伯爵令嬢の前途多難な婚活──王太子殿下を突き飛ばしたら、なぜか仲良くなりました

森島菫

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番外編 アンジェリア・フォードの人生

第二話 見習い商人の始まり

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 馬車に揺られながら、アンジェリアは外を眺めた。

「素敵な場所だなぁ」

 建物が立ち並ぶ景色は徐々に田園風景へと変貌し、視界いっぱいに緑が広がっている。

 世の令嬢であれば田舎くさいという感想を抱きそうだが、アンジェリアにとっては違った。そこはより己の性質にあった暮らしができる、自由の楽園なのである。あまり舗装のされていない道でガタガタと揺れる車内すら、彼女には心浮き立つ遊具のように思えた。

 それからほどなくして見えてきたのは、木造の一軒家。貴族生活を引退した祖父母のいる場所である。

「こんにちは!アンジェリアです!」

 停止した馬車から颯爽と飛び出した彼女。大きな声で戸を叩くと、なぜか家の脇から返事が来た。

「はいは~い、いらっしゃい!」

 現れたのは、農作業用の服に身を包んだ祖母ドロシーだ。

「ごめんね、ちょっと畑の世話をしてて」
「ううん、大丈夫!」

 まさに自給自足生活といった様子の祖母を見て、アンジェリアは顔を綻ばせた。自分もここで暮らし始めれば、必然的に祖母のようなことをするはずである。貴族生活には興味の無かった彼女は、それがとても嬉しかった。

「中にユルゲンがいたと思ったけど……いないみたいだね」

 玄関口の扉を開けながらそう言うドロシー。夫のユルゲンには、壊れた椅子の修理を頼んでいたはずだった。室内を見渡すと、すでに直っているらしき椅子が置かれている。

「となると、裏かねぇ」

 ひとまず座って、と促すドロシーに、アンジェリアは腰を落ち着けた。

「ユルゲン!アンジェリアが来てくれたよ」

 奥の窓を開けて顔を外に出すドロシーを横目に、室内を物珍しそうに見渡すアンジェリア。

 木の板を組んで作った棚。籠に入った山菜。何かを作っている途中らしき布に、裁縫道具。奥の机の上には万年筆と紙、そしてアンジェリアが以前父親に買ってもらったものと似た、算盤が置かれている。

 その時、玄関から祖父が入ってきた。

「おう、いらっしゃいアンジェリア。よく来たなぁ」

 彼は家の裏手で薪を割っていたらしい。今朝、近くの森まで行って材料を切りに行ったとのこと。

 それからアンジェリアは、祖父母に案内してもらい、一室を与えられた。

「ここがアンジェリアの部屋。荷物は……そんなに多くなさそうだね」

 部屋に運び込む様子を見て、ドロシーは苦笑する。

 令嬢ならばドレスやら宝飾品やらが詰まっているはずだが、アンジェリアの場合は質素なワンピースや作業服だ。そして算盤、万年筆、筆記帳。

 両親がこれまでにくれたお金も一応入っている。しかしそれを祖父母に渡そうとすると「いつか商売道具でも買ったら良い」と告げられた。アンジェリアは彼らの提案通り、本格的に商人生活を始めるための資産に充てようと決めた。

「今日からお世話になります!よろしくお願いします」

 改めて頭を下げると、祖父母は微笑む。

「よろしくね。近いうちに、商会所にも連れていくとしよう」
「アンジェリアは商人になりたいんだったね」
「うん!楽しみだなぁ」

 彼女はまだ見ぬ商会の様子を思い浮かべながら、そう言った。



 それから数日後。祖父母宅での暮らしに少し慣れてきた頃、アンジェリアは祖父母の営む商会を訪れることになった。

「ここがうちの商会所だ」

 この町ルシェルの中でも建物が多く立ち並ぶ中心地。そこに、二階建ての商会所は佇んでいた。扉を開けた先では最初に、受付らしき場所が訪問者を出迎えている。

「ここで来客者の対応をするんだ」
「商人登録とか、経営者の相談のための窓口になるんだよね?」
「そうだ。よく知っているな、アンジェリア」

 祖父ユルゲンは感心したように言った。

「少しでも勉強しておきたくて、たくさん本を読んだの」

 実際に商人生活をすることができない期間を有効活用するべく、彼女はできるだけ事前知識を入れていたのである。読書家の父や姉がいるおかげで、フォード伯爵家には多くの書物が保管されていた。

