕を基点に、僕に対する不安から謝るのは、少しずつ無くしていきましょう?」
「……うん」
「いけないことはいけないことと、ちゃんと言います。悪いことをしてしまったら、きちんと叱ります。ベルが不安にならないように、ちゃんと躾けてあげますから、ベルも不安や心配があれば、謝る前に、僕に教えてください」
「……うん」
謝りすぎ……その自覚がない訳ではない。ルノーの言う通り、不安や心配から、つい口をついて出てしまっていた。
それをルノーに指摘させてしまったというショックから気持ちが沈むも、重たい感情はすぐに振り払った。
(……違う。ルゥくんが、気づいてくれたんだ)
“ルノーの言う通り”ということは、彼がそれだけ、自分のことを気にして、見てくれているということだ。指摘してくれたのも、余計な不安や心配を取り払おうとしてくれたからだ。
そこにあるのは紛れもない愛情で、改めて自分という存在を大事に大事にされているのだと自覚した途端、歓喜の波がぶわりと押し寄せ、胸がきゅうきゅうと鳴いた。
「……ルゥくん」
「はい」
「気づいて、言ってくれて、ありがとう」
「! ……どういたしまして。ベルも、ごめんなさいじゃなくて、ありがとうと言ってくれて、ありがとうございます」
「ん……」
絡ませた指先もそのままに、ルノーの唇が手の甲に触れた。
チュッ……と響いたリップ音と、彼の唇の感触。それが妙に恋しくて、そわりと気を揺らせば、ルノーが静かに笑みを浮かべたまま、くっと顔を上げた。
(あ……)
──気づいてくれた。
『キスがしたい』
思わず滲んだ欲は少し恥ずかしくて、でも今は、言葉にせずともルノーと通じ合えたことが嬉しくて、ふわふわと浮き立つ気持ちのまま身を屈めると、自分の為に差し出された唇に、そっと口づけをした。
それから眠くなるまで、食事と会話をゆったりと楽しむと、ルノーと共に彼のベッドに潜り込んだ。
「おやすみなさい、ベル」
「おやすみ、ルゥくん」
大きなベッドの上、甘えるように体を密着させたルノーの体を抱き寄せると、小さく笑い合い、目を閉じる。
ただ触れ合っているだけで、こんなにも嬉しい。
昼間の艶事が夢であったかのような穏やかな空気の中、腕に抱いたルノーの温もりに心まで満たされながら、ゆっくりと眠りに落ちた。
深夜二時。初めてだらけの愛しい人との交わりは、甘やかな微睡みと共に、静かに幕を閉じた。
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