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第8話 老賢者の選択 ※元老賢者ジャメル視点
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あの子は、生まれた時からとんでもない才能の持ち主だった。
幼い頃に神殿の修練場で見かけた時から、ノエラの瞳には他の子供たちとは違う光が宿っていた。まるで幾千年もの知恵が小さな体に詰め込まれているかのように——。
神殿が才能を見出して引き取り、実力を磨き上げたという話になっているが、実際には彼女は勝手に育ったという方が正しい。そもそも彼女ほどの才能の持ち主など、神殿の歴史上でも極めて稀だった。
あれほどの才能を正しく導く方法など、誰にもわからなかったのだ。私たち老賢者は表向き指導者面をしていたが、実際には彼女の成長を呆然と見守っていただけ。
「ジャメル様、この古文書の意味がわからないのですが……」
幼いノエラが、神殿の最奥にあった古代の文献を小さな腕に抱えて私の元に来たのは、彼女が十歳になったばかりの頃だった。ほとんどの神官が一生かけても解読できないような古代語を、独学で読み解こうとしていたのだ。塵にまみれた古文書を両手で大事そうに持ち、その瞳には純粋な好奇心と、知識を求める渇望が満ちていた。
「これは難しいぞ、ノエラ。大人になってからでも挑戦するには十分難しい文献だ」
そう言って軽く諭したつもりだったが、彼女は真剣な眼差しで首を横に振った。
「でも、この文書には大切なことが書かれているような気がするんです。教えていただけませんか?」
その瞳に宿る決意に、私は降参した。それから彼女は、あっという間にとんでもない実力を身につけた。そして今でも、決して怠けることなく成長を続けている。
神殿の神官が束になっても敵わない——それほどの実力者になっていた。
そんな彼女だからこそ聖女に選ばれた。彼女以外で、聖女に選ばれる才能の持ち主はいない。歴代最高の聖女と言われているが、それは紛れもない事実だろう。
おそらくこの先、誰もあの子には敵わない。皮肉なことに、神殿の連中は自らの手でそんな稀代の実力者を手放してしまった。まさか、こうなるとは彼らも予想していなかっただろう。
私自身も、ノエラがここまでやるとは予想していなかった。
失われていた古代の魔法を再発見すると、ノエラはそれを見事に再現してみせた。古代魔法を復活させるという偉業だけでも驚くべきことなのに、さらにそれをアレンジして、現代でも使えるように完成させてしまった。
ある日、ノエラから計画について相談された。
「本当に、これを実行するつもりなのですか?」
計画の内容を告げられた時、私は思わず問いかけた。古い木の椅子に座り、彫刻が施された机を挟んで彼女と向かい合っていた。燭台の揺らめく光が、彼女の凛とした横顔を照らし出していた。ノエラは揺るぎない決意を秘めた眼差しで頷いた。
「おそらく、実行することになります。エリック様は、私ではなく別の女性に夢中のようなので。私は必要とされていない。それなら、彼の望む通りにしようかと」
その言葉は静かに紡がれたが、その声には強い意志が込められていた。彼女の手元には、膨大な量の古文書と自ら書き記した研究ノートが積み上げられていた。
今まで誰も考えなかったことを思い付き、実行するための準備を進めている。それが出来てしまう彼女は、間違いなく天才なのだ。
彼女に信頼されていたのは本当に幸いだった。だから事前に計画を相談され、一緒に連れて行ってもらえる。そうでなかったら今頃は私も、神殿に残される連中と同じように何もかも忘れて、能天気に暮らしていたかもしれない。
そんな虚ろな未来を想像すると、今でも背筋が凍るような恐怖を覚える。今の私は、恵まれていることを心から感謝している。
「ジャメル様、本当に一緒に来てくださるのですか? 神殿での地位も、全てを捨てることになりますよ?」
彼女は不安そうに私に問いかけた。まるで自分が迷惑をかけているかのような罪悪感に満ちた表情で。その肩には聖女という重責を背負いながらも、他者を気遣う優しさを失わない——それこそが真の聖女の姿だろう。
