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第三章
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しおりを挟む「あれー? どうしたのー?」
わらわらと、男性三人が公園の中に入ってきた。話しかけた相手は、もちろん私。
「可愛いねぇ。君、一人? 夜は危ない人も多いからねぇ。お兄さんたちが車で送っていってあげるよ」
近づいてきた男性たちは、該当に照らされ、耳と鼻、そして唇の下についたピアスがキラリと光る。
髪は明るく染め上げられており、伸ばしてきた腕にはよくわからない模様が入っていた。
「いえ、大丈夫です」
これはまずい、とどこかで察する。
目を合わせないようにし、私は鞄と紙袋を抱えて公園を出ようとした。
「おっと、どこに行くんだい? いいから、俺たちに任せろって」
男性たちを交わして出ていこうとしたが、公園の出入口は一つしかない。当然のように出口の前に三人は立ちはだかり、呆気なく脱出手段を奪われてしまった。
どうしよう。怖い。何をするつもりだろう。まさか本当に送ってくれるはずがない。
「家はすぐそこなので。迷惑をかけることになりますし……」
ジリッと靴が砂を擦りながら、私は後退りをした。それとほぼ同時に、彼らは一歩前に出る。
「近くても危ないものは危ないしさぁ。君知らないの? この辺、暗くなると不審者が出るって有名だよ? 迷惑なんて全然気にすんなって」
「そうそう。そんなさぁ、怖がらないでよ。優しくするからさぁ」
へへっと笑いながら、三人はゆっくりと私の方へ足が近づいてくる。公園の出口の先を見ると、いつの間にか黒いワゴン車が停まっていた。よく見えないが、運転席からも視線を感じる。
「いや、もう本当、大丈夫なので」
周りには誰もいない。私と、彼らの四人だけ。人が通る気配すらない。
手足がガクガクと震え出した。力が入らず、前にも後ろにも進めない。
すると一人がチッと舌打ちをして、明らかに表情が変わった。
「ごちゃごちゃうるせぇなぁ! 送ってやるって言ってんだろ! ほら、さっさと乗れよ!」
一気に距離を詰められ、腕を掴まれた。荷物が地面に落ちる。怖くて堪らなくて、私は大声を出すことも、抵抗することもできなかった。
「い、いや、やめ……」
蚊の鳴くような声を出すので精一杯だった。他の二人も私の腕を掴み、車が停まっている方へと引っ張る。
あまりの力強さに、痛みと恐怖で泣いてしまった。
どこに連れていかれ、何をされるのだろう。このまま死んでしまうのだろうか。
怖い、怖い、怖い。お母さん、助けて……!
「こら! お前たち、何をしてる!」
怖くてぎゅっと目を閉じた瞬間、突然、男の人の低い声が聞こえた。それが耳に入るのとほぼ同時に、掴まれていた私の腕は、振り払うかのように離される。
「やべ、行くぞ!」
三人は慌てて車に乗り込み、十秒も経たずして車は消え去っていった。
私はその場で全身の力が抜け、膝から地面に崩れ落ちる。
助けてくれた男性の姿はなく、また公園には静寂が戻った。
怖かった。もう終わりだと思った。本気で死ぬかと思った。
自分の感情の整理が追いつかず、とにかく何度も深呼吸をする。手も足も、未だに力が入らず震えが止まらない。弱々しく両手を重ね、落ち着くために心臓に押し当てた。
お母さんが門限を厳しく課してきたのは、これが理由だったのかもしれない。
そうか、お母さんは、私を守ろうとしていたのか。縛りつけていたわけではなかったのだ。
どうしてこんなにも単純なことに気がつかなかったのだろう。
お母さんは、生前もずっと、変わらず愛してくれていたのに、気がつかなかったのは私だ。不器用さはあれど、私だって、もっとお母さんのことを見て、気づく目を持つべきだった。
「お母さん、会いたい……会いたいよ……」
取り返しのつかないことをしてしまったと、今更ながらに後悔して呟いた。
なんて都合の良い奴なんだと、自分でも思う。一番大切なものを捨ててでも、やり直して生きることを望んだのは自分なのに。
それでも今、母に会いたいと思う。あれほど会いたくない、帰りたくないと思っていたはずなのに。
大切なものは失って初めて気づくのかもしれない。失ってからでは手遅れなのに。
「どうしたら会えるの……」
無駄な足掻きだとわかっていた。それでも、会いたい気持ちに蓋をすることはできず、目を閉じて、心の底から夜空に瞬く星に願う。
そんなことをして、叶えてもらえるほど、世の中甘くないことはわかっていた。
「やり直しを後悔しているのか」
突然、あの低い声が頭から降り注がれる。先程私を連れ去ろうとした男性と同じく、男らしい低い声なのに、やはり温かく安心感があった。
「天使……おじさん?」
顔を上げると、記憶に新しいあのマスクと、白ずくめの服を着た背の高い人が立っていた。
表情の見えない仮面を通して、私のことを見つめているのがわかる。
不思議と体全体が、いや周囲の気温が春のような陽気に包まれた気がした。
「一番大切なものがなくても良いから、やり直しをしたかったんじゃないのか?」
天使おじさんの言葉は、ぐさりと胸に刺さった。そうだ。それでも良いからやり直したかったんだ。
自分で選んだくせに、何を後悔してるんだと責められているようだった。悔いたところで、無駄な時間を過ごすだけなのに。
