Sub侯爵の愛しのDom様

東雲

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「……、……?」

鞭の衝撃に備え、目を瞑り、片腕を上げたその時、部屋の外から騒がしい音が聞こえてきた。

複数人の声が混じった物々しい音。それが徐々に近づいてきていることに、マクシミリアンも動きを止めた。

「なんだ?」

訝しげな声と共にマクシミリアンが部屋の扉に目を向けた。それと同時に、外から大きな物音が響く。

「止まれ! 武器を……っ、ぎゃあっ!」
「!?」

バキリと何かが折れるような音と共に、誰かの悲鳴と倒れる音が聞こえた。それに驚いている間もなく、ドン!という衝撃音にも似た音が響き、扉が蹴破られた。
施錠されていた鍵ごと壊された扉。蝶番が外れたのか、ゆっくりと倒れるように傾いていく扉の向こう側に見えたのは、愛してやまない、唯一の人だった。


「──ベルッ!!」


部屋中に響いた声に、じわりと視界が滲んだ。


「……ル、ゥ、……」


名前を呼びたいのに、上手く声が出ない。はくりと息を吐いた横で、マクシミリアンが声を荒げた。

「貴様!! 何をし、ぐあっ!」
「ッ……!」

マクシミリアンの言葉を遮るように、ヒュンッと何かが飛んでいき、その顔面に直撃した。一瞬ナイフのように見えたそれに息を呑むも、ルノーが投げたのはナイフの鞘だった。
鞘が当たった痛みからか、マクシミリアンが蹌踉めきながら数歩後退る。そこに扉を壊した勢いもそのままにルノーが駆け込み、無防備な鳩尾に鞘に収まったままの長剣を叩き込んだ。

「が……っ!」

一切の手加減なしで振り切られたであろう長剣の威力で、マクシミリアンの体が後方に飛ぶ。
瞬きの間の出来事に呆ける中、マクシミリアンとの間を断ち切る壁のように、ルノーの姿が視界いっぱいに映った。

「ベルッ!!」

今まで一度も見たことがない、ルノーの必死な形相と、悲痛な叫びのように呼ばれた自身の名前。
その表情と音を認識するより早く、押し倒されんばかりの勢いで抱き締められ、ひくりと喉が鳴った。

「ああ……っ!! ベル、ベル、無事で良かった……!!」
「っ……!」

泣き声のような掠れた声と、荒く乱れた呼吸。血の気が引いた顔面も、震える体も、ルノーに心配をさせてしまった証明で、心臓が止まりそうなほど苦しかった。
苦しくて、悲しくて、強く抱き締めてくれる腕の温もりが嬉しくて、縋りつくようにその背を掻き抱いた。

「るぅ、く……っ、ルゥくん……!!」

マクシミリアンのことなど、少しも怖くなかった。不安もなかった。万が一、辱めを受けるようなことがあっても、気持ちまでは屈しない自信があった。
それなのに、『ルノーがいる』というただそれだけで、安心感と安堵が血肉に染み渡り、勝手に涙が溢れた。

「ルゥくん、ルゥくん……っ!」
「ベル……!! あぁ、怖かったですね……っ、大丈夫、もう大丈夫ですよ……!」
「ん……!」

背骨が軋むほど強く抱き締められるも、ほんの少しも痛くなかった。いっそ骨なんて折れてしまってもいい……そんな考えが浮かぶほど、もっと強く抱き締めてほしくて仕方なかった。
もっと、もっと、と喘ぐようにルノーを求める中、抱き締める腕の力が弱まり、鼻先が触れそうなほどの距離にルノーの顔が見えた。

「ベル、大丈夫ですか? 何か、酷いことはされていませんか?」
「ん……だい、じょうぶ……っ」

ボロボロと流れる涙のせいで、しゃくり上げてしまって上手く喋れない。
間近で見たルノーの頬には汗が粒になって流れていて、彼がどれだけ急いで駆けつけてくれたのかを物語っていた。

