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「えぇと……閣下が、よろしいのであれば……はい」
「…………はい?」
「はい」とはどういう意味だ?
予想外の返答に、どう受け取ればいいのか分からず首を捻れば、隣でルノーが浅く溜め息を吐いた。
「父上、きちんとお答えいただかないと、ベルナール様がどう受け取っていいのか分からないですよ」
「ルノー……! お前はもうちょっと周りのことも考えなさい!」
「……ん?」
なんだか想像していたものと雰囲気が違う。どうしたらいいのか分からず視線を彷徨わせていると、父と目が合った。
「ベルナール、二人の結婚については、メリア夫妻も認めてくださるそうだよ」
「……え?」
「二人が来る前にアレコレと話している内に、その話題になってしまってね。うちは息子が幸せならそれでいいと、二人の望むようにさせると言ったら、夫妻も同意してくれたんだ」
「先に話してしまってすまないね」と朗らかに言う父に、愕然とする。
あれだけ気合いを入れて、真剣に告白したのに……よもやの状況に、なんとも言えない気恥ずかしさから俯けば、ルノーが覗き込むように顔を傾げた。
「良かったですね、ベル。これで心置きなく、結婚できますね」
「よ、良かった、けど……」
そんなに手放しで喜んでいいのか? もう少し疑問を持つべきではないのか?
にこやかに微笑むルノーに何も言えず、小さく唸っていると、男爵が声を発した。
「当家のご心配をしてくださり、ありがとうございます。仰る通り、ルノーは長子ですが、もう一人息子がおりますので、後継ぎは問題ございません。年齢差については、気にならないと言えば嘘になりますが、息子が願ったことですし……性別のこともあって、結婚相手については本人の意思に任せるという約束でした。それに、きっとこの子は、何を言っても聞かないでしょう。……至らない息子で、ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、二人が望んだ未来を、ルノーと共に歩んでくださるなら、嬉しく思います」
「っ……、あ、ありがとう、ございます……!」
強く、穏やかに告げられた父親としての言葉に、熱いものが込み上げる。
ルノーとの交際を、結婚を、両家から認めてもらえた。これから先も、ルノーと一緒に、愛した人と一緒に、生きていける……遅れてやってきた喜びに、ルノーの両親や兄弟もいる前だというのに泣きそうになり、慌てて目元を押さえた。
「ベルナール様、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫……」
指先で拭おうとした手をやんわり止められ、ルノーがハンカチで涙を拭ってくれる。
こんな時でも、いつもと変わらず世話焼きなルノーにどこか感心しつつ、ふっと顔を上げれば、なぜかメリア家の三人がポカンとした顔をしていた。
(どうしたんだろう?)
何かに驚いているような表情に目を瞬けば、ルノーの弟だろう少年がポツリと呟いた。
「……兄上は、人のために動ける方だったんですね」
「どういう意味かな? シャルル」
「……?」
不思議な発言に首を傾げつつ、『シャルル』と呼ばれた少年を見遣れば、ハッとしたように席を立った。
「ご挨拶もせずに、失礼致しました。メリア家の次男、シャルル・メリアと申します」
そう名乗り、綺麗な礼をしたシャルルは、ルノーによく似た面差しの少年だった。
歳の頃は、まだ学園に入学する前だろうか。ルノーと同じミルクティー色の髪、金色に黄緑を混ぜたような明るい瞳、愛らしい顔立ち……一目でルノーの弟と分かる容姿に瞳を細めつつ、声を掛けた。
「シャルルくんだね。……すまないね。急なことで、君にも迷惑を掛けてしまって」
「滅相もございません、アルマンディン様。僕が父の後を継ぐことになるだろうことは、以前からそれとなく決まっておりました。どうかご心配なさらないでください」
「以前から……?」
「あ、その、兄は以前から、アルマンディン様を──」
「シャルル」
シャルルの声に、ルノーの声が重なる。微笑みを浮かべたまま無言でシャルルを見つめるルノーと、口を開けたまま固まってしまったシャルル。ほんの一秒ほどの静止の後、シャルルが口を閉じた。
「……なんでも、いえ、大丈夫です。大丈夫ですので、どうか兄上とお幸せになってください!」
「ああ……ありがとう」
絶対に何か隠した。そう思うのだが、シャルルは口を結んでしまったし、ルノーも微笑むだけで、教えてくれそうな気配はない。
