伯爵令嬢の前途多難な婚活──王太子殿下を突き飛ばしたら、なぜか仲良くなりました

森島菫

文字の大きさ
89 / 134
番外編 アンジェリア・フォードの人生

第一話 初めての夢

しおりを挟む
 一生を貴族で終えるつもりは無かった。

「私、商人になりたい」

 夕食中に突然そう話し出したアンジェリアに、父であるマルセルは口に運び込もうとしていた肉を空中で静止させる。

「ええと、アンジェリア?」
「はい」
「本気度はどれくらいかね」

 突拍子もないことを言われて落ち着いていられるマルセルの精神力は、社交界での賜物というより、彼の性格ゆえである。いや、アンジェリアの場合、突拍子もないとは言えなかったというのが真に正しいだろう。

「難しいかもしれないってことは分かってる。でも、できるならすぐに貴族社会から抜け出したい」

 アンジェリアは父の目を真っ直ぐ見てそう返した。続いて母をちらりと見ると、特に動揺はしていないらしい。姉シャーロットに至っては、遂に言い出した妹を称賛するような視線さえ送っている。それだけ、フォード伯爵家では次女のアンジェリアが貴族社会に興味を持っていないことを、皆知っていたのだ。

「……分かった。ひとまず、ダンスの練習は停止してもらうように言っておく」

 とうとう来る時が来たと言わんばかりに、マルセルはそう告げる。

 来年──十五歳の社交界デビューに向けて、アンジェリアは様々な講義や指導を受けていた。ダンスはもちろん、扇子の使い方やお茶の勉強、礼儀作法などである。

 しかし、当の本人は貴族社会に染まるつもりが無いらしい。マルセルの判断は早かった。

「ありがとう、お父様!」

 目に見えて顔色を明るくするアンジェリア。そして彼女は同時に、以前から布石を打っていた過去の自分を褒め称えた。




 事のきっかけは、令嬢としての基本的な勉強を始めた頃だったように思う。

「アンジェリア様、よろしいですか?ドレスはここをお持ちになって。背筋は伸ばしたままですよ」

 礼儀作法の先生が言い聞かせることを、一応は取り込むアンジェリア。しかし心の中では、令嬢という自分に違和感を覚えていた。

 上品に踊るよりも、上品な舞踏会会場を作り上げる人々に惹かれる。綺麗に着飾るよりも、着飾るための品物を売りに来る人々に惹かれるのだ。

 そうして子供ながらに、自分に貴族は向かないなと思った。

「シャーロットお姉様。私、いつか商品を売ってみたい」

 初めてできた密かな夢を、アンジェリアは最初に姉に話してみた。

 読書家の姉は、様々なことを学んでいる。その辺の貴族連中より断然、平民への視線は柔らかいと思う。

「商人……!素敵ね。まずどんなものを売りたい?」

 考えを否定せず、想像を膨らませていく姉が、アンジェリアは好きだった。姉を最初の味方に決めたのは、やはり正解である。




 行動を起こし始めたアンジェリアが次にしたのは、両親に自分の性質を悟らせることだった。

 男爵家ならまだ希望はあったかもしれないが、由緒正しい伯爵家に生まれたからには、このまま行けば当然貴族社会に身を沈めることになる。その当たり前を、どうにかして崩す必要があった。

 しかし突然「商人になりたい」と言い出せば、気の迷いだと片付けられてしまいそうだ。だからこそ、ある程度の種を蒔いておこうと考えた。

「そろそろ、新しいドレスが必要ね」

 パーティーに参加する前にと母のベラドンナが提案し、アンジェリアは両親と共に服飾店に向かうことになった。

 そこで彼女は、服飾店の女性店員達に質問を投げ掛けた。どんなドレスが人気なのか。材料は何か。どこの地域が原産なのか。そして、どうやって仕入れているのか。

 始めこそ令嬢としてドレス自体に興味を持っているのだと思っていたマルセルとベラドンナだったが、徐々に質問の毛色が変わり始めていることに気が付いた。

 まさか、とうっすら生じた仮説は、それから約半年の間に確証へ変わることとなる。

「お父様、物流に関する本でおすすめってある?」

 ある日、勉強がしたいとやって来た娘に、父は顔を上げた。

「最近、よく頑張っているね。ご褒美でもあげようか」

 教養をつけることは素晴らしいことだと感じたがゆえに発した言葉。髪飾りでもレースの手袋でも、何でも買ってあげようと思っていたマルセルに、アンジェリアは言う。

「算盤が欲しいな」
「そ、算盤……?」

 なぜそんなものを。疑問に思ったマルセルだったが、ここ半年の彼女の様子を振り返って、はっとした。

 ドレスの仕入れ方を聞いていた日。王都の商店街でやけに値札と品物を確認していた日。地域の特産品を学び始めた日。物流の本を探しに来た今日。そして、算盤が欲しいと言った今。