「聖女ノエラ様、心配することはありません。私は神殿の地位など必要ありません。貴方と一緒に行って、貴女の真に光り輝く才能を見届けたいのです」
彼女が心配だから一緒について行く。それが本音だった。彼女の才能を見届けたいという気持ちも嘘ではないが、何より彼女を一人にしたくなかった。
そして私は、一つ彼女に提案した。
神殿の若き賢者であるアレクシスも一緒に連れて行ったらどうかと。提案した時、彼女は珍しく強い調子で拒否した。頬が僅かに赤く染まり、瞳に慌てたような色が浮かぶ。
「いいえ! それは駄目です。彼が神殿を離れてしまうと、神官たちを守ってくれる人がいなくなってしまいます」
彼女の言っていることは確かに正しい。アレクシスの影響力は、若い女神官たちを守ることができる。彼が人知れず姿を消してしまえば、神殿内のバランスが大きく崩れてしまう。だが……。
「いいのですか? 彼が加わってくれたら、心強い仲間になってくれると思うのですが」
そう言うと、彼女の横顔には言葉にできない切なさが浮かんでいた。
「……やっぱり駄目です。私の都合だけで、彼まで連れて行くのはワガママです」
そう言って、アレクシスを一緒につれていくという計画は却下された。彼女は、我慢しすぎるところがある。いや、これは我慢ではなく、恐れているのだろう。好きになった相手に拒否されるかもしれない、という恐怖が彼女の心の奥底にあるのだ。
これ以上、私が言うべきではない。彼女が自分で決断するべきこと。すでに決めてしまったのなら、もう後には引き返せない。彼女はいずれ後悔するだろう。だからこそ、私は彼女から目を離せない。自棄になって、さらに大変なことをしでかさないように見守り続ける必要がある。
彼女のような素晴らしい才能を失わせないために。
計画が実行された翌日の朝。朝食の時間、ノエラがはじけるような笑顔で仲間たちと語り合う姿を見ながら、私は密かに決意を新たにした。山荘の窓から差し込む朝日が、彼女の金色の髪を優しく照らしていた。エミリーの冗談に笑い、ナディーヌと他愛のない会話を楽しむ彼女は、神殿にいた頃よりも生き生きとしている。
この束の間の平穏。彼女がこの選択に後悔しないよう、そして彼女の才能が世界から失われないよう、私にできることは全てやろう。
神殿の老賢者として過ごした長い歳月よりも、これからの日々の方が、きっと価値あるものになるだろう。
幼い頃に神殿の修練場で見かけた時から、ノエラの瞳には他の子供たちとは違う光が宿っていた。まるで幾千年もの知恵が小さな体に詰め込まれているかのように——。
神殿が才能を見出して引き取り、実力を磨き上げたという話になっているが、実際には彼女は勝手に育ったという方が正しい。そもそも彼女ほどの才能の持ち主など、神殿の歴史上でも極めて稀だった。
あれほどの才能を正しく導く方法など、誰にもわからなかったのだ。私たち老賢者は表向き指導者面をしていたが、実際には彼女の成長を呆然と見守っていただけ。
「ジャメル様、この古文書の意味がわからないのですが……」
幼いノエラが、神殿の最奥にあった古代の文献を小さな腕に抱えて私の元に来たのは、彼女が十歳になったばかりの頃だった。ほとんどの神官が一生かけても解読できないような古代語を、独学で読み解こうとしていたのだ。塵にまみれた古文書を両手で大事そうに持ち、その瞳には純粋な好奇心と、知識を求める渇望が満ちていた。
「これは難しいぞ、ノエラ。大人になってからでも挑戦するには十分難しい文献だ」
そう言って軽く諭したつもりだったが、彼女は真剣な眼差しで首を横に振った。
「でも、この文書には大切なことが書かれているような気がするんです。教えていただけませんか?」
その瞳に宿る決意に、私は降参した。それから彼女は、あっという間にとんでもない実力を身につけた。そして今でも、決して怠けることなく成長を続けている。
神殿の神官が束になっても敵わない——それほどの実力者になっていた。
そんな彼女だからこそ聖女に選ばれた。彼女以外で、聖女に選ばれる才能の持ち主はいない。歴代最高の聖女と言われているが、それは紛れもない事実だろう。
おそらくこの先、誰もあの子には敵わない。皮肉なことに、神殿の連中は自らの手でそんな稀代の実力者を手放してしまった。まさか、こうなるとは彼らも予想していなかっただろう。