(まぁ、いいか)
気にはなるが、反対されることも、大きな心配もなく、ルノーとの仲を認めてもらえたのだ。今は、そのことを素直に喜ぼう──手の上に重なったルノーの手の平に、そっと指先を絡めれば、目が合ったルノーが、幸せそうに破顔した。
その後は、七人でお茶を飲みながら、和やかな歓談が続いた。
既に父から侯爵家の跡継ぎ問題については説明がされていたらしく、だからこそ、メリア家もすんなりと結婚を許してくれたのだろう。
ルノーとは同性同士で、子が生まれることもないからこそ、一代限りの付き合いだということで他家からのやっかみも少ない。
跡継ぎ問題云々言われようが、ルノーとの交際とは関係なく、数年前にアルマンディン家内で解決済みのことなので、余計なお世話だと一蹴できる。
こうなることは全く予想していなかったが、結果的には過去の自分の判断に救われた形になった。
勿論、一代限りとはいえ親族になるのだ。今後は義家族として、少しずつ交流していこうと父が提案し、皆がそれに同意した。
顔合わせを済ませ、今後の予定等、いくつかその場で話し合うと、メリア家の三人は王都の屋敷へと帰っていった。
ルノーも一緒に帰るよう促されていたが、本人が嫌がったこと、自分も彼と一緒にいたかったこと、父もマルクも「好きなだけ居たらいい」と言ってくれたことで、ルノーは引き続き、侯爵邸で共に過ごすことになった。
馬車に乗って帰っていくルノーの家族を見送り、玄関先で手を繋いだまま、互いに顔を合わせる。
「これからも、一緒にいられるね」
「ええ、これから先も、ずっと一緒です」
そう言って、二人で笑い合った。
「此度のことは、本当に申し訳なかった」
マクシミリアンとの一件から一週間後。オードリックから呼び出され、ルノーと共に王城へ向かった。
案内された先、通された応接室で、彼と向かい合わせで椅子に座ると、開口一番、オードリックが謝罪と共に頭を下げた。
「陛下、どうかお顔を上げてください。陛下が謝られることではございません」
事実、オードリックが悪いのではない。居た堪れなさから、声に必死さが混じるも、オードリックは顔を上げなかった。
「王としてではない。アレの兄として、一族の者として謝罪するのは当然だろう」
真剣な声に、何も言えなくなる。オードリックの言っていることは至極まともで、だからこそ、ここでその気持ちを無下にしてはならないのだと知る。
「……謝罪を受け取ります。これ以上は、望みません。どうか、お顔を上げてください」
「すまない。……ありがとう」
そう言って、ゆっくりと顔を上げた彼にホッと息を吐く。
「メリアも、すまなかったな」
「私への謝罪は不要です。お気持ちはすべて、ベルナール様へお願いします」
「ル、メリアくん……!」
国王相手でも、物怖じせずにハッキリ言い切るルノーに、こちらがドキドキしてしまう。チラリとオードリックを見遣るも、特に気分を害した風もなく、どこか疲れたような目でルノーを見るだけだった。
「ひとまず、謝罪はこれまでとさせてくれ。ここからは事件の経緯と、処罰について説明するぞ」
その一言に姿勢を正すと、ルノーや陛下が助けに来てくれた経緯とマクシミリアンが事件を起こした動機、その後の処罰について説明がされた。
まずはルノーが助けに来てくれた経緯だが、どうやら王族の居住区である区画に入っていく姿を、オードリックの息子である第一王子と、その護衛騎士のリオネルが目撃していたらしい。
その際、リオネルがマクシミリアンの従者に連れられて歩く自分の姿に違和感を覚えたのだという。
以前、マクシミリアンから嫌味を言われている現場に居合わせたからだろう。そのことを殿下に伝え、殿下も何か感じるものがあったのか、その足でオードリックの元へと向かった。
向かった先の執務室には、フラメルとルノーがいたが、急ぎの用事だという殿下は二人がいるその場で、ご自身が見たものとリオネルの証言を合わせて報告した。
その上で、マクシミリアンの従者と共にいるのは不自然であり、なにより居住区に通すのは危ないのではないかと進言した。
元よりマクシミリアンの態度についての苦情を聞いていたオードリックは、すぐに行動に移そうとするも、それより早くルノーが執務室を飛び出し、現場まで駆けつけた……というのが一連の流れだ。
(ルゥくんから聞いてた話と一緒だな)
相槌を打ちながら、ルノーから聞いていた話と齟齬がないことを確認する。
