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第3話 妹の婚約相手
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いつものように自室で過ごしていた。本の世界に没頭することこそが、この屋敷で生きる唯一の慰めだった。
読書中は、自分がどこか遠い国の王女様になったり、勇敢な冒険者になったりできる。ヴァンローゼ家の冷遇された長女ではなく、物語の主人公として生きられる時間。古い本を何度も繰り返し読んでいるけれど、いつも楽しい。
そんな束の間の平穏を破るように、屋敷が急に騒がしくなった。
「あぁぁぁっ、もう! 信じられない!」
壁越しに聞こえるのは、間違いなく妹の声だった。ヴィヴィアンが何かで大騒ぎをしている。また何か気に入らないことでも起きたのだろうか。ここまで聞こえるなんて。
読んでいた本を置いて、時計を見る。もう夕食の時間が近い。
「行きたくないけど……」
時間に遅れれば、また食事抜きにされてしまう。最近はヴィヴィアンが特に意地悪をしてきていて、少しでも遅れると「お姉様が礼儀知らずで」と両親に告げ口して、結果として私は何も食べられなくなるのだ。
嫌なことが起こりそうな予感はしたが、空腹で倒れたくない。
「……はぁ」
観念して、私は自室を出た。廊下を歩いていると、玄関ホールから激しい会話が聞こえてきた。
「信じられませんわ! まさか、こんな事になるなんて!!」
ヴィヴィアンの声だ。普段は愛嬌のある甘い声を使う彼女。だけど、今は明らかに怒りが滲んでいた。
「どうしたというのだ、私の可愛いヴィヴィアン?」
続いて聞こえたのは父の声。ルカス・ヴァンローゼは娘の機嫌を取るように、優しく問いかけていた。
「お父様! 聞いて下さい。酷いんですよ!」
私は廊下の角に隠れ、彼らの姿を窺った。玄関ホールには父と母、そしてヴィヴィアンの姿があった。妹は頬を紅潮させ、足を小刻みに踏み鳴らしていた。完全に癇癪を起こしている。
食堂へは別の廊下からも行ける。彼らに見つからずに通り抜けようと思った瞬間、妹の次の言葉が私の足を止めた。
「私の婚約者であるエドモンド様が、仕事で大失敗して怪我もしたらしいんです!」
「まぁ、それは大変ね」
母が心配そうな声で応じた。
「だが、彼は騎士だからな。怪我をすることもあるだろう」
父は論理的に言った。実際、騎士という職業柄、怪我は付き物だろう。
「でもでも、だって!」
ヴィヴィアンはさらに声を上げた。まるで幼い子供のように足を踏み鳴らす。
私は少し首を傾げた。婚約者が怪我をしたと聞けば、普通は心配するはず。だけど妹の声には心配の色はなく、むしろ……強く非難しているようだった。
何か違和感を覚えた私は、そのまま立ち去ることができず、少し気になって会話の続きを聞くことにした。柱の陰に身を隠し、息を殺して耳を澄ます。
「騎士団に大損害を与える失敗をしたらしいのよ!」
ヴィヴィアンは両手を広げて大げさに言った。
「それに、怪我は包帯で全身ぐるぐる巻きになるほどの大怪我だとか。顔まで傷ついて、しかも、自力では歩けなくなったんですって!」
「なに? そんなに重症なのか……」
父は眉を寄せて、真剣な表情になった。エドモンド・ウィンターフェイドは名門貴族の息子であり、王国の騎士として将来を嘱望されていた。その彼が大怪我をしたとなれば、確かに大変な事態だ。
しかし、私の注目はヴィヴィアンの反応に向いていた。心配するどころか、まるで不満を述べているようだった。そんな彼女の態度が、私には理解できない。
