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3rd episode 〔Hundredth Monkey Effect〕
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「うーん、どうすっかなあ」
咲凜は自室でベッドに横になりながら、タブレットPCを弄って唸っていた。
動画作成を手伝ってほしいから、と呼んだのは咲凜の方なのだが。
そんな風に一向に協力を仰ごうという気配がないので、僕の方は咲凜の部屋のテーブルを借りて宿題を広げている。
「さっきから一体何をそんなに……」
僕は腰を上げて、身を乗り出し、咲凜の持つタブレットを見る。そして咲凜の額にチョップした。
「痛い!?」
「ほんと何してんの」
てっきり、動画の編集に悩んでいるのかと思っていたのだが、そんなことはなく、咲凜は片耳に無線イヤホンをつけて、Vチューバーの生配信を視聴していた。
「違うんだよ、これは」
咲凜は起き上がって、ベッドの端に座り、腕を組む。
「ボクの尊敬するオカルト考察系動画配信の先輩、ユークリさんだ」
そう言えばそんな名前、前に咲凜から聞いたことがある気がする。
咲凜は無線イヤホンを外して電源を切り、タブレットPCの音量を上げた。
『……れは面白いですね』
タブレットPCのスピーカーから、清涼感のある男の声が聞こえてきた。
『円が現れたきっかけが何なのか。色々なことが言われています。某国の核実験であるとか、太陽の活発化だったりですが、どれもが根拠のない推論でしかありません』
僕はゆっくり立ち上がり、咲凜の隣に移動した。
タブレットPCのモニターには、青い髪の優しげな顔のCGキャラが上半身だけ映っている。言われてみれば僕もSNSで咲凜が共有した動画で見覚えがあったかもしれない。
『皆さん、シンクロニシティという言葉をご存知ですか? 同時代性、偶然の一致。こんな話があります。1779年にスウェーデンの化学者によって発見されたグリセリンは、蜂蜜みたいにどろどろとした液状で、今では化粧品や医薬品にも使われる、ごく当たり前の物質です。グリセリンは、発見されてから100年以上もの間、その結晶化の方法がわかっていませんでした。しかし、20世紀初頭のある日、ロンドンに運ばれていた一樽のグリセリンが、偶然に、一斉に結晶化します』
ユークリの背後には、彼の言葉に合わせて写真や動画が次々と切り替わっていた。たとえば今は遠景から撮ったロンドンのビッグベンの画像が挟み込まれている。
『それからというもの、グリセリンは世界中でごく当たり前に結晶化する物質になったのです。つまり、ある日を境にグリセリンが結晶化しない世界から、結晶化する世界に突然移り変わった』
咲凜はずっとタブレットPCを凝視して、集中して配信に見入っている。その様子に少しムっとして、ちょんと脇を小突いたが、それにも気付かぬくらいに没頭していた。
『……実はこのお話はワトソンという生物学者がつくった創作だとされています。同じ人物が創作した類似の話としては、百匹目の猿という逸話がありますね。こちらの方が有名かもしれません。とは言え、なーんだ作り話か、と一蹴するものとも言い切れません。世の中のこと全てにこれという理由があるわけではない。たまたま偶然、適当な出来事をきっかけに、世界は変わることがある』
今度は空に浮かぶ、緑色の円の画像が挟み込まれた。写真に撮れないあの空の円を描いた画像として、よく使われるものの一つだ。
『円は突然現れたのかもしれない。もしくは、こう捉えることもできます。ずっとそこにあったものを、ある日を境に見ることができる人間が偶然、一斉に世界に現れた、と』
世界は変わってなんていなくて、変わったのは人類の方である。
あの円はずっとあそこにある。それを見えるようになった人がたまたま今、この世界に現れたに過ぎない、と。だから円が見える者と見えない者がいる。
まとめるとユークリが続けて主張するのはそんなことだった。
配信が終わると、咲凜はタブレットPCを枕元に置いて、僕の顔を覗き込んだ。
「どう思う?」
「何が?」
咲凜は溜息をついて、布団に倒れ込んだ。
いや、そんなリアクションされる由縁はさらさらないと思うのだけど。