「ルゥく……っ、ありがとう……!」
「ベルが無事でいてくれて、本当に良かった……! 何かあったらと思うと恐ろしくて……それだけで心臓が止まってしまうかと思いました」

心配させてしまったという負い目より、助けてくれた嬉しさが勝り、唇からは素直な感謝の言葉が漏れた。淡く微笑むルノーに感謝の気持ちを伝えたくて、震える指先で赤く染まった頬を包むと、唇の端にそっとキスをした。

「ごめ……ごめんね……っ」
「ベルが謝ることなんて、一つもありませんよ。さぁ、早くここを離れましょう。これ以上ここにいるのは、ベルの体に毒──」
「……ルゥくん?」

言葉の途中、ルノーの声が不自然に途切れ、沈黙が流れる。
震える手を包み込むように重ねられたルノーの手。その手に左手を取られ、視界の中に自身の体の一部が映った。

「……ベル、これは、なに?」
「あ……」

左手にくっきりと残った赤い痕。それは、マクシミリアンに鞭で叩かれた時にできた痣だった。
ルノーが現れた時点で、痛みすら忘れていたが、皮膚の表面は赤く腫れ、ジンジンと疼くような熱を持っていた。
でも、これくらいなら大丈夫──そう答えようとして、手から視線を上げた先、ルノーの瞳がブレたように見えた。


「え……?」


刹那、座っていたはずなのに、カクンと腰が抜けるような感覚がして、驚愕から目を見開いた。
強制的に、『おすわり』の状態にさせられた──?
突然のことに思考が停止しかける中、呻き声と共に、ルノーの肩越しにマクシミリアンが立ち上がったのが見えた。

「このガキ……! ナメた真似しやがって!!」

額に青筋を浮かべながら、脇腹を押さえるマクシミリアン。恐らくは骨が折れているのだろうが、同情の余地はない。今はそんなことよりも、目の前のルノーのほうが何千倍も大事だった。

「ル、ルゥ、くん……?」

真顔を通り越した、感情の一切を感じさせない表情の中、金色の瞳がギラギラと光る。
まるで獣の瞳のようなその輝きが、ゆるりと流れるように、背後に立つマクシミリアンを捉えた。

「お前……」

小さく吐かれた声に、ゾワリと鳥肌が立つ。
ルノーの声なのに、ルノーの声じゃない。低く、感情の消えた声に震え上がる中、鞘から剣が抜かれる涼やかな音で、意識は一気に現実に引き戻された。

「僕のSubものになにをした!!」
「ひっ!」

咆哮にも似た怒号と共に、ルノーが剣を片手に駆け出す。
ぶわりと膨れ上がったGlareは凄まじく、真正面からオーラをぶつけられたマクシミリアンは引き攣った悲鳴を漏らし、その場に尻もちをついた。

「ルゥくん!!」
「メリア!! 待て!!」

自分の声と重なるように、第三者の声が聞こえたが、今はそれにすら気づけなかった。

(いけない!!)

先の一撃については、あちらに非があるので正当防衛ということで許されるかもしれない。だが追随しての殺傷沙汰は、それでは済まされない。
相手は腐っていても王族だ。過剰な報復と判断され、ルノーが罰を受けるようなことになってしまったら、悔やんでも悔やみきれない。
自分のせいで、ルノーが罪を背負う……そんなこと、あってはならないのだ。

ほんの一秒にも満たない間に駆け巡った思考。その間にもルノーとマクシミリアンの距離は縮まり、今すぐにでも止めなければいけなかった。
腰が抜けた体はすぐには動けない。動けたとしても、ルノーには届かない。
興奮した彼の耳には、制止の声が聞こえるかも分からない。けれど、止めなければいけない。
何か、今すぐ、彼を止めなければ──そんな一瞬の間に、ルノーが剣を握った腕を振り上げた姿が見え、バチリと弾けるように脳みそが信号を発した。


