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第一章 不遇の伯爵令嬢編

メディア子爵

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 私と父はメディア子爵に呼ばれ、彼の館に馬車で向かっていた。父は終始無言で、不機嫌なオーラが刺さってくる。普段から和やかな会話とは無縁ではあるけれど、今回は尚の事、呼び出された理由について聞きにくい雰囲気だった。

 ラトウィッジ=メディア四十歳。祖先は大成した大商人であり、父親の代で子爵の位を買った。本人は近年出回りつつある撮影技術の投資者であり、特にカメラによる写真撮影は自身の趣味でもあると言う――
 妹の元婚約者候補であったが、その相手は現在、私と言う事になっている。

 屋敷に通された私たちは、廊下にも飾られているポートレートの数々に出迎えられた。それは、愛らしいドレスに身を纏った、十歳から十五歳くらいまでの少女たちの写真が収められた額縁だった。案内されるままに進んでいくと、ポートレートの少女たちの格好が怪しくなってきた。何故か、シャツ一枚なのだ。それも男物の。もしかして、子爵の物だろうか? 成人男性のサイズでは合わなくてぶかぶかだ。サラはこれを見て、心底気持ち悪いとドン引きしていた。…まあ確かに、こう言う趣味の中年男性と結婚させられそうになって嫌悪感を抱くのは無理もない。私はと言えば、子爵からそれほど関心は持たれていないので却って気楽なものだった。爵位は低いが暮らしは裕福だし、跡継ぎさえ産めれば後は放っておいてくれるだろう。何より、サラが近付けないと言うのが良い。

 通されたのは、所謂「子供部屋」と呼ぶべき場所だった。天井には天使が描かれ、そこからから垂れ下がったシャンデリアはホタルブクロのような形状をしている。壁にはぐるっと、写真ではなく肖像画が掛けられていた。そしてカーペットは赤と黒のチェッカー柄、赤の部分にはトランプ模様だ。
 私は子供の頃から、この部屋が大好きだった。少女の夢を詰め込んだ空間だからと言うのもあるが、何となく……懐かしさを覚えるのだ。

 そこで待っていたメディア子爵は、床に寝転がって本を読んでいる少女たちに声をかける。

「さぁ、お客様が来たからもう帰りなさい。夢から醒める時間だよ」
「えー? もうちょっと遊びたいわ子爵様」
「ダメだよ、あまり遅くなるなと君たちの親からも言われているからね。本が気に入ったのなら、貸してあげるから」

 髪にもドレスにもやたら大きなリボンを付けた少女たちは、素直に返事をすると、子爵に挨拶のキスをして去っていく。…これは親たちも頭痛いだろうな。
 父は慣れているのか、子爵のそんな振る舞いにも眉一つ動かさない。

「お噂通り、可愛らしい恋人たちですな」
「彼女たちは、大切な友人だよ。いずれ僕の元を巣立っていく。それまで、あの子たちの成長記録を写真に収め残していくのが生き甲斐だ」

 ちなみに噂と言うのは、メディア子爵には幼い愛人がいると言うものだ。実際は子爵に恩がある人たちの娘さんであり、こうして時々家に招いてお茶会をしたり本を読んであげたりしているそうだ。まあこんな歳まで独身だし、先程の半裸写真の例もあるので、妹の言う通りロリコンなのも間違いないんだろうけど……


「本日は突然呼び出してしまって、悪かったね。実は、正式な婚約の前に、ぜひとも君たちに確認しておきたかった。嫌疑が晴れれば今日この場で、手続きを行う予定だ」

 嫌疑?
 …嫌な予感がする。

「あの、娘が何か貴殿に粗相でも……」
「アイシャ嬢、君に不貞の疑いがかかっている」

 ギクッと体が強張るのが分かった。どこから秘密が漏れた…? 父が物凄い顔でこちらを睨み付けてくるので、首を振って否定する。あの事を話せるはずもないが、だからって私が悪い事をしたわけでもない。

「もちろん、我々はまだ婚約してもいないから、不貞と言うのはおかしい。許される時期に少々羽目を外してみたくなるのも若さと言うものだ。しかしね……僕は大人だから、恋人がいるのに無理矢理引き離すような、狭量な真似はしたくないのだよ」
「恋人…?」

 知って、いる。私に恋人なんているわけもないけれど、思い当たる事を、子爵に知られていると気付き、嫌な汗が流れる。

「一応、これでも僕は婚約者候補だからね。部下の一人に会場の護衛として潜り込ませていた。報告によると、君は会場を抜け出し、繁みの奥で男と睦み合っていたそうだが」
「な、何かの間違いでは? 娘はこの通り、不器量で真面目なだけが取り柄です。恋人はおろか、とても一時の火遊びに手を出す事など…」
「護衛?」

 子爵の口から生々しい状況を暴露され、羞恥で火を噴きそうになるが、護衛と聞いて急速に冷えていく。
 護衛を、付けられていた。見られていた。なのに、助けてくれなかった。

(どうして、どうして、どうして…)

 カーク殿下たちに乗り込まれるまで、あの場に誰の気配も感じなかった。薬のせいで周りに気付かなかったのかもしれないが、相手がチャールズ様だと知られていないあたり、ある程度の距離はあったのかもしれない。それにしても……

「その方は、見ていただけ……なのですか。私が襲われているのを、傍観していたのですか」
「お、おい何を言っているのだアイシャ」
「私に恋人は、おりません。エスコートも、護って下さる方も……」