ルノーからは、あの日の翌日に色々と話を聞いていた。自分の元に駆けつけてくれた経緯と状況、そして、自身の暴走について。
予想していた通り、ルノーはあの日、Defenseという状態に陥っており、『ベルを守る』ということ以外は完全に思考の外だったらしい。一応、マクシミリアンを剣で殴り飛ばしたことは覚えていたが、彼の中でそれはどうでもいいことだったらしく、相手が王族であるということは意識の端にも上らなかったという。
その後、剣を抜いたことは完全に覚えがなく、ただ『ベルを怯えさせてしまったのではないか』という不安と後悔だけが残り、目が覚めた時にはそのことしか頭になかったと言っていた。
『怖がらせてしまい、ごめんなさい』
そう言って項垂れるルノーを抱き締めつつ、「ルゥくんのことは怖くなかったよ」と告げながら、きちんと心配事は伝えた。
ルノーが自分のために怒ってくれるのは嬉しい。守ろうとしてくれるのもとても嬉しい。けれどそのせいで、ルノーが咎を受けるようなことがあったらと思うと怖いのだ、と。
今後は軽率な行動をしないように気をつける。だからルノーも少しだけ、冷静になってほしいとお願いするも、返事は芳しくなかった。
『……善処はします。でも、こればかりはお約束できません。ベルに危険が及ぶようなことがあれば、僕はまた同じような状態になるでしょう』
それがDomという生き物です──そう言われ、嬉しいやら困るやらで「ぐぅ」と唸ることしかできなかった。
結局、本能ばかりはどうすることもできないため、最善策として自分が気をつけるしかなく、ルノーのためにも迂闊なことはしないように気をつけよう……と密かに決意した。
(……DomもSubも、ままならないものだな)
そんなことを考えている間に、話はマクシミリアンが事を起こした経緯についての説明に移った。と言っても、本人が大人しく話をするはずがなく、事情聴取を行った役人と、オードリックが直接行った尋問で得た情報から、おおよその動機の見当をつけることしかできなかったという。
「聞いても気分が悪くなるだけだと思うんだが……」
そう前置きした上で、オードリックは話してくれた。
平たく言えば、Subである自分が周囲からもてはやされていること、Domであるマクシミリアンよりも評価されていることに、怒りの感情が爆発したのだ。
元々、その傾向はあったのだが、その時点では自分の性別は周囲にバレていなかった。というより、Domだと勘違いしている者が多かった。
マクシミリアンもその内の一人で、気に食わないなりに同じ性別というライバル心から、あのような態度だったのだという。
だがルノーとの交際がバレ、少しずつルノーの第二性が知れ渡ると同時に、自身のダイナミクス性についても逆算的にバレる形となった。
勿論、DomとSub同士で必ず付き合うということはないのだが、どうも自分の変化が色々と分かりやすかったらしく、聡い者はすぐに気づいたという。
結果、マクシミリアンの中では“虐げていい存在”であるSubが、Domである彼を蔑ろにし、偉そうに振る舞っていることが我慢ならなくなったらしい。
積もり積もった鬱憤や劣等感は激情に変わり、あのような愚行に至ったのだろう、ということだった。
「愚かとしか言いようがないんだがな……」
そう言って大きく溜め息を吐いたオードリックは疲労の色が濃く、マクシミリアンの話を聞くだけで精神を磨耗したのだろうと安易に想像できた。
ただ、本人が言うには、最初から害するつもりはなかったという。ルノーと離れる隙を狙い、誘い出して、Subであることを言及し、狼狽える姿が見れれば良かったのだと。
その上で、Domであるマクシミリアンという存在を敬い、これまでの非礼を詫びるなら、自身のSubとして扱ってやる、と言うつもりだったらしい。
「は?」
「ル、ルゥくん……!」
オードリック相手に不機嫌な声を出すルノーに、慌てて彼の手を握る。
「俺に怒るな、と言いたいところだが、これについては俺も腹が立ってな。一発殴っといたから許せ」
「……」
不満を顔に浮かべながらも、口を噤んでくれたルノーに胸を撫で下ろす。
「しかし、どうしたら、そういう思考になるんでしょう? 私にはもう、彼がいるのに……」
「自分のほうが格上だから、簡単に奪えると思ったんだろう。本当にクソなことにな」
珍しく口汚い言葉で罵るオードリックに目を丸くする。それだけ彼も憤っているということなのだろうが、それ以上に隣に座るルノーの機嫌が順調に悪くなっていることが怖い。
「えぇと、つまり、私がある程度大人しくしていれば、殿下も暴走しなかったということでしょうか……?」