私自身も、ノエラがここまでやるとは予想していなかった。
失われていた古代の魔法を再発見すると、ノエラはそれを見事に再現してみせた。古代魔法を復活させるという偉業だけでも驚くべきことなのに、さらにそれをアレンジして、現代でも使えるように完成させてしまった。
ある日、ノエラから計画について相談された。
「本当に、これを実行するつもりなのですか?」
計画の内容を告げられた時、私は思わず問いかけた。古い木の椅子に座り、彫刻が施された机を挟んで彼女と向かい合っていた。燭台の揺らめく光が、彼女の凛とした横顔を照らし出していた。ノエラは揺るぎない決意を秘めた眼差しで頷いた。
「おそらく、実行することになります。エリック様は、私ではなく別の女性に夢中のようなので。私は必要とされていない。それなら、彼の望む通りにしようかと」
その言葉は静かに紡がれたが、その声には強い意志が込められていた。彼女の手元には、膨大な量の古文書と自ら書き記した研究ノートが積み上げられていた。
今まで誰も考えなかったことを思い付き、実行するための準備を進めている。それが出来てしまう彼女は、間違いなく天才なのだ。
彼女に信頼されていたのは本当に幸いだった。だから事前に計画を相談され、一緒に連れて行ってもらえる。そうでなかったら今頃は私も、神殿に残される連中と同じように何もかも忘れて、能天気に暮らしていたかもしれない。
そんな虚ろな未来を想像すると、今でも背筋が凍るような恐怖を覚える。今の私は、恵まれていることを心から感謝している。
「ジャメル様、本当に一緒に来てくださるのですか? 神殿での地位も、全てを捨てることになりますよ?」
彼女は不安そうに私に問いかけた。まるで自分が迷惑をかけているかのような罪悪感に満ちた表情で。その肩には聖女という重責を背負いながらも、他者を気遣う優しさを失わない——それこそが真の聖女の姿だろう。
「聖女ノエラ様、心配することはありません。私は神殿の地位など必要ありません。貴方と一緒に行って、貴女の真に光り輝く才能を見届けたいのです」
彼女が心配だから一緒について行く。それが本音だった。彼女の才能を見届けたいという気持ちも嘘ではないが、何より彼女を一人にしたくなかった。
そして私は、一つ彼女に提案した。
神殿の若き賢者であるアレクシスも一緒に連れて行ったらどうかと。提案した時、彼女は珍しく強い調子で拒否した。頬が僅かに赤く染まり、瞳に慌てたような色が浮かぶ。
「いいえ! それは駄目です。彼が神殿を離れてしまうと、神官たちを守ってくれる人がいなくなってしまいます」
彼女の言っていることは確かに正しい。アレクシスの影響力は、若い女神官たちを守ることができる。彼が人知れず姿を消してしまえば、神殿内のバランスが大きく崩れてしまう。だが……。
「いいのですか? 彼が加わってくれたら、心強い仲間になってくれると思うのですが」
そう言うと、彼女の横顔には言葉にできない切なさが浮かんでいた。
「……やっぱり駄目です。私の都合だけで、彼まで連れて行くのはワガママです」
そう言って、アレクシスを一緒につれていくという計画は却下された。彼女は、我慢しすぎるところがある。いや、これは我慢ではなく、恐れているのだろう。好きになった相手に拒否されるかもしれない、という恐怖が彼女の心の奥底にあるのだ。
これ以上、私が言うべきではない。彼女が自分で決断するべきこと。すでに決めてしまったのなら、もう後には引き返せない。彼女はいずれ後悔するだろう。だからこそ、私は彼女から目を離せない。自棄になって、さらに大変なことをしでかさないように見守り続ける必要がある。
彼女のような素晴らしい才能を失わせないために。
計画が実行された翌日の朝。朝食の時間、ノエラがはじけるような笑顔で仲間たちと語り合う姿を見ながら、私は密かに決意を新たにした。山荘の窓から差し込む朝日が、彼女の金色の髪を優しく照らしていた。エミリーの冗談に笑い、ナディーヌと他愛のない会話を楽しむ彼女は、神殿にいた頃よりも生き生きとしている。
この束の間の平穏。彼女がこの選択に後悔しないよう、そして彼女の才能が世界から失われないよう、私にできることは全てやろう。
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