 知らず、子爵を責める口調になってしまう。きっと眼差しもきつくなってしまっているだろう。私が迂闊だったのは重々反省している。けれど、婚前まで清らかでいて欲しいなら、護衛にそう命じるべきだった。
 子爵は、自分に責任があるとは欠片も思っていない表情で髭を弄る。

「残念ながら、彼にはバレないよう見張れとしか命令していない。護衛がいると分かれば、尻尾を出さない可能性があったからね。報告によれば、君はろくに抵抗もしなければ、助けを求める声も上げなかったそうだ。
…私だって若い頃は、当時いた婚約者を信じていた。物陰に紛れて男といるのを襲われていると思い、助けに入ろうとした。だがね、そんな私は……お楽しみの時間を邪魔する、野暮な人だそうだよ」

 どうやら助けてくれなかったのは、子爵の過去の婚約者のせいらしい。……どうして私にそのツケが廻ってきているの? 私は唇を噛んだ。こんな理不尽な事ってない。

「しかし君の言う通り、不可抗力と言う可能性もある。そこで今回の婚約については、君に判断を委ねよう。どうしてもこの僕と正式に婚約したいのであれば、君に不埒な真似をした輩の名を告げなさい。僕は夫として、全力でそいつを潰すと約束する」

 子爵はそう言うけれど、本当に約束を守ってくれるのかしら…? そもそも彼は「どうしても正式に婚約したいのであれば」と言っている。実は私がこの婚約に乗り気でないのを見抜いている…?

(違う、逆だ)

 元々は、サラとの婚約だったのだ。それを彼女の我儘で、婚約者を私と交換させた。それだけでも業腹だと言うのに、今度は男と遊んでいた疑いまであったら、白紙に戻したくなって当然だ。私は被害者ではあるが、言っても無駄だと諦めて口を噤んでしまっていた。それが子爵の目にどう映るのか、考えもせずに。

「アイシャ、何を黙っている! 相手の名を言うんだ!!」

 父が真横で怒鳴りつけてきて、非常にうるさい。とても娘を慮っているようには見えない。実際、父が気にしているのはそんな事ではない。掌中の珠であるサラが嫌がってでも、子爵との婚約を強行した父なのだ。

「チャールズ=ウォルト公爵……私が会っていたのは、チャールズ様です」

 私は正直にその名を告げた。
 子爵は渋い顔をしている。チャールズ様の後ろにはカーク殿下がついているので、とても子爵には手も出せない相手だから……ではない。

『チャールズ様と一夜限りの過ちを犯した』

 これは、浮気相手の素性をわけあって明かせない令嬢の定番文句なのだ。真実かどうかは関係がないし、証明しようもない。気まぐれな公爵様との一時の戯れなんて、不貞の言い訳として通ってしまうほど伝説と化しているのだから。
 …どれだけ爛れているんだろう、あの人の女性関係は。

「残念だよ……サラ嬢とは結婚できなくとも、彼女から『お義兄様』と呼ばれるのも悪くなかったのだがね。しかし相手が誰であれ、恋人ではないのは確かなようだ……こんな時、本当に愛しているなら助けに来るはずだろう?
実際、私の被写体にしようとした令嬢を救おうと、ここまで乗り込んできた少年がいたよ。乱暴した事を詫びられたが、あれこそ真の愛だと感動したね」

 案の定、子爵には相手がチャールズ様だと信じてはもらえなかった。あるいは、もうどうでもいいのかもしれない。傷物になった時点で、彼の中では何の価値もない……いやもっと前、ひょっとしたら最初から、子爵は私との婚約を断る口実を探していたのだ。

「ラ、ラトウィッジ殿……」
「ヘンリー殿、正式に婚約を結ぶ前でよかった。これ以上、娘さんの傷を増やす事もない。支援については、また別の機会に話そうではないですか」
「そんな……!」

 がっくりと床に膝を突く父。やっぱり金目当てだったか……
 メディア子爵はそれを尻目にファンシーなデザインの戸棚を開け、一枚の写真を取り出した。

「今後、我々が会う機会もそうないだろうから、これを渡しておこう。以前撮らせてもらった君たちの家族写真……私の自信作だ。若い内は経験すべきだとは言うが、付き合う相手は選びたまえ」
「……ご忠告、痛み入ります」

 色々な物を飲み込んで、私は頭を下げる。
 写真に映っていたのは、父とアンヌ様、サラと私の四人。彼女は大嫌いな子爵の前にも関わらず、満点の作り笑顔をこちらに向けていた。無垢で無邪気。見る者にそんな印象を抱かせてしまうのだから凄い。
 それに引き換え、私はむっつりと口を引き結んでいた。別に意図して無表情になったのでも不機嫌だったわけでもないが、これでも笑っているつもりなのだ。

(これは誰でも……ルーカスでも、サラを選ぶわよね)


 帰りの馬車の中で、私は一言も発せずにぶるぶる震えている父と共に揺られながら館を後にする。
 子爵との事は、お互い「押し付けられた」ので事態がどう動こうが何の感慨もなかった。ただ、あの子供部屋に行ける事は二度とないのだろうと悟り、その事にだけは少し寂しさを覚える。
 二度目の婚約がダメになり、これから私はどうなるのか……不安でいっぱいの心を棚に置き、既に私の頭は受け入れる態勢に移行していた。

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