どうして、自分の婚約相手のことを心配してあげないのかしら。とても大変そうなのに。
そして次の瞬間、ヴィヴィアンの本音が飛び出した。
「私、あの人と結婚するのが嫌になりました」
結婚したくない。ヴィヴィアンは静かに、しかし決然と言い切った。
「え? どういう事かしら、ヴィヴィアン?」
母が驚いて尋ねる。
「酷い見た目になって、しかも仕事に失敗するような騎士が婚約の相手なんて、意味ないもん!」
妹は両手を腰に当て、顎を上げた。
「見た目が悪くなったら、どうやって私と一緒に社交界に出ればいいのよ? しかも仕事に失敗するような人じゃ、出世に響いたでしょうし将来が不安よ! 私、もっと素敵な人と結婚したいの!」
私は思わず息を呑んだ。その言葉があまりにも残酷で、あまりにも浅はかだったから。
いつも自慢していた婚約者を、たった一度の怪我と失敗でこんなにも簡単に見捨てるなんて。見た目と地位しか見ていなかったということか。そんな彼女が恐ろしい。
「し、しかしだな、ヴィヴィアン」
父はたじろぎながらも、諭そうとした。
「婚約するのは決まっていることで。もう既に、お前たちの結婚の日まで決まっていて……ウィンターフェイド侯爵家との約束だ。簡単に破棄できるものではない」
「嫌! 絶対に、嫌よ!」
ヴィヴィアンは足を踏み鳴らし、両手をみっともなく振り回した。
「私、あの人とは結婚しません。婚約は破棄です!」
断固として、結婚したくないと言い続ける。ああなってしまったら思い通りになるまで、どうすることも出来ない。最終的にはヴィヴィアンの望んだ通りになってしまい、婚約は破棄されることになるでしょう。
「あっ、そうだわ!」
彼女の目に、突然閃くような光が宿った。そして、にやりと笑った。その笑顔に、私は背筋に寒気を感じた。
「そうだわ! お姉様が居るじゃありませんか! 私の代わりに、お姉様があの人と結婚すれば全て解決するでしょ?」
「……え?」
突然のことに、私は思わず声を漏らしてしまった。何故か急に、私は巻き込まれることになってしまったみたい。意味が分からない。
読書中は、自分がどこか遠い国の王女様になったり、勇敢な冒険者になったりできる。ヴァンローゼ家の冷遇された長女ではなく、物語の主人公として生きられる時間。古い本を何度も繰り返し読んでいるけれど、いつも楽しい。
そんな束の間の平穏を破るように、屋敷が急に騒がしくなった。
「あぁぁぁっ、もう! 信じられない!」
壁越しに聞こえるのは、間違いなく妹の声だった。ヴィヴィアンが何かで大騒ぎをしている。また何か気に入らないことでも起きたのだろうか。ここまで聞こえるなんて。
読んでいた本を置いて、時計を見る。もう夕食の時間が近い。
「行きたくないけど……」
時間に遅れれば、また食事抜きにされてしまう。最近はヴィヴィアンが特に意地悪をしてきていて、少しでも遅れると「お姉様が礼儀知らずで」と両親に告げ口して、結果として私は何も食べられなくなるのだ。
嫌なことが起こりそうな予感はしたが、空腹で倒れたくない。
「……はぁ」
観念して、私は自室を出た。廊下を歩いていると、玄関ホールから激しい会話が聞こえてきた。
「信じられませんわ! まさか、こんな事になるなんて!!」
ヴィヴィアンの声だ。普段は愛嬌のある甘い声を使う彼女。だけど、今は明らかに怒りが滲んでいた。
「どうしたというのだ、私の可愛いヴィヴィアン?」
続いて聞こえたのは父の声。ルカス・ヴァンローゼは娘の機嫌を取るように、優しく問いかけていた。
「お父様! 聞いて下さい。酷いんですよ!」
私は廊下の角に隠れ、彼らの姿を窺った。玄関ホールには父と母、そしてヴィヴィアンの姿があった。妹は頬を紅潮させ、足を小刻みに踏み鳴らしていた。完全に癇癪を起こしている。