「『ルノー』!!」
「ッッ……!!」


愛する人の名を冠した、『やめて』の言葉。
力の限りそれを叫べば、空気がビリリと振動し、静寂が辺りに木霊した。

「ルノー……ルゥ、ルゥくん……っ、お願い、お願いだから、やめてくれ……!」

見つめた先、動きを止めたルノーの背中に声を飛ばす。

「そんなヤツのために、君に……っ、君を、傷つけたくないんだ……!」

微かに痛む喉で、必死に声を振り絞る。ルノーのGlareで満たされた部屋の中、気づけば浅くなっていた呼吸に息が苦しくなってきた。

「ルゥくん……!!」

泣き声混じりで愛しい人の名を呼べば、ルノーが振り上げていた腕を下げ、ゆっくりとこちらを振り返った。
微笑みの消えた無表情の中、未だにギラつく狼のような瞳。そのオーラに、ゾクゾクとした悪寒が止まらなくなるも、懸命に表情を取り繕った。

「……きて」

勝手に震えてしまう指先を堪え、離れてしまった温もりに両腕を伸ばす。

「お願い……きて……一人に、しないでくれ……!」

甘えるように、祈るように、助けを請うように手を伸ばせば、ルノーの表情が僅かに動いた。
雪解けのように、無表情がみるみる解けていく。それと同時にGlareのオーラが消え、ふっと空気が軽くなった。

「きて……ルゥくん」

満月色に戻った瞳を真っ直ぐ見つめ、もう一度、愛しさを込めて名を呼べば、ルノーの手から長剣が離れた。
カシャンッと音を立てて床に落ちた剣もそのままに、ルノーがふらりと動き出す。一歩一歩、ゆっくりと近づいてくるルノーに、「早く」と急かすように更に腕を伸ばせば、その表情に感情が戻った。
ふらつく足取りで、どこか怯えたような顔で、それでも戻ってきてくれたルノーに、両手を広げる。

「……ちょうだい」
「っ……!!」

君をちょうだい──そう言って、精一杯の笑みを浮かべれば、綺麗な顔が泣き顔のように歪み、倒れ込むように腕の中に収まった。

「あぁ……っ!」

すっぽりと腕の中に収まった体に、安堵から思わず声が漏れる。

(間に合った……!!)

ルノーに罪を背負わすことも、これ以上、彼を傷つけることもなかった。緊張と恐怖、息苦しさから解放された心臓が、ドッドッと大きく脈打っていたが、それすらも今は安心感に変わった。

「……ありがとう、ルゥくん。私のために、怒ってくれて、ありがとう」

閉じ込めた温もりを離すまいと、ぎゅうぎゅうと体を抱き締め、甘い香りのする毛先にキスをする。

「たくさん、怒ってくれて、ありがとう。いっぱい、心配してくれて、ありがとう」

怯えたような顔をしていたルノーを安心させるように、全身を包み込み、何度も「ありがとう」と感謝の気持ちを伝える。

「私なら、大丈夫だから……ルゥくんが、助けに来てくれたから、もう、大丈夫だよ」

あやすように頭を撫で、額に何度もキスをしながら「大丈夫」と告げれば、腕の中で強張っていた体が徐々に緩んでいくのが分かった。

「ありがとう、ルゥくん」

自分が傷つけられたことに対する怒りから発現したGlare。それを愛しいと思うことはあっても、恐ろしいと思うことはない。
ルノーも、ルノーのGlareも怖くないと安心させるため、自分はもう大丈夫だと伝えるため、目一杯の想いを込めて抱き締め続けた。



「……? ルゥくん?」

そうして過ごすこと数十秒、ふとルノーからなんの反応もないことに気づき、腕の力を緩めた。
もしや苦しかっただろうか……と腕を解けば、ルノーの体がゆっくりと傾き、肩口に頭が凭れ掛かった。

