遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花

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51話 母さんと呼べなくても

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ここはカイロの屋敷。
 
キリアンは窓を開け、大きく白い息を吐いた。
枝先には、芽がつきはじめていた。
暖かな春はすぐそこまで来ているはずなのに、空気はまだ冷たかった。
 
 ザクッ、ザクッ。
 
――外から足音がする。
まだ朝は早い。
僕は身を乗り出し、外を覗いた。
 
そこには、雪を払い、フェンスによじ登って枝を切る父の姿があった。
切り落とされた枝には、白い蕾がいくつも付いている。
 
今日は、父と母の結婚記念日らしい。
きっとそれは、母へのプレゼントなのだろう。
 
僕は大きくため息をつき、少し強めに窓を閉めた。
 
昼食を終え、廊下を歩いていると、母が眠る部屋から父の声が聞こえてきた。
 
――父と僕は、もうずっと前からろくに話をしていない。
それでも、父の様子は気になって仕方なかった。
 
僕はこうして、母を見舞う父の姿を、幾度も横目に見てきた。
そのたびに、疑問は大きく膨らむ。
 
母をこんなにも思っていたのなら、
どうしてノアと、あんなにも仲良くしていたんだろう……。
 
父への嫌悪は、強まるばかりだった。
 
でも僕は、母のことが好きだ。
母は優しく、美人で、服を作る才能もある。
 
――だけど僕は、母を認めることができない。
ノアのお腹には、赤ちゃんがいるから。
 
母の頬にキスする父。
あの眼差しは、以前ノアに向けられていたものだ。
父が母に優しくするたび、
胸の奥が、ひり、と痛む。
 
この痛みこそが、
僕が母を「母さん」と呼べない理由だった。
 
何が正しくて、何が間違っているのか。
僕にはもう、よくわからない。
 
それでも――
僕だけは、ノアの味方でいてあげなければいけない。
 
生まれてくる、弟か妹のために。
だって僕は、お兄ちゃんだから。
 
キリアンは、いまだ目覚めない母を横目に、名残惜しそうにそっとその場から離れた。
 
「でも、僕なりに
   出来ることはある……」
 
母の部屋にあった、僕とブラットの服。
ヘレンから手渡されたのは、あのとき、僕が踏みつけてしまった服だった。
クローゼットに紛れていたらしい。
 
綺麗に洗われ、ボタンも付け直されている。
 
「やっぱり、
   この刺繍はすごい……
 カッコイイ……」
 
カイロと学術通りを往復しながら、僕は服について少し調べてみた。
学術通りにある屋敷。
書店もあり、母の部屋は、今や僕の居場所となっていた。
父の顔を見ずに済むこともあって、心が落ち着く。
 
僕の服は、かなり価値のあるものらしい。
生地は他国製で、この国には、まだ数も多くは入っていないという。
艶のある糸はとても細く、
この国のものとは、はっきりと違っていた。
 
この重厚感は、どうやって生み出されているのか……。
 
これを着られる者は、そう多くはないはずだ。
大量生産もできないし、費用もかかる。
 
僕は、いつか、
こんな素晴らしい服を、たくさんの人に届けられる、立派な人になりたい。
もっと勉強して、
先祖から受け継いだ家門を、守っていけるようになる。
 
それが――
この刺繍を施し、服を作ってくれた母の思いに対して、僕が密かにできる、精一杯だ。
 
「……この服は、
 元の場所に戻しておく
   ようにヘレンに伝えよう。
 いつか直接
    手渡してもらえるように……」

  
――

  
「イネス……今日は、
 俺たちが結婚してから、
    二十一年目だ」
 
「今まで、ろくに祝って
    やれなくて、
    すまなかったな……
 今日は、ちゃんと祝おう」
 
ダニエルは、イネスの枕元に小さな箱を置いた。
そして、蕾をつけたばかりの花を、そっと彼女の髪に添える。
 
――今日も、君は生きている。
 
その事実に感謝し、
ダニエルは、彼女が一日も早く目覚めるよう、深く祈った。
 
イネスは、食事も水も摂っていないはずなのに、髪は艶やかで、血色もよく、まるで、ただ深く眠っているだけのようだった。
 
「……こんな日に、
 こんな報告を
    したくはなかったが……
 明日、メッカの屋敷へ
    行ってくる」
 
雪の壁は崩され、除雪は着実に進んでいる。
メッカへと繋がる道も、明日には開ける見込みだ。
 
「イネス……以前、
    ノアが邪術で
 俺を操っていたかも
    しれない、そう言ったこと
    があったよな……」
 
雇った諜報員は、ノアの元夫のもとへ赴き、調査を進めていた。
そして、その結果が、ようやくダニエルの手元に届いたのだ。
 
「……もう、憶測じゃない」
 
書類をめくる指に、怒りが滲む。
 
「彼女は、ただ離縁され、
 追い出されたわけじゃない……
 自分の実子の心臓を、
    生け贄に捧げ、
 闇と取引しようとした……」
 
書面には、子を守るため、そして恐ろしい妻から逃れるため、ノアの元夫が、子を連れて他国へ逃げたことが記されていた。
 
帝国法では、邪術の類は、厳罰に処される。
 
「イネス……俺は明日、
 騎士を連れて、
 屋敷に残るノアを
    ――拘束しに向かう。」


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