君が選ぶやり直し

氷高 ノア

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第三章

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 帰る場所などない私は、いつもの公園へと向かった。辺りは完全に日が落ちて、街灯が寂しい遊具たちを照らしている。
 相変わらず人の気配はなく、私は安心してブランコへと腰掛けた。
 鞄は地面に、そしてもらった紙袋は、そっと膝の上に乗せた。
 紙袋の口を大きく広げ、中にあるビニール袋を開封する。すると案の定、土まみれの瓶が姿を表した。
「うわぁ……」
 あまりに汚く、中は見えない。だが、最も肝心なものは、外側からは目視することができない、この汚れた膜で覆われた世界に閉じ込められているのだろう。
 私は意を決して、瓶の蓋を回した。
 土が入り込んでいるのか、とても固かった。しばらく様々な持ち方をして力を加え、格闘する。すると蓋は、ついに参りましたというように、勢いよく回った。
 私はそれをそっと開け、紙袋内の端に置いておく。
 中にはチャックつきポリ袋があり、分厚い紙が入っていた。瓶に守られていた分、劣化を感じさせない綺麗さを保っている。
 私は中身をよく見るために、瓶が入った紙袋を地面に置き、ポリ袋のチャックを開けた。
 よく見るとそれは無地の白い封筒だった。そして端の方に、小さく書いてある文字を見つける。
『二十歳になった春田絵美様』
 心臓がどくんと跳ねた。動悸が続いて、耳まで伝わり、周囲の音は自分の鼓動で遮られている。
 震える手を必死に抑えながら、私は封筒を開いた。丁寧に折りたたまれた何枚もの紙と、封筒に入るくらい小さなサイズの袋があった。
 私はその手紙と思わしきものを広げ、目を通す。
 風がふわりと紙を揺らした。

『二十歳になった絵美ちゃんへ。

 これを書いたこと、そしてこのタイムカプセルの存在自体、絵美ちゃんは覚えていないと思います。

 だってこれを書いているのは、絵美ちゃんの二歳のお誕生日なのだから。

 明日、これを絵美ちゃんと一緒に、庭に埋めようと思っています。

 ママは絵美ちゃんが二十歳になるまで、このタイムカプセルの存在を隠せているかしらね。

 うっかり言ってしまいそうな自分が想像できるけど、案外忘れてたりするのかしら?

 まあ、どうなっているかはわからないけれど、今これを読んでいる絵美ちゃんにとって、嬉しいサプライズになってくれていたら、ママも幸せです』

 前置きとして書かれた文章は、母の言葉とは到底思えなかった。
 二歳の頃なんて、ほとんど、いや全く覚えていないし、『ママ』や『絵美ちゃん』も、小学校に上がった頃には既になくなっていたため、違和感この上ない。
 それに二十歳より四年も早く、かつ他人から受け取ってしまったことに対し、若干申し訳なさまでも感じてしまう。
 まるで、他人が書いた、他人当ての手紙を盗み見してしまったような気がしてならないからだ。
 そうは言っても、実際母から私に向けての手紙であることは、間違いないわけで、私は違和感を抱えながらも、続きの文章を目で撫でた。

『いきなりこんなものを読んで、驚いているかもしれないね。

 これを書いたきっかけは、あなたが大人になった時のことを想像したからです。

 今、絵美ちゃんは何をしているのかしら。

 どんな学校に行って、どんな夢を抱いて、どんな人になっているのでしょうか。

 お付き合いしてる人はいたりするのかな?

 今のママは、絵美ちゃんの将来が楽しみでなりません。

 こんなにも、小さくて可愛らしい絵美ちゃんが、大人になるのは遠い未来の話だと思っているけれど、きっと一瞬でその日を迎えるのでしょうね。

 あなたが何を選んで、どんな大人になったとしても、絵美ちゃんはママにとって一番大切な宝物です。

 例え、絵美ちゃんが世界の敵に回されたとしても、ママは一生あなたの味方です。

 何があっても、ママはずっと絵美ちゃんのことが大好きで、世界で一番、あなたのことを想っています。

 何があっても、絶対に絵美ちゃんのことを守るから。

 だから安心して、これからの人生を歩んでいってほしいです。

 それを伝えたくて、ママは大人になった絵美ちゃんに向けて、タイムカプセルを残すことにしました。

 きっと、生きている中で、これまでもこれからも、高い壁にぶつかって、悩み苦しむ日が何度もくると思います。

 何なら、その原因がママである時も、いずれ来るかもしれないね。

 パパにも言われたけど、ママは凄く不器用なの。

 絵美ちゃんのことが可愛くて仕方がないからこそ、絵美ちゃんが傷ついたり悲しい思いをしないように、そして後戻りできないような間違いを起こさないようにと、色々口出しすることもあるかもしれない。