「そうだよ。そう思ってた。正直、別に大切なものがなくても、生きていくこと自体はできるって今も思う。暮らしていける場所も食べ物もあるし、お母さん以外にも大切なものは残ってる。でも、ただ生きるだけじゃ、私は駄目なんだって気がついたの。やっぱり、本当に大切なものがある世界で生きることが、私にとっての“生きる”なんだって。それに今更気づいたって、もう遅いことはわかってるけどね。でもさ……私のせいでお母さんがいなくなっちゃったんだと思うと、罪悪感で辛くて……苦しくて……なんでそんな道選んじゃったんだろうって、どうにもならないことなのに思ってしまうの……」
毅然と話していたつもりだったのに、自分の罪の意識と、母への思いが込み上げてきて、いつの間にかまた嗚咽を含みながら泣いていた。
今日はずっと泣いている気がする。体中の水分が、なくなってしまうのではないかと思った。
「会いたいのか」
天使おじさんは、また一方的に質問する。そんなもの、答えは一つじゃないか。
「会いたい……会いたいよ。お母さんに会いたい!」
泣きじゃくった幼い子供のように、私は訴えた。
天使おじさんなら、何とかしてくれるのではないかと、どこか期待していたのだ。
だって、死んだ私にやり直しの機会を与えてくれ、生き返らせた本人なのだから。
「……お前の一番大切な人に、会える方法が一つだけある」
彼は静かにそう答えた。私は驚いて立ち上がる。先程まで子鹿のように震えていた足に、不思議と力を入れることができた。
「本当! 何、その方法って?」
私は天使おじさん言葉を待った。
彼は何も言わずに空を見上げる。何かが見えるのかと思い、同じく目線を宙へ投げるも、点々と輝く星と、空を泳ぐ雲、そして欠けた月しか見ることができなかった。
「お前が死んだあの日までに、もう一度死ぬことだ。そうすれば、この世界は元通りになり、お前が死んだ、あの日へと戻る。やり直しの世界はなかったことになり、全てがリセットされるのだ」
時が止まったかのように、風がぴたりと止んだ。
言葉が喉に突っかえて、出てこない。金魚のように、小さく口をパクパクして、何かを言おうとしているのに。
そうしている間に何を言いたいのかも、わからなくなってくる。究極の二択を目の前に用意され、ロシアンルーレット型の最期の晩餐が開かれたようだった。
「それにより、大切なものは蘇るが、お前は死ぬことになる。もし、以前死んだあの日の時間を超えると、お前は一生、一番大切なものに会うことはできない。だが、お前はそのまま、この世界で生きることができる」
簡単には決断できない条件だった。私が死ぬことで、母は生き返る。いや、元の世界に戻ると言う方が正しいだろうか。だが、高羅や麻仲、他にも様々な人たちとも、もう会えなくなってしまうのだ。
そもそも、やり直しをリセットしたとして、母とも会えるのかと疑問に思う。死んだら会えないのではないのか。それとも、天国から見守る形での“会える”という意味なのだろうか。
「自分の責任で失った大切なものを守るために死ぬか、大切なものを失ってでも生きるか。どちらを選ぶのだ?」
私の責任……。
頭に重く伸しかかる。ズンと体が重くなった。温かいのに重みを含んだその言葉を、今の私は受け止めることができない。
私はまだ生きていたい。高羅や麻仲とも、これからもずっと一緒にいたい。
でも、母にも会いたい。私がやり直しをしたことで、母がいなくなってしまった世界にいるのも辛い。
だからといって、もう一度あの時と同じように死ぬなんて。死ぬとわかっていて、そんな怖いこと、できるわけがない。
ぐるぐると思考が回る。天使おじさんと私の間に、長い沈黙が流れた。
「……急に言われても、今すぐには決められないよ。もう少し考えさせてほしい」
絞り出した言葉はそれだった。ある意味、逃げたのと同じかもしれない。それでも、簡単に一方を選んでしまえば、それこそ本気で自分の選択を恨む結果になるかもしれない。だから私は時間が欲しいと頼み込んだ。
すると天使おじさんは、こくりとマスクを縦に動かす。
「わかった。時間は十分にある。お前が死ぬのは、今から約一ヶ月後。十月二十八日の午後九時四十分だ。それまでに、どうするのか自分で考えて、選ぶと良い」
すると突然、辺り一面白い光に包まれ、思わず目を閉じた。街灯が全て発火したのかと思うほどに、眩しい。
微かな温かさが残る中、目を開けると、そこには人影すら残っていなかった。
人の気配一つない公園で、虫の音だけが自由な夜の世界を謳歌するように鳴いている。
一ヶ月で、どうするか選べだなんて、天使おじさんは簡単に言うけれと、私一人でこのまま結論を出せるだろうか。
その時、スマホの画面が光り、何かの連絡が入った合図がした。
『今日、教室来てくれたのにごめんね。何かあった?』
そのメッセージの上には『小木高羅』と名前が示されていた。私はすぐにそれを手に取る。
高羅に全てを打ち明けるべきなのだろうか。話したら、何かが変わるのだろうか。いや、その前に高羅に聞きたいこともあった。
『大丈夫! ちょっと話がしたくて。今度、部活が休みの日、一緒に帰れる?』
何も、今すぐに決める必要はない。高羅に相談するかどうかは、会った時の雰囲気で決めよう。
取り敢えず、今は約束だけを取りつけ、私は画面を閉じた。
長いようで短い一ヶ月。迷っていても、時間は止まってはくれない。
私は落ちた荷物を拾い上げる。抗えない現実を受け入れるように、今の私の家へ向けて、地面を蹴った。
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