遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花

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30話 怒る理由のそれぞれ。

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  ――あいつ、やってくれたな……

気づけなかったこの部屋の違和感の正体。

そう…
ここにあるものはすべてがボルテウ産。

白地に奇抜な花柄、やけに光沢の強い布地。

椅子もテーブルも、棚もベッドも――どれもこれも……

  "あの男"の趣味だろう……
 
憎らしげにイネスを横目で覗き、胸の奥でざわりとした怒りがこみ上げる。

そして窓辺のカーテン――黄色い百合。
なぜかこれが、特に癪に触った。
 
  「……この百合……」

低くこぼした声――

  「わたし、明日から働くの」

ダニエルは、弾かれたように顔を上げた。

  「は、働く……!?」

 
  「生きていくには、働かないとね」
 
ダニエルは思わず息を飲んだ。

手早く棚に食器をしまうイネスの背中に、苛立ちが混ざった視線を送った。
 
 「か、金なら……君のためなら俺が
  いくらでも用意する…
  は、働くなんて……」

深いため息をつき、イネスは引き出しを静かに閉じる。

 「あなたの助けなんていらないわ。」
  
いつもよりも強い言い回し。
目線やすべてから彼女の怒りを感じる。

 「……あの男は、君が働くことに
  賛成なのか……?」

 「マルセル兄さんなら、賛成どころか
  手助けしてくれてるわ。
  彼の工房でお世話になるの」

岩が降ってきたような衝撃。
部屋の花々が、“マルセルの匂い”を漂わせる。

  「あいつのところで……
   は、働く……?」

声が裏返る。

  「そうよ。」

ダニエルが言葉を失っていると、ブラットが勢いよく横切った。

 「僕、ちょっと冒険してくる!」

 「ちょっと待って、一人じゃ危な――」

冒険心に駆られブラットは、イネスの返事を待たずに外へ飛び出す。
その後を追うように、騎士のライアンが駆けた。

 「わたしが護衛を務めます!」

 「ああ……だが、あいつには
  気づかれないような。」

 「かしこまりました。」

走り去る二人の背中を窓から見送りながら、イネスは首をかしげた。

 「気づかれないように……?」

 「冒険だろう?
  護衛がそばにいたら、この街の
  本当の景色は見えない。」

イネスはなんとなく納得すると、新しい荷を開けた。
夜までには、ここで寝られるようにしないといけない。
 
 「そ、それより、イネス……
  今日は俺に冷たすぎやしないか?」
 
 「………」

  あなたは、最低のクズ
  ごみ虫以下

声には出さず心の中で呟いた。
ダニエルとは目を合わせない。

 「あなたは部屋があるでしょう?
  そろそろ出ていって――」

 「いやだ!」

 「出ていってってば!
  そして――二度とここへ来ないで!」

 「な、何をそんなに怒っているんだ?
  り、理由を話せ!」

 「…彼女から話は聞いたわ。
  ……これだけ言えば、
  わかるでしょう?」

 「聞いた……? なんのことだ……」

イネスは黙ってシーツを手に取り、ベッドに広げる。
そのよれを直そうとダニエルが回り込んだ瞬間、イネスは拒むようにシートを強く引き寄せた。

  ――白々しい……
  心当たりがあるくせに。

深く息を吸い、イネスはくしゃりと丸めたシーツをベッドの端に置くと、椅子に静かに腰をおろした。

 「……いいわ。話すわ――」

  ――ここで、はっきり決着を
  つけてやる。

こうして、イネスとダニエルの話し合いが静かに幕を開けた。
 
―― 

一方その頃――
冒険中のブラット。
 
彼は普段、領地内で過ごす。
高地にある屋敷から、街へおりることは稀だ。

 「人がたくさんいるなぁ。
  メッカとは大違い!」

彼が住むメッカは高地。
人々の暮らしは牧羊や農業が主で、街は静かだった。
ブラットは嬉しそうにキョロキョロと辺りを見回す。
行き交う馬車の多さ、露店の数。
すべてが眩しく感じた。
買い物一つ、商人が屋敷へ売り込みに来るため、こうして街を散策することはない。

 「馬車から見た景色と、まるで違う」

――と、そこに。

 「なぁ、お前、金持ってるか?」

年は上か、同じくらいの少年達が声を掛けてきた。

 「……お金? ないけど……」

 「はぁ? この格好で?
  金もねぇくせに偉そうな
  服だけ着てんの?」

容赦ない、値踏みするような視線。
体格はブラットより頭一つ分ほど大きい。

 「お前、ここ来たばっかりだろ?
  金さえ払えば“仲間にしてやろう”
  って思ってたのによ」

冷やかしきった声で言ったのは、前髪が揃った少年。
ブラットの目には、どんぐりの殻のように見えた。

 「一緒に遊びたいけど、お金は
  もってないんだ……」

少年達は一拍置いて、大きく笑い出した。

 「ねぇってよ!
  だったらその靴でも服でもよこせよ。
  金の代わりにしてやるからよ。な?」

ブラットは自分の服を見下ろす。

 「……?」

服を脱いだら寒い。
ブラットはそう想像して身を震わせ、首を横に振った。
少年達は、その震えを“怖がっている”と受け取り、さらに笑い声を上げた。

 「お前、没落貴族ってやつだろ!」

嘲る声が重なる。
その言葉に、ブラットはようやく悟った。
――少年たちは、自分と遊ぶつもりなど最初からなかったのだ。

そして母に放った、あの言葉が胸に刺さる。

  没落貴族……
  気づかなかったけど、よくない言葉
  だったんだ……

  後でママに謝ろう。
 
罪悪感に揺れた瞳。
握りしめた拳の皮手袋が、ギシ、と軋んだ。

 「お前、あの蔓屋敷から出てきたよな!」

少年達は目ざとく気づいていた。
大荷物の運び入れの時から数日、ここには何かあると噂していたのだ。

 「そこ、これからママと住む。」

少年達の口元が、ゆっくりと歪んだ。

 「あははっ、まだ“ママ”呼び?
  だっせぇ~」

 「それに、お前のママ、
  パパに捨てられたんだろ?」

心底から見下す声音。
ブラットの胸がズキッと痛んだ。

 「……っだ」

震える体。
それは寒さでも恐れでもない。
胸の奥からせり上がる、熱い怒りだった。

ブラットは、そっと皮手袋に指をかける。
そしてゆっくりと手袋を外しながら、少年達へ一歩近づく。

  「欲しければ……これをやる」

少年達がニヤリと口角を上げかけたその瞬間、

 バシッ!!

手袋は、一番大きな少年の頬を正確に打った。
乾いた音が周囲に響く。

少年達の笑いが、ピタリと止まった。

ブラットの声が低く落ちる。

  「……ただし、これは決闘だ」

静かな宣戦布告。
皮手袋を顔に受けた少年は、何が起きたのか理解できずに目を見開いた。

それは本来、
侮辱を受けた騎士が相手に叩きつける正式な挑戦状。

ブラットの背筋は凛と伸び、先ほどまでの幼い表情はどこにもなかった。


 ――次話予告
勝ち取る沽券と守るべき信用。
父子、それぞれの戦い。
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