「え……」

意識がない──突然のことに、ザァッと血の気が引き、混乱したままルノーの体を揺すった。

「ルゥくん!? なんで、どうして……っ、ルゥく──」
「ベル、落ち着け」
「ッ!?」

突如聞こえた第三者の声と肩に置かれた手に、大袈裟なほど体が跳ねた。

「あ……へ、陛、下……?」
「やっと気づいたか。メリアなら大丈夫だ。興奮してたところから一気に気が緩んで、意識を失っただけだろう。じきに起きる」

そう言って、ポンポンと肩を叩かれ、徐々に気持ちが落ち着いていく。それと同時に、じわじわと現実を思い出し、ようやく様々なことに対する疑問が湧いてきた。
ルノーはなぜ自分の居場所が分かったのか、どうやって知ったのか、オードリックはなぜここにいるのか……いくつもの疑問が同時に湧き上がる中、オードリックが倒れているマクシミリアンをチラリと見遣った。

(……気絶してたのか)

通りで静かだと……と他人事のように考えていると、オードリックが深い溜め息を吐いた。

「……何があったのかは、大体察しがつく。ひとまずコイツと、コイツの側近から話を聞く。その後で、ベルにも色々話してもらうことになるが、いいか?」
「それは勿論、承知しております」

正直、マクシミリアンの行為が罪に問えるものなのか、判断が難しいところだが、経緯についてはきちんと説明しよう。コクリと頷けば、険しい顔をしていたオードリックが、ふっと表情を和らげた。

「なら、お前達は帰れ」
「……はい?」

事情聴取をするのでは……と疑問をそのまま顔に浮かべれば、オードリックが至極面倒くさそうに眉間に皺を寄せた。

「またメリアにキレられたら厄介だ。悪いが、そいつの相手はしてられん。また日を改めて話を聞くから、お前達は帰って自宅待機だ」
「……分りました」

色々と聞きたいことはあったが、疑問は飲み込み、返事をした。『自宅謹慎』ではなく『自宅待機』ということは、恐らく悪いことにはならないだろう。
まずは一安心なことにホッと胸を撫で下ろすと、未だに落ち着かない心臓と気持ちを落ち着けるように、ゆっくりと深呼吸を繰り返し、両足にグッと力を入れた。

(……なんとか歩けそうだな)

片膝を強打し、度重なるGlareを浴び、腰が抜けたが、まだ動ける我が身に感心する。
騎士を辞めても鍛錬を続けていたおかげか、これまで鍛えてきた自身に感謝すると、くったりとしたままのルノーを抱き上げ、立ち上がった。

「お前……よくその状態で男一人抱き抱えられるな」
「まぁ、それなりに鍛えておりますので」
「違う、そっちじゃない。ルノーのあのGlareを浴びて、よく平気だなって意味だ」
「……? 平気、ではないですが、一応大丈夫かと……」

一時的にとはいえ、腰が抜けたので平気ではないはずだが……と言葉を返せば、オードリックから胡乱な目を向けられた。

「よく見ろ。他のヤツらは怯えきって、部屋にも入れないぞ」
「え?」

そう言われ、顎で示された先を見遣れば、壊れた扉の向こう側に、複数人の騎士や従者の姿が見えた。皆、顔面蒼白で、なんとも言えない顔でこちらを見ている。
その表情の意味が分からず、疑問符が頭に浮かぶ……と、ふとあることに気づき、ハッとした。

(彼らは、いつからあそこにいたんだ……?)

というより、オードリックもいつからいたのだ?
ルノー以外を認識していなかった脳みそは、それ以外の情報をすべて遮断していた。そんな中で、恥ずかしげもなく泣いて、キスをして、甘えた声を出して、一体どこから見られていたのか──

「ッ……!!」

ぶわぁっと膨れ上がった羞恥心に、耳まで熱くなる。赤く染まっているであろう顔を隠したいのに、ルノーを抱き上げているがために両手が塞がっていて、隠すこともできない。
アワアワと狼狽えながら、助けを求めるようにオードリックを見れば、呆れた顔でシッシッと手を振られてしまった。

「あ~もう、早く帰って休め」

「これ以上、面倒事を増やすな」と素気なく言われ、精神的にも肉体的にもフラフラになりながら、逃げるようにその場を後にした。
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