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7. 過去/悪夢
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あの日、世界がひっくり返ったのだと思った。
パチパチと火の粉が飛ぶ音が聞こえて来る。自分の眼には、首の吹き飛んだ両親の骸がある。
この世のモノと思えない化物が、その身体に群がっていた。化物達は両親の腕を、脚を、首を容赦なく食い破っていく。
これは悪い夢だ。
でなければ、眼の前の光景の説明がつかない。これが悪夢でなければなんなのだ。
建物は崩れ、家族は皆死んだ。その屍をあの世の化物が喰らっている。
こんな光景が、現実であるものか。
ぼくは眼を瞑った。目覚めれば、きっといつもと同じ天井が待っている。目覚まし時計が鳴ったことにも気づかずに惰眠を貪っていた癖して、何で早く起こしてくれなかったのなんてぶつくさと文句を言って、急いで自転車に跨って……。
だけど、そんな現実はいつまで待ってもやってきや来なかった。
くしゃくしゃと何かを咀嚼するようなモノが聞こえた。その音が何なのか考えたくない。
これは夢だ。悪い夢だ。
耳も塞ぎ、情報を遮断しようとした。けれど、嗚咽を誘う悪臭がどうしようもなく鼻につく。涙が流れてきた。身体が痙攣し、息が漏れる。
ガチャガチャと音を立てて、何かが近づいて来る。
来るな。来るな来るな来るな‼︎
膝も抱え、ただ震えた。もう終わりだ、そう思った。
「✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎‼︎」
耳を塞いでいても、黒板を爪で引っ掻いたような、甲高い音が響いたのが判った。
何かがドサリと倒れる音がした。ぼくは尚も耳と眼を塞ぎ、世界と自分を断絶しようとする。
ぽん、と誰かが肩を叩いた。
「うわああああああ‼︎」
ぼくは手足をバタつかせた。遂に化物が襲って来た、そう思ったのに違った。
「落ち着け」
誰かがぼくの両腕を押さえた。そして、そのままグッと両腕を伸ばされ、強制的に立たされる。頬を二度、優しく叩かれた。
「起きろ、小僧」
それは化物ではなく、人の声だった。ぼくは恐る恐る眼を開けた。
そこには刀を持った男が居た。
その刀は、漆黒に染まっている。
「ふん」
男は鼻を鳴らし、掌をぼくの左胸に押しつけた。だが、全く触られた感覚がない。
ぼくは自分の身体を見る。左胸が、男の刀と同じく、漆黒く染まっていた。
「な、何をしたの⁉︎」
涙声でぼくは訊いた。男は溜息をつく。
「俺じゃない。お前は怨児に侵されたんだ。珍しい」
そう言って、男はぼくの両脇に手を入れてぼくを持ち上げた。
「え、ちょっと」
男はそのまま肩にぼくを担ぎ、歩き出した。
ぼくは、なすすべもなく男に運ばれる。
男に担がれて、ぼくは知らない家に連れて行かれた。
男は自分のことを「憂悟」と名乗った。
憂悟は、初めて会ったその時から、乱暴でぶっきらぼうだった。
憂悟はぼくの家族が化物に食べられたこと、その化物は人間の負の感情に吸い寄せられて人を喰う怨児と呼ばれる存在であること、自身は怨児を殺す怨児狩りであることなどを、呆けたぼくに説明した。
「怨児に侵された人間は、たとえ人間としての自我が残っていても、怨児狩りに殺される」
「こ、殺すんですか、ぼくを」
憂悟の鋭い視線に射抜かれ、震え声しか出なかった。
そんなぼくの問い掛けに、憂悟は首を横に振った。
「いいや。運が良かったな、俺にはお前が必要だ」
そんなことを言う憂悟に案内されて、初めて由李歌に会った時は、正直面食らった。
彼女のことを、ぼくは人間と認識することができなかった。
両腕がなく、顔半分に身体のほとんどが漆黒に覆われている彼女のことを、化物だとぼくは思った。
「由李歌、これからお前の世話はこいつがする。何でもやって欲しいことを言え」
「判った」
憂悟の言葉に、由李歌は素直に頷いた。
それからぼくの左胸を見て、そっと顔を寄せた。ぼくは怖くて身を引きそうになったが、そんなことをしては憂悟に何をされるかわからないと、震えつつも涙を堪え、ただ彼女を見ているしか出来なかった。
そんなぼくに、由李歌が優しい声で話しかけた。
「大丈夫、怖がらなくても。お兄ちゃん、あんなだけど優しいから」
由李歌はぼくの胸から顔を離して、にっこりと笑った。
ぼくはその時初めて、眼の前にいるのが化物なんかではなく、一人の女の子であることに気付き、心臓の鼓動が高鳴った。
「貴方、名前は?」
由李歌に訊かれ、名前を答えようとしたが、さっきまでの恐怖と目の前に女の子がいる緊張で喉がカラカラになり、声が出せなかった。ぼくは唾を呑み込んで、改めて口を開けた。
「旭です」
「そう。わたしは由李歌。よろしくね、旭くん」
由李歌はその可憐な笑みを、今度はぼくに向けてくれた。既にぼくの心に恐怖はなく、顔まで一気に血が上って来るのを感じた。
そんなぼくに、憂悟が背後から言葉を投げ掛けた。
「由李歌に何かしてみろ。いいか、その時は本当に殺してやるからな」
