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48話 許されざる傍
しおりを挟む眠る彼女の横で、あの男――ダニエルが寄り添っている。
――許せない。
息が詰まり、呼吸が荒くなる。
「きっと、彼女なら……
子供たちのことを、まず心配する
でしょうね」
「なぜ、それがわからないんです?
それで――夫ですか」
笑わせますね……」
「僕の方が、彼女を愛しています」
苛立ちが立ち込め、言葉は抑制を失って次々と吐き出される。
拳は強く握り締められ、マルセルの内に溜めた怒りが震えとなって滲んだ。
重く粘つく空気が場を支配し、二人は一歩も引かず、鋭く睨み合う。
その視線の応酬から、先に目を逸らしたのはダニエルだった。
静かに眠るイネスへと、ゆっくり視線を落とす。
耳へなだれ込むような雑音――
壁の布、鼻を掠める嗅ぎ慣れない男の匂い、
そしてこの男のベッド。
こんな所にイネスが寝かされて、
それだけでも耐え難いというのに、
この男は何をほざいている……
「……静かにしろ。
男二人が、
自分の寝ている横で喧嘩を始めて、
イネスが喜ぶと思うか?」
ダニエルは、ふっと嘲るように笑った。
「笑わせるな。」
ふと、眠るイネスにマルセルは視線を送る 。
――悔しいが、確かにそうだ。
イニーは、こんなの望んでいない。
握った拳をどうにか収め、
落ち着きを取り戻そうと深く息を吐く。
そして零すように呟いた。
「実は既に、彼女には気持ちを
伝えてあります」
マルセルの告白に、ダニエルは知らぬ顔を決め込んだ。
しかし、内心は焦っていた。
イネスが彼に厚い信頼を寄せており、かつての婚約者。
それは調査済みだ。
「ですが、彼女から拒まれました。」
ダニエルは頬を緩めた。
が、マルセルの言葉は続く。
「再会に浮かれ、愚かにも
彼女を欲しがってしまった……」
「でも、これからは違います。
彼女の心を欲しがらず、
ただ、支えることに徹します。」
イニー、
本当はずっとこれを君に伝えたかった……
「そして、あなたには
こういう男が一番厄介なのだと、
分からせてみせます。」
イネスの手を握る手にも力が入り、ダニエルに不安が一気に押し寄せた。
「……言いたいことは
それだけか?」
焦りを悟られまいと、ダニエルは平静を装う。
「――少し、換気します。
寒いでしょうけど、
我慢してください」
窓を開けると、冷たい風が室内へ流れ込んだ。
――落ち着け。
窓から見える一面の景色にマルセルは目をやった。
沈黙が二人の間をつくった。
その中で、ダニエルはイネスの寝息に耳を傾けていた。
――案ずるな。
この男は振られたんだ……。
まだ何も起こっては、いない。
それより、イネスだ。
なぜ、目覚めない……?
傷が癒え、肌の色が戻ったのも、この石の力によるものだろう。
胸元で静かに佇むネックレス。
ダニエルは無言の圧力を込めて見つめた。
力を貸すのなら、
なぜ、あの時のように時を戻さなかった?
――エンリケ。
それにこの男は、その名を口にした……
なぜ……。
謎は深まる。
ざわめきを抑えようと、ダニエルはイネスの指先に口づけをした。
マルセルはその光景から、無力にも目を逸らすしかなかった。
――最悪だ。
悔しさと、底の深い悲しみが全身を押しつぶす。
あの男は、彼女を裏切った過去がある。
だが――"まだ夫"であることに変わりはない。
俺には、彼女に触れる権利さえない。
ダニエルの声が静寂を破る
「……とりあえず、ここにいては
いけない理由ができた。」
扉の外へ待機していた騎士を呼ぶ。
「すぐ近くの屋敷へ向かう。」
「お待ち下さい!!
彼女は頭を打っています……。」
ダニエルはいらだたしげに舌を鳴らした。
「誰のせいでこうなったと?
お前のところでだ!
――いずれ責任は問う。」
「取れる責任なら、
なんでもとります!