 辻褄を合わせるのなら、導き出せる職業は一つしか思い当たらない。何を隠そう、商人である。

 はっきり言うことこそしていないものの、アンジェリアは商人を目指したいのではないか。目指すわけではなくとも、どういうわけかかなり興味を持っているのは間違いない。

 そのような認識が、この日を境にマルセルに生まれた。そしてそれは、彼の妻ベラドンナにも伝えられていく。

「なるほどね。最近の言動からして、そうかもしれないと思っていたわ」

 子供達が寝静まったある夜、マルセルとベラドンナは机を囲み、話し合った。

「夢を後押ししてあげても、何とかなるんじゃないかしら」
「そうだなあ。無理に貴族社会に入らせるのも、うちの教育方針とは違うし」

 それにアンジェリア以外にも、子供は二人いる。

 十七歳のシャーロットは一年前に誘拐されかけた事件があるため何とも言えないが、パーティーの招待状は一応手にとってもらえている。おそらく社交界復帰の日も近いだろう。

 それに、九歳のウィルフレッドもいるのだ。彼には今のところ、貴族生活を避けようとする節は無い。婿入り婚より嫁ぐ可能性の方が高いシャーロットを考慮すれば、今最も跡継ぎとなり得るのはウィルフレッドだった。

 大丈夫。アンジェリアが抜けても、貴族社会に残る子供達は二人確保できている。その安心感と教育方針も相俟って、マルセルとベラドンナはアンジェリアの行動を止めることはしなかった。

 そして、今日に至るのである。

 いよいよ本格的に、商人の道へ進む決意をした次女アンジェリア。これまでの布石が功を奏し、大きな反対にあうこともなく話ができた。

 それからあれよあれよと事が進み、彼女は父方の祖父母のもとへ行くことになった。彼らはマルセルに爵位を譲った後、ひっそりと商会を開いていたからである。

「それじゃあ、行ってきます」

 馬車に乗り込む直前、アンジェリアは皆にそう言った。

「忘れ物は無いか?」
「うん」
「体調にだけは気を付けるのよ」
「はあい」
「アンジェリア、応援してるわ!」
「お姉様……ありがとう」
「姉上、気を付けてね」
「ウィルフレッドも、元気で」

 家族に見送られ、馬車に乗り込むアンジェリア。

「寂しくなるなあ」
「そうね。でも休暇中には帰ってくるわ」

 しんみりとした空気を出すマルセルに、ベラドンナが言った。

 長い旅立ちのような場面だが、祖父母の暮らす場所はトリジア王国南部にあるルシェルという町だ。仕事で様々な場所を飛び回ることになる可能性もあるにはあるが、現時点での生活拠点はそう遠くない。

「それじゃあ、またねー!」

 窓から手を振りながら、アンジェリアは伯爵家を去っていく。この日から、待ちに待った商人生活の軌跡が始まった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】母になります。

たろ
恋愛
母親になった記憶はないのにわたしいつの間にか結婚して子供がいました。 この子、わたしの子供なの? 旦那様によく似ているし、もしかしたら、旦那様の隠し子なんじゃないのかしら? ふふっ、でも、可愛いわよね? わたしとお友達にならない? 事故で21歳から5年間の記憶を失くしたわたしは結婚したことも覚えていない。 ぶっきらぼうでムスッとした旦那様に愛情なんて湧かないわ! だけど何故かこの3歳の男の子はとても可愛いの。

【完結】堅物な婚約者には子どもがいました……人は見かけによらないらしいです。

大森 樹
恋愛
【短編】 公爵家の一人娘、アメリアはある日誘拐された。 「アメリア様、ご無事ですか!」 真面目で堅物な騎士フィンに助けられ、アメリアは彼に恋をした。 助けたお礼として『結婚』することになった二人。フィンにとっては公爵家の爵位目当ての愛のない結婚だったはずだが……真面目で誠実な彼は、アメリアと不器用ながらも徐々に距離を縮めていく。 穏やかで幸せな結婚ができると思っていたのに、フィンの前の彼女が現れて『あの人の子どもがいます』と言ってきた。嘘だと思いきや、その子は本当に彼そっくりで…… あの堅物婚約者に、まさか子どもがいるなんて。人は見かけによらないらしい。 ★アメリアとフィンは結婚するのか、しないのか……二人の恋の行方をお楽しみください。