「作ってた動画がさ、あの円はどこから来たのか、みたいなテーマだったんだけど、あのユークリさんがあんな感じのアプローチをしちゃったから、そしたらなんか出遅れ感が出ちゃうじゃん?」
「それで唸ってたの?」
「そー。作った映像無駄になっちゃうなー、て」
なるほど。せっかく時間をかけたものを、そのまま使うのをはばかられるようになれば、頭も抱えるか。
「で、どう思う?」
「だから何が?」
「ユークリさんは人類が変わったって言ってたけど、それって進化みたいなものなのかな。円が見える人とそうじゃない人は、色々違うのかな」
僕は窓から空を見ていた。ここからでは、空の真上にあるあの円は見えない。
円が見える人とそうじゃない人の違いか。
僕が考えているのは、自分のことなんかではなく、阿澄さんのことだった。
円が見えるようになったことが人間の進化だとして、じゃあどう見ても人間の姿とは言えない阿澄さんはその成れの果てだとでも言うのだろうか。
「そんなんはまあそのユークリさん? が、勝手に言ってるだけだし。僕は僕だし」
そんなことを考えていたからと言うわけでもないが、何とも言えない言葉をもごもごとつぶやいた。
「ま、そうだね」
咲凜はにかっと笑い、起き上がると僕の背中を叩いた。
「よっし! じゃあ動画制作手伝って……って、あ……」
咲凜はベッドの上から飛び降り、スリッパを手にすると、ぱしんと床を叩いた。
「何やってん」
「ゴッキーいた、ゴッキー」
咲凜がスリッパを持ち上げる。そこにはつぶれされてなおピクピクと動くゴキブリがいた。
「うわ、気持ち悪。取ってよ」
「何でさ。いやだよ」
咲凜の言葉に、僕は咄嗟に断りを入れた。
「あれ? 虫苦手だっけ?」
特段、人より苦手というわけでもないが、僕が虫を捕まえようとすると、僕が近づいた時に限って息を吹き返して飛びかかってきたりするのが億劫だったりした。
「ま、いいや」
そんな僕を横目で見つつ、咲凜はテーブルに置いてあるティッシュペーパーを何枚か引き抜いて、ゴキブリをくるむ。
「トイレ流してくるー」
言って、えみりは部屋から出て行く。
なんか悪いなと思い、僕はテーブルの上に広げた宿題を片して、できるだけ綺麗にテーブル周りを掃除した。
咲凜は自室でベッドに横になりながら、タブレットPCを弄って唸っていた。
動画作成を手伝ってほしいから、と呼んだのは咲凜の方なのだが。
そんな風に一向に協力を仰ごうという気配がないので、僕の方は咲凜の部屋のテーブルを借りて宿題を広げている。
「さっきから一体何をそんなに……」
僕は腰を上げて、身を乗り出し、咲凜の持つタブレットを見る。そして咲凜の額にチョップした。
「痛い!?」
「ほんと何してんの」
てっきり、動画の編集に悩んでいるのかと思っていたのだが、そんなことはなく、咲凜は片耳に無線イヤホンをつけて、Vチューバーの生配信を視聴していた。
「違うんだよ、これは」
咲凜は起き上がって、ベッドの端に座り、腕を組む。
「ボクの尊敬するオカルト考察系動画配信の先輩、ユークリさんだ」
そう言えばそんな名前、前に咲凜から聞いたことがある気がする。
咲凜は無線イヤホンを外して電源を切り、タブレットPCの音量を上げた。
『……れは面白いですね』
タブレットPCのスピーカーから、清涼感のある男の声が聞こえてきた。
『円が現れたきっかけが何なのか。色々なことが言われています。某国の核実験であるとか、太陽の活発化だったりですが、どれもが根拠のない推論でしかありません』
僕はゆっくり立ち上がり、咲凜の隣に移動した。
タブレットPCのモニターには、青い髪の優しげな顔のCGキャラが上半身だけ映っている。言われてみれば僕もSNSで咲凜が共有した動画で見覚えがあったかもしれない。
『皆さん、シンクロニシティという言葉をご存知ですか? 同時代性、偶然の一致。こんな話があります。1779年にスウェーデンの化学者によって発見されたグリセリンは、蜂蜜みたいにどろどろとした液状で、今では化粧品や医薬品にも使われる、ごく当たり前の物質です。グリセリンは、発見されてから100年以上もの間、その結晶化の方法がわかっていませんでした。しかし、20世紀初頭のある日、ロンドンに運ばれていた一樽のグリセリンが、偶然に、一斉に結晶化します』