「そんなのは結果論だ。仮にベルが大人しくアレの言うことを聞いていたとして、どうなってた?」
「それは……」
「あの馬鹿が調子に乗って、別の意味で事態が悪化しただけだろう。ベルの行動に問題があったんじゃない。すべてあの馬鹿が起こした愚行のせいだ」
「そうですよ。ベルは何も悪いことをしていません」
「……うん」
二人に慰められて頷くも、自分が迂闊にマクシミリアンの領域に踏み込んだのも要因の一つではある。重々気をつけよう、と考える頭の片隅で、ようやくあの日のマクシミリアンの行動の違和感の正体に合点がいった。
急な呼び出しも、王族の居住区への立ち入りも、周囲の者が知っていた。
仮に人目のつかないところで攫い、どこかに連れ去った上で暴挙に及ぶならまだ理解できるが、侯爵家の者が行き先を知っていて、何かあれば真っ先にマクシミリアンが疑われるような中、どうしてあのような行為ができたのか……それが不思議でならなかったのだが、恐らくあの時にはもう、マクシミリアンの理性は失われていたのだろう。
(会話も妙に噛み合わなかったし、様子もおかしかったしな……)
マクシミリアンに会う前から言いなりで動くことを拒み、悉く彼の発言に反論した。むしろ、彼に対して嫌悪を丸出しにした受け答えをしていた。
その上で、マクシミリアンのコマンドを拒絶し、従う義務はないと突っぱねた。
SubはDomに隷属する者だと信じて疑わなかったマクシミリアンにとって、それはとてつもなく屈辱的なものだったに違いない。
結果、状況も忘れ、自分が何をしているのかも分からなくなり、ただ目の前のSubを屈服させることしか考えられなくなったのだろう。
「…………はい?」
「はい」とはどういう意味だ?
予想外の返答に、どう受け取ればいいのか分からず首を捻れば、隣でルノーが浅く溜め息を吐いた。
「父上、きちんとお答えいただかないと、ベルナール様がどう受け取っていいのか分からないですよ」
「ルノー……! お前はもうちょっと周りのことも考えなさい!」
「……ん?」
なんだか想像していたものと雰囲気が違う。どうしたらいいのか分からず視線を彷徨わせていると、父と目が合った。
「ベルナール、二人の結婚については、メリア夫妻も認めてくださるそうだよ」
「……え?」
「二人が来る前にアレコレと話している内に、その話題になってしまってね。うちは息子が幸せならそれでいいと、二人の望むようにさせると言ったら、夫妻も同意してくれたんだ」
「先に話してしまってすまないね」と朗らかに言う父に、愕然とする。
あれだけ気合いを入れて、真剣に告白したのに……よもやの状況に、なんとも言えない気恥ずかしさから俯けば、ルノーが覗き込むように顔を傾げた。
「良かったですね、ベル。これで心置きなく、結婚できますね」
「よ、良かった、けど……」
そんなに手放しで喜んでいいのか? もう少し疑問を持つべきではないのか?
にこやかに微笑むルノーに何も言えず、小さく唸っていると、男爵が声を発した。
「当家のご心配をしてくださり、ありがとうございます。仰る通り、ルノーは長子ですが、もう一人息子がおりますので、後継ぎは問題ございません。年齢差については、気にならないと言えば嘘になりますが、息子が願ったことですし……性別のこともあって、結婚相手については本人の意思に任せるという約束でした。それに、きっとこの子は、何を言っても聞かないでしょう。……至らない息子で、ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、二人が望んだ未来を、ルノーと共に歩んでくださるなら、嬉しく思います」
「っ……、あ、ありがとう、ございます……!」
強く、穏やかに告げられた父親としての言葉に、熱いものが込み上げる。
ルノーとの交際を、結婚を、両家から認めてもらえた。これから先も、ルノーと一緒に、愛した人と一緒に、生きていける……遅れてやってきた喜びに、ルノーの両親や兄弟もいる前だというのに泣きそうになり、慌てて目元を押さえた。
「ベルナール様、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫……」
指先で拭おうとした手をやんわり止められ、ルノーがハンカチで涙を拭ってくれる。
こんな時でも、いつもと変わらず世話焼きなルノーにどこか感心しつつ、ふっと顔を上げれば、なぜかメリア家の三人がポカンとした顔をしていた。
(どうしたんだろう?)