ですが、見逃せません。
外の寒さも、馬車の移動も
彼女の体に負担をかけます!」
「平気だ。
傷は癒えている。」
ダニエルは譲らず。
「馬車の手配を急げ。
そして、屋敷には医者を呼ぶように。」
マルセルは声を荒げた。
「伯爵…っ!!」
「彼女の身が心配なら、優先すべきは
"あなたの気持ち"なんかじゃない!」
「嵐の日もそうでした……。
一方的なんです。
そして、傲慢だ!」
ダニエルは意に介さず、
イネスの体を、自身のコートで包む。
「イネス、少しの我慢だ。」
制止しようとするマルセルだったが、騎士が立ちはだかる。
「……悔しいけど、これ以上
止める権利が自分にはありません。」
「当たり前だ。」
ダニエルはふと笑った。
「……最後に、これだけは言わせて
ください。
子供たちのことを、どうか
よろしくお願いします。
イニーにとって、それが一番の
気がかりでしょうから……」
ダニエルは、マルセルに見せつけるように、イネスの体を抱き上げた。
「“イニー”。そう呼ぶなと
確かに伝えたはずだ。」
ダニエルは冷たく言い放ち、その場を後にした。
――
ここはカイロ。
先ほど出発したマルセルの工房からそう遠くない、マイリー家が所有する屋敷である。
「部屋をもっと暖めろ!」
馬車であればすぐに着く距離だったが、道の除雪は進まず、移動は長引いた。
そのせいで、イネスの体は思った以上に冷え切っていた。
ダニエルの声に、焦りと怒りが混じる。
冷えた手足を、何度も擦った。
あのまま、あの場にいた方が……
――いや、妻のことを
好きだと言う男の傍になど……
男なら誰だって、
この選択をするはずだ。
「……ダ、ダニエル様っっ!!
奥様はご無事ですか!?」
駆け付けたのはセオドリックだった。
彼の顔には心配の色が濃く、イネスの顔を覗き込む。
「一命は取り留めた。」
「あぁ……よかった。
坊ちゃん達も、
さぞ心配したことでしょうに……」
「あいつらには、何も知らせ
ていない。」
ため息混じりの声には、疲れが混じっていた。
心配させまいとするダニエルの態度には、確かに彼なりの思いやりがあった。
しかし、眠るイネスの胸元で、石がかすかに赤く揺らいだことに、ダニエルは気づかなかった。
――
ここは帝都――学術通り。
子供たちのいる屋敷。
「母さん、いつ帰るかな……」
心配そうに時計の針を見つめるブラット。
「雪が止んで、馬車が通れるように
なったら、父さんもイネスさんも
帰ってくるだろうって、
サイラスが言ってたけど……」
サイラスは、ダニエルの意向を受け、子供たちへの伝言を任された新人騎士だ。
「……外から馬車の音がするけど、
もう帰ってくるってことかな?」
街の人たちが雪かきをして、馬車が通れるように道を整えていた。
ブラットは窓の外を覗き込み、心配そうに呟いた。
「心配だな……
外も暗くなってきた。」
「ダメだ、じっとして居られない!
兄さん、サイラスに聞きに行こうよ」
二人は、外で休憩中の騎士たちのもとへ向かった。
吐く息が凍るような寒さ。
手すりには氷柱が垂れ下がり、二人はそれを壊しながら階段を駆け降りる。
――騎士たちは雪の上に腰を下ろし、煙草を吸いながら、雑談に興じていた。
サイラスもその中に交じり、まだブラットたちの存在には気づいていない。
「雪の中で葬式ですかね……」
煙草を雪の壁で消すと、サイラスはぼそっとした調子で言葉を放つ。
次の言葉が、無意識のうちに二人の胸を凍らせた。
「奥様はもうダメですよ。
あの怪我では……」
「……そんなに夫人は酷いのか?」
「ええ。
生きていられるはずがありません」
ブラットとキリアンの頭は真っ白になり、体から血の気が引いた。
「生きて、ない……っ…?
……ど、どういう――」
ブラットの身体が動いた。
そして階段を一歩降りた瞬間、氷で足が滑る。
――あっ……!
思わず手すりに掴まろうとするも、指先は冷たく硬く、力が入らなかった。
「ブラッーー」
ブラットは、崩れるように階段を滑り落ちていく。
キリアンは必死に手を伸ばし、ブラットの袖を掴もうとしたが、すでに間に合わなかった。
心臓が喉まで飛び上がり、その先の光景に釘付けになる。
冷たい石の感触、雪のざらつき、空気までもがブラットに圧し掛かった。
「うわああーーッ」
キリアンの悲鳴が響き渡った。
その刹那、
鼻を掠めたのは、ここにあるはずのない花の匂いだった。
――次話予告
父さんは、いつも肝心なことを
話してはくれない。
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