 でも、それは絵美ちゃんのことが大切で、あなたを守りたいと思っているからなの。

 そう思っているから、何しても許してねってことじゃないよ。ただ覚えておいてほしいだけなの。

 ママはこれまで、友達や大切な人たちにそのことを上手く伝えられなくて、すれ違ってしまうことが何度もあった。

 だから、時にあなたのことを傷つけていたとしたら、本当にごめんなさい。

 でも、これだけは忘れないで。

 ママは絵美ちゃんのことを、心の底から愛してる。それは一生、いえ死んでも変わらない。

 だから、辛い時はいつでも頼って良いのよ。

 ママはいつだって、あなたの味方だからね。

 これから先、あなたが社会に出て、お母さんになって、おばあちゃんになって、声が出なくなって、体が動かなくなったとしても、ずっとずっと大好きだからね。

 絵美ちゃん、ママをママにしてくれてありがとう。

 生まれてきてくれてありがとう。

 絵美ちゃんのおかげで、ママは世界で一番の幸せ者です。

 絵美ちゃんが生きていてくれるだけで、それだけでママはどんなに辛いことがあっても頑張ることができます。

 二十歳の絵美ちゃん、こんなに大きく成長してくれてありがとう。

 例え、絵美ちゃんが一人暮らしや結婚をして、距離が離れてしまったとしても、ママはこれからもあなたの一番の味方でいられるよう、心はずっとそばにいるからね。

 これからも、絵美ちゃんが選んでいく一つ一つの道の先に、たくさんの幸せが待っていますように。

 改めて、絵美ちゃん、二十歳のお誕生日おめでとう。

 二〇‪✕‬‪✕‬年 四月二十八日 春田蘭はるたらんより』

 ボタ、と何かが母の名前の上に落ちた。字が滲んでくる様子を見て、慌ててそれを拭こうとすると、またボタボタと落ちてくる。
 その正体は涙だった。止めようと思うのに、瞬きをする度にそれは溢れ出て、母の字を消そうとする。
 まるで私が、生きるために母を消したのと同じように。
「ごめ……。ごめんお母さん……。ごめんなさい……」
 息が上手くできなかった。吐きたいのに吸ってしまうような、吸いたいのに吐いてしまうような矛盾した呼吸で、息を整えることに必死だった。
 手の力が抜け、封筒が落ちる。同時に、手紙と共に入っていた袋から中身が地面に飛び出し、広がった。
 それは、大量の写真だった。そこに映るのは、ほとんどが小さな赤ちゃん。
 産まれたての写真。
 ハイハイをしている写真。
 猫じゃらしを持ちながら、よちよちと道を散歩している写真。
 公園で、ボールを追いかけている写真。
 離乳食を食べている写真。
 口の周りと手のひらに、大量のお粥をつけている写真。
 いたずらをしたように、床をティッシュとおもちゃだらけにして笑っている写真。
 そして、若い男女に抱っこをしてもらい、満面の笑みを浮かべる可愛らしい子の写真がそこにはあった。
 凝視しなくてもわかった。そこに映るのは、若い頃の母と父、そして私だった。
 涙は止めどなく溢れる。私はなんてことをしてしまったのだろう。
 今の私とは対照的に、写真の中の私は、本当に幸せそうな表情をしている。
 生前受けた傷が、この手紙と写真だけで癒えたわけではない。たが、ようやく知ることができたのだ。
 私は愛されていたのだと。
 今まで愛されたことなどないと本気で思っていた。アルバムを見返しても、幼い頃の写真がほとんどなかったのは、生まれた時から私を愛していないからだと思っていた。
 私のやることなすことは全て気に入らないし、放任することは多いし、同じくらい縛ることもあって、その理由は私のことが嫌いだからだと思っていた。母は、私がいなければ仕事に明け暮れることなく、もっと自由な人生を送っていけるのに、と思っているのだろうな、と考えることもあった。
 でも、それは違った。私を大切に思っていた証は、手紙や写真としてここに数え切れないほど残されていた。
 そんな風にしか表現できない母は、私が麻仲に指摘されたように、不器用の塊だったのだ。
 手紙に書いていた通り、私が傷ついたり悲しい思いをしないように、そして後戻りできないような間違いを起こさないようにと、本当は心配していたのだろう。
 進路だってそうだ。良い学校に入れば良い大学に入れて、良い就職先につくことができれば、良い人生を歩めるだろうと考えることは至極当然のことだ。私自身、自分の気持ちを上手く伝えられなかった上に、母も私を思っての提案であることを言葉にするのが下手で、圧をかけられた、と私が思い込んでしまった部分もあったのだろう。
 テストで悪い点を取った時、怒ったことも同じ理由なのかもしれない。私の成績を上げるには、どうしたら良いのかわからず、落ちたら働いてもらうというような脅しや、圧をかけるという表現になってしまったのかもしれない。
 本当に不器用だ。母も、そして同じ血が流れた私も。
 きっと母は、自分が不器用で、上手く言葉を伝えられない人間だとわかっていたからこそ、私が大きくなる前に、こんな形で残したのだろう。
「お母さん……お母さん……」
 バラバラに落ちた写真を、一枚一枚大切に拾い上げ、手紙とともにぎゅっと胸の中に抱き締めた。
 私だってそうだ。『わかってくれない』も『大嫌い』も、本当はきっと、そういう意味で言ったんじゃない。
『私のことをもっと見てほしい』
『私の気持ちに気づいてもらえないのは寂しい』
『大好きなお母さんに喜んでほしい』
『大好きなお母さんに認めてもらいたい』
『大好きなお母さんから褒められたい』
『大好きなお母さんに抱き締めてもらいたい』
『大好きなお母さんから、どんな私でも大好きって言ってもらいたい』
 本当はそう思っていたんだ。大嫌いだと思っていた理由は、大好きだからだ。
 大好きだから苦しい。大好きだから悲しい。
 大切なものが大きければ大きいほど、満たされない感情も大きくなって、それが自分の捉え方や言葉の伝え方によって、間違った意味となってしまうのだと、ようやくわかった。
 そして、本当に大切なものは自分ではわからないものだと言った、天使おじさんの言葉の意味も。
 その通りだった。私は何もわかっていなかった。例えお母さんがいなくなったところで、清々すると思っていたのに。
 今はそんな気持ちは一切ない。寧ろ真逆だ。
 お母さんに会いたい。まだ何も伝えられてない。謝罪も、感謝も、本当の気持ちも、大好きも。
 私は胸にある手紙と写真を、丁寧に封筒に入れ、ポリ袋のチャックをしめた。決して傷つけないよう、学校の鞄に仕舞おうと、ブランコを降りて立ち上がる。
 その時だった。
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