何かに驚いているような表情に目を瞬けば、ルノーの弟だろう少年がポツリと呟いた。
「……兄上は、人のために動ける方だったんですね」
「どういう意味かな? シャルル」
「……?」
不思議な発言に首を傾げつつ、『シャルル』と呼ばれた少年を見遣れば、ハッとしたように席を立った。
「ご挨拶もせずに、失礼致しました。メリア家の次男、シャルル・メリアと申します」
そう名乗り、綺麗な礼をしたシャルルは、ルノーによく似た面差しの少年だった。
歳の頃は、まだ学園に入学する前だろうか。ルノーと同じミルクティー色の髪、金色に黄緑を混ぜたような明るい瞳、愛らしい顔立ち……一目でルノーの弟と分かる容姿に瞳を細めつつ、声を掛けた。
「シャルルくんだね。……すまないね。急なことで、君にも迷惑を掛けてしまって」
「滅相もございません、アルマンディン様。僕が父の後を継ぐことになるだろうことは、以前からそれとなく決まっておりました。どうかご心配なさらないでください」
「以前から……?」
「あ、その、兄は以前から、アルマンディン様を──」
「シャルル」
シャルルの声に、ルノーの声が重なる。微笑みを浮かべたまま無言でシャルルを見つめるルノーと、口を開けたまま固まってしまったシャルル。ほんの一秒ほどの静止の後、シャルルが口を閉じた。
「……なんでも、いえ、大丈夫です。大丈夫ですので、どうか兄上とお幸せになってください!」
「ああ……ありがとう」
絶対に何か隠した。そう思うのだが、シャルルは口を結んでしまったし、ルノーも微笑むだけで、教えてくれそうな気配はない。
(まぁ、いいか)
気にはなるが、反対されることも、大きな心配もなく、ルノーとの仲を認めてもらえたのだ。今は、そのことを素直に喜ぼう──手の上に重なったルノーの手の平に、そっと指先を絡めれば、目が合ったルノーが、幸せそうに破顔した。
その後は、七人でお茶を飲みながら、和やかな歓談が続いた。
既に父から侯爵家の跡継ぎ問題については説明がされていたらしく、だからこそ、メリア家もすんなりと結婚を許してくれたのだろう。
ルノーとは同性同士で、子が生まれることもないからこそ、一代限りの付き合いだということで他家からのやっかみも少ない。
跡継ぎ問題云々言われようが、ルノーとの交際とは関係なく、数年前にアルマンディン家内で解決済みのことなので、余計なお世話だと一蹴できる。
こうなることは全く予想していなかったが、結果的には過去の自分の判断に救われた形になった。
勿論、一代限りとはいえ親族になるのだ。今後は義家族として、少しずつ交流していこうと父が提案し、皆がそれに同意した。
顔合わせを済ませ、今後の予定等、いくつかその場で話し合うと、メリア家の三人は王都の屋敷へと帰っていった。
ルノーも一緒に帰るよう促されていたが、本人が嫌がったこと、自分も彼と一緒にいたかったこと、父もマルクも「好きなだけ居たらいい」と言ってくれたことで、ルノーは引き続き、侯爵邸で共に過ごすことになった。
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「これからも、一緒にいられるね」
「ええ、これから先も、ずっと一緒です」
そう言って、二人で笑い合った。
「此度のことは、本当に申し訳なかった」
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「陛下、どうかお顔を上げてください。陛下が謝られることではございません」
事実、オードリックが悪いのではない。居た堪れなさから、声に必死さが混じるも、オードリックは顔を上げなかった。
「王としてではない。アレの兄として、一族の者として謝罪するのは当然だろう」
真剣な声に、何も言えなくなる。オードリックの言っていることは至極まともで、だからこそ、ここでその気持ちを無下にしてはならないのだと知る。
「……謝罪を受け取ります。これ以上は、望みません。どうか、お顔を上げてください」
「すまない。……ありがとう」
そう言って、ゆっくりと顔を上げた彼にホッと息を吐く。
「メリアも、すまなかったな」
「私への謝罪は不要です。お気持ちはすべて、ベルナール様へお願いします」
「ル、メリアくん……!」