食堂へは別の廊下からも行ける。彼らに見つからずに通り抜けようと思った瞬間、妹の次の言葉が私の足を止めた。
「私の婚約者であるエドモンド様が、仕事で大失敗して怪我もしたらしいんです!」
「まぁ、それは大変ね」
母が心配そうな声で応じた。
「だが、彼は騎士だからな。怪我をすることもあるだろう」
父は論理的に言った。実際、騎士という職業柄、怪我は付き物だろう。
「でもでも、だって!」
ヴィヴィアンはさらに声を上げた。まるで幼い子供のように足を踏み鳴らす。
私は少し首を傾げた。婚約者が怪我をしたと聞けば、普通は心配するはず。だけど妹の声には心配の色はなく、むしろ……強く非難しているようだった。
何か違和感を覚えた私は、そのまま立ち去ることができず、少し気になって会話の続きを聞くことにした。柱の陰に身を隠し、息を殺して耳を澄ます。
「騎士団に大損害を与える失敗をしたらしいのよ!」
ヴィヴィアンは両手を広げて大げさに言った。
「それに、怪我は包帯で全身ぐるぐる巻きになるほどの大怪我だとか。顔まで傷ついて、しかも、自力では歩けなくなったんですって!」
「なに? そんなに重症なのか……」
父は眉を寄せて、真剣な表情になった。エドモンド・ウィンターフェイドは名門貴族の息子であり、王国の騎士として将来を嘱望されていた。その彼が大怪我をしたとなれば、確かに大変な事態だ。
しかし、私の注目はヴィヴィアンの反応に向いていた。心配するどころか、まるで不満を述べているようだった。そんな彼女の態度が、私には理解できない。
どうして、自分の婚約相手のことを心配してあげないのかしら。とても大変そうなのに。
そして次の瞬間、ヴィヴィアンの本音が飛び出した。
「私、あの人と結婚するのが嫌になりました」
結婚したくない。ヴィヴィアンは静かに、しかし決然と言い切った。
「え? どういう事かしら、ヴィヴィアン?」
母が驚いて尋ねる。
「酷い見た目になって、しかも仕事に失敗するような騎士が婚約の相手なんて、意味ないもん!」
妹は両手を腰に当て、顎を上げた。
「見た目が悪くなったら、どうやって私と一緒に社交界に出ればいいのよ? しかも仕事に失敗するような人じゃ、出世に響いたでしょうし将来が不安よ! 私、もっと素敵な人と結婚したいの!」
私は思わず息を呑んだ。その言葉があまりにも残酷で、あまりにも浅はかだったから。
いつも自慢していた婚約者を、たった一度の怪我と失敗でこんなにも簡単に見捨てるなんて。見た目と地位しか見ていなかったということか。そんな彼女が恐ろしい。
「し、しかしだな、ヴィヴィアン」
父はたじろぎながらも、諭そうとした。
「婚約するのは決まっていることで。もう既に、お前たちの結婚の日まで決まっていて……ウィンターフェイド侯爵家との約束だ。簡単に破棄できるものではない」
「嫌! 絶対に、嫌よ!」
ヴィヴィアンは足を踏み鳴らし、両手をみっともなく振り回した。
「私、あの人とは結婚しません。婚約は破棄です!」
断固として、結婚したくないと言い続ける。ああなってしまったら思い通りになるまで、どうすることも出来ない。最終的にはヴィヴィアンの望んだ通りになってしまい、婚約は破棄されることになるでしょう。
「あっ、そうだわ!」
彼女の目に、突然閃くような光が宿った。そして、にやりと笑った。その笑顔に、私は背筋に寒気を感じた。
「そうだわ! お姉様が居るじゃありませんか! 私の代わりに、お姉様があの人と結婚すれば全て解決するでしょ?」
「……え?」
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