憂悟のそんな言葉に、ぼくは苦笑いを返せるくらいには、心の落ち着きを取り戻していた。
あの日、世界がひっくり返ったのだと思った。
パチパチと火の粉が飛ぶ音が聞こえて来る。自分の眼には、首の吹き飛んだ両親の骸がある。
この世のモノと思えない化物が、その身体に群がっていた。化物達は両親の腕を、脚を、首を容赦なく食い破っていく。
これは悪い夢だ。
でなければ、眼の前の光景の説明がつかない。これが悪夢でなければなんなのだ。
建物は崩れ、家族は皆死んだ。その屍をあの世の化物が喰らっている。
こんな光景が、現実であるものか。
ぼくは眼を瞑った。目覚めれば、きっといつもと同じ天井が待っている。目覚まし時計が鳴ったことにも気づかずに惰眠を貪っていた癖して、何で早く起こしてくれなかったのなんてぶつくさと文句を言って、急いで自転車に跨って……。
だけど、そんな現実はいつまで待ってもやってきや来なかった。
くしゃくしゃと何かを咀嚼するようなモノが聞こえた。その音が何なのか考えたくない。
これは夢だ。悪い夢だ。
耳も塞ぎ、情報を遮断しようとした。けれど、嗚咽を誘う悪臭がどうしようもなく鼻につく。涙が流れてきた。身体が痙攣し、息が漏れる。
ガチャガチャと音を立てて、何かが近づいて来る。
来るな。来るな来るな来るな‼︎
膝も抱え、ただ震えた。もう終わりだ、そう思った。
「✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎‼︎」
耳を塞いでいても、黒板を爪で引っ掻いたような、甲高い音が響いたのが判った。
何かがドサリと倒れる音がした。ぼくは尚も耳と眼を塞ぎ、世界と自分を断絶しようとする。
ぽん、と誰かが肩を叩いた。
「うわああああああ‼︎」
ぼくは手足をバタつかせた。遂に化物が襲って来た、そう思ったのに違った。
「落ち着け」
誰かがぼくの両腕を押さえた。そして、そのままグッと両腕を伸ばされ、強制的に立たされる。頬を二度、優しく叩かれた。
「起きろ、小僧」
それは化物ではなく、人の声だった。ぼくは恐る恐る眼を開けた。
そこには刀を持った男が居た。
その刀は、漆黒に染まっている。
「ふん」
男は鼻を鳴らし、掌をぼくの左胸に押しつけた。だが、全く触られた感覚がない。
ぼくは自分の身体を見る。左胸が、男の刀と同じく、漆黒く染まっていた。
「な、何をしたの⁉︎」
涙声でぼくは訊いた。男は溜息をつく。
「俺じゃない。お前は怨児に侵されたんだ。珍しい」
そう言って、男はぼくの両脇に手を入れてぼくを持ち上げた。
「え、ちょっと」
男はそのまま肩にぼくを担ぎ、歩き出した。
ぼくは、なすすべもなく男に運ばれる。
男に担がれて、ぼくは知らない家に連れて行かれた。
男は自分のことを「憂悟」と名乗った。
憂悟は、初めて会ったその時から、乱暴でぶっきらぼうだった。
憂悟はぼくの家族が化物に食べられたこと、その化物は人間の負の感情に吸い寄せられて人を喰う怨児と呼ばれる存在であること、自身は怨児を殺す怨児狩りであることなどを、呆けたぼくに説明した。
「怨児に侵された人間は、たとえ人間としての自我が残っていても、怨児狩りに殺される」
「こ、殺すんですか、ぼくを」
憂悟の鋭い視線に射抜かれ、震え声しか出なかった。
そんなぼくの問い掛けに、憂悟は首を横に振った。
「いいや。運が良かったな、俺にはお前が必要だ」
そんなことを言う憂悟に案内されて、初めて由李歌に会った時は、正直面食らった。
彼女のことを、ぼくは人間と認識することができなかった。
両腕がなく、顔半分に身体のほとんどが漆黒に覆われている彼女のことを、化物だとぼくは思った。
「由李歌、これからお前の世話はこいつがする。何でもやって欲しいことを言え」
「判った」
憂悟の言葉に、由李歌は素直に頷いた。
それからぼくの左胸を見て、そっと顔を寄せた。ぼくは怖くて身を引きそうになったが、そんなことをしては憂悟に何をされるかわからないと、震えつつも涙を堪え、ただ彼女を見ているしか出来なかった。
そんなぼくに、由李歌が優しい声で話しかけた。
「大丈夫、怖がらなくても。お兄ちゃん、あんなだけど優しいから」
由李歌はぼくの胸から顔を離して、にっこりと笑った。
ぼくはその時初めて、眼の前にいるのが化物なんかではなく、一人の女の子であることに気付き、心臓の鼓動が高鳴った。
「貴方、名前は?」
由李歌に訊かれ、名前を答えようとしたが、さっきまでの恐怖と目の前に女の子がいる緊張で喉がカラカラになり、声が出せなかった。ぼくは唾を呑み込んで、改めて口を開けた。
「旭です」
「そう。わたしは由李歌。よろしくね、旭くん」
由李歌はその可憐な笑みを、今度はぼくに向けてくれた。既にぼくの心に恐怖はなく、顔まで一気に血が上って来るのを感じた。
そんなぼくに、憂悟が背後から言葉を投げ掛けた。
「由李歌に何かしてみろ。いいか、その時は本当に殺してやるからな」
憂悟のそんな言葉に、ぼくは苦笑いを返せるくらいには、心の落ち着きを取り戻していた。
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