国王相手でも、物怖じせずにハッキリ言い切るルノーに、こちらがドキドキしてしまう。チラリとオードリックを見遣るも、特に気分を害した風もなく、どこか疲れたような目でルノーを見るだけだった。
「ひとまず、謝罪はこれまでとさせてくれ。ここからは事件の経緯と、処罰について説明するぞ」
その一言に姿勢を正すと、ルノーや陛下が助けに来てくれた経緯とマクシミリアンが事件を起こした動機、その後の処罰について説明がされた。
まずはルノーが助けに来てくれた経緯だが、どうやら王族の居住区である区画に入っていく姿を、オードリックの息子である第一王子と、その護衛騎士のリオネルが目撃していたらしい。
その際、リオネルがマクシミリアンの従者に連れられて歩く自分の姿に違和感を覚えたのだという。
以前、マクシミリアンから嫌味を言われている現場に居合わせたからだろう。そのことを殿下に伝え、殿下も何か感じるものがあったのか、その足でオードリックの元へと向かった。
向かった先の執務室には、フラメルとルノーがいたが、急ぎの用事だという殿下は二人がいるその場で、ご自身が見たものとリオネルの証言を合わせて報告した。
その上で、マクシミリアンの従者と共にいるのは不自然であり、なにより居住区に通すのは危ないのではないかと進言した。
元よりマクシミリアンの態度についての苦情を聞いていたオードリックは、すぐに行動に移そうとするも、それより早くルノーが執務室を飛び出し、現場まで駆けつけた……というのが一連の流れだ。
(ルゥくんから聞いてた話と一緒だな)
相槌を打ちながら、ルノーから聞いていた話と齟齬がないことを確認する。
ルノーからは、あの日の翌日に色々と話を聞いていた。自分の元に駆けつけてくれた経緯と状況、そして、自身の暴走について。
予想していた通り、ルノーはあの日、Defenseという状態に陥っており、『ベルを守る』ということ以外は完全に思考の外だったらしい。一応、マクシミリアンを剣で殴り飛ばしたことは覚えていたが、彼の中でそれはどうでもいいことだったらしく、相手が王族であるということは意識の端にも上らなかったという。
その後、剣を抜いたことは完全に覚えがなく、ただ『ベルを怯えさせてしまったのではないか』という不安と後悔だけが残り、目が覚めた時にはそのことしか頭になかったと言っていた。
『怖がらせてしまい、ごめんなさい』
そう言って項垂れるルノーを抱き締めつつ、「ルゥくんのことは怖くなかったよ」と告げながら、きちんと心配事は伝えた。
ルノーが自分のために怒ってくれるのは嬉しい。守ろうとしてくれるのもとても嬉しい。けれどそのせいで、ルノーが咎を受けるようなことがあったらと思うと怖いのだ、と。
今後は軽率な行動をしないように気をつける。だからルノーも少しだけ、冷静になってほしいとお願いするも、返事は芳しくなかった。
『……善処はします。でも、こればかりはお約束できません。ベルに危険が及ぶようなことがあれば、僕はまた同じような状態になるでしょう』
それがDomという生き物です──そう言われ、嬉しいやら困るやらで「ぐぅ」と唸ることしかできなかった。
結局、本能ばかりはどうすることもできないため、最善策として自分が気をつけるしかなく、ルノーのためにも迂闊なことはしないように気をつけよう……と密かに決意した。
(……DomもSubも、ままならないものだな)
そんなことを考えている間に、話はマクシミリアンが事を起こした経緯についての説明に移った。と言っても、本人が大人しく話をするはずがなく、事情聴取を行った役人と、オードリックが直接行った尋問で得た情報から、おおよその動機の見当をつけることしかできなかったという。
「聞いても気分が悪くなるだけだと思うんだが……」
そう前置きした上で、オードリックは話してくれた。
平たく言えば、Subである自分が周囲からもてはやされていること、Domであるマクシミリアンよりも評価されていることに、怒りの感情が爆発したのだ。
元々、その傾向はあったのだが、その時点では自分の性別は周囲にバレていなかった。というより、Domだと勘違いしている者が多かった。
マクシミリアンもその内の一人で、気に食わないなりに同じ性別というライバル心から、あのような態度だったのだという。
だがルノーとの交際がバレ、少しずつルノーの第二性が知れ渡ると同時に、自身のダイナミクス性についても逆算的にバレる形となった。