 祖父母は続いて、アンジェリアを隣の部屋へ連れていく。

「こっちは、応接室。受付で応対した新人商人や経営者を案内するんだよ」

 必要書類の記入をしてもらったり、問題事が起きて困っている経営者が相談したりするために使われるとのこと。後でアンジェリアが商人登録をする時にも、この部屋で行うようだ。

 次に祖父母は、彼女を二階へと案内した。そして一室の扉を開ける。

「ここは会議室だ。価格統制や経済政策に関する話し合いをする」

 壁に並んだ棚には、商品の品質管理書や市場調査書なども入っているという。会議の際に参考にするらしい。商会の者と商人で共働して会議をするためか、やや大きな部屋となっている。

 二階の他の部屋は、物置部屋や休憩室として利用しているとのこと。

「これで大体は案内できた。早速、商人登録をしに行こうか」
「うん!」

 一階に降りると、祖母が受付にいた女性に声をかけた。

「モニカさん、商人登録をお願いできるかい?」
「かしこまりました!そちらのお嬢さんですね」

 ちらりと視線を向けられ、アンジェリアは口を開く。

「アンジェリアと言います。よろしくお願いします!」
「あら、元気な子。私は受付のモニカって言います。こちらこそよろしくね!」

 第一印象では、割とさっぱりした人のように思える。受付を担当しているからなのか彼女の性質なのかは分からないが、とても感じの良いお姉さん、といった風体だ。

 用事が入ったと言って二階へ向かった祖父母を横目に、アンジェリアはモニカの後に付いていく。

「それじゃあこの紙に、基本情報を書いてくださいね~」

 応接室に通されたアンジェリアは、モニカから一枚の紙を受け取った。氏名や出身地、生年月日などを記入し、商人登録欄に印を押せば良いようである。その後受付で処理を済ませれば、この商会所所属の新人商人として認められるとのこと。

「意外とすんなり登録されるんですね」

 説明を聞いたアンジェリアがそう言うと、モニカは首を横に振った。

「登録されてからが大変なんですよ」
「え?」
「新人商人は、言わば見習いの位置付け。正式に品物を仕入れたり売ったりできるのは、商人認定手続きが受理された人だけです」

 その理由は、商人自体を守るという商会所の役割にある。

 誰でも自由に商品を売れるようになれば、価格競争が激しくなり、適正価格が維持されなくなってしまうのだ。その結果商人として暮らせなくなる者が現れてはならない。

 だからこそ、商人志望の者を見習いとし、商人認定をするまで修行という形を取っている。要するに、段階を二つ設けることによって商人の数を調整しているのだ。

「正式な商人になるためには、具体的に何をすれば良いんでしょうか?」
「まず、商人としての知識を豊富に身に付けること。それから見習いとしての実務経験も必要です。後は商業計画を作ること、そしてその実現可能性が高いことも大切ですね」

 どうやらこれらの項目を含め、その他諸々、商人認定手続きで審査が入るようだ。

「人にもよりますが、正式な商人になるまでに一年はかかると思います」
「なるほど」

 期間が長いとは思わなかった。何せ、商人を目指すことを家族に認めてもらうために、半年間布石を打ち続けたアンジェリアである。

 商人になれるよう精進するつもりなのだから、一年などすぐ過ぎていくだろう。現に、商売に関する勉強をしている際はあっという間に時間が経っていく。

 そして何より、アンジェリアは準備期間でさえ楽しめる確信を持っていた。夢に見た商人なのだ。きっと、これからの生活は自分にとって薔薇色になるに違いない──そう思えた。応接室を出るまでは。