【完結】脇役令嬢だって死にたくない

⚪︎
恋愛
自分はただの、ヒロインとヒーローの恋愛を発展させるために呆気なく死ぬ脇役令嬢──そんな運命、納得できるわけがない。 ※ざまぁは後半

元婚約者からの嫌がらせでわたくしと結婚させられた彼が、ざまぁしたら優しくなりました。ですが新婚時代に受けた扱いを忘れてはおりませんよ?

3333(トリささみ)
恋愛
貴族令嬢だが自他ともに認める醜女のマルフィナは、あるとき王命により結婚することになった。 相手は王女エンジェに婚約破棄をされたことで有名な、若き公爵テオバルト。 あまりにも不釣り合いなその結婚は、エンジェによるテオバルトへの嫌がらせだった。 それを知ったマルフィナはテオバルトに同情し、少しでも彼が報われるよう努力する。 だがテオバルトはそんなマルフィナを、徹底的に冷たくあしらった。 その後あるキッカケで美しくなったマルフィナによりエンジェは自滅。 その日からテオバルトは手のひらを返したように優しくなる。 だがマルフィナが新婚時代に受けた仕打ちを、忘れることはなかった。

【完結】没落寸前の貧乏令嬢、お飾りの妻が欲しかったらしい旦那様と白い結婚をしましたら

Rohdea
恋愛
婚期を逃し、没落寸前の貧乏男爵令嬢のアリスは、 ある日、父親から結婚相手を紹介される。 そのお相手は、この国の王女殿下の護衛騎士だったギルバート。 彼は最近、とある事情で王女の護衛騎士を辞めて実家の爵位を継いでいた。 そんな彼が何故、借金の肩代わりをしてまで私と結婚を……? と思ったら、 どうやら、彼は“お飾りの妻”を求めていたらしい。 (なるほど……そういう事だったのね) 彼の事情を理解した(つもり)のアリスは、その結婚を受け入れる事にした。 そうして始まった二人の“白い結婚”生活……これは思っていたよりうまくいっている? と、思ったものの、 何故かギルバートの元、主人でもあり、 彼の想い人である(はずの)王女殿下が妙な動きをし始めて……

それは報われない恋のはずだった

ララ
恋愛
異母妹に全てを奪われた。‥‥ついには命までもーー。どうせ死ぬのなら最期くらい好きにしたっていいでしょう? 私には大好きな人がいる。幼いころの初恋。決して叶うことのない無謀な恋。 それはわかっていたから恐れ多くもこの気持ちを誰にも話すことはなかった。けれど‥‥死ぬと分かった今ならばもう何も怖いものなんてないわ。 忘れてくれたってかまわない。身勝手でしょう。でも許してね。これが最初で最後だから。あなたにこれ以上迷惑をかけることはないわ。 「幼き頃からあなたのことが好きでした。私の初恋です。本当に‥‥本当に大好きでした。ありがとう。そして‥‥さよなら。」 主人公 カミラ・フォーテール 異母妹 リリア・フォーテール

【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない

ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。 既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。 未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。 後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。 欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。 * 作り話です * そんなに長くしない予定です

恋の締め切りには注意しましょう

石里 唯
恋愛
 侯爵令嬢シルヴィアは、ウィンデリア国で2番目に強い魔力の持ち主。  幼馴染の公爵家嫡男セドリックを幼いころから慕っている。成長につれ彼女の魔力が強くなった結果、困った副作用が生じ、魔法学園に入学することになる。  最短で学園を卒業し、再びセドリックと会えるようになったものの、二人の仲に進展は見られない。  そうこうしているうちに、幼い頃にシルヴィアが魔力で命を救った王太子リチャードから、 「あと半年でセドリックを落とせなかったら、自分の婚約者になってもらう」と告げられる。  その後、王太子の暗殺計画が予知されセドリックもシルヴィアも忙殺される中、シルヴィアは半年で想いを成就させられるのか…。  「小説家になろう」サイトで完結済みです。なろうサイトでは番外編・後日談をシリーズとして投稿しています。

処理中です...