ユークリの背後には、彼の言葉に合わせて写真や動画が次々と切り替わっていた。たとえば今は遠景から撮ったロンドンのビッグベンの画像が挟み込まれている。
『それからというもの、グリセリンは世界中でごく当たり前に結晶化する物質になったのです。つまり、ある日を境にグリセリンが結晶化しない世界から、結晶化する世界に突然移り変わった』
咲凜はずっとタブレットPCを凝視して、集中して配信に見入っている。その様子に少しムっとして、ちょんと脇を小突いたが、それにも気付かぬくらいに没頭していた。
『……実はこのお話はワトソンという生物学者がつくった創作だとされています。同じ人物が創作した類似の話としては、百匹目の猿という逸話がありますね。こちらの方が有名かもしれません。とは言え、なーんだ作り話か、と一蹴するものとも言い切れません。世の中のこと全てにこれという理由があるわけではない。たまたま偶然、適当な出来事をきっかけに、世界は変わることがある』
今度は空に浮かぶ、緑色の円の画像が挟み込まれた。写真に撮れないあの空の円を描いた画像として、よく使われるものの一つだ。
『円は突然現れたのかもしれない。もしくは、こう捉えることもできます。ずっとそこにあったものを、ある日を境に見ることができる人間が偶然、一斉に世界に現れた、と』
世界は変わってなんていなくて、変わったのは人類の方である。
あの円はずっとあそこにある。それを見えるようになった人がたまたま今、この世界に現れたに過ぎない、と。だから円が見える者と見えない者がいる。
まとめるとユークリが続けて主張するのはそんなことだった。
配信が終わると、咲凜はタブレットPCを枕元に置いて、僕の顔を覗き込んだ。
「どう思う?」
「何が?」
咲凜は溜息をついて、布団に倒れ込んだ。
いや、そんなリアクションされる由縁はさらさらないと思うのだけど。
「作ってた動画がさ、あの円はどこから来たのか、みたいなテーマだったんだけど、あのユークリさんがあんな感じのアプローチをしちゃったから、そしたらなんか出遅れ感が出ちゃうじゃん?」
「それで唸ってたの?」
「そー。作った映像無駄になっちゃうなー、て」
なるほど。せっかく時間をかけたものを、そのまま使うのをはばかられるようになれば、頭も抱えるか。
「で、どう思う?」
「だから何が?」
「ユークリさんは人類が変わったって言ってたけど、それって進化みたいなものなのかな。円が見える人とそうじゃない人は、色々違うのかな」
僕は窓から空を見ていた。ここからでは、空の真上にあるあの円は見えない。
円が見える人とそうじゃない人の違いか。
僕が考えているのは、自分のことなんかではなく、阿澄さんのことだった。
円が見えるようになったことが人間の進化だとして、じゃあどう見ても人間の姿とは言えない阿澄さんはその成れの果てだとでも言うのだろうか。
「そんなんはまあそのユークリさん? が、勝手に言ってるだけだし。僕は僕だし」
そんなことを考えていたからと言うわけでもないが、何とも言えない言葉をもごもごとつぶやいた。
「ま、そうだね」
咲凜はにかっと笑い、起き上がると僕の背中を叩いた。
「よっし! じゃあ動画制作手伝って……って、あ……」
咲凜はベッドの上から飛び降り、スリッパを手にすると、ぱしんと床を叩いた。
「何やってん」
「ゴッキーいた、ゴッキー」
咲凜がスリッパを持ち上げる。そこにはつぶれされてなおピクピクと動くゴキブリがいた。
「うわ、気持ち悪。取ってよ」
「何でさ。いやだよ」
咲凜の言葉に、僕は咄嗟に断りを入れた。
「あれ? 虫苦手だっけ?」
特段、人より苦手というわけでもないが、僕が虫を捕まえようとすると、僕が近づいた時に限って息を吹き返して飛びかかってきたりするのが億劫だったりした。
「ま、いいや」
そんな僕を横目で見つつ、咲凜はテーブルに置いてあるティッシュペーパーを何枚か引き抜いて、ゴキブリをくるむ。
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言って、えみりは部屋から出て行く。
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