隔ての空

宮塚恵一

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4th episode 〔Pseudaria〕

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 咲凜の家を後にして、今日もまた阿澄さんのところへ食事を持っていこうとコンビニに寄った。またおにぎりやサンドイッチだけでは飽きてしまうか、とも思うが、阿澄さんが食べやすい食材が他に思いつかず、いつもと似たようなラインナップになる。
 早く阿澄さんに届けてやろう、と思ったところで、スマホのバイブが鳴る。

『今から学校前来れない?』

 咲凜から、そんな風なショートメッセージが届いていた。
 さっきまで咲凜の家にいたばかりだというのに何の用だろうか。
 僕は『いいよ』と返信する。
 しばらくして咲凜からも『早くね』と返って来た。

 阿澄さんには悪いけれど、少しだけ待ってもらおう。
 僕はコンビニ袋を持ったまま、学校の前に向かった。

 空を仰ぎ見ると、変わらず円がそこにある。今は青く輝いていて、その輝きが空全体を覆っているようにも思えたが、それは錯覚で、円は円として存在しているだけだ。
 いや、それとも今日咲凜に教えてもらったユークリ曰く、存在しているのかすら怪しいのだったか。

 夜になり、完全下校の時間も過ぎている学校はもう明かりが落ちて、外から誰の影も見えない。
 これが冬頃になると、特別講習中帰りの三年生なんかもいたりするのだが、未だそういう季節ではない。

 咲凜の奴、何を企んでいるのか。
 僕はきょろきょろと校門前で咲凜の姿を探したが見つからず、スマホで咲凜に電話をかける。

 耳元でコールが鳴り続ける。

 遂には『おかけになった電話番号は……』と音声が流れてくる。
 また何か別のことに没頭でもしてスマホに気づいていないのか、とでも考えていたら、背後から誰かが近づく足音が聞こえ、振り向いた。

「咲凜?」

 後ろにいたのは咲凜ではなく、背の高いワイシャツを着た男の人だった。
 なんだ、と僕は肩を落とし、知らない人に声をかけてしまったことに少し恥ずかしさを覚えたが。

「君に、あの空は見える?」

 男が口にした言葉に僕は身構えた。
 誰に向けた言葉なのかと、僕は首だけまた振り向いたが、当然そこには誰もいない。
 もう一度男を見る。その男の眼差しは間違いなく僕に向けられている。

「答えなくていい。私にはわかる。君には見えている」

 そんなことをにっこりと、口元を歪めて口にするその男に恐怖を覚え、関わってはいけないと、何も答えずに踵を返した。男の声はどこかで聞いたことのあるような気もしたが、急に男子高校生に話しかける変質者のことなど知ったことではなく、もう一度咲凜に電話をかけた。

 さっきと同じく鳴り続けるコール音。
 けれど、そのコール音は僕の耳元からだけでなく。

 背後からも鳴り響く。

 僕は恐る恐る、スマホを耳元にかざしたまま後ろを向く。

「おっと」

 男はズボンのポケットの中からスマホを取り出した。そのスマホには、見覚えのある邪魔っけなキーホルダーがついていて、ぞくりと背筋に悪寒が走った。

「なんで?」

 思わずぼそりと口にしたのを男はしっかりと耳にしていて、小さく溜息をついた。

「うっかりしたな。まあいいか。……なあ君、女のことを知らないか。答えなくていい。流石にわかった。君は知っている。そうに違いない」

 男はさっき取り出したスマホを操作して、画面を僕に見せる。

 口に布を噛まされて横たわる咲凜の写真が、画面に映っていた。

「教えてくれたら、彼女は無事で返そう。何、勘違いだったんだ。空の色を投稿しているし、動画にもコメントをくれるし、てっきり彼女が円の見える子だと思って尋問したら人違いだった」

 何を言っているんだ。
 男が何を言っているのか、僕には全くわからなかった。
 ただわかるのは、男の持っているスマホに咲凜の写真があって、ならその見覚えのある邪魔っけなキーホルダーのついたスマホは咲凜のものだと言うことくらい。

「円が見えるのは君だろ。そしてあの女を匿っている。君も円が見えるのなら僕的にはグレーだが、まだ許そうじゃないか。二人とも無事で返すとも」

 男の言葉のほとんどを理解できない。
 僕はふるふると首を横に振る。

「知りません。知り、ません。咲凜はどこですか?」

 声を出して、唇が震えているのがわかった。
 わからない。男が何を言っているのかも何もかも。

 だが次の瞬間、男は激昂し、地面をダンと踏み鳴らした。

「知らないわけが、ないだろう! あの女だ。あの大きなハサミを持った、あの女だよ。いいさ、知らないというなら殺すだけだ。君も、あの娘も」

 男はスマホを地面に叩きつけ、掌をかかげた。
 夜の暗闇の中、男の掌に光がともる。
 違う。赤い炎が、男の掌の中におさまり、火の玉のようになった。

 男は火の玉を野球の球でも投げるかのように振りかぶる。

 ああそうか。
 こんなわけもわからないまま、僕は死ぬのか、と僕は思わず目を瞑る。

 男の持つ火の玉が、僕に向かって投げられる。

 だが火の玉は僕に当たることなく、フッと明かりが消える。

 僕は目を開けた。尻餅をついたのは、恐怖と驚きのせいだけではなく、安堵の気持ちだった。
 見覚えのある、一見恐ろしげな巨体が、僕の目線から男を隠す。

「逃げて」

 阿澄さんが、僕の前に立ち塞がり、火の玉を投げつけた男に対峙していた。
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