勿論、DomとSub同士で必ず付き合うということはないのだが、どうも自分の変化が色々と分かりやすかったらしく、聡い者はすぐに気づいたという。
結果、マクシミリアンの中では“虐げていい存在”であるSubが、Domである彼を蔑ろにし、偉そうに振る舞っていることが我慢ならなくなったらしい。
積もり積もった鬱憤や劣等感は激情に変わり、あのような愚行に至ったのだろう、ということだった。
「愚かとしか言いようがないんだがな……」
そう言って大きく溜め息を吐いたオードリックは疲労の色が濃く、マクシミリアンの話を聞くだけで精神を磨耗したのだろうと安易に想像できた。
ただ、本人が言うには、最初から害するつもりはなかったという。ルノーと離れる隙を狙い、誘い出して、Subであることを言及し、狼狽える姿が見れれば良かったのだと。
その上で、Domであるマクシミリアンという存在を敬い、これまでの非礼を詫びるなら、自身のSubとして扱ってやる、と言うつもりだったらしい。
「は?」
「ル、ルゥくん……!」
オードリック相手に不機嫌な声を出すルノーに、慌てて彼の手を握る。
「俺に怒るな、と言いたいところだが、これについては俺も腹が立ってな。一発殴っといたから許せ」
「……」
不満を顔に浮かべながらも、口を噤んでくれたルノーに胸を撫で下ろす。
「しかし、どうしたら、そういう思考になるんでしょう? 私にはもう、彼がいるのに……」
「自分のほうが格上だから、簡単に奪えると思ったんだろう。本当にクソなことにな」
珍しく口汚い言葉で罵るオードリックに目を丸くする。それだけ彼も憤っているということなのだろうが、それ以上に隣に座るルノーの機嫌が順調に悪くなっていることが怖い。
「えぇと、つまり、私がある程度大人しくしていれば、殿下も暴走しなかったということでしょうか……?」
「そんなのは結果論だ。仮にベルが大人しくアレの言うことを聞いていたとして、どうなってた?」
「それは……」
「あの馬鹿が調子に乗って、別の意味で事態が悪化しただけだろう。ベルの行動に問題があったんじゃない。すべてあの馬鹿が起こした愚行のせいだ」
「そうですよ。ベルは何も悪いことをしていません」
「……うん」
二人に慰められて頷くも、自分が迂闊にマクシミリアンの領域に踏み込んだのも要因の一つではある。重々気をつけよう、と考える頭の片隅で、ようやくあの日のマクシミリアンの行動の違和感の正体に合点がいった。
急な呼び出しも、王族の居住区への立ち入りも、周囲の者が知っていた。
仮に人目のつかないところで攫い、どこかに連れ去った上で暴挙に及ぶならまだ理解できるが、侯爵家の者が行き先を知っていて、何かあれば真っ先にマクシミリアンが疑われるような中、どうしてあのような行為ができたのか……それが不思議でならなかったのだが、恐らくあの時にはもう、マクシミリアンの理性は失われていたのだろう。
(会話も妙に噛み合わなかったし、様子もおかしかったしな……)
マクシミリアンに会う前から言いなりで動くことを拒み、悉く彼の発言に反論した。むしろ、彼に対して嫌悪を丸出しにした受け答えをしていた。
その上で、マクシミリアンのコマンドを拒絶し、従う義務はないと突っぱねた。
SubはDomに隷属する者だと信じて疑わなかったマクシミリアンにとって、それはとてつもなく屈辱的なものだったに違いない。
結果、状況も忘れ、自分が何をしているのかも分からなくなり、ただ目の前のSubを屈服させることしか考えられなくなったのだろう。
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//今日は久しぶりに津川とprayする日だ。久しぶりのcomandに気持ち良くなっていたのに。急に電話がかかってきた。終わるまでstayしててと言われて、30分ほど待っている間に雪人はトイレに行きたくなっていた。行かせてと言おうと思ったのだが、会社に戻るからそれまでstayと言われて…
がっつり小スカです。
投稿不定期です🙇表紙は自筆です。
華奢な上司(sub)×がっしりめな後輩(dom)
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
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