「そこ邪魔」

 モニカに商人登録書を提出した後、好奇心に任せて商会所のあちこちを見ていたアンジェリア。ふと気付くと、真後ろに少年が立っていた。

 背丈は彼女よりやや高いが、見た目は同年代。無表情でこちらを見ている彼は、少し日に焼けていた。これまで同じ貴族として知り合ってきた子息のような雰囲気とは、かけはなれている。

「ごめんなさい。どうぞ」

 やや刺々しい言い方には引っ掛かったものの、実際に迷惑をかけているのは自分だ。それに、遠回しな表現や皮肉だらけの貴族よりはマシ。そう思い、アンジェリアは横に避けた。

 少年はそんな彼女を一瞥し、棚から何かを取り出している。迷いの無い仕草。彼がこの建物に来たのは、初めてでは無さそうだ。

 同年代ならば新人商人だろうかと当たりをつけていると、少年がふとアンジェリアの方を見た。

「お前、ここに何の用で来た?」

 単なる質問というより、商会所にいることを非難するような口振りである。アンジェリアは答えた。

「商人登録に」
「は?」

 彼女を一瞥した少年は言う。

「お前みたいな奴がやれるとは思えないけど」

 全身をさっと見た彼には分かった。町娘風の格好をしているこの女からは、貴族のような匂いがする、と。

 髪色は一見すると平民にもいなくはない暗灰色だが、瞳に至っては、この辺りではまず見ない碧眼だ。それに、白く傷の無い肌。貴族ではないと言われる方が驚く。

 なぜご令嬢様が商人になろうとしているのか知らないが、散歩すら根をあげそうなこの女が商人の修行をこなせるとは思えない。

「どうせ、平民の卑しい仕事でも見学してやろうっていうつもりなんだろ」

 吐き捨てるように告げる少年。アンジェリアは、少々穏やかではない彼の心中を感じ取った。

 確かに、ルシェルの人々からすれば自分は貴族に見えるだろう。世の中には、平民を奴隷同然だと考えている連中もいる。貴族を良く思っていない気持ちは理解できた。

 しかし、これほど軽んじられるのは理不尽だ。自分はここに、夢を叶えに来たのだから。

「あなたにとやかく言われる筋合いは無いでしょ」
「その威勢がいつまで続くか」
「馬鹿にしないでくれる?」
「忠告してやっただけだ。場違いだってな」

 険悪な雰囲気の両者。その時、二階から祖父母が戻ってきた。

「ユルゲンさん、ドロシーさん。こんにちは」

 先程までアンジェリアに向けていた敵対的な声音を消し、少年はそう挨拶をする。そこに笑みは無い。

 挑発的な言動はすぐ出てくるくせに愛想よくはできないのね、と心の中で毒づくアンジェリアだが、少年はそんな彼女など眼中に無いという様子だった。

「こんにちは、キーラン君。今日も精が出るね」
「少しでも早く一人前の商人になりたいので」

 相変わらず無愛想に答える少年キーラン。どうやら、もともとそのような人らしい。

 やはりアンジェリアにとって、上部だけの笑みを貼り付ける連中よりマシだとは思える。しかしここまで可愛げがないのも、それはそれで如何なものか。

 用事を済ませたらしきキーランは、商会所を出ていった。そんな彼の後ろ姿を見ながら、アンジェリアは尋ねる。

「今の人、何なの?」

 アンジェリアの不満げな声色から、彼女の言いたいことを察した祖父母。彼らは困り顔で笑った。

「あの子は少し、はっきりした物言いだからねぇ」
「そうそう。だけど、良い子ではあるんだよ」

 およそ良い子だとは思えない出会い方だったが、ともかくアンジェリアは彼のことを考えるのを止めた。あんな男に苛立たせられるのは癪だ。さっさと忘れよう。

 そうしてアンジェリアは、見習い商人としての歩みを進めるのだった。
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